みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

生活の匂い

2017年06月22日 | 俳句日記

とりあえず身一つで入居した終の棲家に
荷が届いた。
方丈の清貧を気取ろうと、あれこれ想い
を巡らせているところに、どどっと雑物
が入り込んで来ると、途端に俗臭が漂い
始める。

大概、断捨離を敢行した筈なのに、届い
たものを見ると、己れの浅ましさが改め
て知られて哀しい。

18才で家を出る時には、敢えて何も待た
ず、親の心配をよそに何も送ってもらう
こともなく生活することから始めた。

あの頃は、皆そうだったように思える。
家財道具が一つ増え、二つ増える度に、
何だか大人に成った様な気分であった。

今思うと、それが錯覚の始まりだったの
かもしれない。
人並みな人生だったと思うところに卑し
さが隠れているのである。

人と比べてしまうところに、貧しさが潜
むのである。
生涯無一物の悟りがあれば、為し得た事
を、取りこぼした原因はそこにある。

よし!ならばもう一度挑戦してみよう。
このゴミの山をもう一度断捨離しよう。
さすればもう一段の彼方の道が見えて
来るかもしれない

〈なお登る 一層の楼や 梅雨の息〉放浪子

6月22日〔水〕梅雨晴れ
掃除を済ませて、満を侍した。
昼すぎに荷が届いく。
俗物なればの慨嘆。
中野正剛先生の一節が浮かぶ。