羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

不在と失敗

2012年09月23日 | Weblog
だいたいそそっかしいのか間抜けなのかのろいのか
かならずいろんな失敗をする
数え上げたらキリがないくらい
まあ今日もそんな出来事があってそれでも
ひとりでどうにか解決した
その事柄をさっきここに書き始めたけれど
やっぱりやめて削除して
(削除するにはそれなりの理由があるんだけれど)

明日からの不在だけは記しておこうと思った。
たいしたことでは全くなく
ただ一週間くらいはパソコンは開かない。
スマホを持っていくけれど
ブログ書いたりはしないと思う。
どこか遠くへ旅に出るという話だったらいいのにね。

こういう意味不明のブログで煙に巻くことができるのは
ブロガーの特権、ではなくただの思いつき。
あ、今日ともだちから貰ったすこし古い雑誌「太陽」の
「猫と作家の物語」持参。
そういえば駿は、わたしが押入れから黒い旅行カバンを
だすのを目撃すると、とたんに落ち着かなくなり
ウロウロしたり無闇に家中を走り回ったりした。
そうしてわたしが玄関に立ち「行ってくるね」と言う時になると
諦めるのかサッパリするのか、
きちんと前足をそろえて礼儀正しく(?)見送りを
してくれた。

すぐに帰ってくるよ
といわずにはいられない表情だった。

ガラス越しの猫

2012年09月20日 | Weblog
図書館の奥にガラス戸を背にした椅子がひとつある。
絵本の近くなのでこどもがいるときには行かないが
今日はだいぶすいていて子どもたちもいないので
そこで絵本を広げていた。
ふと気がつくとガラス戸のあちら側には三毛猫がいる。
背中合わせに座ってることに気がついて嬉しくて、
たまに猫のようすを見ながら本を読んでいた。
ミケちゃんの視線の先にはいつもの黒猫さんがいる。

本を閉じてそっと見ていたら黒猫さんが遠ざかって、
ミケちゃんはいよいよわたしに気がついた。
ガラスに人差し指を当てると首をかしげて見ている。
指を動かして遊んでいたらミケちゃんも前足でタッチ。
可愛いピンクの肉球。

久しぶりに猫と遊んだ。
でも向こうのほうが飽きるのは早かった。
ふいっと歩いて行ってしまった。
もうすこし遊びたかったな~。

一滴の雨

2012年09月20日 | Weblog
見るも無残な夏の残骸がそこにあるとする
あるとするなら雨は降り注ぐだろうか
やさしいはずだったあめがやさしくなくても

ふいに空が暗い
なに?と振り向こうとしたときに一滴の雨
一滴の無数の雨

顔をぬらすので
うれしくて雨にむかう
走っていこうとしたのに

誰のところへもたどり着かないと知っている
知っているので
夏の亡き骸さえみとどけることができない

星めぐりのうた

2012年09月17日 | Weblog

音楽を聴きながら眠る、ということを前にも書いたけれど、
この頃いつも聞いているのは覚和歌子さんの詩「ゼロになるからだ」

「かなしみは数えきれないけれど その向こうできっとあなたに会える
繰り返すあやまちのそのたび ひとはただ青い空の青さを知る
果てしなく道は続いて見えるけれど この両手は 光を抱ける 」

千と千尋の神隠しのテーマ曲として出会ったときからこの歌の詩が全部好きだった。
スマホにいれた音楽の中で最多再生曲になっている。

今後聴きたい音楽として久しぶりに購入したのは藤原真理さんのチェロで
ベストセレクション。風の思い出。
ここに宮沢賢治の「星めぐりの歌」が入っている。
さっそくパソコンに取り込んだ。
それでそこからスマホに転送しようとしたがうまくいかない。
カンタンにできるだろうと根拠のない自信?があったのだけれど、
アルバムから数曲転送できたつもりでいたのに再生できなかった。

何度かやってみて失敗して疲れてきたので
今夜は音楽なしで寝る。窓の外で秋の虫が鳴いているようだ。



若いひとたち

2012年09月15日 | Weblog


どこにでもいるカップルみたいだけど次女と長男。
ゲームで遊ぶ兄と妹である。
友人と会うため埼玉から来た次女が今日は未定というので
長男にメールをしてみて母と大きなコドモ二人で出かけた。
おむすびカフェでシッカリご飯を食べて、ストックしてあるメダルで
ゲームもして、そのあとまた好きなものを食べていろいろ話して
夜になってから解散。
次女が車を運転するのを初めて見てしかも助手席に座った息子は
ビックリの連続だったようだ。

我が家には「お兄ちゃん、お姉ちゃん」という呼び方は最初からなく
(その役割を意識させるよりも個として尊重したいので)
次女は8歳上の兄を「Tくん」と名前で呼ぶ。

わたしと次女二人でようやく長男から彼の恋人との経緯を聞いた。
もう10年近く仲良しだった彼女とちょっと距離をおいてる、
と夏前に言ってたから。
喧嘩をしたとか、そういうイキサツではないらしいと聞いて
漠然と理由もわかり納得した。
わたしは彼女がどうしているか心配だったから何度となくメールを
しようと思い、いや、余計な事をするべきではないと思いなおしてきた。
彼女がこころを打ち明けられるひとが傍にいてくれればいいと思っている。
長男と一緒になってくれてもそうではなくても、
本当にそれぞれが幸せになれますように、と心の底から願っている。

ミリキタニの猫

2012年09月10日 | Weblog
夏が始まった頃、母が病院からホームへと移り、
考えたいこととするべき事が日々あって、そのなかで
わたしはスケジュールを組み、じぶんの時間を組み立てていった。
むかしパズルのように難しかった自由時間の捻出はいまや容易になった。

夏が終わる。
すこし前(母がまだ階段を上がってくるくらい元気だった頃)のように、
また楽天やぽすれんで映画をレンタルしようと考えた。
今日観たのはミリキタニの猫。
ミリキタニ氏は激動の時代を生きた日系の画家。
ニューヨークで路上生活をしていたある日、彼の猫の絵を買った女性との交流が始まる。
この映画はその女性監督によるドキュメンタリーである。
あの9、11事件がおきて彼女はミリキタニ氏を自宅に招きいれる。
彼が少年時代を過ごした広島、原爆で失われた故郷、
渡米して体験した波乱の人生が徐々に明らかになっていく。
何故、猫の絵が多いのか?という意味が後半部分、ぽつりともらしたひとことでわかる。
収容所で彼を兄のように慕っていた少年がいた。猫が好きな子だったと・・・。

偶然だが明日がその9月11日だ。
でもまだ夏が終わるという確かさが掴めていない。

黒い猫(やせっぽち)

2012年09月08日 | Weblog
こころが落ち着かない日がある。
不安定になっていると感じる。
でもジムに行き、図書館に行き、古本屋バイトに行く。
そういえば今日は三鷹のお祭りで、店の前をお神輿が通っていったな~。
体調イマイチのわたしは頭痛薬を飲みながら店内でパソコン作業をしていた。
ガラス窓一枚、あちらの賑わいとこちらの静寂。

昨日、図書館の前のいつもの場所に小さな黒猫がいた。
すごくやせっぽち。
しゃがんで顔を見てみたら「・・・・」と小さな口をあけて近づいてきた。
にゃあ、とはまったく聞こえない。かろうじて「クァァァ」というだけだ。
げんきないの?声、でないの?と話しかける。
でもいつもの女性が向こうに見えたから大丈夫だと思う。

図書館で「彼の女たち」(かなり面白かった、野ばらさん、角田さん、江國さん他五人連作)
を返却して読みたい本を三冊予約して、
こういうこころが落ち着かない日は絵本を借りよう、と思った。
あてもなく歩いていると疲れるので「これ」と直感で絵本を二冊選んだ。

うちに帰ってすぐに開き、黒猫にもう一度会えた。
松居スーザン・文、後宮ひろみ・絵 「黒ねこミーシャの歌」



月を見ている黒ねこ(写メピンボケ?)という構図はいまスマホカバーもそうだけど
大好き。
この絵本はくり返し読みたい。
手元においておきたい絵本。よりそって安らぐ。

夢見るキャベツ

2012年09月05日 | Weblog
高原は涼しい。やはり夏は山の見える場所がいい。
今回行こうと思ったのは信州、湯の丸高原。
レンゲツツジが有名らしく今はひっそりとしている、、と思ったら、
湯の丸高原ホテル前にバスがいて高校生たちが案外いた。
でも目的地の池の平湿原はうれしいことに静か。
野アザミが好きなのでそこを歩くつもり。しかしアザミにもいろんな種類がある。
事前にプリントした「池の平湿原で今見られる花」でちらりと予習したが
歩きながら出会う花たちはいずれも「野の花たち」で涼やかで可憐、そして逞しい。




                    





                     

あとからデジカメを見てみると撮ったつもりでも意外に花の写真は少なく、
撮ったり名前を調べたりしていたことよりも何度も足を止めて見つめていた記憶のほうが鮮やか。

八ヶ岳ふもとの山荘を出発して、湯の丸高原を経て、宿泊したのは嬬恋のペンション。
ペンションはカギにもキャベツ。(朝食の焼き立てパンもキャベツ)

キャベツのシフォンケーキ       

嬬恋パノラマラインはどこまでもどこまでもキャベツ畑が広がり、圧倒された。
収穫寸前のキャベツたちがみどりいろの夢をみている、今が一番良い時期だそうだ。

         

 ペンションを後にして北軽井沢方面に出て山荘へと帰る。
ランチはこれでもかのキャベツのステーキとレタスのポタージュ。
写真で見るとわかりにくいがキャベツ四分の一丸ごと焼いてあるのでメインはこれだけでお腹いっぱい。

東京での出来事を何度も思い出しながら、それでも高原の風がやさしくからだを吹き抜けていった。
キャベツキャベツの嬬恋のひととき。



青い鳥

2012年09月02日 | Weblog
前回の頭痛仲間でわたしたちは8人グループ、と記したけれど
落ち着いて考えたら6人だった。
そう、全国規模の「慢性頭痛の会」集まりから親しくなった、
たった6人のグループだった。
夏前にもお元気な彼女と会ったという友人は体調が悪いけれど
告別式には参列すると言う、信州のペンションを予約してあったわたしには
「行ってらっしゃい、あなたの気持ちは私が持っていくから」といってくれた。
その言葉に甘えることにした。

帰京後に彼女と話したところ亡くなった友人は脳腫瘍と肺炎だったという。
日常的に慢性化した頭痛とつきあっているわたしたちはいつも鎮痛剤が手放せない。
検査も数年は受けない。
「この痛みから解放されたい」という思い、このつらさが分かり合えると、
集まった仲間だった。
互いを気遣い、情報を交換し、「他の集まりは疲れるけれどこの人たちとなら会いたい」と
いつもくりかえし言っていた。

わたしの部屋のドアには彼女から頂いたデコパージュがかかっている。



逃げた青い鳥を追って手を伸ばしているのだと思って気に入っていた。
でもいまあらためて見てみると
少女はカゴから青い鳥を放ったようにも見える。
夜空には星がたくさん光っている。
「さあ、行きなさい、羽ばたくのよ。」と精一杯に手を伸ばしているみたいだ。
ありがとう。安らかに。