美術の学芸ノート

西洋美術、日本美術。特に中村彝、小川芋銭関連。真贋問題。他、呟きとメモ。

2020-06-20までの呟き

2020-06-23 18:50:00 | 日々の呟き

「存在脅威管理理論」について、今日9日の毎日新聞記事にこんな説明があった。「人は死という言葉を聞いたりそのイメージを喚起されたりすると、もともとある態度を無意識的に極化させる…」「人は死を喚起されると自分より大きなもの、集団やその価値観に同一化したいという欲求にかられる。」

「これは、自分の死後も存在し続ける大きな集団の一部であると信じることが、不死の意識を与えてくれるためだと解釈されている」(脇本竜太郎さんの言葉などを引用した記事より)
自発的な「殉死」などもこの理論で説明できるのかな?
制度としての「殉死」は?


現代中国における「高級黒」「低級紅」という言葉の意味、今日の毎日新聞で知った。


超過死亡者数、今朝のラジオでは、例年より実は増えていたと報じられていた。何月、どの対象についての統計か、やはりいろいろ比較して自分で確かめてみないといけないな。


「相関関係があるから因果関係があるとは限らない」という言葉は覚えておこう。

反対に相関関係がなくとも因果関係があることもあるのだな。


ウイルスはものすごいスピードで変異するのだな。突然変異は稀にしか起こらないというイメージとは違う。

通常、ウイルスは変異して次第に毒性を強めるのではなく、弱めていく存在らしい。


『ゴーンショック』の今日13日の毎日新聞書評で、佐藤優氏は、例の黒川氏と賭け麻雀した朝日新聞の元社会部記者とをゴーン逮捕瞬間の朝日新聞動画に絡ませて紹介していた。


「文学への愛と実人生での幸福を両立させることはかくも困難だが…」と仲俣暁生氏が紹介するティファンヌ・リヴィエールの『博論日記』。


「たぶん夜は山になるはず蝸牛」(谷口慎也)という句が毎日新聞、季語刻々に。坪内稔典氏はこれを蝸牛が山に変身すると読むのも面白いとの趣旨で書いていた。子供のようにそのまま読むわけだ。「蝸牛のそばで、今夜は山泊まりになるよ」と読むのは、子供や初心者には難しい。俳句によく見られる例だ。


池田澄子著『句集 此処』の小島ゆかりさんによる書評を読む。
池田さんの句「柚子咲いてあなた中有は明日まで」の句から、忘れていた中有の意味を調べて納得。

ここで紹介されていた句。「じゃんけんで負けて螢に生まれたの」「初蝶来今年も音をたてずに来」「春寒の夜更け亡師と目が合いぬ」「ショール掛けてくださるように死は多分」など、確かに秀逸だ。


高階秀爾氏が谷崎の『陰翳礼讃』について今日の毎日新聞に書いていた。

「眼に見える実体の中にこそ美は宿るとする西洋的美意識とは対極に位置する」と。高階氏は歌舞伎や文楽にも熱中していたことがあったらしい。

相当昔だが、音楽ではメンデルスゾーンがお好きで、オペラではR.シュトラウスの「薔薇の騎士」というお話を伺ったことがある。


コンスタン著『近代人の自由と古代人の自由』についての木村凌二氏による書評を読む。「古代に遡れば、それは奴隷ではなく、自由という身分であった。自由人とは主がいないことであり、自ら実践できることなのだ。…図らずも、(コロナ禍で)世界史の中の2つの自由が身に染みて感じられるかのようだ。」
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2020-06-07までの呟き

2020-06-12 11:36:00 | 日々の呟き
ふだんはおとなしくしているヘルペスウイルス。歌人の松村由利子さんが今日の毎日新聞記事で書いている。
「ヘルペスウイルスのおかげで免疫が活性化していることがわかってきた。」

ヘルペスウイルスは何のために人間の一生にふだんはおとなしく潜んでいるのか?これは共生と呼んでよいのか?共生と言っても宿主がひどく疲れていると悪さをする。細菌に対して免疫を活性化させ、時に宿主を守っているように見える。が、その目的や解釈は人間世界の話?言葉や定義で区切れぬ世界?

ウイルスという存在は、多種多様で、しかも何のためにとか、なんの目的でといった人間世界から見た合目的的または合理的な解釈を簡単には許さない存在だな。


安井裕雄著、『図説モネ「睡蓮」の世界』の紹介が毎日新聞に。全308点をカラー収録。既に海外でも翻訳の動きがあるとのこと。


コロナとの闘いとか戦争、そして今度はwithコロナか。こういうコピーの類はどうも…

こむら返りの薬、即効性があり予防効果もあるという「芍薬甘草湯」の紹介が毎日新聞記事にあった。


「最近、顔が崩れてきたんです。」「初公判前に美容整形クリニックに寄ってから行きたい。僕は劣等遺伝子なので」と真顔で言った。
「相模原障害者殺傷真の動機は」という今日4日の毎日新聞、中村紬葵記者の記事から

「重度障害者は不幸であり、殺害することで不幸が減り世界平和に繋がる」と考えて事件を起こしたとする判決は単に被告人の異常な主張を浅薄になぞっているに過ぎない。本人がそう言っているのだから仕方ないという思考だし、心の闇の深さに最初から立ち入らない姿勢に見える。


髙樹のぶ子著『小説伊勢物語 業平』についての小島ゆかりさんによる書評が今日の毎日新聞に載っていた。

秋山佐和子著『歌集 豊旗雲』の持田叙子さんによる書評を読んだ。

「彼にとって『見る』と『描く』とは等しい関係にあった。描くために見るのではない。…』
『熊谷守一 わたしはわたし』中島岳志氏による紹介記事より

「それで、思うのである。これらの仕事は、私たちが生きることに絶対的に不可欠ではないにしても、でもいつの時代も必要とされてきたものだ。不可欠ではない、ということと、必要ない、ということはイコールにはならない。」角田光代さんによる田中兆子著『あとを継ぐひと』の書評より

石井妙子さんが書いた『原節子の真実』と『女帝 小池百合子』を絡ませて書いた今日6日の毎日新聞記事、伊藤智永氏による「時の在りか」を興味深く読んだ。


梨木香歩さんがMRI検査中の音を「地獄の釜の蓋がパタパタと開いて」と今日7日の毎日新聞「炉辺の風おと」で表現していた。
私自身はそれほど苦にならないが、この音に注目した記事、興味深く読んだ。
私にはこの音、きみ悪くも、寧ろ現代音楽のように思えたことがあった。

「地獄の釜の蓋」といえば、現代音楽ではないが、マーラーの交響曲第6番にもそんな場面があると友人に昔、語ったことがあった。


「自分たちの都合の悪い情報は隠蔽し、よしんば出しても黒塗りの『のり弁当』状態…(そんな集団に)国民の側だけすべての情報を明け渡すことに躊躇して当たり前ではないか。」松尾貴史のちょっと違和感より、今日7日の毎日新聞記事

「銀行口座に1000万円を超える預金があることを理由に、介護保険の認定の枠から除外されて、高額の施設料が必要になってしまうという話もある。老後には2000万円用意しておけと金融庁の報告にあったのに、どう自分たちの身を守ればいいのだろう。」松尾貴史のちょっと違和感より


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2020-5-30までの呟き

2020-06-03 15:36:00 | 日々の呟き
自粛のあいだ、草刈りや庭木の剪定、家の中の不用品の整理で身体を動かすと一石二鳥、三鳥で気持ちがよい。
古本なども捨てようと決心するが、いざ背表紙を見るとなかなか捨てられないものだ。


『13歳からのアート思考』という本の今日30日の新聞広告にモネの≪「睡蓮」を見た4歳児が言いました。「かえるがいる!」≫ ≪あなたはかえるを見つけられますか?見つからない?その理由は…≫とあった。

モネの「睡蓮」には、水面すれすれに接近した視点から描かれている作品がある。まさに自分がカエルになったような視点。4歳児でなくとも、その水面の絵に感情移入すると、自分自身が対象化されて、確かに「かえるがいる」と思えたことがあったな。この本にはどんなことが書かれているのだろう?


だれでもあっという間に生活困窮者に転落していくことが、今回のコロナ禍で多くの人が痛感している。層の厚い中間層なんかなくなるよ。


「歴史は説明をしていくと全てが必然の出来事のようにも捉えられるが、偶然の要素も大きい。」
池澤夏樹さんの言葉、今日30日の毎日新聞記事より


「優れた授業ができない大学教員は失業の危機に直面する。これは非常に危険な本だ。」
『経済学を味わう』についての、大竹文雄さんによる書評より


新型コロナと共生というのは、本当はごめんだな。大事なことは、野生動物の生活圏を撹乱しないということかもしれない。


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2020-5-28までの呟き

2020-06-02 07:07:00 | 日々の呟き
今回のコロナ禍、まだ過去形で話したり、書いたりするのは早過ぎるのでは…


彝作品

「うけい」により素戔嗚の剣を口に入れた天照大神。そこから宗像三女神が生まれた。中村彝の「泉のほとり」の主題について


今日23日の毎日新聞、季語刻々に蕪村の「ところてん逆しまに銀河三千尺」に関連して、江戸時代の「ところてんの曲突き」について解説があった。


今日23日、梅津時比古氏の毎日新聞記事、ゴミ捨て場のモーツァルトを読む。

人事

恣意的な人事の懸念があるかないか、それを判断するのは、少なくとも人事を行なう側でない。

人事というものは、実に人を歪曲させる危険性の高いものだ。多くの人は曲がった人事によって泣いている!

公務員人事のみならず、民間の人事においても、曲がった人事というものは、きわめて根強い偏見や差別が、この時ばかりと大手を振って公然と行われる世界だ。こんな組織はいずれ衰退し、自滅に向かう。


新型コロナの超過死亡者数
「日本の21大都市の全体で、どの時点でも超過死亡は見られず、むしろ3月に入ってからは例年よりも死亡数が減少しています。」今日24日の毎日新聞、米山公啓の新医学の真実より

「ただし、第2波は必ず来ると考えられています。…まだ、各国の対策の評価をすべき段階ではありません。」


「『私小説的というか、日常的異議申立てみたいな小説はあまり好きになれない』と語った部分が興味深い。『僕としては、そういうものはもうわかっているんだ、というところから話を始めたい』」
「村上春樹をめぐるメモらんだむ」、今日24日の毎日新聞記事より


「人と野生動物の共生とは、仲良く同じ空間で暮らすことではなく、お互いの生活圏を撹乱しないよう棲み分けをして生きることである。」五箇公一さんの言葉、今日28日の毎日新聞記事より

人がやたら野生動物の世界に入っていくと、そこに潜んでいたウイルスとも接触することになるのだ。


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