昨日は練習試合。
相手は法政一高、
場所は駒沢第1競技場。
結果は完敗。
スコアは0対4。
前半0対1で折り返し、
後半は立ち上がりの追加点も含めて
3点を追加された。
試合の結果自体は全然気にはしていない。
ただ、試合中の選手の様子や
チーム全体の雰囲気は非常に気になった。
一番気になったのは、
[声が全く出ないこと]と
[守備の意識が極めて低いこと]という2点。
この2点に関しては、A戦の後半とB戦を通じて
全く変わらなかった。
試合後、選手控え室に全員を集めて、
今日の試合を全員で振り返った。
1人1人に、まず、今日の試合について
“自分自身が感じたこと”を話してもらった。
意見として多かったのは
『途中からやる気がなくなった』
『味方が声に反応しなくなった』
『声を出さなくなった』
理由を聞いてみると
『味方のイージーミスでやる気がなくなった』
『途中から“なげやり”になった』
『味方が声に反応しなくなったので声を出さなくなった』
などなど・・・・・・。
『味方のイージーミスでやる気がなくなった』という
ある選手の意見・・・、
『自分は頑張って、オフの日も練習している』
『自主的に練習をしてない奴のミスは許せない』
『もっと、“責任感”を持ってやって欲しい』
もっともな意見の様にも聞こえるが、
昨日の試合の帰り道、や、家に帰ってからも
自分の気持ちの中にモヤモヤしたものが
まとわりついていた。
何にイライラしているのか?
その選手が試合の帰りに、
自分に対して声を出して挨拶しなかったことに
イライラしていたのか?
問い質したところ、
本人曰く、
『会釈だけはしました・・・』
そういう言い方に腹が立ったのか?
その原因を自分なりに分析したかった。
冷静に考えてみると
その選手の発した『責任感』という言葉に
自分の中のモヤモヤの原因があるような気がした。
そもそも【サッカーにおける責任感】とは
何なのだろうか?
【サッカーにおける責任感】とは
誰の為のものなのだろうか?
誰に対しての【責任感】なのだろうか?
【サッカーにおける責任感】・・・
よく聞くフレーズだし、
実際、自分もよく使っていた。
でも、よくよく考えると
かなり抽象的な言葉。
その意味を具体的に考えようとすると
【味方のミスをどう考えるか?】
【誰の為にプレーするのか?】
【チームとは何なのか?】
【チームでプレーすることの意味】
ひいては、
【サッカー:フットボールとは何なのか?】
ということにまで拡げて考えなければならない・・・
そんな気がした。
実際に自分の頭で考えた結論としては
《サッカー(フットボール)はボールを足で扱う》
《したがって、必然的に“ミス”は多くなる》
《“生じたミス”をいかに【取り返す】か?》
《“ミス”が生じても、【リカバー】が可能な準備をできるか?》
また、
《サッカーはチームで行うスポーツ》
《大前提として、チームメイトの存在がある》
《サッカーが“ミス”の存在を本質とする以上、
味方を【助ける】ことも、本質と考えるべき》
ここまで考えてくると、
自分のイライラの原因も見えてくる。
その選手が
結局は、<自分自身の事しか考えていない>
ということにイライラしていた、のだと思う。
<挨拶も自分はした>つもり、
<負けると自分自身が面白くない>等・・・。
その選手は、
【自分自身の行動が周囲にどのような影響を与えるのか?】
ということについては、基本的には考えてはいない。
少なくとも現在の自分にはそう思える。
確かに、どの選手も自分自身が楽しむために
プレーしている、のだと思う。
でも、
<味方のミスでキレてしまい、やる気をなくすこと>で
自分自身が納得できるのだろうか?
周りの選手は納得できるのだろうか?
チームとしては都大会出場を目標としている。
そのためには、少なくとも3回は勝たなくてはならない。
勝つためには、
【チームが“チーム”として機能】しなくてはならない。
チームが機能するためには
【責任感】は必要だと思う。
でも【責任感】は、
【チーム】に対するものであり、
【チームが“チーム”として機能するため】のものであるはず。
間違っても、【責任感】が
1人の選手に対して向けられるべきものではない。
『責任感をもってプレーしろよ!と言った選手自身が
周囲の存在を無視したり、
雰囲気を壊したり、
やる気のないプレーをしていることで、
【チームが“チーム”として機能しなくなっている】以上
その選手が【責任感】という言葉を言う資格はない。
ただのワガママだと思う。
この件については、今後も冷静に考えて、対応したい。
ちなみに、自分自身は自分の家族に対して、
責任感のある行動や振る舞いができているのだろうか?
相手は法政一高、
場所は駒沢第1競技場。
結果は完敗。
スコアは0対4。
前半0対1で折り返し、
後半は立ち上がりの追加点も含めて
3点を追加された。
試合の結果自体は全然気にはしていない。
ただ、試合中の選手の様子や
チーム全体の雰囲気は非常に気になった。
一番気になったのは、
[声が全く出ないこと]と
[守備の意識が極めて低いこと]という2点。
この2点に関しては、A戦の後半とB戦を通じて
全く変わらなかった。
試合後、選手控え室に全員を集めて、
今日の試合を全員で振り返った。
1人1人に、まず、今日の試合について
“自分自身が感じたこと”を話してもらった。
意見として多かったのは
『途中からやる気がなくなった』
『味方が声に反応しなくなった』
『声を出さなくなった』
理由を聞いてみると
『味方のイージーミスでやる気がなくなった』
『途中から“なげやり”になった』
『味方が声に反応しなくなったので声を出さなくなった』
などなど・・・・・・。
『味方のイージーミスでやる気がなくなった』という
ある選手の意見・・・、
『自分は頑張って、オフの日も練習している』
『自主的に練習をしてない奴のミスは許せない』
『もっと、“責任感”を持ってやって欲しい』
もっともな意見の様にも聞こえるが、
昨日の試合の帰り道、や、家に帰ってからも
自分の気持ちの中にモヤモヤしたものが
まとわりついていた。
何にイライラしているのか?
その選手が試合の帰りに、
自分に対して声を出して挨拶しなかったことに
イライラしていたのか?
問い質したところ、
本人曰く、
『会釈だけはしました・・・』
そういう言い方に腹が立ったのか?
その原因を自分なりに分析したかった。
冷静に考えてみると
その選手の発した『責任感』という言葉に
自分の中のモヤモヤの原因があるような気がした。
そもそも【サッカーにおける責任感】とは
何なのだろうか?
【サッカーにおける責任感】とは
誰の為のものなのだろうか?
誰に対しての【責任感】なのだろうか?
【サッカーにおける責任感】・・・
よく聞くフレーズだし、
実際、自分もよく使っていた。
でも、よくよく考えると
かなり抽象的な言葉。
その意味を具体的に考えようとすると
【味方のミスをどう考えるか?】
【誰の為にプレーするのか?】
【チームとは何なのか?】
【チームでプレーすることの意味】
ひいては、
【サッカー:フットボールとは何なのか?】
ということにまで拡げて考えなければならない・・・
そんな気がした。
実際に自分の頭で考えた結論としては
《サッカー(フットボール)はボールを足で扱う》
《したがって、必然的に“ミス”は多くなる》
《“生じたミス”をいかに【取り返す】か?》
《“ミス”が生じても、【リカバー】が可能な準備をできるか?》
また、
《サッカーはチームで行うスポーツ》
《大前提として、チームメイトの存在がある》
《サッカーが“ミス”の存在を本質とする以上、
味方を【助ける】ことも、本質と考えるべき》
ここまで考えてくると、
自分のイライラの原因も見えてくる。
その選手が
結局は、<自分自身の事しか考えていない>
ということにイライラしていた、のだと思う。
<挨拶も自分はした>つもり、
<負けると自分自身が面白くない>等・・・。
その選手は、
【自分自身の行動が周囲にどのような影響を与えるのか?】
ということについては、基本的には考えてはいない。
少なくとも現在の自分にはそう思える。
確かに、どの選手も自分自身が楽しむために
プレーしている、のだと思う。
でも、
<味方のミスでキレてしまい、やる気をなくすこと>で
自分自身が納得できるのだろうか?
周りの選手は納得できるのだろうか?
チームとしては都大会出場を目標としている。
そのためには、少なくとも3回は勝たなくてはならない。
勝つためには、
【チームが“チーム”として機能】しなくてはならない。
チームが機能するためには
【責任感】は必要だと思う。
でも【責任感】は、
【チーム】に対するものであり、
【チームが“チーム”として機能するため】のものであるはず。
間違っても、【責任感】が
1人の選手に対して向けられるべきものではない。
『責任感をもってプレーしろよ!と言った選手自身が
周囲の存在を無視したり、
雰囲気を壊したり、
やる気のないプレーをしていることで、
【チームが“チーム”として機能しなくなっている】以上
その選手が【責任感】という言葉を言う資格はない。
ただのワガママだと思う。
この件については、今後も冷静に考えて、対応したい。
ちなみに、自分自身は自分の家族に対して、
責任感のある行動や振る舞いができているのだろうか?