Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

渋谷コクーン『三人吉三』夜の部 1等椅子席センター

2007年06月21日 | 歌舞伎
渋谷コクーン『三人吉三』夜の部 1等椅子席センター

コクーン歌舞伎『三人吉三』を観に行きました。お席は椅子席で列、席番ともにほぼセンター。臨場感には若干欠けますが全体を観るには良いお席です。平場のほうが楽しそうではありますけど腰が弱い私は平場は最初から敬遠。

今回、つくづく思ったのは「芝居小屋」の大きさはやはりこのくらいのキャパが良いんだろうなあ、ということ。金丸座もだいたい同じ大きさですよね。観客を芝居の熱に巻き込むにはこのくらいがBestだろうなと。役者の、芝居自体の意図するものを肉眼でハッキリと感じさせるにはちょうどの大きさ。これ以上の大きさだと熱は拡散しがち。一点に集中させることはかなり難しいだろうと。歌舞伎座や国立大劇場での芝居の時間の流れがまったり見えるのはあの小屋の大きさのせいもあるんじゃなかと。今の歌舞伎のいわゆる通常の演出の歌舞伎も700名程度の小屋でやればかなり濃密に感じるだろうなとそう思ったのでありました。

ええっと、すいませんね、本題になかなか入らなくて。コクーン歌舞伎『三人吉三』感想はどうなんだ?と(笑)まずは黙ちゃん萌え再び。黙阿弥は七五調の台詞の心地よさが売りの戯曲作家とよく言われていますが、私は物語作家として黙阿弥が好きです、ええ。今でいうとノワール系作家ですね。私のイメージ的に黙阿弥は仏ノワール系。大南北は米系かなとか思ったり。

黙ちゃん萌え、になったのは串田演出がかなりテキストに忠実にほぼ正統派な演出をしてきたからです。正統派ってなんだ?と言われたら、正直答えられない自分がいますが。奇をてらってない、テキストを守ってる、歌舞伎役者の持ち味をそのまま活かしているという部分で、かな。

そして、この『三人吉三』という物語を見せるという部分で、今回たぶん一番に「中村勘三郎一座」の役者バランスが良かったんだろうとも思いました。今回配役が絶妙。主要な役を肉親で固めたことによる独特の空気感が、近親相姦、因果応報といったキワードを持つ『三人吉三』をなおいっそう面白いものにしてきたと思います。

勘太郎くんの十三郎、七之助くんのおとせの配役が、まず兄弟でやっていることだけですでにどこか背徳な雰囲気を漂わせ、顔の似通ったものを観客が見出していける部分で、相当効果的であったと思う。また、この二人がいわゆる芝居上手な部分をきっちり見せて、十三郎、おとせの兄妹の物語をしっかりと見せ切ったところに感心した。勘太郎くんは勘三郎さんにかなり似てきたと思う。七之助くんは兼ねる役者を目指すのではなくきちんと女形を目指したらどうだろう。

そして福助お嬢と橋之助のお坊が、やはり兄弟ということで、物語上での兄弟分として惹かれあう「絆」がそのまま表に表れる。そこにもってきて、まさしく兄貴分の勘三郎さんだものね。芸の上で、かなり突出している、というところでも「兄貴分」だし。

ただ、いつもだと勘三郎さん一人勝ちになりそうなところが、今回は和尚、お坊、お嬢のバランスがそれほど崩れていなかった。勘三郎さんの吸引力が夜の部でお疲れか多少薄まっていたように思う。ただ、姿のよさ、感情表現の独特の上手さはやはり見事だ。特に吉祥院での肉親殺しの慟哭は素晴らしいものがあった。

その勘三郎さんに福助さんがかなり拮抗した部分を見せたような気がする。この人のアクの強さがお嬢吉三というどこか異質なキャラクターにうまくハマっていた。そして何より、七五調の台詞回しの謳いあげが上手いこと!単に謳いあげてるわけじゃなく、きちっとそこに感情が入ってる。そしてラストの立ち回りのイッちゃった弾けようが、少年性を帯びていてかなり面白かった。結構、私的ツボなキャラで好き。うーん、私、自分が思っている以上に福助さんが好きなんだわ、たぶん。

橋之助さんはこの二人に比べると少々物足りない部分があった。姿形、声ともにニンだし、過不足はないように思うのだけど、私にはもう少し色気と情感が欲しかった。

そして今回、一番重要だったかもしれない土左衛門伝吉役に、歌舞伎役者ではない笹野高史さん。台詞廻し、体の使い方が歌舞伎役者とはやはりかなり違う。しかし、かなり台詞の言い廻しを工夫もしてきたのだろうけど、違和感なく溶け込んでいた。だけど、どこか決定的に違うものもみせてきた。土左衛門伝吉が生きてきた道筋が体に入ってる。なんというか緩急のつけ方が独特。張った台詞廻しじゃないからこそ鋭く聞こえる言葉に重みがありました。

芝居演出の面では照明がとても良かったです。特に闇の使い方と水のゆらめきの部分が秀逸。芝居に陰影の深みが出る。

音楽の部分はかなり中途半端に感じました。芝居途中、時々エレキギターの音が入るのですが相当、邪魔。聞く側の気持ちが途端崩れてしまう。それとラストの林檎嬢の歌も私には邪魔にしか思えなかった。カテコの曲は楽しくて好きです。ロックを使いたいなら邦楽の下座をよして全編ロックで統一するくらいのことまでやらないとと個人的には思います。

さて、私は串田演出作品、生観劇は今回で4回目。んで、なんといいますか、「面白い」とは思うんだけど私の琴線には触れてこない演出家だったわけです。そして残念なことに今回も「面白い!」とは思ったのだけど、今までの串田演出のなかではダントツに好きなんですけど…、気持ちが粟立つとか昂揚するという感覚としてはどこか物足りないものでした。

たぶんラストの場にカタルシスを見出せなかったということだと思われ。あそこ、盛り上がるとこだと思うんだけど、なぜか役者が前に出てこないのね、なんか小さく見えちゃうの。なんだろな~。和尚、お坊、お嬢の切羽詰った感が、ハッキリ見えてこなかった。これは今回の芝居の流れの演出がこの三人に焦点を当ててないせいだと思う。思い入れは土左衛門伝吉と十三郎、おとせにある。だから、どこか取ってつけたようなそんな感じがしてしまうのだ。それと大量の雪の使い方は面白かったけど立ち回りが平面的すぎる。

串田演出作品を4本観てすべてで、「どこか物足りない」と思うということは、串田演出がどうというより、私の感覚の問題だとしか言いようが無いですね。従来の歌舞伎演出での『三人吉三』のほうが気持ちが昂揚するんですよね。なんでだろ。観客にはかなり不親切な、役者本位の演出なんですけどね。