Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『第十二回 梅津貴昶の会 夜の部』 3等B席センター

2007年11月26日 | 歌舞伎
歌舞伎座『第十二回 梅津貴昶の会 夜の部』 3等B席センター

一、『長唄 連獅子』
親獅子:梅津貴昶
仔獅子:中村壱太郎

梅津氏の舞踊は本当に端正です。軸が本当にしっかりしているので動きに無駄がないです。所作台を踏み鳴らす音もほんとに真っ直ぐに綺麗に鳴る。小柄な方ですが後半にいくにつれどんどん大きく見えてきました。静かな威圧感。

壱太郎くんは元気いっぱいに踊っていました。私は壱太郎くんの舞踊を見るのは初めて。非常に勘所のいい踊りをするな、という感じでした。若いので荒さはありますが小さくまとまるよりずっといい。これから伸びそうですね。

素踊りの連獅子ですので毛振りはありませんでした。しかし毛振りの代わりに体をくるくると回転させて、また扇の使い方も工夫し派手に盛り上がるように振り付けを工夫をしていたのが印象的です。


二、『義太夫 芸阿呆』
安藤鶴夫 作
竹澤彌七 作曲・演奏
八世 竹本綱太夫 語り

竹本大隅太夫:中村勘三郎
弟子(他):市川染五郎

大隅太夫という人物の生涯を通して芸道の厳しさを表現した演目でした。「芸阿呆」とはよくぞ付けたり。この演目はとにかく義太夫の語りがテープであろうと本当に素晴らしかったです。義太夫に興味のある人には聴いてもらいたい。これ今音源どうなってるのかな?普通に売ってなさそうですね。もったいな~い。

二代目豊澤團平が三代目竹本大隅太夫に稽古をつける場面とかすごいです。「吃又」の台詞のなかの一言「土佐のばってぇぃ」を何度も何度も繰り返させそれでも納得しない、という件には鳥肌立っちゃった。たまたま有吉佐和子『一の糸』を読んでいたので尚更、三味線と太夫の関係とか、そういうところに思いを馳せることができたせいかもしれない。とにかくこの物語自体が面白いのです。

そして舞踊のほうですが、これが台詞のない芝居のようでした。すべて義太夫の台詞に合わせた当て振りなんです。踊りという感じはしない。でも計算された動きでもありました。これ並大抵のことじゃ表現できないですよ。かなり舞踊と芝居の地力がないと。勘三郎さんがやりたがったのもよくわかる。そして勘三郎さん、地味な役を明るいオーラを消してただひたすらに向かっていました。勘三郎さん、舞踊に関してはやはり単なる上手さという部分からもうひとつ高いところに向かっている最中なんだとそう感じます。晩年の部分は年齢的にまだ早いかなとは思いましたが、それこそ静かな気迫で迫ってきました。先代はどういう感じで演じていたのかなあ。

そして染五郎さんですが、勘三郎さんが明るいオーラを封印していた分、舞台が明るくなる華を見せていました。たぶん、本人が意識してない「華」だったような気がします。大隅太夫の弟子役ですが前半は時代の情景描写時に時々出てきます。張り詰めている舞台の空気を時々ふっと抜けさせる役割を果たしていました。染五郎さんてふわっとした空気感があるのですね。後半、弟子の部分ではかいがいしい世話ぶりをごく自然に。おじぎの仕方とか、太夫の言葉を聞く時の表情とか、体の不自由な太夫を支えるとことか、ちゃんと「お弟子さん」なの。やはり、舞踊、芝居の地力があるんだなと感じさせました。大隅太夫を支える弟子の立場というものが素直に表現されてて、じんわり。

これまたぜひ、やって欲しいです。

それと久しぶりに勘三郎さんと染五郎さん、歌舞伎で共演して欲しいなって思いました。ここ最近、どうしても座組みが別になってしまってるからなあ…。

内容:
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斯道の名人の伝記を綴った、義太夫節の新作。義太夫節の語りの芸の正しさ、美しさを確認したいという意図で、義太夫語りを父に持つ文筆家・安藤鶴夫が詞章を作り、昭和の名コンビとうたわれた八代目竹本綱大夫・十代目竹澤弥七(三味線)の作曲・演奏で、昭和三十五年十一月二十四日、芸術祭参加音楽部門作品として文化放送が放送したものです。
主人公の三代目竹本大隅太夫は、明治の義太夫界で、二代目竹本越路太夫(摂津大掾)と並び立った人です。越路太夫が絢爛たる美声で上品な語り口を聞かせたのに対し、大隅太夫は、義太夫節の壮絶なドラマのなかに人間の真実を描こうとしました。三味線の巨匠・二代目豊澤團平の厳しい指導に耐え、一途な修業の末に到達した至芸。にもかかわらず、非運が重なり、その最期は悲惨でしたが、写実を極めた彼の芸風は、今日まで、義太夫節の本道として受け継がれています。
のちに放送の音源がレコード化され、十七代目中村勘三郎が、これを踊りにしたいと熱望。それが実現したのが昭和五十三年九月の「藤間会」でした。晩年の弟子・静太夫を登場させる二人立ちの素踊りの形にした六世藤間勘十郎の振付が好評を博し、以後、歌舞伎座の本公演を含め、何度か再演されています。
こうした、厳しい芸道修業の姿を後世に伝えたいという願いをこめて、今回は梅津貴昶の新しい振付により、当代勘三郎、それに市川染五郎という好配役での上演となります。
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三、『地唄 雪』
梅津貴昶

竹原はんさんが得意とされた舞踊ですよね。いわゆるお座敷芸での舞踊なので立ち位置が変わらない。体全体の風情と手裁きだけで見せる舞踊。これ、かなり難しいでしょうねえ。梅津さん、しっとりと透明感のある踊りでした。非常に小さな舞踊にも関わらずあの歌舞伎座の大きな舞台で緊張感を途切らせないのは凄いかも。