今はテスト期間で部活動としてのサッカー部は活動停止中。
活動停止期間中も、
延期になっている未消化のリーグ戦の日程を調整したり、
選手をサッカーノートにコメントを書いたりして、
活動再開後に備えて何らかの準備をしている。
活動停止期間はインターハイ予選を振り返りながら、
サッカー部の活動や今後の方針を色々と考えることのできる大切な時間。
サッカー部の活動や自分の指導を俯瞰したり、客観視することで
また違ったものが見えてきたり、気づけなかったことに気づくこともある。
先日も「学校における部活動としてのサッカー部」ということについて
改めて色々考えた。
「学校における部活動どのようなものであるべきなのか?」
「部活動としてのサッカー部にどんな意味があるのか?」
「学校の部活動に外部指導員として何をすべきなのか?」
「監督として何ができるのか?」・・・etc。
部活動を学校の軸に据えて強化しようとしている学校、
部活動はあくまでも授業以外の時間の余暇的な活動と考えている学校、
理想を前提に文武両道を目指す学校・・・等、
学校と部活動との関係は色々あるとは思う。
また、野球部など特定のクラブには力を入れるが
その他のクラブはそれほどでもない、
という学校も少なくない。
全国レベルの強豪チームでない限りは
「部活動というのは勉強に支障のない程度に行うべきものであって、
学校活動においては隙間的な意味しかない」というのが
学校経営者や顧問の先生以外の大多数の教員の方々の考えかもしれない。
地区レベルのチームが都大会に出たとしても
それよりも進学実績の方が重要な場合がほとんどだろうし、
学校の評判を落とさない程度でそこそこやってほしい、
というのが本音かもしれない。
保護者の方々も
「まずはしっかり勉強してほしい」
「勉強に差し支えがあるようなら、部活動は辞めてほしい」
というのが本音だと思う。
その感覚は子を持つ親として理解はできる。
また今の時代、部活動ひいては学校に
その種目の指導はもちろん生活指導までを期待するという保護者の方は
少なくなっている、というのが現状なのだろうか。
むしろ、余計なことをしてほしくない、と考えている保護者の方が
多数派になってきているのだろうか。
日本は、スポーツが学校の中に組み込まれている
世界でも数少ない国かもしれないが、
学校における部活動は多くの学生にとって
運動するいい機会になっているのは紛れもない事実。
一方、スポーツの指導が学校教育と結びつくことで
いい面だけでなく悪い面も存在しているのもまた事実。
クラブ活動が授業と同じように教えることにつながり、
詰め込みやオーバーコーチングといった話はよく耳にする。
ただ、嵌め込みの危険性を筆頭に
今改めて学校における部活動の存在意義が問われているように感じる。
学校における部活動の意味、存在意義をどのように考えるか?ということは
「自分が外部指導員として何をすべきなのか?」という答につながり、
「サッカー部の監督として何ができるのか?」という答に繋がっていく。
もしかしたら、学校の部活動としてのサッカー部の活動は
学校の片隅の砂場で遊ぶような時間なのかもしれない。
最近、そんな風に思う。
サッカー部での練習や試合は
所詮、砂場で作った砂の城なのかもしれない。
砂場で城を作りたい奴だけが集まって
みんなでわいわい言いながら城を作るのと、
サッカー部の活動はさして変わりないのかもしれない。
どんなに立派な砂の城を作っても
さらにその城作りは学校側はもちろん、
基本的には外部の人間からも評価されることはない。
『所詮、遊びだろ・・』と揶揄されるものかもしれない。
城作りの中で、様々な自主的なルールを決めても
その様子を外から見ている人間から見れば、
『砂遊びに、何もそこまでしなくても・・』
と思われるかもしれない。
砂の城作りも共同作業、
コミュニケーションも必要だし、
話合いながらみんなで頑張っていいものを作ろうぜ、
どうせやるなら真剣にやろうぜ、と言ったとしても、
『そんなことに意味があるの?』
『所詮、砂遊びだろ?壊れたら終わりじゃん・・』
影でそんな言葉さえ言われているのかもしれない。
確かに今の時代、
部活動は砂遊び程度にしか考えていない人も少なくないのかもしれない。
それでもいい。
記録に残らなくてもいい。
それぞれの記憶に残れば、それでいい。
サッカーをやっても、砂遊びをしても、
知識は身につかない。
進学にも、就職にも役に立つことはない。
でも、真剣に取り組めば、
人として大切な何かが残るかもしれない。
人間として大切な何かに気づけるかもしれない。
仲間と向き合えば、
絆ができるかもしれない。
人と人との結びつきは
利益のみによる訳ではない。
砂遊びも、部活動も、サッカーも、
儚く、虚しいものかもしれない。
もしかしたら人生すらも・・・。
いい大人が何してんだ、と言われても、
選手と真剣に向き合いたい。
選手のことを見守りたい。
時には怒り、時には褒め、
全体を見つつも、一人一人に声を掛けたい。
高体連の多くの先生方や関係者の方々は
世間的な出世につながらない、全く金にならない部活動に
真摯に取り組まれている。
ご自身の価値観を軸に選手と向き合い、
選手と話し、選手と共に汗をかいている。
サッカー部の活動を通じて、
選手に、子供達に、生徒達に
人としての何か大切なものを伝えたい、
一緒に何かを学びたい、
一緒にサッカーを楽しみたい、
勝って一緒に喜びたい・・・、
そんな熱い想いで頑張っている。
そんな先生方のいる高校サッカーという場所で
自分も選手と一緒に、真剣に、
〝砂遊び〟をしていきたい。
高校時代のサッカー部という部活動は
やりたい人間が集まる場所であると同時に、
通り過ぎる場所でもある。
ただ、どんなに儚くても、
頑張った記憶、熱い記憶がお互いの中に残れば、
それでいい。
その為に、毎回の練習や試合、サッカー部の時間を
大切にしていきたい。
活動停止期間中も、
延期になっている未消化のリーグ戦の日程を調整したり、
選手をサッカーノートにコメントを書いたりして、
活動再開後に備えて何らかの準備をしている。
活動停止期間はインターハイ予選を振り返りながら、
サッカー部の活動や今後の方針を色々と考えることのできる大切な時間。
サッカー部の活動や自分の指導を俯瞰したり、客観視することで
また違ったものが見えてきたり、気づけなかったことに気づくこともある。
先日も「学校における部活動としてのサッカー部」ということについて
改めて色々考えた。
「学校における部活動どのようなものであるべきなのか?」
「部活動としてのサッカー部にどんな意味があるのか?」
「学校の部活動に外部指導員として何をすべきなのか?」
「監督として何ができるのか?」・・・etc。
部活動を学校の軸に据えて強化しようとしている学校、
部活動はあくまでも授業以外の時間の余暇的な活動と考えている学校、
理想を前提に文武両道を目指す学校・・・等、
学校と部活動との関係は色々あるとは思う。
また、野球部など特定のクラブには力を入れるが
その他のクラブはそれほどでもない、
という学校も少なくない。
全国レベルの強豪チームでない限りは
「部活動というのは勉強に支障のない程度に行うべきものであって、
学校活動においては隙間的な意味しかない」というのが
学校経営者や顧問の先生以外の大多数の教員の方々の考えかもしれない。
地区レベルのチームが都大会に出たとしても
それよりも進学実績の方が重要な場合がほとんどだろうし、
学校の評判を落とさない程度でそこそこやってほしい、
というのが本音かもしれない。
保護者の方々も
「まずはしっかり勉強してほしい」
「勉強に差し支えがあるようなら、部活動は辞めてほしい」
というのが本音だと思う。
その感覚は子を持つ親として理解はできる。
また今の時代、部活動ひいては学校に
その種目の指導はもちろん生活指導までを期待するという保護者の方は
少なくなっている、というのが現状なのだろうか。
むしろ、余計なことをしてほしくない、と考えている保護者の方が
多数派になってきているのだろうか。
日本は、スポーツが学校の中に組み込まれている
世界でも数少ない国かもしれないが、
学校における部活動は多くの学生にとって
運動するいい機会になっているのは紛れもない事実。
一方、スポーツの指導が学校教育と結びつくことで
いい面だけでなく悪い面も存在しているのもまた事実。
クラブ活動が授業と同じように教えることにつながり、
詰め込みやオーバーコーチングといった話はよく耳にする。
ただ、嵌め込みの危険性を筆頭に
今改めて学校における部活動の存在意義が問われているように感じる。
学校における部活動の意味、存在意義をどのように考えるか?ということは
「自分が外部指導員として何をすべきなのか?」という答につながり、
「サッカー部の監督として何ができるのか?」という答に繋がっていく。
もしかしたら、学校の部活動としてのサッカー部の活動は
学校の片隅の砂場で遊ぶような時間なのかもしれない。
最近、そんな風に思う。
サッカー部での練習や試合は
所詮、砂場で作った砂の城なのかもしれない。
砂場で城を作りたい奴だけが集まって
みんなでわいわい言いながら城を作るのと、
サッカー部の活動はさして変わりないのかもしれない。
どんなに立派な砂の城を作っても
さらにその城作りは学校側はもちろん、
基本的には外部の人間からも評価されることはない。
『所詮、遊びだろ・・』と揶揄されるものかもしれない。
城作りの中で、様々な自主的なルールを決めても
その様子を外から見ている人間から見れば、
『砂遊びに、何もそこまでしなくても・・』
と思われるかもしれない。
砂の城作りも共同作業、
コミュニケーションも必要だし、
話合いながらみんなで頑張っていいものを作ろうぜ、
どうせやるなら真剣にやろうぜ、と言ったとしても、
『そんなことに意味があるの?』
『所詮、砂遊びだろ?壊れたら終わりじゃん・・』
影でそんな言葉さえ言われているのかもしれない。
確かに今の時代、
部活動は砂遊び程度にしか考えていない人も少なくないのかもしれない。
それでもいい。
記録に残らなくてもいい。
それぞれの記憶に残れば、それでいい。
サッカーをやっても、砂遊びをしても、
知識は身につかない。
進学にも、就職にも役に立つことはない。
でも、真剣に取り組めば、
人として大切な何かが残るかもしれない。
人間として大切な何かに気づけるかもしれない。
仲間と向き合えば、
絆ができるかもしれない。
人と人との結びつきは
利益のみによる訳ではない。
砂遊びも、部活動も、サッカーも、
儚く、虚しいものかもしれない。
もしかしたら人生すらも・・・。
いい大人が何してんだ、と言われても、
選手と真剣に向き合いたい。
選手のことを見守りたい。
時には怒り、時には褒め、
全体を見つつも、一人一人に声を掛けたい。
高体連の多くの先生方や関係者の方々は
世間的な出世につながらない、全く金にならない部活動に
真摯に取り組まれている。
ご自身の価値観を軸に選手と向き合い、
選手と話し、選手と共に汗をかいている。
サッカー部の活動を通じて、
選手に、子供達に、生徒達に
人としての何か大切なものを伝えたい、
一緒に何かを学びたい、
一緒にサッカーを楽しみたい、
勝って一緒に喜びたい・・・、
そんな熱い想いで頑張っている。
そんな先生方のいる高校サッカーという場所で
自分も選手と一緒に、真剣に、
〝砂遊び〟をしていきたい。
高校時代のサッカー部という部活動は
やりたい人間が集まる場所であると同時に、
通り過ぎる場所でもある。
ただ、どんなに儚くても、
頑張った記憶、熱い記憶がお互いの中に残れば、
それでいい。
その為に、毎回の練習や試合、サッカー部の時間を
大切にしていきたい。