嫁の巣

このコーナーは嫁に乗っ取られております。 基本的にはエビと関係ありましぇん。嫁の巣(過去版)はブックマークから。

何でかな・・・

2011年04月27日 | 思うこと
 好きな俳優さんだったんですよね。
 外見も長身で整った顔立ちで、そしてそれよりも何よりも実直な性格がどんな役をしていても滲み出ていて。
 何でかな・・・田中実さん・・・。
 ”主役級な華がある”という方ではなかったけれど、きちんと脇をしっかり固めるいい役者さんだと思うんだけどな・・・。
 テレビで見るだけだからこちらにはもちろん彼の気持ちは分からないけれど、身近にいた周囲の方もこんなことになる兆候は全くなかった、と。

 いきなり、突然、なくなる方、ている。
 なぜか、なんでか誰にも分からない、なのに自ら命を絶つ人、ているんです。

 ご家族や身近な人はきっと、今でも信じられない思いでいっぱいで、今起こっていることが現実とは思えず悲しみと困惑と怒りと・・・言葉では言い表せない思いでいらっしゃることでしょう。

 もったいない。もったいないよ。

 役者としても、きっとこれからも地道に仕事はあったはず。
 ご結婚されてお父さんが必要な大切なお子さんもいた。

 何でかな・・・。

 きっといきなり、どうにもならない衝動が彼を襲ったんだろう。
 そうなったら、誰にも止められないのだろうか。
 命を絶つほどの闇に家族も気付かぬまま、引き摺り込まれることがあるんだろうか。
 
 夫婦、てどれだけ相手のことを分かっているのだろう。
 どれだけ相手の気持ちを分かれているのだろうか。

 この報を聞いて、宮本輝の「幻の光」を思い出した。
 子供も生まれ、充実しているはずの時にいきなり夫に自殺された主人公。
 日本海沿いの寒村に後妻として嫁ぎ、新しい夫は優しく、ようやく自分の居場所を見つけたはずなのにずっとずっと自殺した夫のことは頭から離れず、心の中で話しかける。
 つい、新しい夫に「何であの人は死んだの?」と聞いてしまう。
 新しい夫は「・・・精が抜けたんだ」と。精が抜けると、死にたくなるんだ、と。
 
 人はある日突然、精が抜けることがある・・・

 死なないで欲しい。何があっても、死なないで欲しい。
 死ぬ以外に解決方法がないことなんてない。
 何もしたくなくなったらずっと寝てればいい。
 無理に頑張らなくてもいい。

 死ぬ事だけは、やめようよ。

 生真面目な田中さんが、今、残した仕事、残された家族のことを思って後悔しているような気が、どうしてもしてしまうよ・・・。
 
 
 

娘 登校

2011年04月25日 | なぎ
 実は我が家の娘は先週ずっとお休みしておりました。

 「インフルエンザ」のせいです。

 インフルB型が今猛威を奮っており、なぎのクラスと隣のクラスが学級閉鎖。
 なぎも月曜日から熱が上がり、お休みしておりました。
 
 B型はA型より楽、と聞いたことがあったんだけど、これが結構厄介だった~。
 熱が下がってもまた微熱に戻りそこからが長く、咳もまだ残ってます。
 なかなかすっかり治らないんですよ。
 
 しっかし、緊張しながら迎えた入学式、そして始まる学校生活、早寝早起きで頑張っていたのに、一週間行って一週間のお休みとなった娘はすっかりダレダレになりまして。
 人は楽な方にすぐ流れるんですね(私もけいちんだけなら準備も早いのでちょっと遅く起きてたし)。 
 しかも病み上がりはすっかり甘えん坊になったなぎ。
 
 今朝からの登校、大丈夫かしら・・・(朝は通学距離が長いので旦那が送りましたが)と心配なやっぱり甘~い親なのでした。

2011年04月22日 | 思うこと
 田中好子さんが亡くなりました。
 田中さんが「スーちゃん」と呼ばれていた頃は存じ上げないのですが、「ちゅらさん」のお母さん役等、様々なドラマで彼女を見ていたので、衝撃でした。

 このニュースを見たのが昨日寝ようと思った直前でした。

 その衝撃のせいか、夢を見た・・・。

 私は余命を言われて、入院しなくてはならなくて。
 いつ帰れるか分からない状態で、子供2人を両脇に抱きしめて、
 「入院したくない。いきたくない。ずっと一緒にいたい」
 と大泣きしてた・・・。

 ハッと目が覚めたのが朝の5時。
 こんな時間に眠気も感じずに覚醒するなんて。それほど衝撃的な夢だった。
 正直、「夢で良かった」と心底思うような、そんな夢だった。

 私の夢では子供だったけど、田中さんにとってはそれが旦那様とお仕事だったのでは・・・とテレビを見て感じてました。

 やっぱり、この病気を経験してから「再発」という恐怖とは隣り合わせなんだな。
 いつもそんな自分の気持ちにフタをして、考えないようにしてるのに、こういったきっかけでフタが開いてしまう。
 夢を見るほどに。

 それを実感した。

 私はあの病気を経験してから「今生きていること」は本当にありがたいことだとひしひしと感じた。
 これからはもっと謙虚に、生きていることの幸せを感じながら、細かいことにはこだわらず、生きていこう。
 そう胸に誓ったはずだったのに。
 また最近、あの病気を患う前のような、「生きる」ことに謙虚のカケラもない人間になっていたような気がする。
 「生きている」ことが当たり前と思っている人間になっていた。

 子供と離れなくてはいけない、もっと生きたいのに生きられない。
 その悲しさ、絶望を夢の中でリアルに感じた。

 これは自分に対する戒めだ。

 家族と元気に暮らせること、それは本当にありがたく、幸せなこと。
 それを実感しなければ。
 
 そして、2年前にどうしても欲しかった時間を今過ごせていることに感謝しなきゃ。
 この時間を大事にしなきゃ。
 
 そう思ったのでした。

 田中さんが演じてらしてたような、優しく、笑顔いっぱいな大らかなお母さんになりたい。いや、なろう。

 田中好子さん、好きな女優さんでした。

 ご冥福をお祈りします。 

TM

2011年04月18日 | 思うこと
 今テレビの音楽チャンネルで「KOMURO WORKS」と題して小室哲哉が手がけた曲を特集している。
 1990年代の、自分が青春してた頃と同じ時代だったから、とても懐かしい思いで見ている。

 中学校の頃、TM NETWORKが大好きで、よく聴いていた。
 そう、この小室哲哉はTMのメンバーなのだけど、最近の若い人から見たら「ああ、あの詐欺の人」となってしまうのかな。

 まだまだ自分の人生が始まったばかりで、夢見る夢子ちゃんだった私に、TMの曲はすごく都会的で大人びていて、憧れだった。

 宇都宮隆の声が大好きだったな・・・。

 結構前だけど、ちょっとテレビで見たらすっかり面変わりなさっておった・・・(ボリュームも増しておったよ)。

 前急にTMの曲が聞きたくなってレンタル屋を回り、ネットで探して家で聴いていたことがある。
 もう一度集めなおした感じ。
 私が大好きだった頃は借りてきたCDはまだカセットテープにダビングだったからね。
 今残っちゃいないし聴ける機械も家にないわけで。

 最近すっかり曲も映像もデータになって、小さいものに入るようになって。
 もうおばちゃんはついていけません。

 しかし、このTMを旦那はキライでさ。
 旦「中味のない曲だねえ」
 と言うわけさ。

 そこらへんは本当に合わないね。
 ヤツの好きな歌手は長渕つよぽんさ。

 小室さん。
 好きだったからさ、いい曲作ってたからさ。
 何でこんなことになっちゃったんだろうねーと思ってる元TMファンも沢山いるだろうけど。

 がんばってね。

あの日

2011年04月15日 | 思うこと
 あの日から一ヶ月が経って。

 あまりにも多くの命が一瞬でなくなって。

 皆、あの日のあの時間になるまで、こんなことになるなんて思ってもみなかった。

 人は死を前にすると、ものすごく生きたくなる。
 
 死にたくない。
 まだ生きたい。
 
 そんな聞こえない声が、津波の映像を見ていた私には聞こえた。

 私も自分の死を身近に感じた経験があるから。
 その時、本当に「何もいらない。これから何があってもいい。頑張るから、生きたい」と本当に思ったから。
 この必死な思いに理屈はない。
 
 生きたいんだよ。
 
 災害は、残酷だ。

 本当に残酷だ。

 大切な人を遺して逝かなければならなかった人。
 大切な人が逝ってしまった人。

 その悲しさ、辛さ・・・。

 沢山の命のご冥福を祈ります。
 沢山のご遺族の悲しみが一日でも早く、少しでも癒されますように。

 頑張って、とはとても言えません。

 復興を、願っています。

今日本で起きてること

2011年04月15日 | 思うこと
 あの地震の日からずっとテレビを見ていて、日本があの日から変わったことをひしひしと感じています。
 あれからいろいろ書きたいことは沢山あったんだけど、なかなか思いもまとまらず・・・。

 何度見ても津波の映像は辛い。絶句です。
 
 私が以前住んでいた石垣島、八重山地方も過去に津波に襲われたことがあります。
 あそこの島々は皆珊瑚礁が隆起してできた平べったい島で、石垣島に於茂登岳があるだけなので、その時は島を洗うように津波が覆い、全てを破壊し、人も大事な家畜も何もかもを持って行った、と。
 話では聞いていたけれど、実際の津波を目にしてその恐怖を始めて感じたのでした。
 海の水の、抗えない激しい破壊力。

 実は、私が住んでいた時も、2、3回津波警報が発令されたんです(空振りでしたが)。
 でも、誰も逃げなかった。
 私はそのとき公的機関に勤めていたんだけど、確か発令されたのがいつも午後の仕事の真っ最中で、皆も仕事を止めて避難することもせず。
 そして気象庁関連のところから叱られたんですよ。
 「公的機関に勤めている人が通常に仕事をしていたら住民が逃げるはずはないでしょう!」と。
 そういったことがあって、いろいろ職場で考えたんですが(避難すべきか。それとも最低限の仕事ができる人数を残すのか。では誰が残るのか・・・など)。
 結局結論は出なかったように思います。
 その時の警報は空振りだったから、そんなに突き詰めた話にもならなかったような。
 そこにいたどんな年配の人も、津波の本当の怖さなんて知らなかったから(以前あった津波は江戸時代の話だから)。

 そして、地元新聞でも空振りの津波警報について、そしてその警報を聞いても誰も避難しなかったことによる住民達の危機意識の無さ、避難するにしてもどこに(於茂登岳に人口4万人が皆避難できるとも思えず。あとはバンナ岳あたりか・・・)?など、記事になったのでした。

 接する海は瀬戸内海という地方で育った私にとっては”津波”というのは本当に別世界の話で、しかも八重山の海も台風以外のときはいつも穏やかで透き通るように綺麗で・・・。
 あんなに漆黒な濁流の海なんて想像ができなかった・・・。

 今回の津波を見て、あの懐かしい場所も、何か本格的な対策を練っているのだろうか、と思っています。
 もうあんな悲劇は見たくない、あってほしくないですから・・・。

末っ子入学!

2011年04月07日 | なぎ
 昨日、なぎの入学式でした。
 いよいよ、我が家の末っ子が入学です。
 我が家は子供2人ともが早生まれなので、おそ生まれの子よりも一年くらい親元にいるのが短いような気がします。
 昨日から、はりきって朝起きているなぎ。
 入学式は旦那と行きましたが、幼稚園でもクラスで一番小さかったなぎ、一年生のクラスでも前から3番目くらいに小さいので、遠目ではあまり見えません(マンモス校なので人数も多く体育館も大きいので紛れちゃう)。
 小さい身体にぶかぶかの制服を着て、自分の背中より大きいようなランドセルを背負って。
 あの可愛い末娘が少しずつ、親元を離れるステップに立ったような、寂しい思いもします。

 本人はいっぱしのレディー気取りなので私達の幼子扱いに不満があるみたいですが、どうしても末っ子は親の頭の中では成長しませんね。いつまでも幼いような気がしていたのに。

 しかも、昨日から「自分の部屋で一人で寝る」と。
 それまでは親のベッドの下に小さい寝床を作ってた借り暮らしのナギエッティだったのに(「絶対お父さんお母さんと寝る!!」と)・・・。
 「小学校に入ったら自分の部屋で寝る」と言ってたけど、昨日は自分から「布団運んで」と言い出して。
 私&旦那「え~自分で寝るの~?」
 と子の自立を阻む親。
 な「寝るの」と。
 寝入るまでは添い寝して、と言ってましたが、寝た後は朝まで起きることなくグッスリでした。

 子供の成長の早さを少し寂しく思う私に、
 「2人とも小学生にするのに8年もかかった。長い長い」 
 なんて言ってた旦那も、本当に制服を着て嬉しそうに登校する娘を見て、
 旦那「大きくなっちゃった・・・」と。
 寂しいんだね。

 子供達のただただ、可愛い時期はひとまず過ぎたようです。

 今年で小学3年生のけいちんも相変わらずおにぎりみたいな顔で、可愛いですけどね。

 もう一度ちびちゃんを抱っこしたくて「もう一人欲しいな~」なんて思っていたけど、旦那はやっぱり「子供は2人でいい」と。2年前の病気で腎臓が一個になっちゃったし、私も身体に無理させてもいけないので、もう一人は諦めます(医学的にはいいらしいんだけど、やっぱり腎臓大事なので。この1個を生涯守らないとね)。
 
 今日から子供2人は朝7時に家を出ます。
 朝早くからフリーになり、少し戸惑っている私です。