Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立小劇場『あぜくら会特別企画『沙翁文楽×乱歩歌舞伎 新作の競演』』

2009年08月10日 | 講演会レポ
国立小劇場『あぜくら会特別企画『沙翁文楽×乱歩歌舞伎 新作の競演』』

国立小劇場で行われたあぜくら会特別企画『沙翁文楽×乱歩歌舞伎 新作の競演』に行ってきました。
http://www.ntj.jac.go.jp/member/event/eve090626.html

2008年11月の歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪』(国立劇場)と先月の文楽『天変斯止嵐后晴』(国立文楽劇場)のダイジェスト版記録映像の上映と、鶴澤清治さんと市川染五郎さんのトークショーの二部構成。沙翁文楽と乱歩歌舞伎の宣伝兼ねた企画という感じでしたが司会の水谷アナが古典芸能にとても詳しい方だったので、わりと有意義なトークになっていたと思います。文楽と歌舞伎なので鶴澤清治さんと染五郎さんが絡むことがあまりなく交互に話を聞くという感じにはなってしまいましたが、そこは仕方ないですね。

【第一部】
歌舞伎『江戸宵闇妖鉤爪―明智小五郎と人間豹―」』(国立劇場20年11月公演)と文楽『天変斯止嵐后晴』(国立文楽劇場平成21年夏休み特別公演)のダイジェスト映像を上演。

乱歩歌舞伎のほうは人間豹と明智の対決中心のダイジェスト。物語の流れはわかるようにはなっていましたが観たことある人間にとっては非常に不満のあるダイジェストでした…。個人的に好きなとこがいっぱいカットされてて悲しかった。

文楽『天変斯止嵐后晴』は序幕の嵐の部分の三味線と琴の演奏をたっぷりとって、あとは春太郎と美登里の出会いあたりを。こちらは、東京公演がこれからなのでいかにもプロローグ的なダイジェストになっていました。

【第二部】
鶴澤清治さんと市川染五郎さんのトークショー。鶴澤清治さんも染五郎さんもスーツ姿で水谷アナに突っ込まれていました。「鶴澤清治さんは財界人みたい、染五郎さんは青年実業家、って感じにみえます。」だそうです(笑)

清治さんと染五郎さんは今回初めて一緒に仕事をしたそうです。。染五郎さんは清治さんとのことは何度か拝見させていただいている、とのこと(勉強のために文楽を観ているのでしょう)。

清治さん:

○実は最初『天変斯止嵐后晴』は1991年の英国ジャパンフェスティバルで上演するために2週間で作ったのだけど、色んな理由で持っていけなかった。英国ジャパンフェスティバルには染五郎さんがハムレットを歌舞伎化した『葉武列人倭錦絵』を持っていってたので実現していれば、染五郎さんとは向こうで一緒になっていたはずなんですよね、と。

○『天変斯止嵐后晴』の大阪公演の最初は入りが悪かったけど後半良くなっていった。出番が終わると急いで客席にまわって客の反応を見ながら少しづつ手直しをしていった。新作なので拍手のしどころがわからないせいか静かに観ていたけど幕が下がって沢山の拍手が湧いて良かったと思った。東京公演は大阪の反省を活かして手直して上演する。人形や衣装もいくつか新しくします。

○嵐の演奏はオドロオドロした雰囲気を出すために低音が出る十七弦の琴を使用した。他に高音のでる半弦の琴を使いファンタジックな雰囲気を出した場面もある。

○シェイクスピアは台詞劇。文楽は情景描写が地の文にあり、そこで人形を動かすので台詞だけにしてしまうと人形は動けない。動けるように脚本を考え、また台詞の部分も動けるようにゆったりとした曲を考える。

○西洋の演劇は理を求めるが文楽は情で物語が動く。その情の部分で突拍子もない部分を納得するのが日本人。向こうの人はなぜ?と突っ込んできますから…。(最近の日本人もそうですね(笑))

○昔も西洋の芝居を文楽にしたことはある。小さい頃、いくつか見て子供心に違和感があった。文楽人形に西洋の衣装を着せてやっていたので形が格好悪いんです。そのなかでは蝶々夫人が一番まあまあ見られた、日本人が出てて来るからね(笑)。

○歌舞伎に携わったことはないがスーパー歌舞伎の作曲はしたことがある。

○『フォルスタッフ』は文楽にしてみたい。文楽には喜劇がほとんどないから。私が観た『フォルスタッフ』を演じたイギリスの役者さんが先代の松緑さんそっくりでね、羽目物にすればいいのではないかと思い付いたんです。近松ももっと面白いのがあるので、そこら辺もやっていきたいんです。

染五郎さん:

○乱歩歌舞伎の発案者は私です。20年近くずっと乱歩を歌舞伎にしたいと思っていたので今回、実現できたのは嬉しかったし感慨深かった。

○歌舞伎の新作は普通は沢山ある歌舞伎の引き出しをどう使おうかという部分で作っていく。しかし乱歩歌舞伎は歌舞伎の引き出しをなるべく使わないように作った。その部分で新しい感覚の歌舞伎が出たのだと思う。またそれをやってみたところ歌舞伎の演出の懐の深さを改めて知った部分がありました。

○和太鼓の演奏は新しく作っていただいたものと既存のものと両方を使いました。これはテンポを出したいという父のアイディア。他に新内節(これは染五郎さんのアイディアですね)など、歌舞伎にあまり使わない音を使いましたね。ただ、それだけだと観客が気を抜けないので従来の下座音楽を挟み込みこむようにしました。

○脚本ができても、言葉で表現するのと実際に人が動いてみるのとでは、その通りになるとは限らない。着替えたり、セットを動かす時間もあるので、その時間を取るための場面を設けることもあります。それが不自然にならないように、また必然性があるように工夫もしなければいけない。

○歌舞伎の台本では「ここはよろしく立ち回って」と一行にも満たない言葉で書かれているんですが、ここが大変で…。どうやってそれを視覚化するか考えないといけないんです。

○原作でも歌舞伎もそうでしたが人間豹がどうなったかわかない終わり方。人間豹の最後は、言い出しっぺで演じている自分が見届けなければならないと思いましたので、乱歩歌舞伎第二弾というお話があった時に続編をと提案しました。

○恩田と神谷の二役を演じるというのは自分のアイデアではないです。芝居を作っていくうちに自分でも「なるほど」と思いましたね。

○色々やりたいことはあります。チャップリンの映画『街の灯』を昔『蝙蝠安』というタイトルで歌舞伎化したのですが、上手い具合に翻案しているんですよ。当時、こういう映画が日本に来るらしいという噂だけで歌舞伎化しちゃったらしいんです。今なら著作権問題で犯罪ですよね。当時はそこら辺ゆるい時代でしたから、やれたんだと思います。また色んなことをやろうという風潮があった時代なんですね。それを手直ししてやりたいです。歌舞伎は極彩美が特徴でもあると思うんですが、白黒映画のようなセピア色の歌舞伎というのもあっても良いと思って、どうにかできないか考えています。
 
○今年の乱歩歌舞伎は京が舞台で恩田が最後死にます。教えられるのはそれだけ。あとはお楽しみ(笑)。実は先ほども楽屋で脚本の打ち合わせをしていました。


今、きちんと思いだせるのはこのくらい。もっと色々お話はありました。企画は6時~8時の2時間でした。