神戸から徒然なるままに

海と山の自然豊かでハイカラな街・神戸より

ロンドン・パリの旅:Part5(フランス編(最終))

2011-08-26 14:00:50 | インポート
 いよいよ、パリの旅の最終である。
 大天使ミカエルに守られた孤島の「モン・サン・ミッシェル」(写真上段)と芸術の殿堂「ルーブル美術館」(写真下段)の観光ツアーについて綴ってみる。
 「モン・サン・ミッシェル」は最近特に世界文化遺産に登録されてから観光地として脚光を浴びている所で、観光客は大変多い。
 「モン・サン・ミッシェル」はパリの西方約360Km 離れたフランス西海岸サン・マロ湾に浮かぶ小島で7:30のパリ市内のホテルを専用の観光バスで出発して、高速道路利用して約4時間半、道中は牧歌的な田園風景を眺めながら、2度SAで休憩をして12:30頃ようやく到着した。
 バスのドライバーは交代要員を入れて2名配備され、正しく長距離ドライブでもあった。
 フランスの高速道路は全く無料ではなく、所々で料金所があり、高速道路料金を徴収していたのは日本の高速道路を見習っているようにも思った。
 「モン・サン・ミッシェル」はフランス随一の巡礼地として知られ、708年聖オペール司教が夢に現れた大天使ミカエルのお告げに従い、修道院を建設したことに始まる。11~13世紀の改築増築で現在の姿になったといわれている。14世紀には百年戦争により閉鎖、一時監獄となっていたが20世紀に修道院として復活した歴史を持っている。
 「モン・サン・ミッシェル」には修道院、サン・ピエール教会、王の塔、王の門など小高い小さな孤島にたくさんの施設が当時のままに残されいる。
 島内のテラスから360度見回せる眺望は絶景であった。
 どのように建築資材(大理石)を運んできたのか、どのように建設したのか、興味が湧いてくる。
 また、水の確保をする為に雨水を集めて使っていたようだが大変なことであったと想像がつく。
 かっては満潮時に島全体が海に囲まれいたが、現在は水没しない道路が島まで出来て自由に行き来できるが、環境を損なっているようで、環境を元の状態に戻す為に橋が建設中で完成すれば現在の道路は撤去され、観光用のバス、自動車は離れた駐車場において、リムジンバスで移動するような計画が進められている。恐らく来年あたりはもう近くまで車では行けないようである。
 現地ガイドさんは日本語の上手なフランス女性であったが、彼女から日本の宮島(海に浮かぶ神社)と姉妹都市関係にあることを知らされた。
 島内は観光の店が狭い道路に建ち並んでいた。その一角にある小さなレストランで島の名物オムレツ(発祥の地)を昼食とした。ふんわりとした食感は食べ慣れているオムレツとは一味違っていて美味しかった。  また、この地方はりんごの産地でりんごから作ったお酒はさっぱりとしてよかった。更に酪農が盛んでカマンベールチーズの産地でも有名な所でもあった。
 「モン・サン・ミッシェル」には3時間ほど観光と散策をして、再びパリへ長距離ドライブで戻ったのは10時頃であったが、夏のこの時期まだ外は明るかった。  あくる日はパリ最後の日となった。
 午前中は自由行動であったため、今回同行のツアー客らと一緒に「ルーブル美術館」を観光することとした。
 ホテルを8;00に出発して、公営の市バスに乗って出かけた。8:30頃には「ルーブル美術館」の地階の入場口の逆ピラミッドに着いた。9:00開場だがもうすでに大勢の観光見物客が同じように入場を待っていた。
 簡単なセキューリティチェックがあって、入場したのは9:10であった。帰りの集合時刻11:15まで約2時間の見物時間となった。
 かっての王宮を改装し、1,793年に開館した「ルーブル美術館」は半地階と3階建ての大きな施設である。収蔵数30万点以上の中から随時2万6,000点以上が展示されているようである。
 「ミロのビーナス」、「サモトラケのニケ」などのギリシャ時代の彫刻から、「モナリザ」、「民衆を導く自由の女神」、「レースを編む女」など1,500年~1,700年代の有名な絵画を数多く展示している世界一の呼び声も高い芸術の殿堂である。
 展示している導線は旧王宮故に複雑で案内係員に聞いても迷う位であった。
 展示している作品はいずれも世界的に有名なものばかりであった。特に有名な「ミロのビーナス」や「モナリザ」は人気があり多くの人が群がっていた。
 到底2時間ほどの見物では十分に全部を見ることは出来なかった。
 この「ルーブル美術館」の入場料が10ユーロ(1,200円程度)とは安いものであった。
 予定の集合時刻に同行者が集まった中で、同行者の一人がこの見学中に立寄ったパン屋さんで不幸にもスリに遭遇して財布、パスポートを失くしてしまったという悲しい事件が起こった。
 最後の最後まで油断は禁物であることを思い知らされた。
 ツアーの方はこのトラブルで少し遅れたが、スリに遭遇された方を残して、予定通りこの日の夕方16:05のパリドゴール空港を離陸して、往路とは逆にドーハを経由して、明くる日の17:00頃無事に関西国際空港に到着した。
 パリの街はファッションの都、水の都、花の都を感じさせてくれものはあったが、決して華やかなものではなく、落着いたものの中から感じ取ることが出来た。
 これは中世のルイ14世、ナポレオンの時代のパリ、フランスが欧州、世界に君臨していた歴史と文化に基づくもであろう。
 落着いた昔からの建物や道路はアメリカナイズされただけの文化は受入れていない。高層の建物なぞパリ市内には見受けられなかった。また古い中世からの施設がそのまま残っているのも良い。
超高層の建築物なんぞ不用なのである。
 アパートもホテルもまたレストランも古い建物のままのようである。従って狭くて薄暗いがこれが良いのである。
 ただ最後にスリに遭遇したことは残念であった。
 今回、ロンドンからパリと短期間で歴史と文化の誇りを持つ英・仏2ヶ国を旅したが、成熟したこれらの国が自然体で誇りを持ってその良さを活かして堂々と暮らしているとの印象を強く持った。
 もっと早く来たかったが、来るべきであったと感じた。
 日本も成熟し高齢化社会に突入している。アメリカナイズとは決別して、成熟したイギリス、フランスのようにヨーロッパの国々から街創りや社会制度については学ぶべきことが多いように思った。
 以上でロンドン・パリの旅は終結とします。
( 旅行もハードで疲れたが、旅行記の方も割愛したものも多く、大雑把な文となり旅同様に疲れもした。)

           
            

ロンドン・パリの旅:Part4(フランス編)

2011-08-16 17:19:56 | インポート
 ここからはパリ、フランスの旅である。
 パリ到着すると、専用バスでホテルへと向かった。車中で現地のガイドさんがパリはスリや置引きや引ったくりが多い街だから十分に注意するように強く言われた。特にパスポートは大事にするようにと。
 花の都パリ、水の都パリ、ファッションの都パリのイメージよりおっかない街だなとも感じた。
 しかしこのことが現実問題になるとはこの時は夢にも思わなかった。
 パリ到着の日はホテル泊まりだけであったが、翌日は8:30から専用バスでパリ市内の観光であった。
 旅行会社のオリジナルツアーでモンマルトルの丘、エッフエル塔からベルサイユ宮殿の観光であった。
 モンマルトルはパリの中心部から西北に5Km程離れた所に100m程の高さの小高い丘である。
 頂上まではケーブルカーで登った。モンマルトルは芸術家達が愛した丘として有名であり、テルトル広場(画家広場)では似顔絵描きや様々なストリートパホーマーが菅顧客を親しましてくれていた。
 丘の頂上には街のシンボルであるサクレ・クール寺院がイスラム建築の影響を受けたエキゾチックな教会が堂々として建っていた。
 この丘からはパリの街が一望できた。その景色はまた絶景であった。
 次に専用バスで、車窓よりセーヌ川、凱旋門、ノートルダム寺院、コンコルド広場などパリ市内の有名な観光地を見ながらエッフエル塔を観光した。
 夏休みに入ったばかりであったが、たくさんの観光客がいた。特に学生さん達が多かった。
 専用のエレベーターで地上123mの第2展望台へ登った。
 ここから、パリ市内が360度の大パノラマで眺めることが出来た。
 エッフエル塔は1889年のパリ万博に建設され、122年が経過している。2年前に塔全体を特性ペンキでお色直しをされたとはいえ、パリの街にマッチして聳え立っているのは見事ととしか言いようがない。
 そう言えば、パリの街はナポレオンの命によって凱旋門(エトワール)は1836年に建設されたが、当時から道路はこの凱旋門を中心に放射状に整備され、建築の高さも25mと規制された都市計画で整備されているため、古い石造り(大理石)の建物が多いが街は整然として街並は美しいと感じた。
 昼食は名物エスカルゴであった。8つの窪みの付いた丸い鉄板にエスカルゴが並べられいた。にんにくとバジルで味付けされいて食べ易かった。
 午後はベルサイユ宮殿の観光となった。
 ベルサイユ宮殿はルイ14世が1682年に建造した宮殿で、フランス絶対王政の象徴的な建造物である。
 黄金の化粧した門、外観からはその煌びやかさがとまず飛込んできた。
 宮殿の中はまた豪華で煌びやかであり、王室礼拝堂、鏡の回廊、調度品、王妃の寝室、絵画、彫刻どれをとっても絢爛豪華で圧倒された。宮殿内部は多くの部屋があり丸で迷路であった。
 また、庭園(離宮)が壮大でとてつもなく広いが手入れが行届いているには驚いた。
 到底半日で見学できるものではないが、雰囲気は十分に味わうことが出来た。
 一日のパリ市内の観光で、パリの持つ歴史と文化とプライドを少し感じることが出来た。
 残りのフランス、パリの旅は次のブログで紹介しよう。
         
         
              
         
                

須磨浦海岸の「ECO沖縄三味線奏者のいとけん」さん!

2011-08-11 09:44:59 | インポート
 暑い日が続きますね。熱中症には気をつけましょう。
 さて、先日の夕方、涼を求めて、須磨海浜公園に親しい仲間と宴の会を持った。
 この日は、運悪く、丁度神戸花火大会が中突堤で開催される日で、若いギャルはそちらの方へ浴衣を着て繰り出している様子で、夕方の海浜公園はシーズン最中であるにも関わらず人影は少なく寂しかった。
 海の家も夕方6:00過ぎには閉店となり、周辺には外灯もなく寂しく暗い海浜公園であった。
 それにも関わらず、我々は美味しい手作りの弁当を酒盛りをしながら、ワイワイと大いに盛り上がった。
 しかし、神戸花火大会の花火や音はこの辺りには全く見えず聞こえなかった。
 そうこうしていると、薄暗闇の中から沖縄民謡や島歌を奏でながらこの付近を散策している人が何処からともなく表れた。手に持っているのは海岸に漂流してきたペットボトルや廃材を再利用して独自に創られたECOな沖縄三味線ではないか。これには驚かされた。見事な三味線であった。
 我々の宴の中に入ってもらい、色々とお話を聞くことが出来た。
 彼は、年は40才過ぎの芦屋生まれの独身のイケメンで、自称「ECO沖縄三味線奏者のいとけん」といっているそうで、漂流物を再生して利用したり、沖縄民謡を奏でるのはあくまでも趣味であるそうだ。
 沖縄には何度もいって本場の沖縄民謡、島歌を歌い、奏でる「いとけん」の演奏は哀愁があり、上手で見事なものであった。
 「いとけん」さんは気が向けばこのように須磨浦海岸で散策しながらECOな三味線で沖縄民謡を奏でているそうだ。
 おかげで、暗い須磨海浜公園での宴が楽しいものとなった。
 「ECO沖縄三味線奏者のいとけん」さんに拍手と今後この活動と演奏が広く伝わっていくことを期待してエールを送りたい。
 写真は、ECO三味線で沖縄民謡を奏でる「いとけん」さんのスナップである。

          

ブログのアクセス回数10,000回突破す!

2011-08-08 09:05:37 | インポート
 小生のブログのアクセス回数が当初の目標である10,000回を末広がりとなる日の今日(8月8日)ようやく突破した。
 神戸から徒然なるままに、毎週1回程度、神戸市内また近郊地の観光地や話題のスポットを中心として、また、たまに行く旅行記や藪にらみの政治コラムなどをブログで投稿してきた。
 ブログ開設してから(2009年8月の開設から)丁度丸2年になる。
 概ねこれまでのブログ投稿件数は100件であり、1件当りでは100回程のアクセスがなされてきたことになる。
 これは、一般的には少ないアクセス回数かもしれないが、我ながら驚きの数字である。
  アクセス回数10,000回を一つの区切りにしようと考えていた。
 見通しの立たない混迷する世の中の流れの中で、少しでも悪い流れが改善され、ほっと一息つけるような世の中をと願いつつ、これからもブログは続けて行こうと気持ちを新たにしているところでもある。
 小生のブログにアクセスして拙い文章にも関わらず、目を通していただいた方々に心よりお礼を申し上げる。
 

ロンドン・パリの旅:Part3(イギリス編(最終))

2011-08-07 10:54:19 | インポート
 ロンドンでの最後の旅はロンドンから西へ50km程離れた所に位置するウィンザー城の観光となった。
 ウィンザー城はご存知通り英国王室の居城で900年以上の間、国王の行事や賓客の館として使用されてきた城で、女王が週末を過ごすお気に入りの場所であり、チャーチル皇太子とカミラ公爵夫人の結婚披露宴でも話題になった城でもある。
 開城は9:45からであったが、早くから大勢の観光客が待ち並んでいて人気のある観光スポットであった。
 お城は威風堂々として荘厳なゴシック建築の傑作であり、一般公開されているお城内部の回廊や部屋をラジオの案内ガイドで聞きながらの見学であるが、いずれもが豪華で気品のある設えで堪能させられるばかりで、ツアーの制約から午前中1時間半程の滞在ではとてもゆっくりと見学は出来なかった。丸1日ゆっくりと見学に値するお城であった。
 丁度昼前で城内の中庭での衛兵の交代の儀式に遭遇することが出来た。このお城を警備している衛兵は昔からの儀式を守ってきたと思われ英王室の一つの伝統を感じた。
 昼食はロンドンに戻ってのフィッシュ&チップスであった。これは白身魚(鱈)とジャガイモのフライで日本でも馴染みのある料理のように思った。
 昼食後はもう次の観光地パリへの出発であった。
 パリへの移動はドーバー海峡を海底トンネルで横断する話題の新幹線ユーロスターであった。
 午後3時過ぎの列車でロンドンを出発して、ノンストップで走る2時間15分の列車での旅はまた雰囲気が違って良いものであった。
 以上のように、ロンドンでの旅はロンドンとその近郊の人気の観光スポットを大急ぎで廻るあわただしいツアーであった。
 今回のツアーで中世から大英帝国時代そして現在までの歴史と文化が凝縮されたロンドン、イギリスの一部を垣間見ることが出来たように思われた。  イギリス人以外の外国人が多い他国民族の国でありながら、気取らない、質素な生活のスタイルをとりながら、落着きと誇りを感じさせる街である。決してアメリカナイズされていない。むしろ古さ、伝統の良さがひしひしと伝わってくるのである。
 現地ガイドさんの話にもあったのだが、ロンドンは日本人にとっては住みやすい街のように思われた。
 次回からはパリの旅になる。また感じたままを綴ってしようと思っています。
 写真: 上段:荘厳なゴシック建築のウィンザー城
     下段:(左)ウィンザー城の衛兵交代儀式、(右)新幹線ユーロスター