先日の練習時に
備品や道具の手入れがされていない状態が目に付いた。
道具の管理や手入れは
下級生がすることになっているが、
明らかに備品や道具の手入れが
なされていない状態だった。
今回が初めてのことではなかったので
下級生達には厳しく伝えた。
併せて、今後このような状態が続いたとしたら
下級生だけ走らせる、
とも伝えた。
新しい下級生も入ってきて
新しい選手達にとっては
いきなりの冷や水のようだったかもしれないが、
今後このようなことが続けば、
選手達には厳しさをもって対応するつもりでいる。
たかが、備品や道具の手入れであって
直接プレーには関係ないのだから
厳しく考える必要はない・・・
ましてや、走らせる必要などない・・・
そういう考えもあるかもしれない。
でも、20年以上やってきて感じるのは、
強いチームと弱いチームの差は
こういうところにある・・・ということ。
強いチームは
とにかく“徹底”できる。
なかなか負けないチームには
“徹底”が必ず存在する。
個人の能力で勝ったとしても
“徹底”の存在しないチームの成績は安定しない。
“徹底”の存在しないチームの戦いに
安定などない。
特に、守備で“徹底”できないチームは
脆さを簡単に見せてしまう。
もちろん、チームによって
“徹底”できるもの・・
“徹底”するもの・・
は異なる。
それでも、強いチーム、なかなか負けないチームに
“徹底”が必ず存在するのは
間違いない。
相手の選手や戦術、グランド状況や試合環境など
試合によって取り巻く条件は常に異なる。
でも、それでも強いチームには
“徹底”が存在する。
負けないチームには
“徹底”がある。
「強い」から“徹底”があるのか?
“徹底”があるから、「強い」のか?
個人的には
後者だと思っている。
何があっても
どんな条件下であっても
言い訳せずに「1つのこと」をやりきる・・
それが「自信」になっていく。
「俺達はいつでもどんな時でもやりきった・・」
そう思えることが
「自信」につながっていく。
「自信」とは
「自らを信じる」ということであり、
「自らを信じられる」ということ。
どんなに苦しくても
どんなに辛くても
「俺達は逃げなかった」
「俺達はやりきろうとしてきた」
「実際にやってきたのだ」
もし、試合前にそう思えたとしたら
そのチームが簡単に負けることなどない。
たとえ「小さなこと」であったとしても
その「1つのこと」を“徹底”できた・・
という経験が「自信」となり、
選手一人一人やチームを前に進めていく力になる。
“徹底”してきた・・という経験が
選手個人とチームを支える背骨になる。
不安定なチームに
“徹底”という体験は存在しない。
脆いチームに
「自信」という背骨はない。
守備や攻撃のチーム戦術だったり、
チームとしての考え方や信念みたいな部分を
“徹底”できるのがベストだが、
それでなくても
挨拶や声、指示、
道具の管理や約束事の遵守・・
こういった部分において
“徹底”することができれば
それだけでも「自信」になっていく。
監督である自分の至らなさが原因なのだが、
悲しいかな今のチームは
単純なことさえも“徹底”できていない。
道具の管理や備品の清掃
挨拶やプレー中の意思表示、コミュニケーションすら
“徹底”できないチームが
強くなれるはずもない。
何人か個人技に優れた選手がいたとしても
少し疲れてきたり
ちょっとチームにとっての状況が悪くなると
途端に崩れ始めてしまう・・・
それが今のチームの現状。
今のままでは
これから夏場にかけて余計に
脆くなっていくはず。
最後はまとまりきれず
やり切れず、
“徹底”しきれず
自分達を信じきれない・・・
そんな夏になってしまう。
過去は未来を創る。
過去は現在を創り、現在は未来を創る。
過去の体験が現在の行動につながり、
未来を形作っていく。
小さな体験が現在に繋がり、
未来を創っていく。
たった一つの小さな体験であっても
「“徹底”できた」という経験が
現在の「自信」に繋がっていく。
そして、現在の「自信」が
未来においても「自分達を信じる力」に繋がっていく。
「俺達は絶対に逃げなかった・・・」
「俺達は絶対に言い訳しなかった・・・」
「俺達はどんな時でもやりきった・・・」
「俺達はこれからもやり切れるはず・・・」
「俺達なら、諦めなければなんとかなるはず・・・」
“徹底”するいった体験や経験が
「自らを信じる力」になり、
先の見えない未来においてこそ、
自分達の“灯り”になるはず。
“徹底”という経験を通して得られた「自信」は
自分達の足元を照らし、
自分達の進むべき道を照らす
“灯り”になるはず。
今、チームはまだ“灯り”を持ちきれない状態だが、
小さな“徹底”という体験を通して
チームとしてまずは
小さな“灯り”をもてるようになっていきたいと思う。
備品や道具の手入れがされていない状態が目に付いた。
道具の管理や手入れは
下級生がすることになっているが、
明らかに備品や道具の手入れが
なされていない状態だった。
今回が初めてのことではなかったので
下級生達には厳しく伝えた。
併せて、今後このような状態が続いたとしたら
下級生だけ走らせる、
とも伝えた。
新しい下級生も入ってきて
新しい選手達にとっては
いきなりの冷や水のようだったかもしれないが、
今後このようなことが続けば、
選手達には厳しさをもって対応するつもりでいる。
たかが、備品や道具の手入れであって
直接プレーには関係ないのだから
厳しく考える必要はない・・・
ましてや、走らせる必要などない・・・
そういう考えもあるかもしれない。
でも、20年以上やってきて感じるのは、
強いチームと弱いチームの差は
こういうところにある・・・ということ。
強いチームは
とにかく“徹底”できる。
なかなか負けないチームには
“徹底”が必ず存在する。
個人の能力で勝ったとしても
“徹底”の存在しないチームの成績は安定しない。
“徹底”の存在しないチームの戦いに
安定などない。
特に、守備で“徹底”できないチームは
脆さを簡単に見せてしまう。
もちろん、チームによって
“徹底”できるもの・・
“徹底”するもの・・
は異なる。
それでも、強いチーム、なかなか負けないチームに
“徹底”が必ず存在するのは
間違いない。
相手の選手や戦術、グランド状況や試合環境など
試合によって取り巻く条件は常に異なる。
でも、それでも強いチームには
“徹底”が存在する。
負けないチームには
“徹底”がある。
「強い」から“徹底”があるのか?
“徹底”があるから、「強い」のか?
個人的には
後者だと思っている。
何があっても
どんな条件下であっても
言い訳せずに「1つのこと」をやりきる・・
それが「自信」になっていく。
「俺達はいつでもどんな時でもやりきった・・」
そう思えることが
「自信」につながっていく。
「自信」とは
「自らを信じる」ということであり、
「自らを信じられる」ということ。
どんなに苦しくても
どんなに辛くても
「俺達は逃げなかった」
「俺達はやりきろうとしてきた」
「実際にやってきたのだ」
もし、試合前にそう思えたとしたら
そのチームが簡単に負けることなどない。
たとえ「小さなこと」であったとしても
その「1つのこと」を“徹底”できた・・
という経験が「自信」となり、
選手一人一人やチームを前に進めていく力になる。
“徹底”してきた・・という経験が
選手個人とチームを支える背骨になる。
不安定なチームに
“徹底”という体験は存在しない。
脆いチームに
「自信」という背骨はない。
守備や攻撃のチーム戦術だったり、
チームとしての考え方や信念みたいな部分を
“徹底”できるのがベストだが、
それでなくても
挨拶や声、指示、
道具の管理や約束事の遵守・・
こういった部分において
“徹底”することができれば
それだけでも「自信」になっていく。
監督である自分の至らなさが原因なのだが、
悲しいかな今のチームは
単純なことさえも“徹底”できていない。
道具の管理や備品の清掃
挨拶やプレー中の意思表示、コミュニケーションすら
“徹底”できないチームが
強くなれるはずもない。
何人か個人技に優れた選手がいたとしても
少し疲れてきたり
ちょっとチームにとっての状況が悪くなると
途端に崩れ始めてしまう・・・
それが今のチームの現状。
今のままでは
これから夏場にかけて余計に
脆くなっていくはず。
最後はまとまりきれず
やり切れず、
“徹底”しきれず
自分達を信じきれない・・・
そんな夏になってしまう。
過去は未来を創る。
過去は現在を創り、現在は未来を創る。
過去の体験が現在の行動につながり、
未来を形作っていく。
小さな体験が現在に繋がり、
未来を創っていく。
たった一つの小さな体験であっても
「“徹底”できた」という経験が
現在の「自信」に繋がっていく。
そして、現在の「自信」が
未来においても「自分達を信じる力」に繋がっていく。
「俺達は絶対に逃げなかった・・・」
「俺達は絶対に言い訳しなかった・・・」
「俺達はどんな時でもやりきった・・・」
「俺達はこれからもやり切れるはず・・・」
「俺達なら、諦めなければなんとかなるはず・・・」
“徹底”するいった体験や経験が
「自らを信じる力」になり、
先の見えない未来においてこそ、
自分達の“灯り”になるはず。
“徹底”という経験を通して得られた「自信」は
自分達の足元を照らし、
自分達の進むべき道を照らす
“灯り”になるはず。
今、チームはまだ“灯り”を持ちきれない状態だが、
小さな“徹底”という体験を通して
チームとしてまずは
小さな“灯り”をもてるようになっていきたいと思う。