雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Dynamism

2007-02-13 09:35:40 | アメリカ
アメリカで Social Security Card をもらうとき、申請書の項目に、White かColor に○をつけろというのがあった。これは何のための区別だろうと思った、「日本人」までいかなくても、「アジア人」くらい選択肢があってもいい、と。

つまり結局 Binary Thinking (二項対立)であって、Pluralism (複数主義:多様に異なるものがその違いが残されつつ相互依存する状態)は扱いにくいということだ。

というのもPluralism は無秩序に似ている。

日本も白村江の戦い以前は、タタラ衆で知られる鉄を作る連中が朝鮮から、また以降は百済をはじめとする渡来人が続々とやってきて、17世紀のアメリカに似ていた。

はじめは近江など京都からそれほど遠くない場所に入植したが、だんだんと坂東にまで進出していく。その際、そうした渡来人よりもずっと早くからきていた、大陸人や南アジアの人々との混血が進む。

ただし表立っては、平安の四姓(源平藤橘)のなかに吸収されていく。つまり御門を中心とした土地安泰システムのなかに併呑され、混乱期(室町~)を経て、江戸を経て、明治維新を経て、日本人が出来上がり、みな素性がひとつでなくなっている。

アメリカも同じで、5年ごとに行われる国勢調査では、人種は自らの申告制になり(2000年)、インディアンが増えたことは「多様な人間」や「ハワイ王国復活」でも触れた。 

アメリカの象徴のひとりであるエルビスからして、自分の人種がわからないのだから、人種は国勢調査の指標にはなりえない。そのうえで自分で勝手に選んでいいというのであれば、意味自体がない。

というわけでNY Times のOpinion欄に、「2010年から国勢調査の調査項目に人種をなくしたら」で始まる記事があった。

面白いのは、それに反対するのは、Racist (差別主義者)のほかに黒人自体がいること。リベラル陣営の大きな政治集団がひとつ消滅することになるのだから確かに大変で、そんな話を聞くと、Washingtonpost のこの記事(Slavery and Remorse)もうがった見方をしたくなる。

同記事によると、Virginia とMaryland で奴隷制度を反省する発現があった。Virginia の州歌からは、darkies などの黒人を連想させる言葉が削除され、Maryland は、奴隷制度に対する profound regret (心からの後悔)が顕された。ただし100年以上も前のことなんだから、現在生きている人間がそれによって罪悪感や法的な報酬は得られないという言明はしっかりとあるらしい。

更にもうひとつWashingtonpostから「Jamestown 400歳を目前に」。

この記事でも黒人の立場は向上したけど・・・という二面性が書かれているように思う。Jamestown での黒人の生活はまさに市民そのものになっているし、大統領候補としてObama もいるとした一方で、Ivy League の大学の学長にはじめて黒人がなったといった話が並んでいるが、こういうことが問題になるうちはまだまだ差別から解き放たれていない。

今挙げたのは、保守対革新という構図の問題だが、僕はなぜかもっと奥深い対立を考えざるを得ないように思う。

回答と思しききっかけを与えてくれたのが、Townhall に「リンカーンの誕生日によせて」と題する記事。リンカーンについて書けば、当然のことながら南北戦争に触れるが、全く南部に配慮がない記事だったので、Lincoln ほか著者もコメント欄でこき下ろされた。

それはいいとして、この記事の著者があるイタリア移民からアメリカを理解するには何をみればいいの問いに、Jazz を挙げているところ。

Jazz 」にも少し書いたが、Jazz という文化がこんなにも世界規模で受け容れられたのは、全く正反対の価値観が衝突しているのに、融合しているところだ。

音楽的には楽器も機能和声も完全に「普遍な」西洋だが、それの用い方に「刹那」(即興)が投入されている。ひとはその両方を求めて葛藤するものだが、この音楽はそれでひとつになっている(もちろん日本の懐石もそうだと思うが)。

もちろんほかにも最下層から経済の上層部へという切り込みもあったろうが、ほかの人種にもないわけじゃなかった。

問題は、既存の「中心」と対決する「周縁」が、「中心」が最も大事にする「普遍」に拮抗させられる哲学である「刹那」によって、「周縁」に属すグループだけでなく、「中心」に属するグループまでをまとめたところにあり、その区分けを消滅させるということは、アメリカ自体が誇るダイナミズムも霧散すると感じるからじゃなかろうか。

追伸:松坂がこれから受けるであろう注目を高校の頃と比較(NY Times)。


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2 Comments

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歴史的にそうした時期? (pfaelzerwein)
2007-02-13 17:41:15
二項対立の解消がダイナミズムも霧散とするのは解るような気がします。そもそもそうした人為的に作られた人種的対立は米国にしか存在しない。

オバマ候補の参戦演説のさわりなどを聞いていると、その解消と広範囲な支持を目指している事が判りますが、米国社会は歴史的にそうした時期を迎えているのか?

ヒスパニア系の進出を考えると、二項対立など実社会には無いような気がしますが。
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Unknown (stone)
2007-02-13 23:48:58
もともと人為的は人為的ですね。

アメリカの60年代からのこういう経験は、多民族が直接せめぎあうこれからに生きないのでしょうか?
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