Takの山行記録

私が登った山やアウトドア活動の記録です

Bye bye USA

2020-03-29 13:42:00 | Life in USA by Tak


突然ですが、Takは、4月より又、大阪勤務となり、3月27日帰国いたしました。しばらく、何の報告もせず、お見限りの方も多いのではないかとは思いますが、日本での活動を再開いたします。ぜひ、ご覧ください。世の中、Corona Virusで大変なことになっていますが、Takも実はアメリカで自宅勤務を2週間続けていました。アメリカは今や世界最大の感染者数となり、ニューヨークをはじめ各州、各都市でロックダウンと呼ばれる自宅待機命令が出されています。ロックダウンが日本で一般的に使われていますが、具体的には、まず州や市が、非常事態宣言を出し、それを受け、’Stay at home order’ とか、’Shelter in place order’というような、不要不急の外出を禁ずる命令が出されます。ハリケーン 時に、同様な措置が取られたことをご記憶でしょうか?州の非常事態宣言を受けて、’Mandatory evacuation order’強制避難命令が出されました。’Order’と言うと、強いイメージですが、実は例外が沢山あり、今回の自宅待機命令も’essential business’は対象外とはり、そもそも何がエッセンシャルか?と言う規定がありませんから混乱していることも事実です。一般的には、医療、政府関係、ガソリンスタンド、スーパーなどの小売、食品製造、物流が対象外となっています。Takも食品なので、会社からわざわざ証明書を出してもらい外出するなどの対策を取りました。その後、市や、州の出入りを制限する、ロックダウンとなります。ニューヨークの映像は繰り返して報じられているので、皆さんよくご存知のとおりですが、Takの住むサバンナはどうかと言えば、感染者数は極めて少ないにもかかわらず、まるでゴーストタウンのよう。アパートの周りのアウトレットをはじめとするお店は、食品スーパー以外、飲食店を含め全て閉店、広い駐車場がやたら広く見えました。
この辺りは、毎年のハリケーン でこのような非常事態対応には慣れているように見えます。しかし、ハリケーン は過ぎてしまえば終わりですが、今回はいつ終わるかわからない点、今後どのようになるのか心配です。アメリカは戦争時を想定した、物資補給体制を組むことができます。GMに人工呼吸器を作らせようとしたことは有名ですが、この国の機動力はややワイルドに見えるくらいすごいです。テレビのニュース番組では、毎日、大統領からのブリーフィング、ニューヨーク州知事の記者会見や多くの自治体とっらの発言、質疑応答が繰り返し報道されています。行政責任者の説明責任に加え、指導者たる者のあり方を考えさせられます。特に、ニューヨーク州知事クオモさんの語りかけるような毎日の記者会見は印象に強く残りました。写真は、ほとんど人の居ないサバンナ空港で、駐在員仲間と距離を離したお別れシーンです。こちらでは、Social distanceと言い、180cmの距離を開けることで感染の危険を下げられるとして奨励しています。


サバンナからシカゴまでの飛行機は、乗客6名。シカゴから羽田までも、全部で80人、うち半分はバンコクにトランジットするタイ人でした。Takは日本到着前、機内で滞在場所、現在の健康状況など詳しい申告書を記載、降機後、検疫で面接を受けました。その後いつものサーモカメラでの体温検査を受け、無事隔離される事なく入国できました。3月26日からはアメリカからの入国者も自宅で2週間の隔離となりました。Takもバッチリ対象です。アメリカで2週間、日本でも2週間、体がおかしくなりそうですが、考えたくありませんが長期戦もあるかもしれませんし、働き方そのものが大きく変わるかもしれません。検疫所の検疫官は、マスク一枚で、至近距離で入国者の面接を行なっていました。これはとても危険な事で、大変申し訳ないと思いました。危険を省みず職務を行う検疫官に敬意を表するとともに、対策を講じない(間に合わない?)厚労省には抗議したいものです。皆さん、不要不急の外出はやめましょう!うがい、手洗いをちゃんとやりましょう!


これは、Teams(旧Skype)でのバーチャル飲み会(送別会)の模様です。5人程度ならば、楽しく過ごせます。飲み過ぎには注意!
と言う事で、Takの’Life in USA’は終わりとなりました。大腿骨骨折の自宅勤務から始まり、コロナでの自宅勤務で終わるという、なんだか締らないアメリカ生活でしたが、色々な意味で、Takの人生でかけがえのない1年と9ヶ月となりました。ただし、未完に終わった95号線の旅、アパラチアトレイルの踏破、国立公園巡りなど、後ろ髪引かれる沢山のものを残してきました。これに代わるものを新たに始めて行こう!と宣言して、アメリカ最終号を終えたいと思います。



2020/02/25

2020-02-25 15:16:00 | Life in USA by Tak



ご無沙汰しています。今日は95号線、正しくはインターステーツハイウェイ95号線、の旅、第3回目という事で、フロリダ半島のさらに南、キーウエストまでの旅を報告します。この95号線、北はメイン州のカナダ国境から、南はフロリダ州マイアミまで、アメリカ東海岸を南北に貫く大動脈で、その距離は3,000kmに及びます。キーウエストは、アメリカ最南端の島で、オーバーシーズハイウェイと呼ばれる、最長10kmに及ぶ橋で結ばれた、キー諸島最西端の島です。映画トゥルーライズで撮影に使われています。今回は土日を使い、95号線でマイアミまで、その後1号線をさらに南下、オーバーシーズハイウェイを走ってキーウエストまで、片道距離約1,000kmの強行軍となりました。

まずはオーバーシーズハイウェイの爽快ドライブシーンからご覧ください。
土曜日早朝、4:00にサバンナのアパートを出発、1,000km南のキーウエストを目指します。果たして、辿り着けるのだろうか?今日の予定は、夕方までにキーウエストに到着、その後同じ道をマイアミまで戻り、ホテルに宿泊。1,200km、15-6時間の行程です。途中、ジャクソンビルで夜が明け、デイトナで道を間違え、パームビーチで雨に降られ、キー諸島入口では渋滞に見舞われるなど、いろいろありました。アパートからオーバーシーズハイウェイまでの12時間を、1分でご覧ください。
結局、キーウエスト本島までは辿り着けず、あと1時間程の所で断念。とは言え、オーバーシーズハイウェイも堪能し、明日またサバンナに戻る事を考えると、その後どうしようもなくきつい睡魔に襲われたことから、正しい判断だったと信じましょう。ホテルには7時着、15時間のロングドライブでした。


肝心のリゾートとしてのキーウエストはどうなのか?東にはパイレーツオブカリビアンで有名なバハマ諸島(昨年のハリケーン で甚大な被害が出ました。早期の復興を祈ります。)、100km南にはキューバと、カリブ海に位置するこの場所は、北半球の冬に訪れるのがベスト。日本ではあまり知られていないとは思いますが、とてもナイスな場所です。時間があれば、次はゆっくり来たい場所です。

最後はおまけです。日曜日早朝、マイアミを出発した後、事故に遭遇した動画です。
なぜ、そこまでしてキーウエストを目指したのか?それは、Takは端、とか、果て、が好きだからです。昨年のパタゴニアは地の果て、北海道では、宗谷岬、知床半島(船でしたが)、納沙布岬、襟裳岬、松前、積丹など端と岬は制覇しています。その昔、アメリカにいた頃は、カナダ国境、ミシシッピ川河口がどうしても見たくて遥々行った思い出があります。これからも、端、果て、を巡る旅が続くことでしょう。


思い出のブエノスアイレス

2019-12-31 20:55:00 | Life in USA by Tak


ブエノスアイレス、Takにとってこの街の名は、若かりしあの日を、切なく思い起こさせるのだ。初めてこの地を踏んだのは、今から30年程前だろうか、Takまだ20歳代だった頃の事だ。忘れもしない、2月、日本は真冬、ブエノスアイレスは真夏という、最悪のタイミングだった。日本から夜行乗り継ぎで、ブエノスアイレスに着いたのは朝10時くらいだったろうか、冬の日本と、乗り継ぎがやはり真冬のニューヨークから一変、青空と緑の芝生のジュータンが僕を迎えてくれた。その暖かさは、長旅の疲れを吹き飛ばし、テンションが一気にトップギアに入った事を、昨日の事のようにハッキリと覚えている。

アルゼンチン、特にブエノスアイレスは、南米のパリ、と謳われたように、イタリア、スペインの(フランスではないが)文化を色濃く漂わせる素晴らしい街だ。アルゼンチンは、人口の90%近くがイタリア、スペインの移民の子孫なので、アングロサクソン系のでかい白人ではなく、ラテン系の、日本人には親しみやすい背格好の人たちが多い。また、インディオの血も入り、美男美女の国。食事の旨さも半端なく、一瞬にしてアルゼンチンファンになったTakだったのだ。
タンゴショーでは、インディオの楽曲のパフォーマンスもあり、なかなか楽しめる。

初めての南米、初めてのアルゼンチン、あの時、確かに、こう思った。小説を書こう。タイトルは、ブエノスアイレスの青い空。

そして30年の月日が流れ、小説を書く事もなく、年だけ重ねて再びブエノスアイレスの地を踏んだのだった。

アルゼンチンは資源に恵まれた大国で、第一次世界大戦までは、世界の一等国ともてはやされていた。その頃、ブエノスアイレスは、南米のパリ、という呼称を謳歌していたのだろう。

残念ながら、資源に恵まれた国にありがちなように、軍事政権の後は、左派、大衆迎合的なバラマキ政権が続き、ハイパーインフレですっかり国力を疲弊させてしまった。この国のことを、サッカー以外て知る日本人は少ない。写真では分からないかもしれないが、豊かな国であることは、食べ物の質と価格、国民の皆さんの明るい笑顔を見れば分かるのに、金融の世界では、この国はすでに格付けとしては最下位、最も債務不履行のリスクが高いとされている。4年前に大統領になった、マクリさんは、当初、アルゼンチン経済立て直しの本命と期待されていて、国の格付けも一時期上がったのだが、今年の選挙で敢えなく敗退、またまたバラマキ政治が始まろうとしている。大好きなアルゼンチンとアルゼンチンのみなさんの今後の頑張りを、陰ながら応援したい。
それでも僕の心の中のアルゼンチンは変わらない。またいつか、違うタイトルの小説を書いてみたい、もとい、書くぞ!



パタゴニアに行くには?

2019-12-31 19:01:31 | Life in USA by Tak

お伝えしてきたパタゴニア紀行もこれで最終回です。素晴らしいパタゴニアの自然には、是非皆さんにも触れて頂きたいと思いますし、Takとしても、今回の駆け足では、欲求不満が蓄積されてしまいましたので、チャンスがあれば是非もう一度行きたいと思っています。トレッキングやハイキングを存分に楽しむためには最低でも現地で2週間はかけたいところです。次回はあるのか、は?ですが、備忘録的に今回の日程や費用を整理しておきます。

1)今回の日程 アメリカからブエノスアイレスに入り、ここで一泊、有名なタンゴショーを楽しみました。翌日エルカラファテへ移動、ここで2泊してフィッツロイツアーとモレノ氷河見学をしました。その足でウシュアイアに移動、ここでも2泊しビーグル水道クルーズと、フエゴ国立公園ツアーに参加しました。ブエノスアイレスに移動、1泊して、翌日市内観光後、夜行便でアメリカに帰りました。現地6泊となります。これが、・・・の歩き方推奨の最短コースです。

2)コスト 今回は相方とホテル一部屋をシェアしました。アルゼンチン国内の飛行機代(ブエノスーエルカラファテーウシュアイアーブエノス)$677、ブエノス2泊のホテル代が一人当たり$169、エルカラファテ2泊のホテル代が一人あたり$185、ウシュアイア2泊のホテル代が一人当たり$123、空港からホテルまでの交通費(タクシー代)が一人あたり全部で$60、締めてお一人様$1,214、でした。これに、(ツアーには必ずついているであろう)タンゴディナーショウ代金や、各地でのツアー代金(氷河、フィッツロイ、フエゴ)が大体$300なので、総計$1,514のコストという計算となります。

3)日本から来る場合 さらに機中泊4泊が必要です。締めてこの日程でも10日間の行程となります。さて、費用はどうでしょうか。日本発アルゼンチン往復の、ちなみにTakのブログではすでにおなじみのユナイテッド航空利用の場合で見てみます。1月15日成田発、1月22日ブエノスアイレス発、いずれもヒューストン経由で、本日の最安値が$2,268でした。2)の国内費用と合計で、$3,800、日本円で約42万円となります。尚、そもそもこの日程では物足りない、と言っているわけでして、もっと長く居たい、という場合はどうか?実はアルゼンチン国内の物価は相当安く、ホテルも今回はあまりよくわからなかったので、ガイドブックのオススメ通りに選びましたが、安いホテルはたくさんあります。食費も無茶やすく、例えばタラバガニ一杯(小ぶりですが)有名店ですら3千円程度で食べられます。お酒、特にワインに至ってはレストランでボトル千円以下、牛肉も格安です。アルゼンチンはそもそも大農業国で、牛肉、ワインは特産でもあり、美味しい食事が格安で楽しめます。要するに、アルゼンチンやチリでの滞在期間が伸びる分には大きなコストアップにはならないと思われます。

さあ、みなさんいかがでしたでしょうか?あまりにも時間がかかりすぎる?費用が高い?パタゴニアはそれだけの価値があります。是非、Takを誘って行こう!パタゴニアへ!。

 

 

 


パタゴニア動画

2019-12-31 17:51:00 | Life in USA by Tak
モレノ氷河です。見づらいですが右の方をご覧ください。崩落が見えます。


フィッロイに向かう途中、エルシャルテンの街の手前で、ピエドマ湖に流れ込むウプサラ氷河が見えました。ロスグラシアレス国立公園の中で最大の氷河。かすかに見えます。周りの風景と合わせてご覧ください。