嫁の巣

このコーナーは嫁に乗っ取られております。 基本的にはエビと関係ありましぇん。嫁の巣(過去版)はブックマークから。

働く

2011年06月26日 | 日常
 最近、子供が皆入学したので朝早くから一人になり、「暇だな~」と感じています。
 だからって家事をすんごく頑張っているとかではないのが私らしいのですが(汗)。
 なんせ子供が家を出るのが朝7時。
 早!!
 旦那も8時には出勤なので、特に予定が無い日は「ボーーーー」としております。

 なので、最近復職などを少し考えてみたりもしています。
 家計的には仕事をした方が断然良く、また、このどうなるのか分からない世の中、働けるうちに働いてしっかり蓄えなければ・・・とも思います。
 とはいえ、3交代はやっぱり無理・・・だよね・・・と旦那に話すと、
 旦「もう君にはナースは無理だよ。
   体力的に無理でしょ」と。
 「そんなあ」と思いながらも、そうなんだよね・・・と。
 やっぱり、あの病気から私の体はどうにも今まで通りとは行かないようで・・・。
 時々、どうやっても身体が動かない日があるのです。
 座るのもしんどくて、ひたすら横になって過ごす。
 何でこんなにしんどいんだろう、考えても身体が鉛のようで、動かない。
 だるさ、しんどさ・・・なんだろう・・・いくら考えても分からなくて。
 腎臓一個になったらこんなこともあるのだろうか・・・とか思ったんだけど、ちょっと調べると、もしかしたら副腎も一個になったからかも、と。
 私の場合、腎臓だけでなく副腎も一緒に摘出しているので、腎臓も副腎も一つの身体になっています。
 副腎は腎臓の上にある小さい臓器ですが、あの有名なステロイド、副腎皮質ホルモンに始まり、身体に様々に影響するホルモンを出しているのです。
 それが一つになってやっぱり少し足りてないのかと。
 医学的には「腎臓も副腎も一個でも普通に生きていけますよ」ということで、担当医からもそういった説明を受けるのだけど「普通に生きていける」ことと、「今まで通りのように生きていける」ということは別物なのだな・・・と。
 
 休日にだるい日が重なり、横になりながら庭で遊ぶ子供達を見ていると、起き上がれない自分がとても情けなくて、何だかブルーになってしまいます。
 「無理がきかない身体になった、ということかな・・・」なんて思います。
 そういう時は本当に情けないですね。
 まだ30代なのにな、なんて。

 健康で自分の思う通りに身体が動く時間なんて、人生の中ではそんなにないのかもしれません。
 今とても元気で健康だと感じる方は、ぜひしたいことをしてください。
 できる時にしておく。
 やりたいことをしておく。
 どんどん、やってください。
 時間には限りがある。
 歳は取る。
 いつ何があるか分からない。
 悔しいけど、それが現実だから。
 
 とは言え、私も今、そんな日以外は元気に過ごさせてもらっています。
 身体が動く幸せを全身で感じます。
 
 できれば、また仕事がしたいな。
 やっぱり、ナースをやっていた頃を、あんなに『大変だ~』と思っていた頃を、愛おしく思い出すことがあるから。
 「看護」
 大変だけど、いい仕事、でした。

慰霊の日

2011年06月23日 | オキナワ
 今日は沖縄の「慰霊の日」です。
 この日は沖縄の公休日。私も仕事が休みだったと思います。
 内地の終戦記念日は8月15日ですが、沖縄ではこの6月23日が実質的な終戦記念日です(実際はそれ以降も戦いは続いたそうですが)。
 旦那と出会った旅で、初めて沖縄南部の戦跡を巡りました。
 初めての沖縄への一人旅で南部をまわろうと思っていたのですが「あそこは女の子一人で行かないほうがいいよ」と地元の人に止められてから、なかなか行く機会がありませんでした。
 あの頃は今の平和記念資料館が建設中で、前の建物のままでした。
 沖縄が好きなら、ここは周らなければならない場所だと思っていたので、久しぶりに本島に上陸した旦那との旅で、行くことにしたのでした。
 様々な写真、資料、映像・・・。
 広島出身で戦争の悲惨な映像をわりに見る機会が多かった私でも、ずっしりと肩に重いものが乗ったような、何とも言えない気持ちになりました。
 人口の4分の一が亡くなるほどの陸上戦。
 丘は形を変えるほどの銃撃を受け、碧い海にはアメリカの軍艦が埋め尽くすように浮かんでいたと。
 内地は空襲は受けたけど地上戦はなかった。
 敵と実際に対峙することになった沖縄県民の恐怖はいかばかりであったろうか。
 頼りになるはずの味方が自分達を追い詰めることもあった。 
 誰を頼りにしていいのか。誰が助けてくれるのか。
 分からないまま逃げて逃げて逃げて。
 牛島司令官の「沖縄県民、斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」という言葉はあまりにも有名であるけれど、今の沖縄の現状を見て、牛島司令官はなんと思い、なんと言うのだろう。
 沖縄は戦後暫くアメリカに占領され、1972年返還。
 だからか、内地よりも戦後が30年遅く始まったように、住んでいて感じました。
 今の沖縄が30年前の日本のような。自分が生まれた頃の日本のような感じを受けました。
 内地は1945年から戦後が始まり、それから刻々と復興に向けた波に乗っていたのですが、沖縄がその波にやっと乗ることができたのは30年近くたってから、だったのですから。
 
 明るくて海が綺麗で、人が優しくて。
 沖縄の魅力は沢山ありますが、沖縄の苦悩にも是非、関心を寄せて頂けるとありがたいです。
 悲惨な戦争、その後の占領。
 そして現在に至る、第一次産業と第三次産業だけで担っている沖縄の経済は景気に非常に左右され、生活は厳しい。
 そんな現実もあるのです。

 今日は沖縄は祈りの一日なのでしょう。
 私も、黙祷しましょうね。
 

ダイニングテーブル 

2011年06月19日 | 日常
 この度、ぶら家は少しリニューアルしました。
 サンルームなるものを造ったのです。
 サンルームと言えど、2間×9尺ほどの(と言っても分かりにくいので、江戸間6畳くらいです)大きさで、プチ増築のようです。
 実家で余っていた畳を敷いて、プチ和室完成。
 デカうさぎのポポーはこちらへお引越し。
 あえて北向きに造ったので、今のところギンギンに暑いこともなく。
 明るく、和めて、家族のお気に入りの場所になりました。
 子供達も学校から帰ったら真っ先にサンルームに行きます。
 そこで宿題しています(結構長く明るくて電気いらずです)。
 で、ウッドデッキとサンルームの隙間に少し残った庭に念願の日本庭園を作りました。
 これも”プチ”ですが。
 前からあったらんちゅうが泳ぐひょうたん池を飾りブロックで囲み、いろんな色の和風のジャリを敷き詰め、和風の雰囲気に。

 で、ここまでやったし、もともと畳を敷いていたスペースが空いたので、ちゃんとしたダイニングセットを買おうか~と思い立ち、新築して5年、やっと本格的にダイニングセットなるものを探し出したのですが、これが結構大変で。
 ダイニングセット、て皆”似て非なるもの”。
 値段もバラバラ、素材もバラバラ、雰囲気もバラバラ・・・本気で探し出すとなかなか希望の素材と雰囲気で予算が見合った物がない!!
 ちょっといいな~と思うと20万~30万仕事になり、「そんなの買えましぇ~ん(涙)」と。
 でも、あんまり安いとやっぱり見て分かるし、無垢材希望だから化粧板はイヤだし。
 旦那と私の好みが違ったり。
 ほんとなかなか「さあ買おう!」と思える物がにゃい!
 県内中の家具屋を回りました。
 でも・・・ない・・・。
 で、今日、やっとやっと、決めたんです~!!
 大きすぎず、感じのいい無垢材のテーブル。イスは黄緑色のカバーがついた座り心地のいい可愛いイス。
 テーブルとイスは別々に選びました。
 それまで、とりあえずセットで探してたんだけど、テーブルは気に入ったけどイスはイヤ、とかなかなか決定打にかけるものばかりで。
 ほんと良かった・・・。
 もう疲れてたからね~夫婦共に。付き合わされる子供達も。
 これと決めたら早く来ないかな~と楽しみに待っています。
 ダイニングテーブルを”ただご飯を食べるところ”と思うか、”家族の団欒の場”と思うか。
 新しいテーブルで、家族でずっとご飯を食べたいです。