絵を描こう 旅に出よう

いつもわくわくしていたい

娘の唄

2021年09月22日 08時10分47秒 | 日記

久しぶりにここへ戻ってきました。ときどきインスタには短く投稿はしてるけど。

 

今朝は狐の嫁入りみたいな雨が降っています。

10月に展覧会をすることにしたのに、まだ準備ができてません。

先日は懐かしい神戸に行ってきました。小学校からの友だち三人と、職場での友だち一人と会ってきて、その日のうちにとんぼ返り。神戸はいつ行っても懐かしい空気、懐かしい山、懐かしい海。震災であちこち変わったけど、変わらないものがちゃんと残ってる。

ときどき行こうね、後何回いけるか、わからない。

 

こちらに帰ってきて、何年越しかのしごとを成し遂げた。亡くなった娘のバンドのライブ動画をYouTubeにアップ!歌詞をつけて。

歌の字幕を入れるのはわたしには至難の業だったよ。丸々3日間どこへも行かないで集中したー!何回もやり直して。一時間の動画なので長かった。できあがったYouTube番組をみんなにお知らせした。送りつけられた方も迷惑だったかな。ちゃんと見てくれで感想を送ってくれた友だちもいるよ。

今回初めて娘たちの歌の歌詞をじっくりと読んだ。もうすぐ死んでいく女の子がこの歌を歌ったのかと思うと涙が出てきてしまう。あの子は知っていた、自分の命がもうすぐ終わること。「あっけなく死んでくためでも、命がけで生きてゆくだけ」って歌ってる。「真っ白な子鹿には生まれたときからおとなになれないのろいの魔法がかかっていて」という歌詞もある。   このライブの4か月後に彼女は死んだ。ソニーミュージックの人から声かかってた、というのはほんとうらしい。

 

わたしにあの子が与えられたのは、どんな意味があるのだろう。いつも考える。もう一度だけ、あのことお話したい。夫婦げんかをして「あたしのせいでお父さんとお母さんがけんかしてる」と思わせたこと、あやまりたい。お父さんの虐待にも近い精神的プレッシャーから守ってあげられなかったことをあやまりたい。お父さんの制限におびえないで自由に生きてとあの子に反対に励まされた。ありがとう。あなたのおかげで自由に生きる道を選べたよ。(彼女は、図らずも、経済的にわたしを応援してくれた)  心のどこかでもうすぐ死ぬと思っているってどんなかんじだったろう。死にたくないのに死ぬことになる恐怖。母には、ハチャメチャな娘の行動が理解できなかったけど、そんな言葉にできない不安の中で彼女は必死に歌っていた。

2002年、家出先の南浦和のアパートに17歳の彼女を迎えに行ったときに、最後のごみをすてるのにごみ置き場に歩く彼女を見てたとき、その透明なたたずまいにはっとしたことを今も思い出す。細く、色が白く、あ、透明だ、と、なぜか思った。彼女のコートの中には拾った子猫がいた。

家出から帰った娘は、2002年秋に立山のロッジでバイトをした。標高2800メートルの室堂で。空気と高山植物と星空の美しい場所。白いギターを持って行って、そこで歌を作ったらしい。なんせハチャメチャな子なのでかなり迷惑かけららしい。でもかわいがられてもいたらしい。山が閉鎖されるまでいて、何十万円かのバイト代もらって帰ってきた。

その後2003年末1月からバンド活動。中野あたりに友だちとアパート借りて、ケーキ屋とかでバイトしてたっけ。ボヤ騒ぎや落書き現行犯で中野警察に呼ばれたなーしばらくしてアパートに暮らしをやめてうちに帰ってきた。近所の府中のライブハウスに仕事を見つけたから。

結局そこの仕事中に夜中、トイレットペーパーを買いに甲州街道のドンキホーテに行く途中で後ろから来た無灯火のバンにはねられた。反対車線のパジェロミニにぶつかり倒れた。2003年12月23日。

意識のないまま3週間、なくなったのは2003年13月13日。

運命の数字13。生まれたのも13日だった。

時計の針が13の文字で止まる、という予言の歌詞もあった。

連れてきた猫はその後19歳まで生きた。彼女と同じ年月を生きた。

ふう。

いい仲間がいて、波動の合うバンドができて、ほんとによかったね。あの子たちにも心から感謝してる。みんないまはママになったりして穏やかに暮らしているよ。

魂の生まれ変わりはほんとにあるのだろうか。

もううまれかわって来てるだろうか。こんどは長く生きて、自由に楽しく才能を花開かせてね。

 

わたしも彼女に見習って、殻をもっと破りたい。

 

さて、前を向こう。

きょうからまたガラスに向かう。昨日ガラスを注文した。模写作品は30枚できてるけど、やはりオリジナルも描きたい。猫のリクエストもある。なにを描くか、殻を破る、これが課題。

 

知ってる人がだれも読んでない(はずの)このブログ。独り言にはちょうどいい。