神戸外国人居留地では、1868年1月1日(慶応3年12月7日)に開港した時点で、ある程度の上下水道設備を整えていました。
今から145年も前のことで、国内の普及率0%の時代です。もちろん西洋の技術で作られたものでした。
神戸市の水道整備は1893年(明治26年)の 英国人技師バルトンによる神戸市の近代水道計画作成によるところが大きいといわれています。
神戸市の本格的な上水道事業は明治中期に始り、人口の増加・給水面積の増大につれて順次水源を拡大していきます。
最初に布引ダム、次に烏原ダム、そして千苅ダムの順にダムが築かれていくのです。
最初の布引水源池である通称布引ダム(五本松ダム)は明治33年(1900年)完成の我国最初の重力式コンクリートダム(貯水量:417,000m3)です。(写真:左) 次に源平合戦ゆかりの地鵯越の近くに烏原水源池である立ヶ畑ダムが明治38年(1905年)に完成します。粗石・栗石モルタル積の重力式コンクリートダムで、その後拡張され大正4年(1915年)(貯水量1,315,139m3)に今の形になっています。(写真:中)
これらのダムには英人技師バルトンが計画、設計に関わっています。
三番目が千刈水源池で北区道場の武庫川水系に、大正8年(1919年)に完成した市内最大の粗石モルタル積の重力式コンクリートダム(貯水量11,612,000m3)で、17門のスライドゲートがあるのは我国最古のダムです。(写真:右)
年代を経るにつれて巨大な水源が必要とされ、千苅ダムの貯水量は布引ダムの30倍もの規模になります。
布引ダム、烏原ダムが市街地のすぐ裏手に築かれたのと異なり、3番目の千刈ダムは豊富な水源を求めて六甲山を越えた深い山の中に築かれる事となります。
千苅ダムの完成で神戸の水源は強化されたのですが、更なる人口増に対応するには3つの水道ダムだけでは限界となってしまいます。
その後は遠く淀川(琵琶湖)から導水するルートが築かれ、こちらが主流となって行きます。現在これらのダムが供給する上水は全体の1割に満たない量ですが、約100年を経た今もあの阪神・淡路大地震を乗越えて現役の施設として活躍しています。
このように神戸市の水源の確保のためのダム建設には深い歴史があります。
ダム建設の技術からみると、西洋の土木技術を導入して、粗石や栗石や石臼などを大量に使った重力式コンクリートダムですが、セメント、コンクリートが十分に無い時代に知恵を出し苦心・苦労して建設したものと思われます。また耐震設計もどのように考慮されていたのか興味のあるところです。
我国最初の重力式ダムである布引ダムと、これに続く烏原ダムの竣工によって、近代ダムの技術は確立され、その後は全国に大規模なダムが続々と造られていきます。
また、これらのダムはいずれも国の登録有形文化財に登録されています。
このように、神戸市が取り組んだダム事業は日本の近代土木を語る上で欠かせない大きな役割を果してきたのです。
これらのダムはいずれも近郊にあり、ハイキングや散策には手頃な場所でもあり、一度訪れて往事の事に思いをはべるのも良いと思います。
、
今から145年も前のことで、国内の普及率0%の時代です。もちろん西洋の技術で作られたものでした。
神戸市の水道整備は1893年(明治26年)の 英国人技師バルトンによる神戸市の近代水道計画作成によるところが大きいといわれています。
神戸市の本格的な上水道事業は明治中期に始り、人口の増加・給水面積の増大につれて順次水源を拡大していきます。
最初に布引ダム、次に烏原ダム、そして千苅ダムの順にダムが築かれていくのです。
最初の布引水源池である通称布引ダム(五本松ダム)は明治33年(1900年)完成の我国最初の重力式コンクリートダム(貯水量:417,000m3)です。(写真:左) 次に源平合戦ゆかりの地鵯越の近くに烏原水源池である立ヶ畑ダムが明治38年(1905年)に完成します。粗石・栗石モルタル積の重力式コンクリートダムで、その後拡張され大正4年(1915年)(貯水量1,315,139m3)に今の形になっています。(写真:中)
これらのダムには英人技師バルトンが計画、設計に関わっています。
三番目が千刈水源池で北区道場の武庫川水系に、大正8年(1919年)に完成した市内最大の粗石モルタル積の重力式コンクリートダム(貯水量11,612,000m3)で、17門のスライドゲートがあるのは我国最古のダムです。(写真:右)
年代を経るにつれて巨大な水源が必要とされ、千苅ダムの貯水量は布引ダムの30倍もの規模になります。
布引ダム、烏原ダムが市街地のすぐ裏手に築かれたのと異なり、3番目の千刈ダムは豊富な水源を求めて六甲山を越えた深い山の中に築かれる事となります。
千苅ダムの完成で神戸の水源は強化されたのですが、更なる人口増に対応するには3つの水道ダムだけでは限界となってしまいます。
その後は遠く淀川(琵琶湖)から導水するルートが築かれ、こちらが主流となって行きます。現在これらのダムが供給する上水は全体の1割に満たない量ですが、約100年を経た今もあの阪神・淡路大地震を乗越えて現役の施設として活躍しています。
このように神戸市の水源の確保のためのダム建設には深い歴史があります。
ダム建設の技術からみると、西洋の土木技術を導入して、粗石や栗石や石臼などを大量に使った重力式コンクリートダムですが、セメント、コンクリートが十分に無い時代に知恵を出し苦心・苦労して建設したものと思われます。また耐震設計もどのように考慮されていたのか興味のあるところです。
我国最初の重力式ダムである布引ダムと、これに続く烏原ダムの竣工によって、近代ダムの技術は確立され、その後は全国に大規模なダムが続々と造られていきます。
また、これらのダムはいずれも国の登録有形文化財に登録されています。
このように、神戸市が取り組んだダム事業は日本の近代土木を語る上で欠かせない大きな役割を果してきたのです。
これらのダムはいずれも近郊にあり、ハイキングや散策には手頃な場所でもあり、一度訪れて往事の事に思いをはべるのも良いと思います。
、