美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

小川芋銭『草汁漫画』「柚味噌」の画賛

2020-02-18 20:37:00 | 小川芋銭


(画像は国立国会図書館のデジタルコレクションから引用)

『草汁漫画』の冬の部にある「柚味噌」の図の画賛に「炉開や床は維摩に掛替る」というのがある。

冬の部の画賛に一見相応しいような月並俳句に見えよう。

しかし、この画賛句、非常に問題が多い。
まず、第一に意味がよくわからない。

炉開きになると床の間の掛け軸は、なぜ維摩像に替わるのだろう。それは、一般的、習慣的なことなのか…?

ところがこの画賛句、既に北畠健氏に指摘されているように元の句は、蕪村の
「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」
なのだ。

炉開きと炉塞ぎでは、まるで季節が反対だから、これは実に問題だ。

絵は柚味噌だから冬の部にあり、当然、「炉開き」の画賛句でなければならない。
だから、これでは全く画賛として解釈のしようがないではないか!

では、本来の蕪村の句
「炉ふさぎや床は維摩に掛替る」
とはどんな意味なのだろう。

これもなかなか解釈が難しい。
炉塞ぎの句としてよく例に挙げられているのだが、その意味を教えてくれるものはネット空間には無さそうである。

なぜ、炉塞ぎの季節になると、床の間の掛け軸が維摩像に「掛替る」のか?

維摩像にするのは、当時のある範囲の文人たちの習慣なのか、それとも蕪村だけの意味付けがあるのか?

そして、この「掛替る」は、「掛け替える」と読むべきなのか、「掛け替わる」と読むべきなのか?

こんな疑問が次から次へとわいてきた。
芋銭の(とり違え?または思い違いによる?)画賛の意味を解釈する前に、本来の蕪村の句の意味もどうにもよく解らないでいた。

それでお手上げ状態だったのだが、私の地元の図書館司書であるMさんの助力で、参考になる文献を探していただいた。次回はそれについて次に書いてみよう。

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