東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 江良碧松のお墓参り

2015年03月03日 | ふるさと

 先月郷土館で、自由律俳句の周防3羽ガラス展を開催しました。その展示会中、H氏が中央公民館で江良碧松について講演されました。そのH氏の案内で、3人が江良碧松のお墓参りをしました。最初、草が生えていたら少しでも刈ろうとカマなどを持って行きました。しかし、あまり草は生えていませんでした。墓地には4基のお墓がありました。碧松の祖父祖母,先祖代々,そして息子二人それぞれの計四つのお墓です。
 H氏のお話で一番印象的だったのは、「戦時中、亡くなった三男のお骨を持って碧松さんが田布施駅に降り立った時、同駅で戦地に向かう四男とすれ違った。」とのお話です。なお、三男が亡くなる前に次男が中国戦線で亡くなっています。※長男は夭逝。

                江良家の墓地と、案内していただいたH氏


 お墓参りの後、変わった種類の松を見つけてその松かさを収拾しました。近所の方に伺うと、南方方面から持ち帰った松らしいとのことでした。我家に持ち帰り、採種できたらと思います。
 その後、江良碧松生家の近くを散策しました。そして、近所に住むNさんにお話をお聞きしました。すると昔、すぐ近くに百姓熱心なお爺さんが住んでいたそうで、普通に挨拶を交わしていたそうです。Nさんの大好きな詩「飲んだ水、みんな汗にしてはたらく」の作者がそのお爺さん(江良碧松)だったことを、後で知って驚いたそうです。

        江良家の4基のお墓              江良碧松生家(2015.6.15)             
 

 また江良家を継いだ四男の江良mさんが、私の父親の知人だったとのことを聞いて驚きました。父親と江良mさんは、森林組合で一緒に仕事をしていました。私の父親は森林組合長や農業委員長をしていたことがあり、10年位前たまたま帰省した私に、農林業の現状や農業委員の苦労を話してくれたことがあります。母親によると、父親は江良mさんの話をよくしていたそうです。
 またさらに驚いたのは、碧松さんのお孫さんの一人が、私の母親の元同僚Kさんの息子さんのお嫁さんだと知ったことです。私は先日、そのKさんにお地蔵様のことでお話を伺ったばかりでした。世の中、狭いものです。
 今回は単なるお墓参りのはずでしたが、知らなかったいろいろな事実を知ることができました。その後、Eさんの親戚宅(麻郷団地)を訪れました。碧松のことなど話しているうちに仲間数人が次々にやって来ました。そして、先日の牡蠣祭りや近況についてなどで歓談しました。

                       井神にある江良碧松の句碑

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