雨をかわす踊り

雨をかわして踊るなんて無理。でも言葉でなら描けます。矛盾や衝突を解消するイメージ・・・そんな「発見」がテーマです。

Duhka 2

2007-08-24 00:08:54 | 宗教
仏教では、人間というのは究極的にDuhka のなかにとらわれていると考えているように思う。

弁証法でつきつめても必ず矛盾があり、その矛盾が状況で矛盾にならないようにするのが知恵で、この段階では顕教も密教もないと思う。

問題はその矛盾をどのように克服するかで、パラダイム・シフトや弁証法といった克服法も、「人間性(=呪縛からの離脱)」(アドルノ)も、仏教の知恵と、視点の転換、という意味では同じである。

視点の転換というのは、それまで存在しなかったものを浮かび上がらせることだから、奈落の底のような可能性の闇を「無」とするのはそもそもDuhka (浅慮)ということになる。

無と、無尽蔵の空は違うということだ。

これだけでも有無という言語上の二項対立は壊れて、Postmodern という状況は生じる。

最近野口整体系の本を読んでそんな読後感を抱いた次第である。

本を読んでの第一印象は、人体についての密教的な解釈という点で、安保徹さんと似ているということだった。

野口さんも安保さんもいわゆる反対症療法で、対症療法はそのカリソメの状況にのみ応じるわけだから顕教的である。しかし両者とも密教的、つまり人体をひとつの完全体とみて、身体の炎症は肉体がひとつの生を完結するための肯定反応とみるのである。

例えば風邪はウイルスによって起きるかもしれないが、それは誘発因に過ぎず、もともと季節の変わり目や年齢の変化に伴い体内中のバランスを1度壊す必要から生じると説明する。

40肩とか50肩というのは、本来肩が悪いのではなくて、年齢の変わり目に起こる血液中の適応変化が生じ、そのブレのようなものが頚椎に出ただけとする。

問題はそうした環境や肉体自体の変化への対応が起こっているのだから、それを全うさせてやることで、安易に対症療法にいくと、胃潰瘍で済むものを胃がんという形で身体が昇華させようとしてしまうということだ。

第二印象は驚きだった。とうのも安保さんの理論を読んだとき、まさしく密教だと思ったし、これ以上の説明はないと思った(素人がいうのもなんだが)。交感神経と副交感神経と連動する白血球中の顆粒球とリンパ球のバランスが人体という不思議を解くカギだった。

しかし野口さん系の方々は違う種類の二元論でこれまた過不足なく説明する。まず人間がなぜ立っていられるのか。脳天気な僕は、骨がつっかえ棒の役割でもしてるんだろ、と漠然と思っていたが、よく考えるとそんなはずはない。各骨を複数の筋肉が引っ張り合いながら、本来風船のような人間の肉体を自ら立たせているのである。そう考えると、筋肉によって引っ張り合うそのバランス(=二元論)が頚椎から胸椎を経由して腰椎までの椎骨それぞれに変化を及ぼして違和感なり病を引き起こす、という説明になる。

人体の不思議を辻褄が合うように説明する論がふたつ存在することが不思議だったのだ。

おそらく弁証法かなにかによってこれらは一本化できるのかもしれない(僕のような中途半端な知識じゃ無理か?!)。また、脳溢血で倒れたあともその経験を通じて、免疫システムの説明を試みる多田富雄さんやその弟子たちがいることを考えると、結局みなDuhkaなのか、とため息がでる。

そして医学に精通しない僕はこうした言説を処世術に用いようとする。

安保さんと野口さんは確かに違うが似ているところもある。身体には本来必要なものは備わっていて、人間の社会生活やその人体の神秘を無視したときに障りが起こるという密教的な捉え方だ(安保さんによると人間が癌になると最終兵器のようなものが作動する、それさえ抗がん剤でとめるらしい:名前忘れた)。

とすると、人間というのは、日本人が好きな言葉だが、「自然に(自ずから然からざるように)」生きていけばいいのだろうか。自由主義で、Laise-Faire でやっていけばいいのだろうか。拉致させたいものにはさせて、どうみても不公平に格差が生じていくのも放っておくのがいいのだろうか、というDuhkaに到ってしまう。

追伸:僕の場合更に「」をいれてくれると人体の説明としては好ましいと思っていた。そしたらこのほどそうした本もみつけて、かなり喜んでいる。その本は著者が野口さん世代よりもあとなだけに、西洋医学の説明をしつつ、気の説明もしてくれるという一冊あれば何もいらないという著作である。そしてその本にある通り「気」の捉え方を変えて放出したところ、量が増え、疲れが残らなくなった。その本のタイトルは、著者の名は、

・・・

そんな簡単に教えないもんにぃ~っ!


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