東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 大波野周辺ウォーキングの下見2 (1/2)

2015年05月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 前回の大波野ウォーキングのための下見は、時間が足りませんでした。このため、今回2回目の下見をしました。灸川ほとりにある朝市にバイクを置いて再調査を始めました。最初、前回妙見社から上段に降りた場所まで急行しました。その場所に行くと偶然、タクシー待ちの方に出会いました。その方から、日光寺にかつて巡礼が来ていたことをお聞きしました。その方のお話では、日光寺から余田方面へ巡礼していたとのこと。また、その方が余田の坂本から嫁に来たとのお話をお聞きしました。私の祖父は、その余田の坂本のS家出身です。そのS家を知っていることのことでした。

   朝市から上段に向かう      上段の立派な石垣       女体社へ向かう山道
  

 上段は山の中腹にあるためか、立派な石垣が目立ちます。野積みではなく、ちゃんと削って積まれた石垣です。先祖代々大切に使われ続けたに違いありません。その上段の古道を歩いて最初の訪問地女体社(女躰社とも)に向かいました。女体社とは奇妙な名前の社です。すぐ下の日光寺が尼寺であったことと関係しているのでしょうか。謎です。

               最近歩かれていない山道を登りきると女体社   


 女体社は昭和51に建て替えられました。山積みにされた瓦が置かれていますので、改築前は瓦葺の立派な建物であったようです。女体社を出ると、近くにある石階段を登って天神社に行きました。石階段は近くの岩永から切り出した石を使っているそうです。天神社は昭和43年に改築されました。やはり、改築前の建物は立派だったのではないか思います。

     天神社にお詣り       天神社傍の鉄塔         日光寺に到着
  

 昼食休憩は、天神社の傍に立っている鉄塔下で取りました。ここからは柳井方面が良く見えます。休憩を始めた頃は、鉄塔の陰で涼しかったのですが、だんだん影が移動して、日光が当たるようになり暑くなりました。休憩が終わると、鉄塔下の道を下って、次の訪問地である日光寺に行きました。これまた不思議なお寺です。かつて尼寺だったとの言い伝えがありますが、いつまで尼寺だったのか知っている人はもういません。おそらく昭和10年代頃には無住になったのではないでしょうか。

                日光寺内には、いろいろな仏像や仏画が安置

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