絵を描こう 旅に出よう

死ぬまでわくわくしていたい。
73歳、自分の記憶のためのかなり個人的な日々の備忘録。

妹のこどもになって

2014年01月30日 08時50分55秒 | 日記
娘は今回音楽を作ってCDを出すそうだが
その音楽について、彼女は自分のブログに、姉についてこんな風に書いていた。

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彼女がいなくなって10年。
10年前のその時、17歳になりたての私はこのまま自分の人生を生きるのかはたまた彼女の人生を生きるのか?などと真剣に悩んだ末に結局はなんとなく前者に。
しかし10年かけてしっかり溶け込んで、もうこれはいまや選ぶ必要などないこと。
そう誰が何と言おうと私の音楽は彼女が作った。
そしてこれから何でもできる、それくらい熟した。


13の正体。
世界に紹介したい。そろそろいいと思うの。
可愛くておかしくてぶっとんでて、弱くて強くて優しいmy sister...
歌声は甘くてパワフルでユーモアたっぷり、最高だったよ。

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可愛くておかしくてぶっとんでて、弱くて強くて優しい・・・
ほんとにそんな子だったよね。

彼女が亡くなってお葬式までに3日ほどあったのだが
その間、彼女のそばにふとんを敷いて寝ていたのだが
その朝、ふと目覚めたとき、「こんどは○○ちゃんの子どもになってくるからね」
という声が聞こえた。
妹の子どもになってまた生まれてくる?
そうなんだ~~と妙に納得した。
それからひそかに孫が生まれるのを待ってたけど
27歳の妹、なかなかそんな気配なし。

もしかしたら
子どもになって、と言う意味は
妹の作る音楽になって、という意味だったのかな~~

たしかに
妹の作った音楽の中の声
姉にそっくり。

そんなことを考えている朝です。

イルフ童画館

2014年01月25日 09時46分51秒 | 旅行(灯台など)
きのうは朝になって夜の教室がキャンセルになり
ではお休みをいただいていた保育園に連絡して仕事しようかと思ったが
いやいや、せっかく一日ぽっかりとあいたから
小旅行してこよう・・
ということで
岡谷のイルフ童画館へでかけた。
夜帰れなかったらいけないので猫の水はどんぶりを2つにして。
(えさは食べ放題状態なので心配なし)

中央線、甲府まで特急あずさで、あとは各駅停車で。
岡谷はいつ降ったのかわからない雪が道路の端にたまっている程度で、雪景色というわけにはいかなかった。
イルフ童画館というのは武井武雄の記念館である。

とても立派な建物だったが、お客はわたし一人だった。冬の平日の夕方、しかたないだろうけど。
童画という言葉を作ったのは武井武雄だと説明されていた。
彼は造本作家でもあり、刊本とよばれる彼の作った本は手のひらに載るほどの小さい絵本で、一つ一つが布できれいに装丁されていた。

絵葉書を買った。

これはクレヨンと水彩で描かれたもの。

街には人が少なく、駅前の商業施設も閑散としており、寂しいところだった。

うなぎ弁当とビールを買って帰りのスーパーあずさに乗る。暖房効きすぎ。
金曜日の夜の中央線特急には単身赴任から週末帰宅するのであろうビジネスマンばっかりだった。
9時ごろ帰宅。いつも保育園から帰る時間と同じだった。

そうそう、イルフというのは「古い」のさかさま読み、古くないということを意味する武井の造語だそうだ。

クラシックとの決別?なん・・・

2014年01月17日 08時47分31秒 | 日記
また忙しい日常が始まっている。

ウィーンから9月にもどった娘が
1月13日、姉の10年目の命日に
リサイタルを開いた。その日も寒い日だった。
都心の教会のホールで。

いちおうクラシックのリサイタルではあったのだが
バッハ、グノー、イザイ、プロコフィエフ、ジョン・ケージ、・・と続き
最後のアンコールでは自作の曲を演奏して
なんとそれはクラシックからの決別を宣言するリサイタルであった。

クラシック好きなわたしとしては
退屈な現代曲をながながと聴かせられるのは苦痛でさえあり・・

クラシックは何百年も演奏され続けてきた。時という試練に耐えて。
それだけ価値のあるものなんだ!
現代曲のいったいどれだけのものが100年後にも演奏されるか?

それに、クラシックは技術的に極められている。
彼女は「パガニーニの超絶技巧などは別の人にまかせる。わたしは自分だけにしかできないことをやるんだ」と言っている。
それは技術を磨く苦労からの逃げではないのか?

おおきなコンクールで入賞できるようなレベルではない彼女が進む道としては
正解なのかもしれない。
今自作の曲を7つのCDを作っている。
バックミュージックとして流すにはいい感じ。

いったい彼女はウィーンで何を学んできたのかな?

いや、きっとクラシックのすばらしさを再認識する日がくるだろう。

いや、というわたしはまだまだ心が狭いのかもしれない。
プロコフィエフがそうであったように
自由への渇望は既成のものを超えていこうとさせるのかもしれない。

いやいや、村上春樹だって言っている。
時をへて生き残っている古典の価値を。

クラシックのための技術を失わないように
これからもひきつづけてはいくように
メールで伝えたら
それには同意していた。

まぁ、これからを楽しみに見ていよう・・・




御前埼灯台

2014年01月03日 22時05分58秒 | 旅行(灯台など)
忙しかった2013年
しごと収めが28日。
29日は友人がお茶にきてそのあとクリニックへお薬をもらいに。
そのあと娘のところへプロジェクターを届けにいき、そのまま恵比寿まで送る。パーティだそうだ。

30日はずっと寝ていた。疲れてるんだ。
でも元気になり、夜、「かぐや姫の物語」を観にいく。

大晦日はいつもと違う大晦日だった。

午前中、急におもいたって御前埼の灯台へ!
静岡より先か・・まぁ、なんとか行けるか。
思ったより遠かった!!高速も最初のほうは混んでいて・・
4時までに着かないと灯台に登れない。
でも遠い。高速おりてから35分と書いていたのに一時間かかった。
4時には間に合わず、でも窓口にまだ人がいて、はんこだけは押してもらった!

これで灯台見学記念チケット11枚のうち
犬吠埼
入道埼
御前埼
3つ行けた。
あと8つだ。
観音埼と野島埼は近いのでいつでも行けると思っているのに
それさえ行けてない。
チケットのつづりを買ったのが平成12年。なんともう14年もたってる!!
それなのにたった3つ?
このペースじゃあ生きてるうちにだめだ。よし、今年は観音崎と野島崎と大王崎と潮岬
制覇しよう!
沖縄の平安名埼はいついけるだろうね・・・
全国に11個しか参観のできる灯台がないなんてね・・
福島の塩屋埼はもうのぼれないかもしれないね。

御前崎
「喜びも悲しみも幾年月」の舞台になった灯台。
あの映画は母に連れられて映画館で見たのを覚えている。
「おいら岬の灯台守は、妻と二人で沖行く船の無事を祈って灯をかざす灯をかざす」という歌はいまでも歌える。
灯台守の仕事はもうなくなった。

すばらしい海だった。地球が丸かった。
夕陽が沈むのを見た。今年最後の夕陽。今年の無事を感謝した。
夜になって灯台に明かりがともり、光のリボンが遠くまで走る。
灯台のすぐそばの紀行茶屋で夕食。客はわたしだけ。
お店のおばさんたちの訛りが、ああ、ここは東京からは遠いところだ、と思わせる。
午後6時。海はすっかり暗かった。
帰り、大晦日の夜の上りの東名高速道路はすいている。
足柄パーキングエリアで温泉に入った!
いい大晦日だったなぁ・・


そして2014年、あけましておめでとうございます!

元旦に娘と息子がいれちがいでやってきた。息子は泊まる。部屋はないからリビングに。
すき焼き食べさせる。
今年はまったくおせちを作っていない。一人のお正月がはじめてなんだよね、考えてみると。

2日、息子は昼まで寝ていた。
せっかく来てるのに、母は遊びにでかけるわけにもいかず、ずっと読書。

この二日間ずっと「ソロモンの偽証」を読んでいた。
700ページが3巻。
まだ3巻目読了していないけど、こんなことしてたら貴重な休みがなくなる!
それで、最後だけ先に読む。あーあ。

気づくともう3日が過ぎたのか・・・
読書って、いいんだけど、なんか時間がもったいないともいえるなぁ・・・今のわたしには。
とくに長編はよほどいい本でなければあとでなんだかむなしい。
宮部みゆきは、きらいではないけど何日も貴重な休日をかけるほとではないと気づいた。
「ソロモンの偽証」タイトルの意味がわからないままだ。

年賀状を書く、ようやく。

あしたは保育園の友人が来る。
あさってで年末年始の休日は終わる。きばかりあせってなにもできないまま終わりそう。

今年は絵と旅、ちゃんとやる。
これに尽きます!
工夫すれば時間はとれるはず。
保育園は減らす!
ていねいに生きないともう残り少ないのだから。

色とりどりできらきらした小さい絵本を作りたい。
手のひらに載るくらいの。
真四角で。角は丸くて。