イタリア旅行記もいよいよ最終章となった。
水の都ベネチア観光を終えて、15:20に専用観光バスで古くからの北イタリアの交通の要所として栄えた世界遺産ヴェローナへと向かった。ベネチアから約125km離れていてベローナに到着したのは17:10頃であった。日本語の上手なイタリア人女性のガイドで市街地を散策した。
ヴェローナは交通の要所として栄え、北アルプスから流れ水豊かなアディジェ川の沿いにある人口約25万人の都市で、中世の13、14世紀にはスカラ家の支配の下で黄金時代を築いた頃のの街並がよく残っている落着いた街である。
エルベ広場、シニョーリ広場、スカラ家の廟等を観光、散策しながらシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」のモデルとなったジュリエット家の建物とバルコニーと庭にあるジュリエット像を見学した。
観光客も多かったが、小生は昨年イギリス旅行でストラトフォード・アポン・エイヴォンのシェイクスピアの生家を観光した記憶も鮮明に残っていて有名な戯曲の舞台を目の当たりにして感慨深いものがあった。
ヴェローナの建物は年代によってゴシック、バロック、ルネサンス様式が使われているが、見事に調和がとられていた。
また、スカラ家と関わりの建物の上にはM字型の胸壁があり直ぐのそれとわかるようになっていた。
それから、古代ローマ時代のほとんどそのままの状態で保存よく残っている円形競技場(アレーナ)を観光した。現在でも毎年7、8月には2.2万人収容のヴェローナ音楽祭の野外オペラの会場として使われていると聞いて驚きでもある。
2時間ほどヴェローナの街の観光と散策をして、最後の宿泊地となるミラノへと向かった。
ミラノに到着したのは21:00頃であった。夕食はレストランでミラノ風カツレツとワインをとった。雑誌でも紹介されているのでミラノ風カツレツには期待したが、薄く叩き延ばしたわらじのようなもので期待したほどのものではなかった。
明けて今回のイタリア旅行の最後は、人口約130万人で首都ローマに次ぎ第2位で、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心都市ミラノの観光地となった。
午後からは帰国となるので午前中だけの観光であった。
8:00にホテルを出発して、9:00頃からのファッションの街ミラノの観光である。
現地ガイドの案内でスフォルツエスコ城からスカラ座、ダンテ像の広場、ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケード商店街、ドウオモを観光散策した。
スフォルツエスコ城はミラノ最大の城でルネッサンス様式の代表的建築である。スカラ座はヴェローナのスカラ家から嫁いできたベアトリーチェのゆかりの建物だが、現在では外装は地味だが内装は豪華絢爛な2800の観客席を持つオペラの殿堂となっている。
ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世゛は十字形の商店街にガラス屋根をかけた商店街で重厚でドウオモ広場とスカラ座を結んでおり、十字中央のドームの天井は人々を魅了しミラノの応接間と呼ばれている。PRADA本店はこのアーケードの一角にある。
ドウオモは幅約93m、奥行約158m総面積約11700m2の大聖堂で136本の天を突き刺すように伸びる尖塔と天井を飾るステンドグラスはゴシック様式建築の一大傑作とたたえられている。
集合まで少し時間があったので、ウィンドウショッピングとガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケードの中にある洒落たカフェで思い出にとカプチーノを飲んで寛いだ(3.5ユーロ)。小さなカップに入った濃いコーヒーを砂糖を入れて飲むのはまたおつなものでもあった。
午後ミラノリナーテ空港から帰国の途についたのであった。
イタリアの旅は南から北までほぼ全土を10日間かけて観光と散策で世界文化遺産(イタリアがも最も多い)の14都市を駆け巡る旅であった。
専用観光バスで移動した距離も全行程2300Kmの及んだ。
22人のツアーでツアーであったが、2日目位から、お互い気心も知れるようになり、和気藹々と楽しい旅にもなった。
イタリアは古代ローマ帝国時代から中世にかけて繁栄し世界をリードしてきた国であることは間違いない。
ただ、政権や支配者がめまぐるしく変わり、陽気なイタリア人の深層には公よりも私優先で身を守る意識があるのかもしれない。
しかし、今回の旅で訪れた街は歴史と伝統が調和し、落着いた街であった。
日本で言えば奈良、京都のような街と言えるのではないだろうか。
建築や橋などの構造物は大理石や石灰岩の石造りで重厚であった。また古代ローマより大規模な建築物を可能としたのはアーチ構造を見出したからであろうと思われた。
気候も地中海性の気候で温暖で暮らし易いと思われる。
(この時期30℃を超える熱い時期であり、また全く雨にも遭遇しなかった。
ただ、移動する専用観光バスは温度調整が不能で車内のエアコンを入れると寒く、薄いセーターを羽織る位で調度良かったのは皮肉なであった。)
旅行中車窓から見える風景は長閑で牧歌的な田園が多かった。
食事も朝食はパンとコーヒーがあればよくて、卵や野菜もなく質素であった。
夕食はパスタ、ワイン、ビール、ケーキ、オリーブオイルでのサラダのようにこれまた贅沢な食事ではなかった。
(英・仏などのゲルマン民族とは食事の内容は違う。)
イタリアはエスプレッソ、カプチーノというコーヒー発祥の地であり、コーヒーにプライドがあるのかスターバックスの店は1店舗もない。何故かマクドナルドの店は主要都市にはあった。
出合ったイタリア人はどちらかといえば意外と素朴でまじめな人が多く、決して軽いチャラッポイ人ばかりではなかった。
何か日本と共通するものも多く、食事も日本人と合い、馴染み易い国であり国民だとの印象を強くもった。
したがって、日本にイタめし屋の多いのも頷ける。
今夏の旅はイタリアの印象を変えてくれた旅となった。
これでイタリア旅行記は完結である。
旅とは良いものだと改めて感じた。
さぁ、次は何処の国をまた旅してみることにしようかな。
(写真上段):左:ヴェローナ市街地、中:ヴェローナスカラ家ゆかりの建築、右:ジュリエット家とバルコニー
(写真中段):左:スフォルツエスコ城内、中:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り、右:ドウオモ
(写真下段):左:ドウオモ内ステンドグラス、中:アレーナ(ヴェローナ)、 右:車窓からの田園風景
水の都ベネチア観光を終えて、15:20に専用観光バスで古くからの北イタリアの交通の要所として栄えた世界遺産ヴェローナへと向かった。ベネチアから約125km離れていてベローナに到着したのは17:10頃であった。日本語の上手なイタリア人女性のガイドで市街地を散策した。
ヴェローナは交通の要所として栄え、北アルプスから流れ水豊かなアディジェ川の沿いにある人口約25万人の都市で、中世の13、14世紀にはスカラ家の支配の下で黄金時代を築いた頃のの街並がよく残っている落着いた街である。
エルベ広場、シニョーリ広場、スカラ家の廟等を観光、散策しながらシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」のモデルとなったジュリエット家の建物とバルコニーと庭にあるジュリエット像を見学した。
観光客も多かったが、小生は昨年イギリス旅行でストラトフォード・アポン・エイヴォンのシェイクスピアの生家を観光した記憶も鮮明に残っていて有名な戯曲の舞台を目の当たりにして感慨深いものがあった。
ヴェローナの建物は年代によってゴシック、バロック、ルネサンス様式が使われているが、見事に調和がとられていた。
また、スカラ家と関わりの建物の上にはM字型の胸壁があり直ぐのそれとわかるようになっていた。
それから、古代ローマ時代のほとんどそのままの状態で保存よく残っている円形競技場(アレーナ)を観光した。現在でも毎年7、8月には2.2万人収容のヴェローナ音楽祭の野外オペラの会場として使われていると聞いて驚きでもある。
2時間ほどヴェローナの街の観光と散策をして、最後の宿泊地となるミラノへと向かった。
ミラノに到着したのは21:00頃であった。夕食はレストランでミラノ風カツレツとワインをとった。雑誌でも紹介されているのでミラノ風カツレツには期待したが、薄く叩き延ばしたわらじのようなもので期待したほどのものではなかった。
明けて今回のイタリア旅行の最後は、人口約130万人で首都ローマに次ぎ第2位で、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心都市ミラノの観光地となった。
午後からは帰国となるので午前中だけの観光であった。
8:00にホテルを出発して、9:00頃からのファッションの街ミラノの観光である。
現地ガイドの案内でスフォルツエスコ城からスカラ座、ダンテ像の広場、ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケード商店街、ドウオモを観光散策した。
スフォルツエスコ城はミラノ最大の城でルネッサンス様式の代表的建築である。スカラ座はヴェローナのスカラ家から嫁いできたベアトリーチェのゆかりの建物だが、現在では外装は地味だが内装は豪華絢爛な2800の観客席を持つオペラの殿堂となっている。
ガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世゛は十字形の商店街にガラス屋根をかけた商店街で重厚でドウオモ広場とスカラ座を結んでおり、十字中央のドームの天井は人々を魅了しミラノの応接間と呼ばれている。PRADA本店はこのアーケードの一角にある。
ドウオモは幅約93m、奥行約158m総面積約11700m2の大聖堂で136本の天を突き刺すように伸びる尖塔と天井を飾るステンドグラスはゴシック様式建築の一大傑作とたたえられている。
集合まで少し時間があったので、ウィンドウショッピングとガッレリーア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケードの中にある洒落たカフェで思い出にとカプチーノを飲んで寛いだ(3.5ユーロ)。小さなカップに入った濃いコーヒーを砂糖を入れて飲むのはまたおつなものでもあった。
午後ミラノリナーテ空港から帰国の途についたのであった。
イタリアの旅は南から北までほぼ全土を10日間かけて観光と散策で世界文化遺産(イタリアがも最も多い)の14都市を駆け巡る旅であった。
専用観光バスで移動した距離も全行程2300Kmの及んだ。
22人のツアーでツアーであったが、2日目位から、お互い気心も知れるようになり、和気藹々と楽しい旅にもなった。
イタリアは古代ローマ帝国時代から中世にかけて繁栄し世界をリードしてきた国であることは間違いない。
ただ、政権や支配者がめまぐるしく変わり、陽気なイタリア人の深層には公よりも私優先で身を守る意識があるのかもしれない。
しかし、今回の旅で訪れた街は歴史と伝統が調和し、落着いた街であった。
日本で言えば奈良、京都のような街と言えるのではないだろうか。
建築や橋などの構造物は大理石や石灰岩の石造りで重厚であった。また古代ローマより大規模な建築物を可能としたのはアーチ構造を見出したからであろうと思われた。
気候も地中海性の気候で温暖で暮らし易いと思われる。
(この時期30℃を超える熱い時期であり、また全く雨にも遭遇しなかった。
ただ、移動する専用観光バスは温度調整が不能で車内のエアコンを入れると寒く、薄いセーターを羽織る位で調度良かったのは皮肉なであった。)
旅行中車窓から見える風景は長閑で牧歌的な田園が多かった。
食事も朝食はパンとコーヒーがあればよくて、卵や野菜もなく質素であった。
夕食はパスタ、ワイン、ビール、ケーキ、オリーブオイルでのサラダのようにこれまた贅沢な食事ではなかった。
(英・仏などのゲルマン民族とは食事の内容は違う。)
イタリアはエスプレッソ、カプチーノというコーヒー発祥の地であり、コーヒーにプライドがあるのかスターバックスの店は1店舗もない。何故かマクドナルドの店は主要都市にはあった。
出合ったイタリア人はどちらかといえば意外と素朴でまじめな人が多く、決して軽いチャラッポイ人ばかりではなかった。
何か日本と共通するものも多く、食事も日本人と合い、馴染み易い国であり国民だとの印象を強くもった。
したがって、日本にイタめし屋の多いのも頷ける。
今夏の旅はイタリアの印象を変えてくれた旅となった。
これでイタリア旅行記は完結である。
旅とは良いものだと改めて感じた。
さぁ、次は何処の国をまた旅してみることにしようかな。
(写真上段):左:ヴェローナ市街地、中:ヴェローナスカラ家ゆかりの建築、右:ジュリエット家とバルコニー
(写真中段):左:スフォルツエスコ城内、中:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り、右:ドウオモ
(写真下段):左:ドウオモ内ステンドグラス、中:アレーナ(ヴェローナ)、 右:車窓からの田園風景