美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

中村彝の手紙におけるラプラードの「おメン」とは?

2024-05-01 20:36:22 | 中村彝
 中村彝の大正12年7月30日の鈴木金平宛の手紙にこんな行(くだり)がある。
 「よく皆からラプラードの《おメン》の話をきかされるので是非一度見ておきたいと思う。忙しい所お気の毒ですが今村様にお願いしてこれ一枚だけ借りてきて下さいませんか。」
 ラプラードの名前は、同年7月4日の金平宛の書簡にも見える。
 今村繁三が持っていたラプラードの通称《おメン》とはどんな作品なのだろう。彝の仲間たちに当時噂になっていた作品だが、数年前、ネット上にお面が描いてあるラプラードの作品画像を見つけた。
 これが彝の仲間たちの噂の作品がどうか今のところ確認していないが、参考にはなるだろうから、リンク先を貼っておく。
 なお、リンク先は、複製画販売サイトらしく、ラプラード作品のタイトルは、「静物」とされ、その制作年は記されていないが、「希少画集画」との表示がある。






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中村彝のシスレー模写と『藝術の無限感』の断章

2024-05-01 18:28:17 | 中村彝

 中村彝の『藝術の無限感』に「感想その二」という項目があり、実はその中に、中村彝が模写したシスレー作品に言及した部分がある。

 その部分は、その前のパラグラフにほとんど関係なく、唐突に「四十を越した成熟期のものだけに画面がよく整って居る」と始まっている(新装普及版、23頁)。

 だが、これは明らかに彝によるシスレー模写に関連した新しい断章だろう。ただし、この断章にはシスレーという名は出てこない。

 しかし、「緑色に澄んだ大空の調子には古いクラシックの大家の面影がある。遠景の丘が大空のドームの中に浸って実に深い温かい感じがする。インプレショニスト!

 然し僕はより以上にその中に詩を感ずるコローや、ターナー等の精神を感ずる」と述べていることから、シスレー作品を示していると考えてよいだろう。

 

 さらに、この断章が、単に複製画などを見て、その感想を書いているのではないことは、「こうして模写して居ると、あの五十に近い老人が野外に立って静かに無心で絵を描いて居る姿が眼に見える様だ」と書いてあることから分かる。

 彝がオリジナルを前に模写しているシスレー作品は1点しかないし、その断章で述べられている作者の年齢(「四十を越した円熟期」「五十に近い老人」)は、彝が模写したシスレー作品の制作年が1887年だから、当時の作者の年齢(48歳)に全く矛盾はない。

 しかし、この断章は、なぜか大正7年1月と記されている。大正7年はよいが、1月というのは、編集上の手違いか、何かの間違いと考えるほかはない。

 模写は、大正7年の夏に行われているのだ。そのことは、大正7年8月31日の曾宮一念宛ての手紙にこう書いていることから明らかである。

 「例のシスレーをポチポチやって見たが、初めて見ると(ママ、「始めてみると」?)どうして恐ろしく細かく、複雑なので、今の僕の根気では迚もやり切れないと思ったから、いい加減で切り上げて終った。」

 「いい加減で切り上げて終った」というのは、彝の謙遜だろう。実際この模写ほど、彝の模写の中で規模も大きく、オリジナルに忠実に描いたものはない。

 シスレーのオリジナル作品は、今村繁三が持っていたものだが、現在は所在が不明となっている。シスレーのカタログ・レゾネでも1917年10月6日、デュラン=リュエルから松方幸次郎に売却された以後の来歴は記されていない。しかし、いずれにせよ、その翌年には今村の手に渡っており、大正7年(1918年)8月には早くも彝が模写することになった。

 彝が模写したこのシスレー作品、ドールトのカタログ・レゾネではそのタイトルが「廃屋、フォンテーヌへの道、11時頃」となっている。大震災や戦災などで焼失などしていなければ幸いである。

 彝の模写の方は、彝の支援者で水戸出身の有名な高橋箒庵に、鈴木良三氏から届けられた。そしてこの模写作品は、カラーによる戦後の画集掲載の例もあるので何れ再び日の目を見ることが期待されよう。挿図は、その画集からの複写であることを、感謝とともに、お断りしておきたい。

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辻永の「サンジェルマンの春」(茨城県近代美術館蔵蔵)とシスレー

2024-05-01 09:58:36 | 日本美術

 茨城県近代美術館に、辻永が描いた「サンジェルマンの春」という作品がある。以下は、この作品が同館に展示されている頃、2作品の比較上興味深いシスレー作品のリンク先をかつて2019年2月Twitterに示したことがある。タイトルもそっくりだ。

 シスレーの下記のリンクに見られる作品は、辻永の作品よりもかなり遠景のテラス(高台)から橋の方を眺めた構図のパノラミックな作品で、画家の立っている視点は全く同一とは言えないかもしれないが、これによって、辻が描いた作品の「サンジェルマン」とは《サン・ジェルマン ・アン ・レー》だと分かる。

https://art.thewalters.org/detail/17847/the-terrace-at-saint-germain-spring/

 「サン・ジェルマン・ アン・ レーは人口4万人ほどの町だが、ドビュッシーはここの生まれ。オルガン奏者のマリー・ クレール ・アランも。モーリス・ ドニもゆかりの画家。

 サッカーファンには知られた町らしいが、辻永の「サンジェルマンの春」の「サンジェルマン」も実はサン・ジェルマン・ アン ・レーのことだ。

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