羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

処分する

2019年03月27日 | Weblog
たくさんのものを捨てて、
ようやく先が見えてきたような気がしていた、ところが…!
ソファを動かしたら本棚の下部分が開くようになり、
またもやそこにファイル発見。
父らしく歴史の冊子がきちんとファイルしてあり、大量にあり、
とても重い。
見ただけでイヤになった。
だって全部出して金具を外して紙(資源)と、表紙(金具つきなので不燃物)に分けなくちゃいけない。
わたしの大きなため息を聞いていた夫が手伝ってくれることになった。
この三つ目の本棚を空っぽにしないと、来週くる処分業者に引き取ってもらえない。
大きい家具幾つも、ブラウン管テレビ三つ、あれこれの処分費用は
20万円を超えた。2㌧トラック二台に全部積めるかな。
庭の2つの物置の不要品処分は10万円。
業者が引き取ってくれない消火器は調べて持って行った。
大量のスプレー缶、使いかけの油やペンキ缶等々、厄介なモノを
後回しにしていたらこれも夫が
やってくれた。

とにかく「処分する」のは大変だ。
プレステ、ファミコン、ころころ迷路、ポピラ、キィボードから博多人形、食器まで、捨てるのも大変なものは「ジモティー」に出すと無料ならすぐに引き取り手が現れる。
いま五月人形の大きなセット品を
もて余している。
無料なんだけど古いし大きいからか、まだ貰い手が見つからない。



ゴミのやま

2019年03月19日 | Weblog
大変だと覚悟はしていたが、これほどだとは思わなかった。
業者に一括して処理を頼む、という選択肢が無い訳ではない。
でも去年から少しずつ整理してきたつもりだったし、
なんとなく「親に託された」感じがしてじぶんで仕分けしよう、と思った。

天袋、物入れ、押入れ、引き出し、ソファの裏、台所すべて、とにかくすごい。
不燃物、プラスチック、紙類、衣類、そのほか・と分けていく。
でもここにきて協力者、まあ、夫なんだけど、がようやく現れたので、
一人で奮闘しているよりはだいぶ違う。
庭にある物置も奥が深かった。
ここで暮らした30数年分だけではない。
母がとっておいたわたしと兄の「思い出のあれこれ・通知表まで」。
父の書類、本また本、大量の写真。
それどころかわたしが結婚するとき実家に置いて行ったものたちが
大きなダンボールの中で眠っていた。
手紙、日記、ノート、写真、40年前のじぶんと再会するとは思わなかった。

父の蔵書、よく分からない壷たち、母がきちんとしまっていた「国民服」、
何故か天袋から出てきた山下清の掛け軸などは、
ライン査定を頼んで鑑定してもらい幾らかで引き取って貰った。

それにしても、まだまだ家の中はすごい。
ゴミの山。
三鷹市は不燃ごみが月に二度しかない。古紙、古着も4回しかない。
とても出し切れないので粗大ゴミと同時に多量ゴミとしてネットで申し込み、
有料で回収してもらう。そういうことをもう10回以上している。
一回に袋ゴミを5個位、家具、寝具などと同時に出す。
ゴミにだすのも容易ではない。
自治体によっては車でゴミセンターに何でも持ち込んで1キロいくらで処理できるという。
三鷹にはそういうシステムがないらしい、と諦めていたらひとつだけあった。
車で持ち込み!これだ!と喜んだら、持ち込めるのは可燃ゴミだけ。
大量の紙類がまだまだあるのだけれど、それは資源ごみだからダメらしい。
ガッカリ・・・。可燃ゴミだけ持ち込めるって・・・生ゴミ?

これらの片付けが終わらないので、自分のものに手が回らない。
来月、引越しできるのだろうか。

お別れ

2019年03月15日 | Weblog

タオタオ、くまくま、コンコン。
こどもたちの小さな手にいつも
抱かれていた。
タオル地のくまは初めての出産で、早産を避けるため実家にいた時に手作りした。
赤ちゃんが舐めてもいいように、タオル。
不器用な若い新米ママの作。

長男が六歳になった頃書いた
「くまくまのぼうけん」という
長いお話も出てきた。
スケッチブック1冊、彼が絵も
文も書いていて時々わたしの解説がついている。
くまくまはいつも幼い息子と一緒にいた。
パンダのタオタオは紙おむつのプレゼント当選品。オムツ使用者本人の長女のものだった。
そして時が経ち歳の離れた末っ子には布製の手作り絵本と、
手人形のキツネが与えられた。
コンコンはmadeinU.S.A.である。

オトナになった子どもたちは、
このこたちを実家において
巣立っていった。
家は取り壊される。
たくさんのものを捨てる。
子どもたちがまた会いにきた。
そして別れの時がくる。
愛猫、駿が眠る寺院では、人形供養もするという。
明日、雛人形と一緒に連れて行く。
「くまくまはオレが供養する」と
息子からラインがきた。