いよいよ、パリの旅の最終である。
大天使ミカエルに守られた孤島の「モン・サン・ミッシェル」(写真上段)と芸術の殿堂「ルーブル美術館」(写真下段)の観光ツアーについて綴ってみる。
「モン・サン・ミッシェル」は最近特に世界文化遺産に登録されてから観光地として脚光を浴びている所で、観光客は大変多い。
「モン・サン・ミッシェル」はパリの西方約360Km 離れたフランス西海岸サン・マロ湾に浮かぶ小島で7:30のパリ市内のホテルを専用の観光バスで出発して、高速道路利用して約4時間半、道中は牧歌的な田園風景を眺めながら、2度SAで休憩をして12:30頃ようやく到着した。
バスのドライバーは交代要員を入れて2名配備され、正しく長距離ドライブでもあった。
フランスの高速道路は全く無料ではなく、所々で料金所があり、高速道路料金を徴収していたのは日本の高速道路を見習っているようにも思った。
「モン・サン・ミッシェル」はフランス随一の巡礼地として知られ、708年聖オペール司教が夢に現れた大天使ミカエルのお告げに従い、修道院を建設したことに始まる。11~13世紀の改築増築で現在の姿になったといわれている。14世紀には百年戦争により閉鎖、一時監獄となっていたが20世紀に修道院として復活した歴史を持っている。
「モン・サン・ミッシェル」には修道院、サン・ピエール教会、王の塔、王の門など小高い小さな孤島にたくさんの施設が当時のままに残されいる。
島内のテラスから360度見回せる眺望は絶景であった。
どのように建築資材(大理石)を運んできたのか、どのように建設したのか、興味が湧いてくる。
また、水の確保をする為に雨水を集めて使っていたようだが大変なことであったと想像がつく。
かっては満潮時に島全体が海に囲まれいたが、現在は水没しない道路が島まで出来て自由に行き来できるが、環境を損なっているようで、環境を元の状態に戻す為に橋が建設中で完成すれば現在の道路は撤去され、観光用のバス、自動車は離れた駐車場において、リムジンバスで移動するような計画が進められている。恐らく来年あたりはもう近くまで車では行けないようである。
現地ガイドさんは日本語の上手なフランス女性であったが、彼女から日本の宮島(海に浮かぶ神社)と姉妹都市関係にあることを知らされた。
島内は観光の店が狭い道路に建ち並んでいた。その一角にある小さなレストランで島の名物オムレツ(発祥の地)を昼食とした。ふんわりとした食感は食べ慣れているオムレツとは一味違っていて美味しかった。 また、この地方はりんごの産地でりんごから作ったお酒はさっぱりとしてよかった。更に酪農が盛んでカマンベールチーズの産地でも有名な所でもあった。
「モン・サン・ミッシェル」には3時間ほど観光と散策をして、再びパリへ長距離ドライブで戻ったのは10時頃であったが、夏のこの時期まだ外は明るかった。 あくる日はパリ最後の日となった。
午前中は自由行動であったため、今回同行のツアー客らと一緒に「ルーブル美術館」を観光することとした。
ホテルを8;00に出発して、公営の市バスに乗って出かけた。8:30頃には「ルーブル美術館」の地階の入場口の逆ピラミッドに着いた。9:00開場だがもうすでに大勢の観光見物客が同じように入場を待っていた。
簡単なセキューリティチェックがあって、入場したのは9:10であった。帰りの集合時刻11:15まで約2時間の見物時間となった。
かっての王宮を改装し、1,793年に開館した「ルーブル美術館」は半地階と3階建ての大きな施設である。収蔵数30万点以上の中から随時2万6,000点以上が展示されているようである。
「ミロのビーナス」、「サモトラケのニケ」などのギリシャ時代の彫刻から、「モナリザ」、「民衆を導く自由の女神」、「レースを編む女」など1,500年~1,700年代の有名な絵画を数多く展示している世界一の呼び声も高い芸術の殿堂である。
展示している導線は旧王宮故に複雑で案内係員に聞いても迷う位であった。
展示している作品はいずれも世界的に有名なものばかりであった。特に有名な「ミロのビーナス」や「モナリザ」は人気があり多くの人が群がっていた。
到底2時間ほどの見物では十分に全部を見ることは出来なかった。
この「ルーブル美術館」の入場料が10ユーロ(1,200円程度)とは安いものであった。
予定の集合時刻に同行者が集まった中で、同行者の一人がこの見学中に立寄ったパン屋さんで不幸にもスリに遭遇して財布、パスポートを失くしてしまったという悲しい事件が起こった。
最後の最後まで油断は禁物であることを思い知らされた。
ツアーの方はこのトラブルで少し遅れたが、スリに遭遇された方を残して、予定通りこの日の夕方16:05のパリドゴール空港を離陸して、往路とは逆にドーハを経由して、明くる日の17:00頃無事に関西国際空港に到着した。
パリの街はファッションの都、水の都、花の都を感じさせてくれものはあったが、決して華やかなものではなく、落着いたものの中から感じ取ることが出来た。
これは中世のルイ14世、ナポレオンの時代のパリ、フランスが欧州、世界に君臨していた歴史と文化に基づくもであろう。
落着いた昔からの建物や道路はアメリカナイズされただけの文化は受入れていない。高層の建物なぞパリ市内には見受けられなかった。また古い中世からの施設がそのまま残っているのも良い。
超高層の建築物なんぞ不用なのである。
アパートもホテルもまたレストランも古い建物のままのようである。従って狭くて薄暗いがこれが良いのである。
ただ最後にスリに遭遇したことは残念であった。
今回、ロンドンからパリと短期間で歴史と文化の誇りを持つ英・仏2ヶ国を旅したが、成熟したこれらの国が自然体で誇りを持ってその良さを活かして堂々と暮らしているとの印象を強く持った。
もっと早く来たかったが、来るべきであったと感じた。
日本も成熟し高齢化社会に突入している。アメリカナイズとは決別して、成熟したイギリス、フランスのようにヨーロッパの国々から街創りや社会制度については学ぶべきことが多いように思った。
以上でロンドン・パリの旅は終結とします。
( 旅行もハードで疲れたが、旅行記の方も割愛したものも多く、大雑把な文となり旅同様に疲れもした。)
大天使ミカエルに守られた孤島の「モン・サン・ミッシェル」(写真上段)と芸術の殿堂「ルーブル美術館」(写真下段)の観光ツアーについて綴ってみる。
「モン・サン・ミッシェル」は最近特に世界文化遺産に登録されてから観光地として脚光を浴びている所で、観光客は大変多い。
「モン・サン・ミッシェル」はパリの西方約360Km 離れたフランス西海岸サン・マロ湾に浮かぶ小島で7:30のパリ市内のホテルを専用の観光バスで出発して、高速道路利用して約4時間半、道中は牧歌的な田園風景を眺めながら、2度SAで休憩をして12:30頃ようやく到着した。
バスのドライバーは交代要員を入れて2名配備され、正しく長距離ドライブでもあった。
フランスの高速道路は全く無料ではなく、所々で料金所があり、高速道路料金を徴収していたのは日本の高速道路を見習っているようにも思った。
「モン・サン・ミッシェル」はフランス随一の巡礼地として知られ、708年聖オペール司教が夢に現れた大天使ミカエルのお告げに従い、修道院を建設したことに始まる。11~13世紀の改築増築で現在の姿になったといわれている。14世紀には百年戦争により閉鎖、一時監獄となっていたが20世紀に修道院として復活した歴史を持っている。
「モン・サン・ミッシェル」には修道院、サン・ピエール教会、王の塔、王の門など小高い小さな孤島にたくさんの施設が当時のままに残されいる。
島内のテラスから360度見回せる眺望は絶景であった。
どのように建築資材(大理石)を運んできたのか、どのように建設したのか、興味が湧いてくる。
また、水の確保をする為に雨水を集めて使っていたようだが大変なことであったと想像がつく。
かっては満潮時に島全体が海に囲まれいたが、現在は水没しない道路が島まで出来て自由に行き来できるが、環境を損なっているようで、環境を元の状態に戻す為に橋が建設中で完成すれば現在の道路は撤去され、観光用のバス、自動車は離れた駐車場において、リムジンバスで移動するような計画が進められている。恐らく来年あたりはもう近くまで車では行けないようである。
現地ガイドさんは日本語の上手なフランス女性であったが、彼女から日本の宮島(海に浮かぶ神社)と姉妹都市関係にあることを知らされた。
島内は観光の店が狭い道路に建ち並んでいた。その一角にある小さなレストランで島の名物オムレツ(発祥の地)を昼食とした。ふんわりとした食感は食べ慣れているオムレツとは一味違っていて美味しかった。 また、この地方はりんごの産地でりんごから作ったお酒はさっぱりとしてよかった。更に酪農が盛んでカマンベールチーズの産地でも有名な所でもあった。
「モン・サン・ミッシェル」には3時間ほど観光と散策をして、再びパリへ長距離ドライブで戻ったのは10時頃であったが、夏のこの時期まだ外は明るかった。 あくる日はパリ最後の日となった。
午前中は自由行動であったため、今回同行のツアー客らと一緒に「ルーブル美術館」を観光することとした。
ホテルを8;00に出発して、公営の市バスに乗って出かけた。8:30頃には「ルーブル美術館」の地階の入場口の逆ピラミッドに着いた。9:00開場だがもうすでに大勢の観光見物客が同じように入場を待っていた。
簡単なセキューリティチェックがあって、入場したのは9:10であった。帰りの集合時刻11:15まで約2時間の見物時間となった。
かっての王宮を改装し、1,793年に開館した「ルーブル美術館」は半地階と3階建ての大きな施設である。収蔵数30万点以上の中から随時2万6,000点以上が展示されているようである。
「ミロのビーナス」、「サモトラケのニケ」などのギリシャ時代の彫刻から、「モナリザ」、「民衆を導く自由の女神」、「レースを編む女」など1,500年~1,700年代の有名な絵画を数多く展示している世界一の呼び声も高い芸術の殿堂である。
展示している導線は旧王宮故に複雑で案内係員に聞いても迷う位であった。
展示している作品はいずれも世界的に有名なものばかりであった。特に有名な「ミロのビーナス」や「モナリザ」は人気があり多くの人が群がっていた。
到底2時間ほどの見物では十分に全部を見ることは出来なかった。
この「ルーブル美術館」の入場料が10ユーロ(1,200円程度)とは安いものであった。
予定の集合時刻に同行者が集まった中で、同行者の一人がこの見学中に立寄ったパン屋さんで不幸にもスリに遭遇して財布、パスポートを失くしてしまったという悲しい事件が起こった。
最後の最後まで油断は禁物であることを思い知らされた。
ツアーの方はこのトラブルで少し遅れたが、スリに遭遇された方を残して、予定通りこの日の夕方16:05のパリドゴール空港を離陸して、往路とは逆にドーハを経由して、明くる日の17:00頃無事に関西国際空港に到着した。
パリの街はファッションの都、水の都、花の都を感じさせてくれものはあったが、決して華やかなものではなく、落着いたものの中から感じ取ることが出来た。
これは中世のルイ14世、ナポレオンの時代のパリ、フランスが欧州、世界に君臨していた歴史と文化に基づくもであろう。
落着いた昔からの建物や道路はアメリカナイズされただけの文化は受入れていない。高層の建物なぞパリ市内には見受けられなかった。また古い中世からの施設がそのまま残っているのも良い。
超高層の建築物なんぞ不用なのである。
アパートもホテルもまたレストランも古い建物のままのようである。従って狭くて薄暗いがこれが良いのである。
ただ最後にスリに遭遇したことは残念であった。
今回、ロンドンからパリと短期間で歴史と文化の誇りを持つ英・仏2ヶ国を旅したが、成熟したこれらの国が自然体で誇りを持ってその良さを活かして堂々と暮らしているとの印象を強く持った。
もっと早く来たかったが、来るべきであったと感じた。
日本も成熟し高齢化社会に突入している。アメリカナイズとは決別して、成熟したイギリス、フランスのようにヨーロッパの国々から街創りや社会制度については学ぶべきことが多いように思った。
以上でロンドン・パリの旅は終結とします。
( 旅行もハードで疲れたが、旅行記の方も割愛したものも多く、大雑把な文となり旅同様に疲れもした。)