神戸から徒然なるままに

海と山の自然豊かでハイカラな街・神戸より

深海探査で「江戸っ子1号」が世界初の快挙!

2013-11-26 11:28:25 | インポート
 11月も下旬となり、枯葉の舞う向寒候となってきました。
 野蛮の大国中国の防空識別圏の宣戦布告、猪瀬と徳州会の政治とカネ、国会での秘密保護法案、一流ホテル・レストランでの食材の偽装・誤表示など、色々な問題が出てきています。
 また、12月を迎えて、色々なイヴェントが催されようと世間はあわただしくなりつつあります。

 さて、このような世相の中で、すがすがしい話題があります。
 それは海洋の探査機 「江戸っ子1号」 が7,800mの深海での撮影に世界で始めて成功し、無事に回収されたという報道でした。
 ヨミノアシロとみられる深海魚やヨコエビが泳ぐ姿がはっきりと撮影されています。すばらしい写真です。
 5社の東京や千葉の町工場や小さな会社が中心になってこの機械を開発したのにまず驚かされ、感動しました。
 しかも、製作費2,000万円程度と通常の1/10程度の費用だということではありませんか。
 この技術、機械は海洋の探査・研究に大きく貢献するものと思います。
 また、この深海探査の成功は日本の科学技術の高さ、町工場の技術の高さを世界に示したものとして大いに誇るべきです。

 このような明るいニュース、話題にこそメディアは大きく取扱って報道すべきです。

 宇宙研究での小惑星イトカワの探査に成功した「はやぶさ1号」、人工衛星での東大阪の「まいど1号」の成功と同じようなすがすがしい感動を得ました。
 日本の科学技術の高さは世界に誇ることを再び実証したのです。
 安部政権になり、日本は閉塞状態から着実に脱皮しつつあります。
 この快挙が更に日本人の誇りを持たせ、日本の技術を更に発展させていくものと期待します。

      

神戸須磨離宮公園の界隈を訪ねて

2013-11-12 17:09:06 | インポート
 源氏物語や源平合戦の舞台になった須磨の地は、明治30年頃、自然の美しさや温暖な土地を愛した 皇族、華族や財界人によって、多くの美しい別荘が建てられ始め、鉄道の開通もあり、西須磨は多くの華やかな モダンな建築物で賑わいました。
今回はこの辺りに位置する須磨離宮公園とこの公園を挟んで東側にある旧岡崎邸と西側にある旧西尾邸を訪ねてみました。

 まずは須磨離宮公園の正門に入るアプローチ道路で離宮道といわれています、(写真上段:左)
須磨離宮公園正門から松風村雨堂を経て国道2号線に延びる一本道が離宮道です。
 この離宮道は、皇室の別荘である「須磨離宮」の造営と共に築造されたもので、皇族が通る馬車道でした。
 その車道の両脇には、手入れされた黒松の並木がずーっと続き、離宮公園正門側から南に見下ろしても、 山陽電鉄の踏み切りの辺りから北に見上げても綺麗です。
 また、黒松は低木で圧迫感を感じさせない独特の景観を作っています。
 皇族が「須磨離宮」を利用されていた当時は人民道と呼ばれていたそうです。特別な場所であった名残りの道です。

 正門を入ると須磨離宮公園です。(写真上段:中)
 須磨離宮公園(面積58ヘクタール)は月見山とよばれる景観地に位置しており、1907年(明治40年) に大谷光瑞別邸(西本本願寺月見山別荘)を宮内省が買収して、明治天皇の宿泊施設として1908年(明治41年) に起工し、1914年(大正3年)に完成した旧武庫離宮(須磨離宮)でです。(写真上段:右、写真下段左)
 庭園は福羽逸人が設計を行った。当時建設された離宮御殿など建造物群の大半は1945年(昭和20年)に 戦災で消失した。焼失するまで、大正・昭和の天皇陛下やラストエンペラーで知られる満州国溥儀皇帝らが利用していました。
 正面園路や中門広場付近は昔のままで、石積、塀、中門等に旧離宮の面影を残している。
 庭園は可能な限り竣工時の状態に復元整備され今上天皇(当時皇太子)御成婚記念として、1967年(昭和42年)に須磨離宮公園として神戸市に下賜されました。

   東側に隣接する植物園(面積24ヘクタール)は山崎豊子の小説『華麗なる一族』のモデルとも言われ、戦前の神戸経済を支えた 岡崎財閥の基礎を築いた実業家 岡崎藤吉邸があったところです。
 旧岡崎邸の敷地と建物を1973年に神戸市が買収したものです。
 旧岡崎邸の和室は戦災で消失し、洋館は阪神大震災により倒壊ししましたが、今は和風の平屋建が再現されて茶会などに利用されています。この中庭またここからの眺望はまた素晴らしいものです。(写真下段:中)

 神戸・須磨、明治、大正時代に、多くの別荘が建ち並んでいた地域の須磨離宮の西に隣接して、今もモダンな大正ロマンの雰囲気を漂わせて残る旧西尾類蔵邸があります。
今は、神戸迎賓館須磨離宮と呼ばれています。
 1919年(大正8)に建てられ、昭和16年位まで、貿易商の西尾家の迎賓館として使われ、 戦後は、GHQに占領されていた時期もあったそうです。
 1999年(平成11)に、神戸市指定文化財となって、2005年より、改装、増強工事を行い、建物、庭園は建設当時そのままで、2007年に神戸迎賓館須磨離宮としてオープンして、邸宅レストラン、結婚式場として使われています。(写真下段:右)
 設計は設楽貞雄氏で、岡崎財閥の邸宅の建築も手がけています。

 本当にこの界隈、地域には、たくさんのこのような素敵なモダンな建築が建っていたのですね。
 「華麗なる モダンな住まいも 夢の跡」