Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『さよなら公演 十二月大歌舞伎 昼の部』 1等2階前方下手寄り

2009年12月26日 | 歌舞伎
歌舞伎座『さよなら公演 十二月大歌舞伎 昼の部』1等2階前方下手寄り

千穐楽。3回目にしてようやく最初の二演目『操り三番叟』『野崎村』を拝見。『身替座禅』が相変わらずとっても良くて、そして『大江戸りびんでっど』がビックリするくらい面白くなっていました。ここまで持ってきた役者とクドカンに拍手。クドカン、細かく手直ししてきていました。最後まで面白くしようって努力してくれたんだなって思いました。初日に比べ脚本も演出も流れがすごく良くなってました。それに加えての役者さんたちの熱演に本当に楽しくてワクワクしました。観客の反応もよく芝居に含まれていたカーテンコール以外に2回ありました。1回目はクドカンがご挨拶「また観に来てください」と。幕が閉まり追い出しの太鼓が鳴っても拍手が鳴り止まず、2回目のカーテンコール。 染五郎さんが一言「これは歌舞伎です!」。

『操り三番叟』
翁@獅童さん、ひどいと聞いていたので身構えましたが、思ったほどは悪くなく。姿がいいのでそこそこ様になっていました。腰は入ってないけど背筋をまっすぐに伸ばして丁寧に踊っていたので良しだと思う。そもそも、格のある存在感がなくてはいけないこの翁という役を獅童くんにやらせたほうが…。

千歳@鶴松くんも丁寧にきっちりと。

後見@松也くん、やはり丁寧にしっかりと。姿勢が綺麗ですし操っているという意識を忘れずに演じていたと思います。余裕がなさげで、その部分で人形遣いという役として前に出てない感じはありましたが。

三番叟@勘太郎くんは期待しすぎたかも。もっと「うわあ」って思わせるものが欲しかった。勿論、踊り上手な勘太郎くんですからしっかり踊っているしよく動いている。でも、操り人形ぽくない。自ら動いてしまっているというか普通の人間の重さが残っていて木偶の軽さをあまり感じない。糸で操られているという人形にはあまり見えなかったな。操られているという部分はあるのだけど糸人形が三番叟を踊るというこの舞踊の面白さの部分はまだまだ出てなかったと思う。ふんわり足が地につかない重力のなさを感じさせ、また鳥跳びでかなりの高さを一気に跳びあがり一瞬空で止まっているように見せた染五郎さんの『操り三番叟』を観ているので、ついそれを求めてしまう。勘太郎くん、膝を痛めたせいかまだ以前ほど飛べないのかな。

『新版歌祭文 野崎村』
それなりに見せてきた芝居だったとは思うのだけど、核の部分が揺らいでるというか…人物関係のバランスが悪いというか…。個人的に観ていてちょっと据わりが悪かった。

お光@福助さん、国立で演じた時も若干作りすぎと思ったんだけど、今回ますますマンガチック…。お光の素朴な可愛らしさがあまり伝わってこない。顔も声も作りすぎというか、色々と大袈裟。分かり易いを超えてる。もっと押さえても十分伝わると思うんだけどなあ。自然に出た表情、仕草にみえないのでお光の純な部分の切なさが見えてこない。最後も泣きすぎじゃないかなあ。なんというか、健気の部分が押し付けがましく感じてしまう。福助さん、お光の柄じゃないのかも。お染のほうがいいんじゃないかしら。

お染@孝太郎さん、この方はどちらかというとお光役者だと思うんですが、今回はお染。どうかな?と思っておりましたがきちんと大店のお嬢様に見えました。はんなりと世間知らずなところとか、少しばかり動きすぎな気もしたけど仕草の可愛らしさで可愛いらしい娘と評されるのもそこそこ納得できる。また、ふんわりした自然に滲む色気はあまり無かったけど、一番大事なところの久松一途な強さがあって良し。福助さんに負けない格のあるお染になっていて感心。ただ、やっぱり孝太郎さんはお光で観てみたいかなあ。

久松@橋之助さん、なんか違う…。綺麗な顔してるんだけど久松の柄ではないよね。こういう受け味な役に必要な柔らかさとか自然なふんわりした色気とかが。それになんというか、一番必要な部分で優しさが見えてこない。お染に対する愛情とか、久作やお光に対する申し訳なさとかがしっかり表現できてない。ただの優柔不断な男だよな、これでは…。うむむ、久松ってかなり難しい役かも。

久作@彌十郎さん、出すぎず、かといって下がるわけではないバランスのいい芝居をしていたと思う。久作の立場、そして親心がよくわかる。

後家お常@秀調さん、しっかりものの後家さんという雰囲気。思った以上に存在感もあってなかなか良かったです。

『身替座禅』
今月3回目の拝見ですが、観るたびにこれはほんとに良い『身替座禅』だなあという思いが強くなる。芝居としての面白さもさることながら舞踊としての面白さも伝わってくる。凄いなあ、ほんとに凄い。振りの意味がここまで明快に伝わってくると観ていて気持ちがいいし、楽しくなってくる。

山蔭右京@勘三郎さん、観客におもねることが一切なく、ふんわり、ふんわりと右京を描写していく。いたずらっ子のような可愛らしい右京です。また右京と花子の踊り分けも見事でいかにも色気のあるやりとり。

玉の井@三津五郎さん、品がよくいかにも育ちのいい奥方。旦那が大事すぎての嫉妬心が可愛らしくも恐ろしい玉の井です。三津五郎さんが演じると、その場、その場の玉の井の心持がすべて伝わってくるんですよねえ。

太郎冠者@染五郎さん、おろおろと右往左往してる様が情けないけど可愛い。右京一家のことがとっても大好きな太郎冠者だなあ。ちゃっかりとしていながらも家来としての愛情が伝わってくる。玉の井を表現するとことか、山ノ神って言いながらもちゃんと可愛いもんね。

千枝@巳之助くん、小枝@新悟くん、二人の息が合ってきてていました。相変わらず初々しく可愛い侍女二人でした。

『大江戸りびんぐでっど』
とにかく楽しかったです!!自分でもこんなに楽しめてしまうと思わなかったくらい楽しめてしまった。

初日と12日(土)の前半日程を拝見しています。そこから比べると芝居の流れやメリハリがかなり良くなっていてビックリするぐらい面白くなっていました。細かい部分で演出をかなり手直しをしてきていて、描きたい部分をだいぶ明快にしてきたのと、役者さんたちの間のつけ方も緩急が利いて全体的にグルーブ感があったと思う。新作ならではの進化ぶりを拝見できたのが嬉しかった。この芝居のクドカン流のテンポに乗れると一気に乗れる。個人的に3回目というのも効を奏したのかもしれませんが乗れてしまいました。

勿論、前回感じた脚本の練り不足や説明不足、ごちゃごちゃとネタを入れすぎた冗長さは感じなくもなかったですが、役者さんたちの勢いもあり面白さのほうが勝ったと個人的に感じました。

最初の出だしからもうただひたすら楽しかったし、ワクワクしたし、切なかったし、ハラハラしたし、舞台の上にいる役者さんたち皆を「大好きだ~~」って思えました。

半助@染五郎さん、今回本当に前のめりな芝居をしてきたなあと思います。賛否が激しいことはわかっていたでしょうし、客席の雰囲気もいつもと違う。そういうなかで迷いなく演じてきていたなあと。そういう染五郎さんがとっても魅力的でした。染五郎さんには独特の愛嬌がありますよね。染五郎さんはわりと人たらし的な役を演じることが多いですが、ふわっとした愛嬌や真っ直ぐな雰囲気で人の目を逸らさせない魅力がいつもそこにあると思います。また、それだけでなく、その人物像の心の揺れを丁寧に拾い出して体現してみせる。そこから善の方向へも悪の方向へも迎えるだけの幅の広さがある。芯のあるからこそ、その揺れがてらなく見せてこれるんじゃないかな。

半助@染五郎さんはやっていることは情けないくらいの小悪党なんだけど、根の部分でとても純なものがみえる。かなり卑怯でずるいことをしているのに、悪党という雰囲気を漂わせない。弱さを自覚している、その部分で切なさがある。その部分があるからこそ、後半の新吉との対峙が活きてきたと思う。自分が何をしたいのか、何を求めているのかがわからないままに新吉を刺したことで業を背負う。半助にとって「本当に生きる」ことが出来たのは江戸でお葉と出会った瞬間から。お葉と一緒に暮らす、守ることでようやく足が地についた。自分がゾンビと思い知った瞬間の「うめえ」の慟哭は哀れだ。「生きる」ことを知った人だからこそ哀れなのだよなあ。でも、お葉ちゃんに救ってもらえるのがずるいよね(笑)。ハッピーエンドなんだかバッドエンドなんだか分らないけど、お葉ちゃんのために生きられるんだから半助は幸せでしょう。

お葉@七之助くん、活き活きと楽しそうに可憐なヒロインを演じてきた。内に秘めた女の強さや自覚のないしたたかさが嫌みじゃなくお葉の魅力としてあったと思う。お葉は決して流されない。きちんと自分の人生を選び取るだけの強さがある、そしてそれをまっとうする潔さがある。だから凛としている。そのぶれなさがいいなあ。お葉は島の暮らしをどう思っていたかはきちんと描かれなかったけど、暗い小屋で毎日仕事をしているうちに、ふと外の世界に憧れたりもしたのかなって思う。

新吉@勘三郎さん、存在感あります、やっぱり。汚いなりでぞろりと歩くだけで、目を惹かせるんだから。島で半助がなりたくてもなれなかった存在が新吉。この存在感がなくては新吉は勤まらないですね。

新吉は生き延びたけれど、生きていく業を捨ててしまったんじゃないかなって思う。生きていく目的意識を失くしてしまった。死ぬことを望んでいたかのようだ。どうしてなんだろう?江戸でなぜ漫然としていたんだろう。もっと早くに半助に罪を突きつけるこができたはずなのに。そこら辺、もう少し描いてくれたらなってやはり思いますが半助と新吉は合わせ鏡的な存在だったのだろうなとは感じました。

四十郎@三津五郎さん、楽しすぎます。ナナメ45度の四十郎さん、なんかとにかく良い。カッコイイというか可愛いというか(笑)。この人も本来はとっても卑怯な小さい人間(ソンビ)なんですよね。でも期待されることで真っ当な道を見出していく。

与兵衛@亀蔵さん、成り切っていましたね~。ゾンビがなんたるか、ってとこ、一番よく表現されていましたし、とっても可愛気で愛すべきクリーチャーだった。「ゾンビ、可愛いっ」て思っちゃいけませんかねえ。

女郎お染@扇雀さん、はっちゃけてました。そのなかできちんとお染なりの矜持があるってところを見せてくるのが上手いなあと思う。

大工の辰@勘太郎くん、やっぱり私のなかでは『決闘!高田馬場』の又八の成長した姿だなあ(笑)。ゾンビになった時にカラーコンタクトを入れてたみたいです。不気味だった~。

佐平次@井之上隆志さん、いい味出されてしたねえ。軽妙な存在感というか。個人的に声がとっても印象的です。

根岸肥前守@彌十郎さん、ごつい男性だけど中身が乙女なクドカン流のポイントキャラに嵌りすぎ(笑)。彌十郎さんてなんでもこなしますよねえ。最初見た時に「あ、古ちんキャラだ~」って思ったんですが、参考にされのかしら。

町娘@小山三さん、可愛いです。ええ、ほんと可愛いです。舞台写真買ってしまいました。長生きしてくださいね。

もったいない使われ方をした役者さんも多いですが、それぞれの役割を忘れず、その佇まいできちんといる。ゾンビたちは元の顔がわからず終いな方々が多かったんですが気を抜かずきちんと演じて、しかも後半、個々、そのキャラクターとして進化していました。そういう部分含めて皆、頑張ってるし凄いなあって思いながら拝見しておりました。

今回、なぜこんなに楽しく観られたのか、なんて考えてたら、そうそう実は私クリーチャーものが大好きなんですよね。なぜ今回の『大江戸りびんぐでっど』が妙にツボに入ってるのかピンと来なかったんですが、3回目にしてようやく、だって私、業を背負ったクリーチャーもの大好きじゃんと(笑)。モダンホラー大好き人間なのになぜその部分思いつかなかっなんだろうって感じですよ。

それと初日に観劇した頃には底辺にある本筋の半助~お葉~新吉の関係の物語にその業の部分が見え隠れしてはいたけど、脚本的にあれこれ詰め込みすぎたせいでまだこの三人の関係がしっかり表に出てきてなかった。そのせいで何が自分の好みだったのかが見えない部分あったのかもしれない。でもクドカンが演出と脚本を整理してきた部分に加えて染五郎さん、勘三郎さん、七之助くんの三人が書き込みが足りない部分をだいぶ補った芝居をしてきていた(業を背負った男、捨ててしまった男、そして選んだ女としてそこにいてくれたこと)という部分で、ああそう、これやっぱり好きって思わせてくれた気がする。

私はホラー好きとはいえソンビに関してはザンスの「ソンビの頭」束ねるゾンビたちしか知らないからなあ(知ってる人いるかしらん)。ザンス世界のゾンビたちはその性質(動作がのろく言葉もハッキリしない、など)が属性としてあるのよね。こういうお約束を知っていただけでも理解の助けになったりしたのかなぁ。幽霊は幽霊として受け入れるように、ゾンビという存在をゾンビとしてそのまま受け入れることが出来るか出来ないかでも今回の芝居の見方はだいぶ変わってしったのかなと思ったりも。説明って必要?

今回、たぶん一番観客に引っかかりを与えたと思われるのがゾンビを「ハケン」と言い換えてしまったことだと思います。「ハケン」と名づけず「存鼻」のままのほうが観客が彼らをどう受け止めて観るかの部分で想像の余地を与えるし、「ゾンビ」というクリーチャーの存在をそのまま受け入れる余裕も出来たと思うんですよね。そうすればクリチャーの哀れさも人間の哀れさも同列として感じることができる。今回の「ゾンビ」の立場はいつの時代にもいる虐げられる存在・異の存在としてのメタファーにも成り得たと思います。また「人って何?」「人間らしいって何?」ってそれこそ形而上の問題提示もすんなり受け止めてもらえたんじゃないかなあ。それと何よりクドカン流の「日常を生きてくこと」へのエールや「自分らしく生きていくこと」へのゆるやかな肯定がきちんと主題として浮き立ったんじゃないかと。そういう意味ではもったいない出来だとは思います。

「ハケン」と名付けたいう部分で、「派遣」に対する差別意識があると取る人もいますがそれは違うだろうと思います。この芝居、「ハケン」を描いたという部分では十分な社会批評とまではいっていませんでした。が、芝居のなかの「ハケン」は今の日本の社会の「派遣」の立場をそのまま提示し、現在日本の社会問題としてあるそのものをそこに表現してはいます。クドカン、派遣の立場をよく調べてきたなとは思いました。実際問題、こうなんだよね、って部分をてらいなく乗せすぎたかもと感じたくらいです。そのまま提示することでかえって何らかの意味を持たせることができなかったかなと。こういうとこも「今を生きてしかないよね」ってスタンスのクドカンらしいと言えばクドカンらしいですが(笑)

あとは、ゾンビの造詣ですかね。いわゆるゾンビそのままの造詣で板に乗せてしまいましたが思い切ってデフォルメ化してもう少し可愛らしいクリーチャーにしたら良かったかも。ゾンビ好きさんたちには、もっとおどろおどろしくないと、と言われるとは思いますが、そこはそれ歌舞伎ですから(笑)、デフォルメしていわゆる一般受け(特に女子に!)する造詣にしてみるのが吉だったかなあとか。

歌舞伎とはなんぞや、なんて境界線を議論してもその境界線は人それぞれだし、歌舞伎座にかける芝居かどうか?なんてところはもう個々の好みに帰結するしかないわけなので、私は『大江戸りびんぐでっど』は「これは歌舞伎です」って言われたら「うん、そうだね」って答えます。だって好きなんですもの、この芝居。私、歌舞伎として歌舞伎座に上演したきた芝居のなかでまったく好みじゃない芝居がいくつかあります。さよなら公演中に上演された別の月の芝居のなかにもあります。私の線引きのなかではこれ歌舞伎?って思ったものも…。でも「歌舞伎じゃないから歌舞伎座でかけるべきじゃない」とは言いません。私がどう思おうと歌舞伎だと思う人もいるし歌舞伎座で、歌舞伎として演じられた芝居を観られてよかったと思う人がいるのであればもうそれは「歌舞伎」なんだなと。それでいいじゃないですかね。観たいと思う人が多ければ「歌舞伎」として後世に残っていきますし、長年上演されなくてもどこかで復活狂言としてまた上演されることだってありますから。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良かった♪ (urasiimaru)
2009-12-29 21:38:45
不評が独り歩きしているような感じですが、きっと進化して面白くなってるんだろうなーと思ってました。この感想を読めてほっとしました。ありがとうございます。
嬉しい(^^) (雪樹)
2009-12-29 22:18:45
urasiimaru様、コメントありがとうございます!はい、かなり進化していましたよ。まさか自分がこんなの楽しむとは思っていなかったので、そんな自分自身にビックリしたくらいです(笑)。感想は本当に素直な気持ち。喜んでいただけてなんだか嬉しいです。