小岩井農場を出て、八戸へ向かいました。
盛岡よりも八戸の方が美味しい魚が食べられると思ったからです。
そして、19時過ぎには八戸の繁華街を歩いていました。
しかし残念ながらこの夜、八戸は小雨に濡れていました。
最初に目に付いたコインパーキングに車を入れて、すぐ近くの居酒屋の縄暖簾を潜りました。
「ばんや」というレトロな雰囲気を漂わす居酒屋は、かなり名が知られているらしく、カウンターもテーブルも満杯で、私より遅れて来たお客さんは、女将から「本当に申し訳ありません、満席なんです」と断られていました。
このような店で、長居するのは野暮の極みと言うものです。
馬刺しと焼き魚を頼み、酒もほどほどに、雰囲気を十分に味わって、店を後にしました。
機会があれば、次にまた訪ね来たいと思います。
翌朝は、予定以上に早く目が覚めたので、種差海岸の葦毛崎へ行ってみました。
しかし残念ながら。陽が登るはずの水平線上に雲がかかり、期待していた日の出を見ることはできませんでした。
以前の紀行文で記したように、人生と旅は、3割程度の「当たり」が出れば「良し」とすべきなのです。
「当然だよね」と呟きながらも、「残念」の一言を置き土産に、国道45号線を南へ下り、三陸海岸を目指しました。
朝靄の中に続く国道に家屋の姿は僅かで、交通量は少なく、信号も殆どありません。
実は私は、東北大震災の前年の夏に、この道をドライブしています。
その時は、久慈市南の北山崎海岸などを訪ね、偶然目にした田野畑村の旧島越駅駅舎などにレンズを向けていました。
しかし2011年3月11日の大震災で津波がこの地を襲い、この瀟洒な駅舎は、波の狼藉を受け、跡形もなく破壊され尽くしてしまったのです。
2010年8月当時の旧鳥越駅駅舎
今回は、その時以来となる二度目の訪問ですが、北山崎園地の海岸線の景色は当時と変わらぬ表情で私を迎えてくれました。
三陸海岸は、過去に何幾度も津波の被害を被ってきましたが、目の前の景色、そのような痕跡を感じさせるものは全くありません。
更に、前回の旅では気付かなかった、海岸丘一面に広がるアカマツ林の、見事さに目を奪われました。
松といえば、幹を左右に捩り枝を伸ばすイメージが浮かびますが、この松林のアカマツは地表から空へ向かって真っすぐに幹を伸ばし、陽の当らぬ場所の枝葉は殆どが枯れ落ちていました。
昨日、小岩井農場で見たアカマツも同じような姿だったことを思い出しました。
針葉樹は全ての種がこのように真直ぐ空に向かって伸びる姿が本来の形なのかもしれませんが、どうなのでしょうか。
このような視点から、日本全国に木々の姿を眺め歩く旅も楽しいかもしれないと、そんなことを、ぼんやりと考えていました。
海の青と、松の緑。
それらを優しく包む海霧の中で、有るがままの全てを見つめ受け入れたいと思う、有るがままの私が居ました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。