私の主張・ひとりの日本人として

新聞やテレビの報道で特に偏向マスコミや反日日本人などに憤慨することが多くなり、暇な時に思いつくまま書き綴ったブログです。

職務命令を拒否した教師は懲戒免職が相当

2007年02月28日 14時58分54秒 | 社会問題
   小学校の入学式で、「国歌・君が代」のピアノ伴奏をするようとの校長の職務命令を拒否したことで、懲戒処分を受けた東京都の女性音楽教諭(53)が、都教委による処分の取り消しを求めた訴訟は最高裁において、職務命令を合憲として原告側の上告を棄却する判決が27日に言い渡された。原告の女性音楽教諭の敗訴は確定したが、マスコミは最高裁まで争った原告の名前を何故か公表していない。

 この原告の女性音楽教諭は最高裁まで争ったことについて、自らの思想・良心の自由は絶対なもので、校長の職務命令であったとしても、それを曲げることは出来ないとの信念があるからなのであろうが、ならばマスコミが匿名で報道していることをどう思っているのであろうか。その思想が何ら間違っていないと思うならば、「不当判決」に抗議するだけでなく、マスコミに実名報道を求めた方が良いではないか。

 今回の最高裁判決は妥当なものであり、職務命令を拒否したのだから処分されるのは当然で、原告が敗訴するのは最初から分かり切ったことだが、にも関わらず最高裁まで争えば、原告にとって「司法の良識が示された」との判決が下されるのではないかとの淡い期待を持っていたとすれば精神的欠陥を持っていると断じても良いであろう。

 現に、この女性音楽教諭は「歩いていても『君が代』が聞こえてくる」との幻聴に悩まされ、また音楽準備室に入り込んでくる虫(カメムシ)が「都教委に見え、見張りに来たと感じる」と訴えていたそうである。このような異常な精神状態で教壇に立っていたならば児童に与える影響は大きいし、何をしでかすか分からないので危険の何者でもなく、また、そのようなことでは裁判をしている状況とは思えないので、すぐにでも治療のために病院に行った方が良いのではないか。

 弁護人も支援者も、裁判より先に病院行った方が良いとか思えない女性音楽教諭をこれからも擁護するつもりであろうが、最高裁で敗訴したことは先がないのだから、幾ら「不当判決を許さない」と叫んだとしてもどうなるものではない。「許さない」ならば、これからどうするのか。

 原告らが、わが国は法治国家であるとの認識を持っているならば最高裁の判決を否定することは出来ないと思うが、「主張が認められず今回の敗訴は残念だ」と言うのであればまだしも、「不当判決を許さない」と叫ぶことは法治国家を否定することになる訳だが、そのような原告らが、「校長の『君が代』のピアノ伴奏を求めた職務命令は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する憲法違反だ」と叫ぶことは明らかにおかしい。

 この女性音楽教諭は自分自身が公務員であるとの自覚がないようで、君が代がどうしても嫌いだとの思想を持つことは自由だが、教育現場では全力で職務遂行に専念する法律上の義務があり、また公務員として上司の職務命令に従う義務があるとの認識は持っていなかったのであろうか。

 自らの「思想・良心の自由」を守るために、入学式において、ピアノ伴奏をするそぶりを示し、椅子に座ったものの弾き始めなかったことから、5~10秒ほど待って校長がテープを流したとのことであり、参加した児童や保護者はその光景を見てどう思ったであろうか。

 厳粛であるべき入学式の進行を妨げ、その場にいた者を不愉快にさせたことは間違いなく、一生に一度しかない小学校での入学式を、おかしな教師のおかしな思想のために参加した児童や保護者の思想・良心の自由を侵害してしまったとは許されることではない。

 何度でも言うが、どうしても君が代が嫌いであれば、公務員たる教師を辞して、一民間人として、例えば学校での君が代斉唱に反対する活動家にでもなれば良いのである。しかし、このような化石みたいな教師がまだいるとは驚きだが、もし、この音楽教師が教師を辞した後に一般会社に再就職したとして「思想・良心の自由」を理由に上司の職務命令を拒否したらどうなるか分かっているのであろうか。戒告処分だけでは済まないことは確かである。だから、ピアノ伴奏を求めた校長の職務命令を拒否したことで「戒告」とは余りにも軽い処分であり、懲戒免職が相当ではなかろうか。
(2007/02/28)

この記事は「今日のコラム」
「職務命令を拒否した教師は懲戒免職が相当」
としてHPに掲載されていたものです。


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