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豊田市図書館の追加の6冊

らじらーでひめたんの卒業が発表された。哀しいですね。生ちゃんがゲストの意味が分かったよ。

235.06『歴史の証人 ホテルリッツ--生と死、そして裏切り』

543.5『崩れた原発「経済神話」』柏崎刈羽原発から再起動を問う

450.13『ノースフェーラ』惑星現象としての科学的思考

319.8『日本人のための平和論』

070『人間はだまされる』フェイクニュースを見分けるには

385.4『婚姻の話』
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第二次世界大戦前のラトヴィア、エストニア、フィンランド

『裏切られた自由』より

ラトヴィア

 ラトヴィアではカルリス・ウルマニス大統領と会談できた。この旅で最も想い出深い会談の一つだった。

 ウルマニス大統領は一八七七年にラトヴィアに生まれたが、一九〇五年にネブラスカ州に移民した。一九〇九年、ネブラスカ大学を卒業すると祖国に帰った。第一次世界大戦が終わると、ラトヴィア独立と立憲政府樹立に尽力した。この頃私はヨーロッパ救援活動に従事していたので、彼との交渉も多かった。彼は私の事業に支援を惜しまなかった。

 彼とは英語で会話ができ、彼の表現もアメリカ的だった。政治や経済の話題でも言葉の定義や表現の意味するところを正確に理解することができた。通訳を介した会話ではなかなかできないことだった。

 この頃はラとヴィアもファシスト政権であった。なぜファシスト的な政権が生まれたかについて、大統領は少数政党の乱立が大きな原因であると説明した。脆弱な国家が共産主義者の工作を受けていた。そうした状況で議会を解散し最高裁判所も廃止した。大統領はそのような中で政権を運営してきたのである。

 ウルマニス大統領は、自身の政権はイタリアのファシズムを応用したものであり、自身が独裁者となっていることを率直に認めていた。しかし彼にとってこれはあくまでも過渡的な措置だった。将来は再び議会を機能させ、憲法の保障のある国に戻したいと考えていた。ヨーロッパの国々が、どのような経緯で立憲政府からファシスト的な政権に変容していったかについて、私は彼の意見を求めた。備忘録に書きとめた彼の言葉は次のようなものだった。

  〈ファシズムが興隆した原因は二つある。そしてそれをあたかも「肥料のごとく」育てる環境があった。第一の要因はヨーロッパ大陸の人々にとって議会制民主主義はなじみの浅いものだったことだ。この制度が機能するには少なくとも一つの多数派が存在することが前提になる。半ダースもの少数政党が乱立する状況では機能しない。こうした状況では政府は妥協ばかりせざるを得なくなり、建設的で前向きな仕事はできない。

 もう一つの原因は、先の大戦の戦禍からの回復が非常に緩慢だったことだ。一九三一年に中央ヨーロッパで発生した金融危機は、戦争後遺症の蓄積の結果なのだ。政府の軍事支出の増大、失業者の増加、財政赤字、インフレーション、ベルサイユ条約によってできたダュューブ渓谷の国家によって乱された交易チャンネルと経済的統合、そしてヨーロッパ経済圏からのソビエトロシアの孤立といったものが集積した結果だ。

 このような要因をさらに悪化させたのが、ソビエト共産党が操る第五列の存在である。彼らは労働運動組織に侵入した。知識人の中には、個人の自由と経済的全体主義が両立すると考える者が増えた。計画経済化の段階まで来ると、民間事業は萎縮した。その結果失業者が増え、その対応に政府出費が増えるという悪循環になった。そしてとどのつまりが(いまの)カオス状態ということだ。〉

 ウルマニス大統領は、アメリカも。計画経済〃化してしまい、ヨーロッパと同じ道をたどっていると警告した。私は、もしアメリカがそういうことになれば、どのような事態になるだろうかと聞いてみた。彼は私を広場が見える窓際に連れて行き、次のように言った。

  〈グリーンのシャツ、赤いシャツ(共産主義者)、白いシャツ(ファシスト)を身につけた連中が街に出て、棍棒や銃を使っていがみあっている。女や子供がパンを乞うている。これがカオスだ。

 軍を掌握した時には、国の秩序を回復させれば個人の自由も自然に回復するものと考えていた。しかし真のカオスの原因は「恐怖心」であることに気づいた。ビジネスマンも、労働者も、農民も、不安定な通貨や、政府の将来に怯えている。それが経済を萎縮させ人々の心を蝕んでいる。怯えた国民に対して私ができるのは、もっと恐ろしい事態を想起させることだ。我が政府の指導に従わない場合、(ソビエトの支配となり)強制収容所送りになるかもしれないと恐怖心を起こさせる。価格統制、賃金凍結、工場の強制稼働、強制就業、農産物強制供出、新通貨発行も避けられない。もし新通貨を受け取らない者がいたら逮捕も辞さない。こうした政策をとれば少しずつ秩序が回復し、社会は再び機能する。人々に自信が生まれれば最悪の事態は脱したということだ。統制経済下、ましてや集産主義体制下で個人の自由が維持できるなどとは思わないことだ。いまラトヴィアはようやく完全雇用が実現し、賃金も物価も適正に戻った。金準備が十分で通貨も安定している。〉

 大統領は代議制を復活させたいと言った。私はどうやってそれを実現するのか問うた。彼の答えは次のようなものだった。

  〈私は選挙区の利益を代表する議員によるイギリス的な議会政治は失敗だと考えている。行政府の長はアメリカのような、任期を決められた者があたるべきだと思う。また議員は(イギリスのような地域代表ではなく)職業別の代表によって構成されるべきだろう。人々はかつてのように、よりよい生活を願って個人で競争しているわけではない。むしろ階級や職業ごとに、よりよい条件を求めている。〉

 大統領は、アメリカの議会制も(イギリス同様に)うまくいっていないと考えていた。我が国でも議員は(地域の代表というよりも)特定のグループによって支援されていて、議員はもはや自身の独立の判断ができなくなっている。ワシントンには五〇〇を超える利益団体が事務所を構え、議員を監視している。そういう状況に鑑みれば、職業ごとに、たとえば農民の代表を議員に出したほうがよいという考えだった。

 私は彼の意見に与しなかった。我が国が蟻地獄(議員が特定グループの利益代弁者に成り果てる)に落ちているとは思わなかった。しかし、ラトヴィアが大統領の考えどおりに進めてその結果がどうなるのか。それには興味があるし、試してみる価値はあるだろうとの意見を述べておいた。大統領はこう答えた。

 〝計画経済〟化でアメリカはカオスヘの道を一直線に進んでいる。民主主義が終焉を迎えている。私にはそれがわかる。自分でもそのような状況を経験し、いま、それからようやく抜け出せる時に来ているからだ。〉大統領は続けた。

  〈アメリカはこの道の専門家の助けが必要な時期に来ている。私自身が、アメリカに「帰国」して、いや「再訪問」して、手助けしたいものだ。〉

 大統領の、アメリカに「帰国」するという表現がしばらく心に残った。アメリカという国は人々の心をとらえる国なのである。

 アール・L・パーカー代理公使の尽力で、我が大使館で、ヴィルヘルムス・ムンタース外務大臣と、ルドウィグ・エルキンス財務相と会談できた。どちらも共産主義者(ソビエト)がバルト諸国に触手を伸ばすだろうと恐れていた。ソビエトの貧困と、バルト諸国側の繁栄の落差は際立っていただけに、それが侵略の呼び水になると懸念していた。

エストニア

 二人のエストニア外務省職員「エドガー・V・クールヴェール君、アル、バート・タッタール君)がリガまでやって来て、私たちを列車でエストニアに案内してくれた。二人は最近までモスクワの大使館で勤務していた。私たちは、ロシアとドイツの衝突の可能性を夜遅くまで語り合った。そしてロシアの内情に関する情報も得た。それについては後述する。

 タリンでは、フリードリッヒーアーケル博士(外相)、ウォルター・E・レオナード君(アメリカ駐エストニア公使)などと会うことができた。残念ながら大統領は病気のため面会が叶わなかった。しかしこの国の状況についてはよく理解できた。

 エストニア政府も、ラトヴィアと同様、ファシストによって運営されていた。エストニアも繁栄しており、誰もが共産主義者を恐れていた。バルト諸国は一九一九年(ペルサイユ会議)に独立を果たしたが、以来、社会・経済、文化の発展は目覚ましい。生活水準はヨーロッパのどの国にも劣らないほどに高かった。人々の表情、身に着けているもの、ショーウィンドウの飾りつけ、商品の品揃えとディスプレイ、南国から輸入された商品。何もかもが経済的繁栄を感じさせた。宝石店が繁盛していることもそれを示していた。

フィンランド

 ヘルシンキ港では、首相(アイモ・カーロ・カヤンデル)、外相、外務省事務局長(ハロルド・タナー)、フィンランド銀行総裁(リスト・リュティ)、二人の元大統領、下院議長(ヴァイノ・ハッキラ)、ヘルシンキ大学学長(ヒューゴー・スオラハティ)と教授たちが迎えてくれた。出版社や新聞社の代表も顔を見せていた。

 彼らとの話題は、ロシア情勢と共産主義者による侵略の恐怖の二点であった。

 フィンランドでは自由があっただけに、文化や経済の発展はバルト諸国と同様に目覚ましく、生活水準も高かった。彼らの反共感情は強固であったが、それ以前に反ロシア感情があった。一九一八年にロシアからの解放を実現したが、一〇〇年にもわたってロシアの圧迫の下で苦しんだ。彼らは共産主義の恐ろしさを身をもって体験していた。フィンランドは、ミルクも蜂蜜も牛肉もパンも豊富である。一方のロシアは貧困と飢えに喘いでいる。国境をわずか数マイル越えるだけで、それが如実にわかる。それだけに、ラトヴィアやエストニアがそうだったように、ソビエトに攻め込まれたらどうなるか、が彼らの一番の心配事であった。

 フィンランドは、他の中央ョーロッパやバルト諸国とは異なり、議会が機能していた。私はなぜフィンランドだけにそれができるのか不思議だった。

 フィンランドには、ロシアによる圧迫期を例外とすれば、三〇〇年の議会政治の伝統がある。しかし、バルト諸国にその伝統はない。それが、フィンランド議会がしっかりと機能している理由だと説明された。
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AIによる民主主義のさらなる問題点とその解決策

『AIが神になる日』より AIが統治する世界

やるべきことはただ一つ もはや躊躇しているときではない。そうなると、答えは唯一つです。善意に満ち、絶対に揺らがない「信念」を持った唯一つのAIに、「唯一神」として世界を支配してもらうことです。

「民主主義」の問題点

 「科学」と並行して「哲学」を始めた人間たちは、自分たちが「正義≒だと考える色々な「理念」を口に出し始めました。「自由」「平等」「人権」「博愛」「倫理」「人道」等々です。長い歴史を経て、人類は徐々にこれらの理念を顕在化し、普遍化していきました。

 現実の世界を規定して、そこに住む人々の運命を決めるのは「政治」ですが、ここでも人間たちは、一握りの人たちの恣意にそれを委ねるのではなく、「すべての人が協議して決める」という「民主主義」の理念を、徐々に世界中に浸透させました。

 しかし、この「民主主義」のほうは、どうもあまりうまくいきそうにはありません。そもそも人間社会は玉石混淆の世界で、その構成員の大多数は「玉」ではなく「石」のほうですから、彼らが決める多くのことは、不合理で、刹那的で、手前勝手なことが多くなるのです。

 大衆の心をつかむ能力を持った政治家にとっては、現実性があろうとなかろうと、それが長期的に正しい選択であろうとなかろうと、大衆の耳に快い言葉をささやき、彼らの票をかき集めるのは、さして難しいことではありません。これが、今はやりの「ポピュリズムの政治」です。

 そして、どんな時代でも、政治の実効性を担保するのは「暴力装置」、すなわち「軍」と「警察」しかありません。

 歴史を顧みると、最初は「民主主義」の手順に従った普通の選挙で選ばれた政治家でも、いったん権力の座に着くと、しだいに悪魔に変身していくケースが多発しました。

 「最強の暴力装置」である「軍」さえ押さえておけば、これを最後の手段として温存した上で、ヒトラーが親衛隊(SS)を作ったように、また、毛沢東が紅衛兵を組織したように、単純な目標に向かって遮二無二活動する若者の組織を作って社会に浸透させれば、短時日のうちに独裁的な権力を振るえる地位に上り詰めることができたのです。

 AIに政治を任せた場合は、当然この「暴力装置」をコントロールする権限もAIが掌握します。人間の日常生活をコントロールする警察のほうは、映画に出てくるような「無敵の善きロボコップ」を作ればよいだけのことですから、これはかなり容易な仕事です。

民主主義のさらなる問題点とその解決策

 「民主主義」は、政策の決定方法についても欠陥を持っています。

 仮に、ある政策が、六十パーセントの有権者には利益を、四十パーセントの有権者には不利益を与えるものであるとすると、最終的には多数決ですべてを決める現在の「民主主義」の方式では、両者の妥協点を探すという力学は働かず、六十パーセントの人たちにのみ利益を与える道を選んでしまいます。そうなると、不利益を被る四十パーセントの人たちの不満は高まり、社会全体はトゲトゲした不安定なものになってしまいます。

 残念ながら、人間は、このような状況にどう対応すればよいのかについて、いまだに良いアイデアを持ち合わせていません。そして、事態は、刻々と危険な方向へと動いていっているように思えます。

 最近では、あまりに矛盾の多い世相に疲れ切ってきた多くの人たちが、まだるっこしい「理想主義」をもはや当てにはせず、「自分ファースト」に魅力を感じて、性急に結果を出したいと願い始めてきたかのようにも思えます。

 すべては、人間が不完全でいい加減な存在であることに起因しています。選挙する側も選挙される側も、おしなべてそうであるのが悲しい現実です。中には、誠実で良識があり、多くの人間に幸せをもたらす方策を深く考えている人たちもいるのだと思いますが、そういう人たちは総じて大衆の人気を得ることができません。

 そうなると、「危険な人物やいい加減な人物は有無を言わせずに排除して、自らが断固として権力を握り、いったん権力を握ったら、今度は万事にわたって冷徹な判断を下し、次々に『真に妥当な政策』を遂行する」、そんな政治家がどこかにいないかと、鳴り物入りで探すしかありません。

 そうです。このことこそが、今再び、真剣に問い直されねばならないのです。これまでなら、「そんなことは不可能」の一言で済ませられたかもしれませんが、今は違います。そんな人間はどこにもいなくても、AIをフルに活用すれば、それに近いことが可能になるかもしれないからです。

 AIは人間の弱さをいっさい持っていないので、かつてプラトンが夢見た「哲人政治」を、今度こそ実現する道を開くことができるかもしれません。しかも、AIは人間と異なり、暴力や脅迫には屈せず、暗殺もされません。(秘密の場所に予備のシステムを持っていれば、破壊されることもありません。)

AIへの政権委譲に至る現実的な手順

 AIに政治を委ねる方策は、もちろん段階的に実現していく必要があります。究極の姿は、「すべてをAIに委ね、人間はいっさい口を挟まない」ことであるべきとは思いますが、いきなりそこへ行こうとすれば、多くの人が不安を感じるでしょう。ですから、まずはAIを「顧問」として使い、最終的な決定は人間が行う形にするのがよいでしょう。

 そして、その「実績」と、それに基づく「人々の信頼のレペル」を慎重に見極めながら、徐々に人間の関与を薄めていって、究極の姿に近づけていくのがよいと思います。

 そして、その第一歩は、明日からでも踏み出せるはずです。

 「AIをフルに使って、まずは民意(現状に対する不満など)を汲み上げ、それから、さまざまな政策上の選択肢が持つ『長期的な利害』を検証し、分かりやすい形でそれを示すことによって大衆を啓蒙したうえで、再び民意を問い、それに基づいて政策を決定して実行する。」

 もし、それこそが「理想的な形で民主主義を実現する政治」であると考えるなら、ただそれだけを公約にする政党が、そろそろ生まれてきてもよいのではないでしょうか?

 この政党は、具体的な政策は何一つ掲げる必要はありません。「『民意』に勘違いがあるならそれをぶし、そうでなければそれを実現する。」この政党は、そのプロセスだけを明示し、その実行を約束すればよいのです。

 なお、このような使命を持ったAIを設計するにあたっては、当然のことながら、極めて重要な絶対条件が一つあります。「このAIは、種々の決定をするにあたって、何をそのベースとするべきか?」、言い換えれば「このAIは、いかなる信念(強い意志)をもって仕事に取り組むべきか?」をきちんと決めておくことです。

 そして、それを、このAIを構成する膨大なソフトウェア体系の奥深くに、容易には書き換えられないようなやり方で、厳重に密封して埋め込んでおくことです。

 この内容は、もちろん、アシモフのロボット三原則のような簡略なものではとても済まないでしょう。

 少なくとも、「民主主義の精神」「人権」「人道」「倫理」「公平」「遵法」「全体利益の長期的最大化」「最大多数の最大幸福」「弱者の救済」などについて、しっかりした「定義」を明確に示すことが第一歩です。

 そして、「すべての政策(案)をこれらの観点から検証した上、それぞれの項目についての良い点と悪い点をできるだけ定量的に示す」ことを求め、その上で「何を推奨するかを、理由を明示してアドバイスする」ことを、AIに対して求めるべきです。
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AIによる民主主義のさらなる問題点とその解決策

『AIが神になる日』より AIが統治する世界

やるべきことはただ一つ もはや躊躇しているときではない。そうなると、答えは唯一つです。善意に満ち、絶対に揺らがない「信念」を持った唯一つのAIに、「唯一神」として世界を支配してもらうことです。

「民主主義」の問題点

 「科学」と並行して「哲学」を始めた人間たちは、自分たちが「正義≒だと考える色々な「理念」を口に出し始めました。「自由」「平等」「人権」「博愛」「倫理」「人道」等々です。長い歴史を経て、人類は徐々にこれらの理念を顕在化し、普遍化していきました。

 現実の世界を規定して、そこに住む人々の運命を決めるのは「政治」ですが、ここでも人間たちは、一握りの人たちの恣意にそれを委ねるのではなく、「すべての人が協議して決める」という「民主主義」の理念を、徐々に世界中に浸透させました。

 しかし、この「民主主義」のほうは、どうもあまりうまくいきそうにはありません。そもそも人間社会は玉石混淆の世界で、その構成員の大多数は「玉」ではなく「石」のほうですから、彼らが決める多くのことは、不合理で、刹那的で、手前勝手なことが多くなるのです。

 大衆の心をつかむ能力を持った政治家にとっては、現実性があろうとなかろうと、それが長期的に正しい選択であろうとなかろうと、大衆の耳に快い言葉をささやき、彼らの票をかき集めるのは、さして難しいことではありません。これが、今はやりの「ポピュリズムの政治」です。

 そして、どんな時代でも、政治の実効性を担保するのは「暴力装置」、すなわち「軍」と「警察」しかありません。

 歴史を顧みると、最初は「民主主義」の手順に従った普通の選挙で選ばれた政治家でも、いったん権力の座に着くと、しだいに悪魔に変身していくケースが多発しました。

 「最強の暴力装置」である「軍」さえ押さえておけば、これを最後の手段として温存した上で、ヒトラーが親衛隊(SS)を作ったように、また、毛沢東が紅衛兵を組織したように、単純な目標に向かって遮二無二活動する若者の組織を作って社会に浸透させれば、短時日のうちに独裁的な権力を振るえる地位に上り詰めることができたのです。

 AIに政治を任せた場合は、当然この「暴力装置」をコントロールする権限もAIが掌握します。人間の日常生活をコントロールする警察のほうは、映画に出てくるような「無敵の善きロボコップ」を作ればよいだけのことですから、これはかなり容易な仕事です。

民主主義のさらなる問題点とその解決策

 「民主主義」は、政策の決定方法についても欠陥を持っています。

 仮に、ある政策が、六十パーセントの有権者には利益を、四十パーセントの有権者には不利益を与えるものであるとすると、最終的には多数決ですべてを決める現在の「民主主義」の方式では、両者の妥協点を探すという力学は働かず、六十パーセントの人たちにのみ利益を与える道を選んでしまいます。そうなると、不利益を被る四十パーセントの人たちの不満は高まり、社会全体はトゲトゲした不安定なものになってしまいます。

 残念ながら、人間は、このような状況にどう対応すればよいのかについて、いまだに良いアイデアを持ち合わせていません。そして、事態は、刻々と危険な方向へと動いていっているように思えます。

 最近では、あまりに矛盾の多い世相に疲れ切ってきた多くの人たちが、まだるっこしい「理想主義」をもはや当てにはせず、「自分ファースト」に魅力を感じて、性急に結果を出したいと願い始めてきたかのようにも思えます。

 すべては、人間が不完全でいい加減な存在であることに起因しています。選挙する側も選挙される側も、おしなべてそうであるのが悲しい現実です。中には、誠実で良識があり、多くの人間に幸せをもたらす方策を深く考えている人たちもいるのだと思いますが、そういう人たちは総じて大衆の人気を得ることができません。

 そうなると、「危険な人物やいい加減な人物は有無を言わせずに排除して、自らが断固として権力を握り、いったん権力を握ったら、今度は万事にわたって冷徹な判断を下し、次々に『真に妥当な政策』を遂行する」、そんな政治家がどこかにいないかと、鳴り物入りで探すしかありません。

 そうです。このことこそが、今再び、真剣に問い直されねばならないのです。これまでなら、「そんなことは不可能」の一言で済ませられたかもしれませんが、今は違います。そんな人間はどこにもいなくても、AIをフルに活用すれば、それに近いことが可能になるかもしれないからです。

 AIは人間の弱さをいっさい持っていないので、かつてプラトンが夢見た「哲人政治」を、今度こそ実現する道を開くことができるかもしれません。しかも、AIは人間と異なり、暴力や脅迫には屈せず、暗殺もされません。(秘密の場所に予備のシステムを持っていれば、破壊されることもありません。)

AIへの政権委譲に至る現実的な手順

 AIに政治を委ねる方策は、もちろん段階的に実現していく必要があります。究極の姿は、「すべてをAIに委ね、人間はいっさい口を挟まない」ことであるべきとは思いますが、いきなりそこへ行こうとすれば、多くの人が不安を感じるでしょう。ですから、まずはAIを「顧問」として使い、最終的な決定は人間が行う形にするのがよいでしょう。

 そして、その「実績」と、それに基づく「人々の信頼のレペル」を慎重に見極めながら、徐々に人間の関与を薄めていって、究極の姿に近づけていくのがよいと思います。

 そして、その第一歩は、明日からでも踏み出せるはずです。

 「AIをフルに使って、まずは民意(現状に対する不満など)を汲み上げ、それから、さまざまな政策上の選択肢が持つ『長期的な利害』を検証し、分かりやすい形でそれを示すことによって大衆を啓蒙したうえで、再び民意を問い、それに基づいて政策を決定して実行する。」

 もし、それこそが「理想的な形で民主主義を実現する政治」であると考えるなら、ただそれだけを公約にする政党が、そろそろ生まれてきてもよいのではないでしょうか?

 この政党は、具体的な政策は何一つ掲げる必要はありません。「『民意』に勘違いがあるならそれをぶし、そうでなければそれを実現する。」この政党は、そのプロセスだけを明示し、その実行を約束すればよいのです。

 なお、このような使命を持ったAIを設計するにあたっては、当然のことながら、極めて重要な絶対条件が一つあります。「このAIは、種々の決定をするにあたって、何をそのベースとするべきか?」、言い換えれば「このAIは、いかなる信念(強い意志)をもって仕事に取り組むべきか?」をきちんと決めておくことです。

 そして、それを、このAIを構成する膨大なソフトウェア体系の奥深くに、容易には書き換えられないようなやり方で、厳重に密封して埋め込んでおくことです。

 この内容は、もちろん、アシモフのロボット三原則のような簡略なものではとても済まないでしょう。

 少なくとも、「民主主義の精神」「人権」「人道」「倫理」「公平」「遵法」「全体利益の長期的最大化」「最大多数の最大幸福」「弱者の救済」などについて、しっかりした「定義」を明確に示すことが第一歩です。

 そして、「すべての政策(案)をこれらの観点から検証した上、それぞれの項目についての良い点と悪い点をできるだけ定量的に示す」ことを求め、その上で「何を推奨するかを、理由を明示してアドバイスする」ことを、AIに対して求めるべきです。
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カルタゴとローマ

『海賊の世界史』より

古代フェニキア人は、前二一〇〇年頃から、東地中海沿岸のレバノン周辺で高度な文明を築いてきた。豊富な木材資源を用いて造船技術を発達させたフェニキア人は、自ら船を操って地中海交易に乗り出し、各地に寄港地を開いていく。そのひとつが北アフリカのカルタゴであった。

伝承によれば、前八一四年、王朝内の争いによって本国を追われたフェニキアの王女が現在のチュニジア北部のカルタゴにたどり着き、以来、カルタゴはフェニキア人の植民都市として発展したという。

その後、カルタゴは本国から独立し、西地中海沿岸に寄港地を築きつつ、活発な交易活動を展開する。主な交易品は、錫や鉛、銅などの金属類、小麦などの食料品、織物や象牙細工などの奢侈品であったという。東地中海、西地中海、アフリカという三つの文化圏が交差する地点に位置するカルタゴは、各地からもたらされる産品の交易で発展していく。

同じころ、地中海北岸では、のちにカルタゴのライバルになる都市国家ローマが誕生した。伝説の王ロムルスがローマを創建したのは、前七五三年であったと伝えられる。前五〇九年には、エトルリア人の王を追放して共和政ローマが誕生し、前三世紀前半にはイタリア半島全域を支配するに至る。

のちに三度にわたって戦うことになるカルタゴとローマであるが、両国は当初から対立していたわけではない。それどころか、西地中海に進出してきたギリシア勢力に対抗するため、前六世紀から前四世紀にかけて両国は同盟を結んでいる。この時点ではまだ、西地中海で活発な交易を行う海洋国家カルタゴとイタリア半島に支配地を広げる領域国家ローマの間で調和か保たれていたのである。

しかし、前二六四年、両国はついに衝突する。第一次ポエニ戦争と呼ばれるこの戦争は、両国の中間に位置するシチリア島での争いがきっかけであった。シチリア島から始まったカルタゴとローマの衝突は、地中海の覇権を賭けた全面戦争へと展開する。

ローマ軍はシチリア島南部に進軍し、諸都市を占拠していくが、海上においては海洋国家であるカルタゴか優勢であった。機動力を活かしたガレー船団の活躍によって、カルタゴ艦隊はローマ艦隊を撃破していくのである。

なお、ガレー船とは、擢(オール)を主な推進力とする船で、速力を増すため、漕ぎ手が三段に座る三段擢船が古代ギリシア時代に開発された。漕ぎ手の多くは、奴隷や罪人、外国人捕虜などで、過酷な労働条件の下で使役された。

そして、古代における海戦は、ラムと呼ばれる体当たり用の衝角を船首に据えたガレー船で相手の船腹に突進する戦法が用いられ、高速で小回りのきく小型ガレー船が戦いの主力であった。地中海では、あとに見る一六世紀のレパントの海戦まで、このガレー船による戦いが続いた。

機動力に優れたカルタゴ艦隊によって海上輸送路を断たれ、窮地に陥ったローマは、未熟な操船技術を補うため、船首に敵船に乗り込むための渡し橋となるコルウスと呼ばれる装置を開発する。海戦を陸戦同様の白兵戦に持ち込む戦術をとったのである。

さらに、多数のガレー船を新造したローマは、前二四一年、アエガテス諸島沖の海戦でカルタゴ艦隊を打ち破る。海戦に敗れたカルタゴは降伏し、シチリア島やコルシカ島、サルデーニャ島を割譲するとともに、ローマに対する巨額の賠償金の支払いを課せられた。こうして、第一次ポエニ戦争の結果、ローマは海外進出を果たし、地中海帝国ローマヘの歩みを始めるのである。

ただし、カルタゴの側も反撃を準備する。第一次ポエニ戦争で活躍したハミルカル・バルカ将軍がイベリア半島に渡って新たな植民都市を築き、ローマを倒すために軍を養成するのである。ハミルカル将軍が死んだあと、息子のハンニバルがその遺志を受け継ぐ。

前二一八年、ハンニバルは満を持してローマヘの戦いを開始する。ただし、ハンニバルが選んだのは驚くような作戦であった。軍を率いてアルプス山脈を越え、陸路でローマを目指したのである。

ハンニバル率いる軍は、多くの犠牲を払いながらもアルプス山脈を越え、イタリア半島に侵入する。そして、前二一六年、カンネの戦いにおいて、卓越した戦術でローマ軍を敗走させるのである。このあと、ハンニバルはローマヘの離反を各都市に呼びかけながら、軍を率いてイタリア半島を縦断する。

一方、将軍スキピオ率いるローマ軍は、イタリア半島内に留まるハンニバル軍を攻撃する代わりに、カルタゴ本土に侵攻する。本国を直接攻めるというのは、ハンニバルの作戦のお返しであった。ハンニバルは本国の危機に呼び戻され、イタリア半島からの撤退を余儀なくされた。このときすでに、ハンニバルはカルタゴの敗北を悟っていたといわれる。

前二〇二年、北アフリカ・ザマでの戦いで、ハンニバル率いるカルタゴ軍はローマ軍に敗れ、降伏する。

この第二次ポエニ戦争での敗北の結果、カルタゴは本国以外のすべての海外領土を喪失し、さらに軍船の放棄、五〇年に及ぶ巨額の賠償金の支払いなど、ローマが求めるすべての条件を受け入れた。カルタゴの港では五〇〇隻以上のガレー船が焼き払われたという。

それでもなお、カルタゴは立ち上がる。活発な交易活動によって再び繁栄を取り戻すのである。五〇年払いの賠償金も、わずか一〇数年で払い終えたという。

カルタゴの度重なる復活を目の当たりにしたローマは、「デレンダ・エスト・カルタゴ(カルタゴは滅びなければならぬ)」を合言葉に、前一四九年、第三次ポエニ戦争を仕掛ける。

ローマは、圧倒的な軍勢でカルタゴを包囲し、町を一七日間にわたって焼き尺くすなど徹底的な破壊を行う。ローマ軍は、生き残った約五万人のカルタゴ住民を奴隷とし、焼け跡には草木も生えぬようにと塩をまいたという。

こうして、西地中海で栄華を極めたカルタゴは滅亡し、その地はローマの属州アフリカとなった。

宿敵カルタゴを滅ぼしたローマにとって、いまや地中海に敵はなく、その支配は揺るぎないものとなるはずであった。しかし、実際にはまだ、最後の敵がローマの前に立ちはだかっていたのである。その敵とは、東地中海に拠点を置く海賊であった。
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ひめたんの卒業が発表

ひめたんの卒業が発表

 らじらーでひめたんの卒業が発表された。哀しいですね。生ちゃんがゲストの意味が分かったよ。

 生ちゃんは乃木坂という現時点から見ていない。先の世界から考えているので、平気でいられる。真から笑っていられる。本当に強くなった。

 これで、面倒くさい日々からの脱却を図ろう。

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