すきゃったどろわーず

「ひきだしバラバラ」~mici_konによる、美術展レビューとか音楽や身辺雑記です。

香りの感覚

2012-03-27 17:10:22 | S.F.ベイエリア
昨年末の「断捨離」最中に発掘したあるモノ。

カリフォルニアでオットーが買ったシャワーコロン。
香りが強すぎて、半分以上残して使わなくなっていたものです。

商品のラベルには「デイリーリフレッシュナー」とあり、
「軽くてすっきりする香り」、「体にも顔にも使える」との表示。
結構きついんですが・・・
これ、とても顔には使えないです。自分だったら。
良い香りだとは思いますが、濃度が濃度が濃度が~。

裏側には「コロンより軽く、さらにアフターシェーブよりも軽い」ってあるのですが、
それではアチラのアフターシェーブはもっともっと強力なんでしょうね。

お値段は(多分1997年頃に買った)10ドルするから、決して安物では無いです。
日本にも進出してきているアチラの大手さんの品物。
せっかく容器がスプレー式だし、もったいないし、香りの系統からいって活用の場はあるぞ。

現在、トイレにて香りのスプレーとして立派に活躍中です。
大事に使い切るからねっ!

そういえば、日本で見かけないものでやたらとよく見かけたトイレタリー商品がありました。
「デオドラントバー」
ドラッグストアのチラシや店頭でしょっちゅう遭遇していた、横に平べったい
スティックのりの親玉みたいな形状のものは、汗をかく気になる部分に塗って使うエチケット製品でした。

歯並びと同じくらい、体臭にも気を使う文化なんでしょうね。
カリフォルニアだったらそんなに湿度も高くないし、日本みたいに汗だくになることもあまり無いと思うけど。

先日、日本に滞在中の外国人が、とある掲示板で「日本に無くて困るもの」について語り合った時に、
このデオドラントバーが真っ先に出ていたと知って納得しました。

香りの感覚って、興味深い一つの文化指標ですね。

夏本番

2011-07-09 20:43:57 | S.F.ベイエリア
セミが鳴きだして、オットーが急にTUBEを歌いだして、梅雨が明けました。
暑すぎる夏になりませんように。


カリフォルニアの片隅で暮らしていたころ、
夏場は「裸族」だった小さなトンジ。
もちろんお友達の男の子達も同様で、誰かの家に遊びに行ったら、
大概裏庭でマッパダカ。気持ち良かっただろうなあ。

車で3分ほどの所に、タカ君というお友達の家がありました。
ここの裏庭で「裸族」してると必ず現れていた
猫のジェイクの話をしましょう。(もしかして一度書いたかも?)

同じ街に住んでいた日本人仲良し4人組のトンジ、タカ君、キョウちゃん、シュン君。
このメンバーが遊んでいると、塀伝いにどこからともなく茶トラの猫がやって来ました。
立派な首輪をした毛並みの良い、たぶん血筋正しいニャンコは、
キャッキャと遊ぶおちびさんの間を悠々と歩きまわり、相手をしてやり、
少しして満足すると再び塀に飛び乗って去って行ったものです。

首輪には金属プレートが付いており、「JAKE」の名前。男の子なのね。
面白かったのはジェイクって、至近距離でちびちゃんの前を通る時には、
必ずピンと立てたその長い尻尾で、彼らのt・・・をフワッとなでながら通り過ぎること。

あれは仲間意識からだったのか、親愛の情を表していたのか?
子どもたちもごく自然に、仲間として遊んでいたように見えました。

気候のよい土地だったから出来た「裸族」ライフ、今思えば贅沢でしたね~。
最寄りの公園でも、ビーチではよくずぶぬれになって結局裸族してたなあ。
居合わせた白人のママさんたちは、アジア人組の蒙古班にビビる事もしばしば。
どうやら虐待で出来た青あざだと思ってしまうらしいです。

そういう時には他の日本人の子のお尻を指して、
「あの子にもあるでしょ?これってアジア系の遺伝的特色なのよー。」と
実例を幾つか見せてあげると納得してくれました。

体操教室

2010-05-07 15:52:34 | S.F.ベイエリア
突然思い出話。

トンジが2~3歳のころ通っていた、体操教室@カリフォルニア。
経営していたのは、旧ソ連からやってきたミハイルさん。
ということで我が家では「ロシアの体操」と呼んでいた。(なんて大雑把な!)

渡米直後は、日本人ママに誘われて「Gymboree(ジンボリー)」という
小さな子向けの体を動かす一時間ほどのプログラムに週一で通っていました。
体を動かして疲れさせるのと、友達づくりを兼ねて。

でも、そのうちにパラパラとおなじみさんがプリスクール(一寸早めに始まるプレ幼稚園みたいなの)に通いだし、
本人も一年経つと飽きてきて、さてどうしたものかと考えていたら、
よく行くスーパーのあるショッピングセンターの一角に、この教室があるのに気がついた。

同じくらいの年齢層の子が集まって、ロシア系の先生に楽しく教えてもらってました。
一面に敷き詰めたマットとソフトブロック、長い長いトランポリンが子どもたちのお気に入り。

少し大きい子(ローティーンくらいかな)のクラスは、男子は結構ハイレベルの技を、
女子はバレエの動きを練習してました。バレエの先生は専任の女性が居ました。

一時間のレッスンなので、待っている間よその親としゃべったりしてましたが、
マーヤちゃんというロシア系の女の子のパパさんが良い人だったなあ。
親も一緒のサーキットトレーニングみたいなのが時々あって、ある時トンジが途中で疲れてぐずりだしたところ、
「どうした?しっかりしろ!男の子だろ?頑張れっ!!」と、それはそれは熱く、シューゾーさんの如く励ましてくれました。
その節はどうもありがとう。ロシアのマリオ(また勝手にニックネーム付ける)父さん。

マーヤはもうすっかり大人の女性なんでしょうね。外見的には。西洋人の成長は速いもの。
娘にぞっこんだったパパさんは、きっとあれこれ気をもんでいるに違いない。

何で突然「ロシアの体操」を思い出したかと云うと、
アリョーシャの名演技動画(はいまだまだハマったままです)を見ていて、
あの国の人としては小柄なほうだろうけれど、見事に均整のとれた全身のプロポーションが、
一度だけ床運動の模範演技を見せてくれた、セルゲイ君と共通していたからです。

ミハイルは確か「ナショナル・チームの一員だった」と云ってました。
確かに白人としては大きくはなかったけれど、見事なマッスルでしたわ。
小さいころから鍛えすぎると縦に伸びなくなるのかもしれないですね。

当時まだまだ怖いもの知らずだったトンジ、
ここで一度だけ、段差のあるソフトブロックから
くるりと空中で一回転して下のマットに着地したことがあります。
多分全くのマグレ。

青い海の向うには

2009-05-06 09:03:30 | S.F.ベイエリア
キューバとかジャマイカがあるんだなあ・・・と思いながら、
ビーチで過ごした数日間でありました<カンクン

泊まったホテルが砂洲の北端近かったので、ビーチまで少し高低差がありました。
波は思ったより強かったです。季節的なものだったのかな。
チョロチョロする子どもを連れていたので、もっぱら「放牧しつつ監視」業務。
「リクライニングチェアでゆったり読書」なんて、夢のまた夢です。

砂遊びをするトンジを撮ったと思わせといて、ビキニのおねいさんを
バッチリカメラに収めていたオットーの涙ぐましい努力はとっくに織り込み済みさ!(爆)
可笑しかったのは、そのビキニのおねいさん、ホテル経営のビーチサイドバーの
ウェイター氏たちからも大変に懐かれておいでで、
ウェイターの皆さん、実に甲斐甲斐しく御用聞きに通ってました。
うん、自分に正直なのって大事だね。

朝食コミのプランだったので、朝はホテルでバイキング、
一日の大半をビーチで過ごし、昼ごはんと晩御飯はお外でというパターンを取りました。
到着翌日は寝坊したので、ホテルの朝食時間が過ぎてしまい、外で食べたのですが、
なんて事無い町の野外ダイナーみたいなお店のオムレツが美味しかった。

ついでにその辺りの土産物屋通りを歩いたら、
やはり日本人とわかるんでしょうね、「ノー高い」「ノー高い」「コニチワ」の嵐。
ノー高いとは、つまり値段がお手ごろだと言う意味ですな。

「ねえ、私らって今、この人たちからしたら ”ネギ背負って歩いてるカモ一家”なんだろうねえ。」と会話しながら、
適当に「オラ~(こんちわ~)」と返しながら歩きました。

昭和30年代後半から40年代半ばまでの日本にもあったような、
決して豊かではないけれども、皆で助け合って分け合って暮らしている雰囲気を感じました。

地元の人も、ラテン系の白人、混血系、先住民系と、いろいろな外見をしていましたけれど、
「激しく外国」って感じもしなかったです、不思議と。

カリブ海というものを

2009-05-05 20:59:28 | S.F.ベイエリア
いっぺん見てみたかったのです。
海賊抜きで(笑)

滞米中だからこそ出かけておきたかった場所その2。
(その1は、昨夏書いたカナディアン・ロッキーでした)
メキシコ東部のリゾート地「カンクン」。

97年の正月だったかな?
丁度、カトリックのお祭り「エピファニー」を現地で迎えたから多分そう。
(え~、ベツレヘムで生まれた救い主イエズス様を、東方三博士が訪れたりした記念日です)

今回のトンフルエンザの発生地って、ここの近くなんだそうですね。
カリブ海に出来た砂洲に、メキシコが国家を挙げて建設したリゾート地です。
白い砂と瑠璃色のカリブ海、少し内陸に行くとマヤの遺跡まである立地。

さすがにヨチヨチ歩きのトンジ連れだったので、チチェン・イッツアーはあきらめましたが、
代わりに「シカレー」という自然リゾートへ足を伸ばしましたよ。

カリフォルニアから、一日がかりでたどり着きました。
午前中の便でサンフランシスコを出て、テキサス州のヒューストンまで4時間位、
ここで乗り換えてさらに2~3時間。時差を入れると、到着時には夜も更けておりました。
アメリカもメキシコも「横に長い国」だということを実感。

アメリカでも、東海岸からはアクセスそこそこ良いはずです。(南下するだけ)
日本からここを目指す場合は、NYかワシントンに入って、そこで乗り換えるのが一番早いと思います。

詳しくはまた明日以降に綴りますが、良い国でしたよ、メヒコ。
早くこの騒動から回復してくれる事を願います。

・・・なんて事を書こうとしていた朝に、NHK教育TVでは
「もう一度見たい教育テレビ」特番。
ついつい見ちゃった”人気キャラランキング”で、懐かしすぎる「ブーフーウー」
(若者の為に説明すると、「三匹の子ぶた」の着ぐるみ劇です)

最も遠い記憶が蘇ります。
幼稚園に入るずっと前、アタクシの子ども食器(メラミン素材)の絵はこれだった。

背景にサボテン、キャラクター達のファッションはメキシカン風味でした!
アニマテ、メヒコ!(がんばれメキシコ)な気分です。

明日の更新は、ロドリゴ・イ・ガブリエラ(メキシコ出身のギターデュオ)を
BGMにしちゃいましょ。

美味しかったもの

2008-09-29 23:19:18 | S.F.ベイエリア
ちょこっと付けたします。だって食欲の秋だもの。

バンクーバーで覚えた美味。
まず「BCロール」。

BCとは、「ブリティッシュ・コロンビア」の略称。
バンクーバーが属する州の名前です。
カリフォルニア・ロールには アボカドとカニかまでしたっけ?
BCロールには、カリカリに焼いた鮭の皮と千切りキュウリが入ってます。

これが、美味しかった~~!
一回ウチでも再現してみようかな?(まだ一度もトライしていない根性ナシです)

そして、いまだにコレを超えるものに出会っていない「マンゴープリン」。

折りしも1997年は香港返還の年でもありました。
当時の別名「ホンクーバー」からもわかるように、香港からの移民で大賑わいだった街には、
豊富な資金を投入された開発ラッシュが起きておりました。

恐らく香港からお引越ししてきたのでしょう、
港のすぐ側にあった高級中華レストラン「インペリアル」で注文したこの品は、絶品でした。

今までマンゴープリンと呼んでいた物は何?と呟いてしまったほどです。
もちろん他のお料理も大変美味しゅうございました。
麺はそうでもなかったけど。(だって広東料理だものね。管轄が違う)

最後に、大橋巨泉氏経営のオミヤゲやさんの二階に入ってた日本料理店(確か「千代田」さんだったと思う)で出た
「ロブスターの味噌汁」。
コースを二人前オーダーしていたのですが、一口飲ませてみたトンジに
ほとんど強奪されてしまった口惜しさ込みの美味でした(笑)。

むう、ちびっちゃいくせに口が奢ってるなお主・・・なーんて思っていたら、
あまりの喰いっぷりの良さに気を良くした板長さんが(スシカウンターあたりから見ていたようです)
サービスでサクランボを一皿出してくれました。
オットーいわく、「おもらい運までいいんだなあお前」

小振りサイズのギョーザが美味しい居酒屋もありましたよ。

カナダ名物メープルシロップの美味しさに目覚めたのもこの時です。
液状のものだけでなく、濃縮してキューブ状にしたものが特に気に入りました。
後は、柔らかめで厚切りのスモークサーモンなどなど。

市内観光

2008-09-28 14:34:19 | S.F.ベイエリア
ロッキー・マウンテニア号の旅も終盤にさしかかった頃、
車内に待機していた鉄道会社系列旅行代理店から、
「バンクーバー市内観光はいかが?」とお声がかかりました。

オプショナル・ツアーみたいなものですね。
一泊したカムループスでも、夜の7時くらいから2時間ほどのダンスショーを観に
ナイトクラブまで行くツアーがありましたもの。
(多分ディズニーの「ダイヤモンド・ホースシュー」みたいなヤツ。
ランドルに終了時刻を聞いたら、夜9時過ぎそうだったので、「子どもが小さいからあきらめるわ。」と返事した所、
そうですね、その方がいいという顔でうなずかれた。)

クルーの人々同様に、まだ若い旅行社のスタッフさんによれば、
ヴィクトリアへ足を伸ばす長時間コース(フェリーを使ったりするので戻りが夜)と、
市内周辺に的をしぼった標準コースがあるらしい。移動は主にバス。

自由行動できる日程に余裕があったので、標準コースに申し込みました。

確か、ホテルまで迎えに来てくれたかな?朝早めだったけど。
市内の景勝地や鮭の孵化場、高~いつり橋や、トーテムポールがたくさんある公園を回って盛りだくさんでした。

途中、港のアチラとこちらを結ぶフェリーにもちょこっと乗ったりしました。
そういや、つくば博の数年後に「交通万博」開いてたなこの町。
ガイドさんに「東京に比べると、交通機関がよく組織されてる感じがする。」と云うと、
「ええ~?通勤時なんかグチャグチャですよぉ。褒められるなんて・・・」と意外な反応でした。

フェリーの乗り場で列に付いてたら、ネイティブ・カナディアンのおじさんが
オットーに話しかけてきました。このヒト、ネイティブ系の人たちを引き寄せる何かを持ってると思う。
おかげで楽しい待ち時間を過ごせましたが。

お昼の時間帯には、2時間近くのフリータイムを再開発の島、グランビル・アイランドで過ごしました。
造船工場の跡地に、しゃれたショッピングエリアと常設の観光市場が建てられ、
ここが一番楽しかった!帰りたくなかったです。

ここへ渡るのにも、バスを降りて小さな渡し舟でした。
ネイティブカナディアンの店で買ったモカシン、履き心地最高でした。
ファーマーズ・マーケットの色とりどりの野菜と果物、
エスニックフードもあれこれ混じった、各種屋台、
子どもを走り回らせるのにうってつけの鳩ポッポたっぷり広場、
時間の過ぎるのが早かったなあ。

次にバンクーバーを訪れる時には、是非もう一度足を運びたいです。

クルーたち。そしてバンクーバーへ

2008-09-26 21:19:37 | S.F.ベイエリア
手元に二通の封筒があります。

一通は印刷した挨拶状にマネジャーの直筆サインが入ったもの。
確か乗車時にもらいました。
この人は、物静かな背の高い男性で、ドラマ「ER」のグリーン医師にそっくりでした。
ランドルさんという名前なのに、家族内で勝手に「Dr.グリーン」と名付けてゴメンナサイでした。
(「Dr.ロス」まで居たならもっと良かったかも?)

そしてもう一通が、金色のカエデの葉がプリントされたサンキューカード。
クルーの名前だけ寄せ書きしてあるもの。
これは、確か終点のバンクーバーが近付いた頃合いにもらったかな?
何だか卒業式のサイン帳みたいでいいなあ。

ランドル含めて5人分のサイン。
シェフのもあるぞ。(制服の胸にあった刺繍でわかりました)
女性が2人、交替で沿線風景の説明アナウンスを時折流してくれました。

保護対象になっている猛禽類の巣が線路のすぐ脇に見えるとか、
湖水が続くあたりで、この一帯がバンクーバー市民などに人気の水上スポーツ基地だとか、
大陸横断鉄道建設の歴史にからめて、一番の難所や最後のボルトを打ち込んだ記念すべき場所を教えてもらいました。

カムループスを出てからは、フレイザー川の谷沿いに一気に下る感じでしたが、
バンクーバーがかなり近付いたところに架けられた新しい鉄橋が、
「あの橋は、私の父が設計したものなんです。」と語ってくれた女性クルーの声は、
少しの照れと誇りを含んでいて、なかなかでした。

列車さばきの関係か、あと少しでバンクーバー中心部に入りそうなあたりで
しばらくの間信号待ちしたのは、ご愛嬌かな?
誰も焦ってる乗客はいませんでした。ゆっくりのんびり鉄道の旅のエンディングにふさわしいです。

長時間同じ席に乗り合わせた乗客たちも、知らない同士ながら挨拶しあって別れを惜しみます。
アメリカ人の老婦人が私たちの席まで来て、
「坊やとってもお利口だったわね。頑張って子育てしてね。」と声をかけてくれて
ちょっと嬉しかったです。
「あなたもどうぞ末永くお元気で。」

笑顔で手を振り合って、降りた夕刻のバンクーバー駅には、西日がモロに当たって
それはそれは蒸し暑かったです。
ああ、氷河を吹き渡るあの冷たい風が懐かしい・・・

貨物は続くよどこまでも

2008-09-03 22:44:46 | S.F.ベイエリア
ソト鉄トークに戻ります。

保存していた諸々のレター類や写真を引っ張り出して見ました。
バンフ~バンクーバー間一泊の旅程を大まかに記すと、

バンフ駅にてチェックイン 8:35am
乗車           9:05am
 ↓                (朝食と昼食は車内でサービス)
 ↓   
カムループス到着     6:20pm (ここのホテルにて一泊・夕食つき)

~翌朝~
カムループス発      6:30am
 ↓
  ↓               (朝食と昼食は車内でサービス)
  ↓   
バンクーバー到着     5:00pm

ロッキー山脈を縫って、主に谷沿い・川沿いにレールが走っていますが、
宿泊した カムループスという町には、第二次大戦中日系人の収容所があったそうです。

雄大な山の景色をたっぷり撮ったと思いきや、今見返してみると
割とありふれた踏み切り風景とか、水量の多い渓流に掛かる鉄橋とか、
フレイザー川の河口近くの橋を渡っていく電車とか、
バンクーバーの貨物基地そばの喫茶店から撮った貨物ヤードの写真とか、
乗り物好きな本性を露呈しております。(だって珍しかったんだもん)

貨物といえば忘れられないのが、
「ネバーエンディング貨物列車」。

ロッキー・マウンテニア号は観光列車でしたが、カナダ内陸部と太平洋岸を結ぶ大動脈でもあります。
そりゃあ、あの大山脈を突っ切って高速道路通すのはいろんな意味で無茶すぎますものね。
と云うわけで、貨物列車も当然行きかってました。
足掛け2日の旅程の中、数回そういう貨物列車とすれ違ったのでありますが、

これが長いんです。
すれ違い始めてから10分以上経ってもまだ続いているウルトラロング編成。
お、終わらない列車だ・・・さすが大陸の国。
ゆったりのんびり、ぼちぼち行くさ---という風情で、色とりどりの車輌が過ぎていきました。

「サスカチュワン」「アルバータ」など、州の名前の入った車輌が多かったのは、
小麦を運んでいたのかな?
懐かしいですね~。地理のテストに出たなあ、「カナダの春小麦・冬小麦地帯」。
無骨ながらも、文字のデザインや小麦のイラストが気に入ったので、
もちろん写真にとってあります。

日本の大動脈、東海道線を走る貨物列車も頑張ってます。
このところ、通勤時間帯に全車両トヨタのロゴをつけた水色の編成が走っているのは、
輸送経費節減と、エコPRも兼ねた戦略なのでしょうか?

ロッキー・マウンテニア号

2008-09-01 21:28:41 | S.F.ベイエリア
こんな感じの列車です。
公式サイト → www.rockymountaineer.com/

トップに最初に現れる列車に乗りました。
しかも、透明ドーム天井の展望車「ゴールドリーフクラス」を張り込んだ
思い切った大名旅行でした。

今いくらくらいするのか調べてみたら、
カナダドルと円のレートもあるのでしょうけれど、
バンフ~バンクーバー(途中の一泊@カムループス含む)でお一人様16万円オーバー!

オットーに話したら「値上がりしたなあ!そんなに出した記憶ないぞ。」と申します。
10年以上前に、アメリカドルで購入したから実感が違うのかな。
大奮発した記憶はありますが、「シニア層がメインターゲットだし、この10年で相場が上がったんだろうなあ。」との感想。

参考までに、明日出発のジャルパックツアー
「日中唯一走るロッキーマウンテニア号に乗車 黄葉のカナディアン・ロッキーと
イエローナイフでオーロラ観測 秋のカナダ満喫の旅 10日間」は、
お一人様135万円~!

北米に拠点構えている間に行っといて良かったです。


そんな風に、高い料金を払って乗るだけあって、サービスは大変素晴らしかった。
グリーンのジャケットを着た、男女数名のアテンダントが、実にこまめに世話を焼いてくれました。

オヤツとかフルーツとか持って席を回ってくれたり、
朝食、昼食は別にしつらえた食堂車でとることが出来たり(しかも美味しい)。
おちびさん連れだったので、会話の機会も多かったです。

周りはもちろん大人中心。だからちょっとばかり気を使うかなと思ってましたが、
絵本や音の出ないおもちゃを用意していたのと、トンジが始終上機嫌に過ごしてくれたので、
気持ちよく過ごせました。

アメリカ人のおばあちゃんが、「あら、この絵本私の息子にも読んであげたのよ。」と話しかけて来たり、
カムループスのホテルでの夕食時、トンジのオーダー「チーズバーガー&ペプシ」に、
「ベリーアメリカン!」と大喜びしてくれたり、
素敵な一期一会でありました。

もちろん、そうやって旅する間中、車窓を流れていく風景は、
どの一瞬を取っても絵になる美しさ。山あり森あり、渓谷あり湖あり。

見所ではスタッフによるガイド放送も入って、ヒアリングの勉強にもなりますヨ。
先を急がない、スローな旅は続きます。