神戸から徒然なるままに

海と山の自然豊かでハイカラな街・神戸より

ロンドン・パリの旅:Part1(イギリス編)

2011-07-28 10:46:05 | インポート
 7月の初旬、某旅行者のツアーでロンドン・パリ8日間の旅に参加した。
 特にロンドンやパリのヨーロッパにはもっと早い時期から旅してみたいという気持ちは持っていたのだがようやく実現することが出来たのでもあった。
 当然ヨーロッパへの旅は今回初めてであった。
 たっぷりとゆったりがツアーの売りであったが、実際はいくつかの名所をあわただしく駆け回るという旅に他ならなかったのである。
 小生が感じたままの旅の思い出を何回かに分けてブログに綴ってみることにする。
 関西国際空港を夜中の23:40にカタール航空で出発し、ドーハ空港で乗換えて、ロンドン・ヒースロー空港にようやく到着したのは現地時間で翌日の13:00頃であった。実に18時間を要した長い飛行機の旅であった。
 飛行機に乗っている間、実に4回の機内食が出され、また飲みものは飲み放題で流石に食い過ぎ、飲み過ぎのきらいはあったがよく食べたものである。カタール航空サービスもまずまずであった。
 (このツアーは直ぐに顔見知りのもなれる合計16名ほどの程よい少人数の参加であった。但し、年齢構成でみると50歳台現役の方は少しいたが、ほとんどは60歳台以上の一度現役を退いたご夫婦連れであった。)
 ロンドン・ヒースロー空港に到着するや否や、今度は、専用の観光バスに乗せられてのロンドン市内の観光となった。現地での日本人ガイドが上手く卒なく説明をしてくれたのでロンドンは初めてあったが少しはわかった。
 市内にある多くの名所の内から、バッキンガム宮殿、ウエストミンスター寺院、ビッグベン、国会議事堂をあわただしく見物して(写真を撮るだけの感じ)、大英博物館を見学して、ピカデリーサーカス、トラファルガー広場を案内されるいう(まるでトコロテンの押し出し方式のような)あわただしいロンドンでの初日の観光が終了した。
 ロンドンは来年オリンピックの開催のために色々と建設がなされているのではなかろうかなぁと想像していたが、現実は既存の施設を使う計画で市内にそのような様子は感じられず、街は普段と同じであろう落着いた雰囲気であった。
 見物しがら、また観光バスの車窓から感じたのはやはり歴史と伝統と文化の香りがする落着いた街であり、市内のダウンタウンには比較的若い人が多く、非常に活気があったこと、また、走っている乗用車をみればベンツ(半分以上)、BMW、VW、アウディ、プジョウ、シトロエン等の欧州車がほとんどで米車のフォードがチラホラ、日本車のトヨタ、ホンダ、マツダはほとんど(全体の1割もないだろう)見られなかった。また意外と小型、中型車が多かった。(アメリカとは全然様子が違う)
 ロンドンは人口では700万人程度といわれているが、外国からの居住者が数多くいること、また、丁度学校が夏休み入ったこともあり外国や地方から修学旅行の時期にもなっていたようで若い人が多く見られ活気があったかもしれない。
 乗用車で欧州車が主力を占めるのは、ディーゼル車で長距離向きという機能面以外に、彼らが欧州ブランドに持っている誇りと堅実性を表現しているようにも思われた。
 明日以降の旅は次回からの記載とする。
 写真は上段:(左)バッキンガム宮殿、     (右)ウエストミンスター寺院
      中段:(左)ビッグベン、国会議事堂、 (右)大英博物館
      下段:   大英博物館展示品 (一部)

        
          
              

なでしこJAPAN!W杯優勝おめでとう!

2011-07-18 09:22:06 | インポート
 女子サッカーのなでしこJAPAN が今日(18日)早朝ドイツ・フランクフルトで行なわれたW杯に世界ランク1位の強豪アメリカをPK戦で破り優勝した。
 日本のサッカー界、女子のスポーツ界にとっては快挙である。
   誠に、お見事であり、天晴れである。心から祝福をする。
 早朝からのテレビ中継をずっと見ていたが、まったく眠気は起こってこなかった。
 体格、体力に勝るアメリカが力を見せつけながら、怒涛の如く攻撃を仕掛けてきた。
 なでしこはしぶとく守り抜き、それでも専攻されるが、執拗な組織攻撃で最後には追いつき、PK戦にもつれ込んだのである。
 PK戦はキーパーのスーパーセイブの連発で遂に強豪アメリカを降したのある。
 この試合をテレビで観戦しながら不思議と負けるような気がしなかった。
 何故なら勝利の女神(ヴィーナス)が最後までなでしこJAPANに微笑んでいるなと思われたからである。
 それは、佐々木監督、澤主将を中心としたなでしこJAPANがチーム一丸となって、W杯優勝という頂点を目指してきた強い思いが結集していたからと思うのである。
 まさしく、「柔よく、剛を制す」ではなかったであろうか。
 睡眠不足ではあるが、心地の良い、頭のすっきりとした夜明けであった。
 それも、なでしこJAPANの清々しい勝利の戦いを観戦できたからあろう。
 暗い、先の見えない世の中(特に政界)にあって、久々の明るい話題(快挙)を提供してくれたと言える。
 再度、なでしこJAPAN に対して「ご苦労様」、「おめでとう」そして「ありがとう」という言葉を送りたい。

神戸・相楽園を散策!

2011-07-15 15:13:51 | インポート
 6月の末、梅雨の合間を縫って神戸散策会のメンバー6名で神戸相楽園の散策と旬の鱧を味わう会を開催した。
 今年は空梅雨の模様で、幸い天候に恵まれむしろ暑い位であった。
 JR元町駅に集合して、ぶらぶらと歩いて約15分、兵庫県庁のすぐ北に土塀で囲まれた所に相楽園がある。
 相楽園は元神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎(旧三田藩主の家老と聞いているが)の本邸に営まれた庭園で明治時代に完成している。
 昭和16年以降神戸市に寄贈され、神戸市の所有となり一般に公開されるようになっている。(入園料は大人200円/人であるが、神戸市に住む65歳以上の老人は無料となっている。)
 名前の由来は中国の古書「易経」の一部にある「和悦相楽(わしてよろこびあいたのしむ)」からとって「相楽園」と名付けられたそうである。
 19,566m2の敷地の中にある庭園は池泉回遊式の庭園で、飛石や石橋を渡り、流れや滝等深山幽谷の景を見ることが出来る。
 ソテツ園や樹齢500年の大クスノキや春のツツジ、秋のモミジも見事であり、また秋には菊花展も催されている。
 重厚な正門をくぐると、旧小寺家厩舎(河合浩蔵氏設計の明治43年頃の建築)、旧アッサム住宅(英国人貿易商アッサム氏が明治35年頃に建てて住んだ建物)、舟屋形(江戸時代姫路藩主が使用していた「川御座船」の屋形部分だけを陸揚げされたもの)の3つの重要文化財が園内に保存されている。
 園内をゆっくりと散策してみると、都会の市街地の中に明治の時代の良き雰囲気を残してくれていて、落着いた気分を取戻させてくれる立派な見事な庭園である。
 灯台下暗しというか、近くにありながら、この閑静な庭園をゆっくりと散策したのは初めてだった。
 参加した散策会員も心の洗濯が出来て、気分もさわやかになったようであった。
 相楽園散策後は、華の湯で汗を流し、我会員の中の名料理長の料亭「ベン」で旬の鱧を味わう会へと移った。
 旬の湯引きした淡路産の鱧を梅酢で食する味はまた格別であった。お互い酒を酌み交わしなら久し振りに楽しいひと時を過ごしたのであった。

 写真は上段  左:旧小寺家厩舎、右:旧アッサム住宅
      中段  左:舟屋形、      右:池泉回遊式の庭園
      下段  左:大クスノキ、   右:石燈籠

          
          
                

新しくなった2代目の余部橋梁!

2011-07-01 14:53:00 | インポート
今回は、兵庫県内にある新しくなった余部橋梁を紹介しょう。
 余部橋梁は兵庫県美方郡加美町香住区余部の山陰本線鎧駅ー餘部駅間にある長さ310.6m、高さ41.5mの単線高架鉄道橋梁です。
 余部橋梁は2代存在します。
 初代の旧橋梁は11基の橋脚、23連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋で、1912年(明治45年)3月1日に開通し、2010年(平成22年)7月16日に運用を終了するまで、98年の永き亘り山陰地方の生活、経済、社会を支えてきたのです。
 この初代の旧橋梁は「余部鉄橋」の別名・愛称で広く人々に愛され親しまれてきたのです。
 旧橋梁は計画、選定(路線・工法)、設計、建設において当時はまだ未熟な我国の土木工学にあり、色々な苦難との戦いでありました。1909年12月に着工し、基礎、橋梁鋼材の製作(米国)と運搬、橋脚の組立て等においては大変な難工事で3年の年月を要して1912年3月に開通したのでありました。
 当時この旧橋梁の開通はこの地方の人々に関西地方とつながり、生活や経済に大きな夢をもたらしたものと想像します。
 この旧橋梁は完成当時「東洋一のトレッスル橋」といわれ、運用終了時まで「日本一」の長さで土木学会による技術評価では近代土木遺産のAランクに指定されていました。
 しかし、冬季の気象条件(雪、風)は想像以上に厳しいものがあり、1986年(昭和61年)12月18日に旧橋梁を香住から浜坂に向かって通過していた回送列車が最大風速33m/sの突風に遭遇して真下にある水産加工工場と民家に転落して6名もの死者を出す大惨事を引起したことは記憶に鮮明に残っています。
 列車転落事故以降、風速規制が(25m/s→20m/s)強化され、運休や遅延が相次ぐようになり、長期的な安全性を考慮して付け替え案が採用されることになったのです。
 2代目となる新しい現橋梁は橋脚4基、橋台2基で構成されエクストラーズドPC橋で、2007年3月に着工し、2010年8月12日に開通し、供用が始まってからはまだ1年足らずであります。
 新しい現橋梁のデザインは旧橋梁のイメージを取り入れ、直線で構成されたシンプルな美しさと風景にとけ込む透明感をコンセプトとしてスレンダーで直線的なイメージの橋梁となっています。
 また、現橋梁は構造面ではより頑強に建設されて風速30m/sまでの運行が可能で、定時性の確保・向上に大きく寄与しています。
 この新しい現橋梁も古い旧橋梁と同じようにこの地方の生活、経済、社会に貢献し人々から愛される橋梁になることは間違いないと確信します。
 なお、古い旧橋梁の橋脚・橋桁の一部は保存され(餘部駅側)今後に活用される予定です。
 日本の土木技術は素晴らしいもので、人々に安心と安全を確保する社会基盤の整備に多いに役立っていることを改めて痛感しました。
 (余談ですが、どこかの訳のわからない政党がコンクリートから人へとおかしな公約を立てて社会基盤の整備を軽視していますが、公約も何一つ実行出来ず、また人々の安心・安全を無視して行き詰っています。今や、この政党は体をなさず、分解寸前となっています。)
 写真の上段は旧橋梁(鉄橋:鋼鉄製)、中段と下段は現橋梁(コンクリート製)です。