Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立大劇場『第9回 松鸚會』 S席1階後方上手寄り

2009年08月15日 | 歌舞伎
国立大劇場『第9回 松鸚會』 S席1階後方上手寄り

松本幸四郎さんが宗家、市川染五郎さんが家元の松本流主催の松本流舞踊会『第9回 松鸚會』を観に行きました。今回、松本幸四郎さん(松本流宗家)、松本紀保さん、松たか子ちゃん、松本金太郎くん、薫子ちゃんが総出演するということ、そして単なるお浚い会ではなく興行の舞踊会を目指した会ということもあり興味を惹かれていきました。

私はこういう日本舞踊流派単体の会に行くのは初めてです。(歌舞伎座興行の『第11回、12回 梅津貴昶の会』と『第50回記念 日本舞踊協会公演』は伺っています)

さて、今回の舞踊会ですが染五郎さんが単なる「お浚い会」ではなく「興行としての舞踊会」を目指した会ということですので、プロの興行としての観点から観させていただきました。その前提での感想なのでかなり辛口です。私は染五郎さんファンですが、どうもいわゆる熱狂的ファン体質にはなれない人間でこういう部分、冷静に観てしまいます。性分なのでご容赦を。ファンの方、申し訳ありません。と最初に牽制しておきます。もっと単純に楽しめればよかったですが身構えて観てしまいました。

今回、残念ながら単なる発表会(お浚い会)の域からは抜けていなかったと思います。プロとして観せて(魅せて)これたのは、高麗屋一家のみ。お弟子さんたちは所詮アマチュア、素人芸。ベテランの方々はさすがに技術が確かで非常にレベルの高い方々もいました。でもそれだけじゃダメなんですね。人に見せる、という部分でのプロの技術を持った方は残念ながらいなかった。素人芸、旦那衆芸はどうあがいてもプロにはかなわないと言いますが、プロとアマの間には深い深い溝がありました。

プロ・アマのことを言わなくても個々実力に見合った古典舞踊ほうがお弟子さんには良かったんじゃないかと思います。個々のレベルが違いすぎて、群舞になった時の差が激しかったです。

歌舞伎舞踊ということで比べたら技術は拙くても、歌舞伎の名題下の方々ほうが見せるということに関しては断然上だというのを痛感しました。つい、まだまだと思うことが多かったりしますが、お金を取ってお客さんに芸を見せるという部分でいえばしっかりプロなんだなと。

一、河東節『邯鄲』
染五郎さん一人の素踊りです。「蜀の廬生が邯鄲の里で宿を取り、栄耀栄華の夢をみて悟りを開くという物語」だそうです。錦升(染五郎)さんが振付けをした第一作目とのこと。これはさすがにとても良かったです。

としても静かでシンプルな舞踊です。染五郎さんの芯の通った背筋がピンと通った姿が美しい。足捌きの確かさに加え手捌きが本当にしなやかで綺麗でうっとりしてしまいました。極めてシンプルで無駄のない、動きに派手さや大きさが無い振り付けの舞踊なのですが、それでも染五郎さんの踊りには空間に広がりがあります。それに情景描写がとても確かで男女の演じ分けも鮮やか。ただ題材から考えるとこの舞踊にはもう少しいわゆる「味わい」も必要かなと、そこはさすがにまだかなと。どことなく、スッキリしすぎな気もしました。ご自分で振り付けたものではありますが、この舞踊を踊るにはまだ若すぎる感じ。何かの折に踊っていく舞踊でしょうから、また何年か後に観てみたいですね。

河東節の演奏がまたとても良かったです。人間国宝の山彦節子さんの語りが90歳とは思えない声の太さ。女性の声とは思えない渋くていいお声でした。


二、舞踏劇『静謐』
染五郎さんが考えたストーリーを浄瑠璃に仕立て、それに乗って踊っていくという形。これは2007年『第12回 梅津貴昶の会』で勘三郎さんと一緒に踊った『芸阿呆』と同じ形ですね。単なる踊りというよりはもう少し芝居に近い踊り。たぶん『芸阿呆』に触発されて、こういう形のものを作りたかったんだろうと思う。そして今回、舞踏劇の形としてはとても良い作りだった。でも、この形での舞踊はよほど舞踊の実力&芝居の技術がないと見せられないとも思う。
(『芸阿呆』の感想:http://blog.goo.ne.jp/snowtree-yuki/e/dce433f2ae99d9b0b3ef66b8d34b7e37

内容は簡単にまとめると「日常の平穏な日々の生活こそが大切、そしてそのなかにこそ芸術の原点がある、それを見出していく水墨家を目指している糠床屋の息子の話」が基本筋。だと思ったんだけど、私の理解が正しいかは不明です(笑)

演出はなかなか頑張っていたと思う。舞台の奥行き生かしたシンプルな舞台。高低を作りながらの回り舞台での空間の作り方は面白かった。単調にならないように人の配置を工夫したのも良かった。客席を通路として使うやり方も1階にいた私には出演者の息遣いを感じられて良いと思った。衣装も華やかで、いわゆる舞踊会ぽくないメイクも悪くない。ただ髪型は何人かが似合わないというか…ちょっとうっとおしいという人も…潔くよくアップにしてほしかったかな。染五郎さんのドレッド長髪は似合いすぎでしたけどね(笑)

さて肝心の舞踊劇のほうですが、お弟子さんたちの踊りは振りが単なる振りでしかなくて、しかもこなすので精一杯な人も結構多かった。それゆえ人物像を描くまでまったくいってない。なので染五郎さんが一人頑張っても、周囲がそこに追いついていないので場面場面の情景がしっかり伝わってこない。場が締まらない。浄瑠璃や、物語、曲はなかなか面白いものだったのに表現しきれてなかったです。

そのなかでほんの少ししか出なかった、幸四郎さん、松たか子ちゃんの存在感が素晴らしかった。そこに出るだけで空気が変わる、場が締まる。たか子ちゃんの華、そして幸四郎さんの存在感と説得力。青年が何かを得るために必要だった幻、そのほんの一瞬の出来事がとてつもなく大きな一瞬だったと、それを納得させてしまう。幸四郎さんの引っ込みを近くで見ることができましたが幽玄で人に在らずなオーラを纏っていました。

お弟子さんたちの踊りのとこは、申し訳ないけどたるい部分が多かったです。お家元としてはお弟子さんそれぞれに見せ場を作りたかったのはわかるけど…。「お目まだるい」ってこういうことだな、と…。勿論、きちんと踊っていらっしゃる、でも表現できていない。歌舞伎役者さん達だけでやってみたら、どうだったろう?見ごたえあるものに出来たんじゃないか?とつい思ってしまいながら拝見しておりました。

また、高麗屋勢ぞろいという注目度は高かったけどその肝心の高麗屋の方々の出番は染五郎さん以外はほんの少し。特に幸四郎さん、たか子ちゃんはあまりに出番が少なく踊りらしい踊りもせずもったいない感じでした。紀保さんもナレーターだけだし、金太郎くん、薫子ちゃんは出てくるだけ。薫子ちゃんの語り(録音でしたが)は可愛らしかったですが。私個人で言えば、せめて紀保さん、たか子ちゃんの踊りをしっかり観たかったです。それでもラスト、高麗屋勢ぞろいで並んだ時は貴重なものを観たという気にはなりましたが。これぞプロ、という押し出し。プロよと素人では何が違うのだろう?と本当に考え込んでしまいました。

今回の公演はいわゆる華やかなワクワクするような、そういう意味で派手さのある舞踊の部分がほとんどなかったので、華やかな舞踊を一つ間に挟むなど舞踊会の構成ももう少し考えたほうがよかったんではないかと思いました。