雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

文化と文明

2006-09-17 14:07:25 | 時事
世に、「文化」と「文明」なるものがある。

諭吉っつぁんの念頭にあった「文明」とは、異「文化」の背景を持つものみんなが共有できるものだった。現実的には、「文化」しか持たない国もあるが(「教科書問題」参照)、「文明」を基盤にした国際社会で真っ当になることが諭吉っつぁんの目標だった。

そんなことを思い出すきっかけになったのが、今朝の田原さんの番組。総裁候補3人が登場し、そのあと中曽根元総理がコメントした。

気になったのは、歴史認識問題での田原の提言。

安倍さんに日本独自の歴史見解を持てという。

安倍の回答は、先日フジでの秦さんの回答と同じ。歴史認識問題は政治ではなく歴史家に任せるというものである。

極めて現実的なものだと思う。「文明国」同士の問題なら、上坂冬子氏の抗議文(?)で十分のはずだと思うが(つまり条約を楯にする。ところでAmazonでは不評ですねこれ、先日みたら。知らなかった)、歴史認識問題は多分に政治的および「文化」的な問題だからである。

「文明」と対置される意味での「文化」は、各文化圏の経験のようなものだ。例えば、中国の反日感情スタートのきっかけにしても、日清か日露か21か条要求か、つい最近かわからない(歴史を知らないのは最近の日本人だけじゃない)。

つまり「靖国2」にも書いたように、歴史認識が「文化」としてしか語られない国との折衝ではこじれるばかりだといいたい。

韓国の歴史認識も「文化」を出ない。秀吉軍を追っ払ったのは明との連合軍と書かかなかったり、明治政府の日本の通告を「皇」という字を理由に投げ返した「文化」を背景にした外交の仕方を省みることができない国と国際間の対話などできない。

そして諭吉っつぁんのいう「脱亜論」の「亜」は自国の文化圏の価値観しか持てないアジア三カ国(日本を含む)を指していた。


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