アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

勝つ為のメンタリティ

2013年07月22日 03時40分55秒 | 指導記録
勝ちたいという気持ちはどのチームであっても
どんな選手であっても持っている。

それは、強いチームでもなかなか勝てないチームでも
変わりはない。

一般的にはそう言える部分がある気がするし、
またそう思いたい部分もある。

でも、勝ち続けるチームやなかなか負けないチームは
同じ「勝ちたい」という気持ちを持っていたとしても
少し中身が異なるような気がする。

客観的に見ると、
同じような実力であっても
不思議と負けないチームもあり、
その差を分けるのは
経験やメンタルの部分にあるのでは?
どうしてもそう思ってしまう。

誰だって負けたくないし、
できれば勝ちたいと思っている。

その部分では同じではあるが、
いわゆる「勝利のメンタリティー」と
言われるような強い気持ちを持っているチームは
その「勝ちたい」という気持ちが強いという
ことだけではないのでは?
最近、そう考えるようになった。



「勝ちたい」という気持ちが強ければ強いほど
時としてその気持ちの強さに飲み込まれてしまう。

「勝ちたい」という気持ちが感情に変わり、
時間の経過とともに、その感情にマイナスの要素が
加わり始めてしまう。

そのマイナスの要素が時として正しい判断や
冷静さを奪う。

冷静さを失えば、
見るべきものを見るべきタイミングで見れなくなり、
その結果、適切な判断もできなくなる。

同時に、細かい部分に対する意識も薄くなり、
当然、プレーの精度も下がっていく。

「細部に神は宿る」という言葉をその著作の中でよく使っていたのは
元日本代表監督の岡田氏であるが、
マイナスの感情に飲み込まれることは
岡田氏のいうところの「(サッカーの)神」をないがしろにする
ということにつながってしまうのかもしれない。

冷静さを欠いた「勝ちたい」という気持ちは
むしろ自分たちを蝕んでしまう。

「勝ちたい」という気持ちだけでは片手落ちなのだ。

「勝ちたい」という気持ちはあくまでも
勝つための条件というか要素のひとつである以上、
それが「実際の勝利」に繋がらなければならない。

つまり、「勝つ」ための冷静さやディテールへの視点を欠いた
「勝利への意欲」は少なくとも「勝利のメンタリティー」とは
いえない。

「勝つために必要な冷静さ」や「細部の対する意識の高さ」が
ともなって初めて、「勝ちたい」という気持ちが
「勝者のメンタリティ」へと変わり始めるのだと思う。

そして、「冷静さ」と「細部へのこだわり」
「負けたくないという強い気持ち」を高いレベルで
兼ね備えているチームこそが真に「勝者のメンタリティー」を
有しているといえる。

「勝者のメンタリティ」を高いレベルで維持し続けるチームは
練習でも質の高い緊張感を保っていることは創造に難くない。

「勝つ」為に何が必要で、
そのためにどういった「気持ち」が必要かということが
わかっている。
だからこそ、勝ち続けられる。

強いチームは
リアリティーのない「メンタリティー」などに意味がないことを
チームとしてわかっている。

リアリティーのない「勝者のメンタリティ」などない、
負けないチームこそ、そう思っている。

「勝ちたい」という気持ちが
「勝者のメンタリティ」になるには
まずもって「リアリティ」が必要なのだ。

情熱と冷静さをともに高いレベルに保ちつつ、
なおかつそれをその高いレベルのまま両立する。
その困難な作業に挑戦し、成功し続けているチームこそが
「勝者」なのだ。

今、自分が指導しているチームも含めて
なかなか勝てないチームは
その部分を理解できていないのかもしれない。




選手権予選でチームの目指すべき場所にたどり着くためにも
「勝者」を目指していきたいし、
「勝者のメンタリティ」を追い求めたい。
選手たちと共に。


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