Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

シアターコクーン『わが魂は輝く水なり-源平北越流誌-』 A席2階上手寄り

2008年05月09日 | 演劇
シアターコクーン『わが魂は輝く水なり-源平北越流誌-』 A席2階上手寄り

辛口です。

見た直後の感想:
うーん、悪くはないけど良くもない。配役ミス&演出薄い。脚本は古さはあるけど今やる意味は十分にあると思う。でも脚本の普遍的な部分のテーマ、主題が浮かび上がらず。時代を振り返る意味、という部分も欠落。蜷川さんは何をやりたかったのか??ある意味、役者が可哀想。


落ち着いてからの感想:
いくつか感想を拾って読みましたがブログでは評判が良いようです。特に歌舞伎系の方に評判良いので役者目当てだと満足できるかもしれません。私は役者目当て(萬斎さん、菊之助さん)でもありましたが、それ以上に芝居の内容そのものにも期待していたのでかなり物足りなかったです。

戯曲は源平合戦(平安末期)の時代、源氏と平家の間で勇猛果敢に生きた武将斎藤実盛の生き様とその息子たちの関係、そして敵対する義仲軍との戦いを描いています。が単なる時代ものではなく、この時代に1960年代~70年代の世相を重ね合わせた2重性を持つ作品。

義仲軍に連合赤軍のイメージを重ね若者たちのエネルギーの方向性を描きます。純粋な美しさと愚かさ。閉塞された世界で内に向かってしまった集団の狂気、暴力。狂気という定義、戦いの意味。

実盛の老いとの戦い、父、息子の関係、若さへの嫉妬。これは実盛を宇野重吉にアテガキにし当時の演劇界の世代交代への複雑な感情を重ねているとも言われているようです。

あさま山荘事件当時の昭和という時代の見直しが始まっている時期のこの上演、もしかしたら見えぬ熱を孕んだその時代の空気はなんだったんだろうという蜷川さんの想いが反映されるかも、とか、老いを意識せざる終えない哀切さを70歳過ぎた蜷川さんがどう表現するのか、とか、狂気が蔓延しその境界に戸惑っている現在の時代をもLINKできる題材をどう切り取るか、とかという興味も湧くというもの。

が、舞台の上では時代の振り返りという部分は抜け落ち、老いのテーマも切実さは薄れ、狂気の描き方も「現在」に通じるほどの「狂気の在り様」も現れていなかった。戯曲の本質を掘り下げていると感じるほどの熱気はなく表面をさらりとなでているような感覚。判りやすく視覚的に見せることには成功していたと思うが「情感」の部分の掘り下げがまったくなされていなかった。せめて閉塞感からくる焦燥感や圧迫感が描かれていれば…。

たぶん、期待の方向が間違っていたのかもしれない。だけど、私は今、この戯曲を上演するのであれば何かしらのテーマをしっかりと投げかけてほしかった。まずは演出というか全体の芝居の見せ方がどうにも浅く薄く感じてしまった。脚本はしっかりしているし、飽きさせずに芝居を見せていくという部分では蜷川さん定石な視覚に訴える演出で決して飽かせることはない。そういう部分で「悪くない」。でも何かを考えさせる、訴えかけられるという部分がほとんどなく、私には物足りなかった。

私は今回、配役ミスだと思う。個々はしっかり演じてきている。だけどこの脚本を表現するうえで配役ミスかと思う。全体で言えば若者対年長者の差がまったく感じられない、ほぼ同世代の役者たちで固めたせいかと思う。またアプローチの違う役者陣をまとめきれていない。役者の資質そのままの芝居以上のものを求めていない部分で「熱」がない。

斎藤実盛の野村萬斎さん、老いた人を演じるのは初めてとのこと。まだ40歳代の萬斎さんは老いを狂言の型を引き寄せることで演じていました。軽妙洒脱な老人。緩急の使い分け、声の調子の幅の広さ、自分を見せることを知っていて人を惹き付ける魅力がある。今回の軽妙洒脱さのある実盛が芝居の方向性に合ってたかという部分で少しばかりベクトルが違うかなと思う部分はあれど、これは受ける役者が直球すぎたためともいえるのでキャラ造詣としては面白い。また何より「言葉の意味」を伝えるという部分が明快だった。

しかしながらそれは型にハマった老いを演じているだけでした。あくまでも肉体を伴わない頭でっかちな老いでした。表面的な部分でよくここまで「老人」を演じてきたとは思います。でもそれだけじゃダメなんですよね。戯曲上の実盛の老いの切実さを訴えかけるには若すぎる。感覚が若いんですよ、やはり。焦り、感傷、嫉妬、生きてきた年月への哀切、そんなものが全然みえない。五郎の親というより兄弟にしか見えない。いくら演じても洩れてくる若さ。

この芝居の実盛には実年齢の役者を使うべきかと思う。 それも老いを自覚しながらも芯にマグマを抱えているようなそんな役者を。アテガキされた宇野重吉という役者は容貌からみると枯れたイメージですが執念の役者でもある。晩年のドキュメンタリーを見たことがありますが、芝居に対する執念、自分に対する厳しさに圧倒させられた記憶があります。

個人的に萬斎さんは今回の芝居では「五郎」役が適役だろうと思う。狂言廻し的な立ち位置と秘密めいた視線、父に対する厳しさ、凛とした立ち姿等、かなり似合うと思う。

斎藤五郎の菊之助さん、衣装が似合い美しいです。優しげな風貌、透明感のある品が亡霊となった五郎というキャラクターにはハマっていました。しかしながらあまりにサラサラとしすぎ。亡霊だからといって存在感が薄くてはダメなのよと。五郎は若者ゆえの純粋な真っ直ぐすぎるゆえの厳しさも必要かと思うのです。また秘密を抱える澱もどこかにみせなくては五郎には焦燥感と哀しさがあっていいと思います。五郎は美しいだけではキャラが立たないと思うのです。また台詞も立たない。良い声をしてるし発声も確かなのでいわゆる台詞の言葉は明快です。でも言葉の意味を伝えるところまでいっていない。情景を言葉でそこに浮かび上がらせられない。「物語る」まで行ってないのです。単なる美しい音として流れていってしまう。 狂言廻しとしては弱すぎます。自分のキャラに引き寄せすぎかと思います。ノーブルさは菊ちゃんの強みでもありますが弱みでもあります。滲み出る感情があるからこそ人物像として魅力になるという部分があると思うのですが今回、やはり型にハマりすぎかなと。私は今回、菊ちゃんにははみ出す部分を求めていたので物足りなかったです。

どうせならまったくニンじゃないだろうと思われる激情の六郎をさせてもらったらどうなんだろうとつい考えてしまいました。ひたすらにぶつかっていかないと弾き飛ばれるような役を一度やってみてほしいです。

斎藤六郎の坂東亀三郎さん、たぶん歌舞伎以外の舞台に立ったのは今回が初なのではないでしょうか?その点でかなり頑張っていました。声の良さが活かされ一生懸命さが好感をもつ六郎ではありました。台詞回しは歌舞伎の台詞回しに近い感じで言葉は叫んでも明快。でもやはり情感を感じさせるまでには至っていない。役者としての基礎がしっかりしているというのは感じられ、悪くはない。けど人物造詣を表現する部分で斎藤六郎という美味しいキャラを活かしきれていない。野心でギラギラした部分、正気と狂気の半分と言い切れるしたたかさ、そういうものが見えてこない。齋藤六郎じゃなくてそれは『勧進帳』の亀井六郎ね、なんてツッコミが少々…。

巴の秋山菜津子さん、上手いです。たぶん一番ハマっていたかと思います。とにかく台詞を伝えるという部分で際立っている。女武将という立場での強さ、女としての弱さの両方をうまく演じ分けてきます。ただ、個人的に若い集団のなかのリーダーの一人としての色んな意味での純粋さがもう少し欲しかった。少しばかり達観してる強い女に見えてしまうのだけど芯の弱さがあるといいなあ。男にすがることで自分を保っていられるキャラクターだと思うので。ただ、この巴のキャラはいかにも古い。母性を求められ、狂気の源にされてしまう。あまりに類型的すぎる。脚本の古さはここにあるのだろうと。あと肝心の義仲が出てこないのもね。義仲のために、な部分があまり出てこないので説得力がねえ。なぜか実盛に執着してるし。巴に関しては今回、永田洋子個人を重ねてる部分はバッサリ外したかなとは思う。

平維盛の長谷川博己が飄々としてちょっと面白いキャラでした。どの時代にでもいるチャッカリ型とでもいいましょうか。長谷川博己という役者の個性がそこにあるのかな。飄々淡々と、でもどこか屈折している。『シェイクスピア・ソナタ』でもそんな感じでしたけど。

書きたくないけど書かずにいられないのがふぶきの邑野みあ。なんですか?この女優さん?この方、まさしく大根。蜷川さん、いいんですか?



作:清水邦夫 演出:蜷川幸雄
美術:中越司 照明:大島祐夫 衣裳:小峰リリー 音響:友部秋一
出演:
斎藤実盛…野村萬斎
斎藤五郎(実盛の息子。亡霊)…尾上菊之助

斎藤六郎(実盛の息子)…坂東亀三郎
藤原権頭…津嘉山正種
郎党時丸…川岡大次郎
巴…秋山菜津子
ふぶき…邑野みあ
中原兼光…廣田高志
中原兼平…大石継太
郎党黒玄坊…大富士
平維盛…長谷川博己
乳母浜風…神保共子
城貞康…二反田雅澄