東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施,上関,光の散策

2008年08月09日 | ふるさと

 昨日トラクターを降車しトラックを返却して一息つきました。今日は故郷である田布施,上関,平生,そして光などを散策してみました。最初に小学生だった頃に毎日通った麻郷小学校に行ってみました。すると炎天下の運動場でなにやら建設していました。近くに行ってよくみると盆踊りのヤグラを作っていました。今夜は盆踊りでその準備をしている方々が働いていました。ざっと見て知っている人がいないようなので、上関に向いました。

            炎天下、麻郷小学校校庭は盆踊り準備中、ご苦労様


 上関に向かう途中、周防大橋を通りました。子供の頃、この付近には浅瀬の海岸が広がっていました。よく祖母と貝を採りに来ました。今は天然記念物になっているカブトガニがたくさん生息していました。また、小学生の頃に、埋め立て中の海岸に行っては、おやつ代わりにカキを岩からはがして食べていました。

           子供の頃、よく祖母と貝を採りに来た平生湾


 上関への道は昔はとても狭く、車が出会うとすれ違いに苦労しました。高校生の春休み、歩いて田布施から上関を往復したことがあります。その時、何度も「車に乗らないか」と声をかけられました。上関大橋のたもとで昼食をとってすぐに歩いて戻りましたが、帰宅した頃にはすっかり暗くなっていました。無茶とも言えるような徒歩行軍でした。

     上関の上盛山から田布施方面を見る(佐合島,麻里府,光が見える)


 上関に着くと、大好きな上盛山に登りました。ここからは、360度、田布施,佐賀,柳井,四国,平群島,四国,祝島,九州,光などを一望できます。大好きな山の一つです。

              上盛山から上関を眼下に見下ろして



          上盛山から長島や祝島方面を見て(九州も見える)


 上盛山を下山すると上関大橋のたもとで休憩しました。子供の頃、まだ橋はかかっておらず、この場所には灯台だけがありました。そして、この灯台の近くに座っては海峡を通る船を飽きずに眺めました。今でも、ここに立つと心が和みます。

                  上関大橋と、たもとに立つ灯台


 上関を過ぎると上盛山とは対岸になる皇座山に登りました。高校生の頃は歩いて登ったものでした。木々もそれほど高くなかったため、海岸線がよく見下ろせました。登る途中に熊毛南高校分校の宿舎がありましたが、今は草木に覆われで見る影もありません。当時は卒業生達がこの宿舎まで歩いて登って卒業祝賀会をしていたようです。その光景に出会ったことがあります。

        皇座山から見下ろした平群島、そして四国も遠望


 皇座山からは尾根伝いに平生に向かいました。途中、光輝病院の横を通りました。瀬戸内海の眺めがとてもよい病院です。柳井市などからの往復バスが行き来していました。

   尾根道の途中、光輝病院の横を通過、向こう側に上関と八島が見える


 光輝病院を過ぎてしばらくすると北側に視界が開けました。柳井市の伊保庄が眼下の広がりました。この伊保庄は私の母の生まれ故郷です。今その生家はなく、お墓だけがあります。

              眼下に広がる柳井市の伊保庄,大畠や大島も見える


 尾根道の最高地点が大星山です。この山からは,平生町の佐賀,田布施町の馬島,麻里府,麻郷の戎ヶ下などが眼下に広がります。馬島の向こうには光市の牛島も見えます。小学生の頃に同級生と、大星山に連なる箕山の途中まで登ったことがありますが、道が途切れ頂上をあきらめました。当時は、今のような尾根道はありませんでした。

    大星山から、佐賀,田布施町の馬島,麻里府などを見下ろして


 馬島へは子供の頃に、海水浴などでよく行きました。当時は今のような船ではなく、木造船でした。喫水が海水面と同じ位でしたので、馬島に向かうと途中に後ろに流れる海水を手ですくうことでできました。下船してエビの養殖場を過ぎたところにある海水浴場は小さな湾になっておりとても波が静かでした。海に潜ると水面下にフグがのろのろと泳いでいたのを覚えています。

          大星山から、佐賀と佐合島を見下ろす、牛島や祝島も見える


 大星山には数年前に巨大な風車が建設されました。発電用とのことです。この付近の尾根道を通っていると、何台分もの風車のプロペラが置いてありました。そして、工事車両やそれに関わる人もいました。この数年のうちに、10台位の風車が大星山の尾根沿いの連なるように建設されるのでしょう。

       大星山山頂、去年は一台だった風車が二台に増えていました


 尾根を柳井に下山すると、ひたすら光に向かいました。最初、子供のころによく遊びに行った光海水浴場に行きました。島田川を渡ってすぐの道を海岸に向かいました。海岸に着くとそこは炎天下、暑いのなんのって汗が噴き出しました。

    懐かしの光海水浴場            島田川の河口付近
 

 あまりに暑いので、水分補給後早々に退散しました。あとは島田川の上流沿いに散策しました。島田川は今でも昔ながらの風情のある川です。

       島田川河口の砂地         島田川河口付近から上流を見て
 

 この川は田布施川のように堤防工事が進んでいないため、昔ながらの風情が残されています。この付近には、平生に住んでいた祖母とよく行った温泉がありました。確か私の小学生時代の同級生の親戚がありました。

               昔ながらの風情が残る島田川の中流域


 JR島田駅近くの川に降りてみました。川には大小さまざまな石が転がっていて、水底を覗き込むとたくさんの巻貝がいました。魚もたくさんいるようです。

     川底に露出した大小の石         両岸は木々に覆われている
 

 しばらく島田川を上流に向かっていると、川遊びをしている子供達の声がしました。子供達を見守ったり一緒に遊んでいる親の姿もみかけました。私も子供の頃によく田布施川に遊びに行きました。そして先輩の背中につかまりながら泳いだこともありました。しかし、プールが普及したためか、今の田布施川では親子で水遊びする姿はあまり見られません。

         たくさんの子供達が水遊びしていた島田川中流域


              親子が歓声をあげながら水遊びしている光景も


 熊毛IC近くまで島田川を進むと、川を離れて岩城山に向かいました。山高が300mの山で、よく歩いて登った山のためいろんな思い出があります。子供ながら、山を取り囲むように並んで神護石に神秘的な思いを抱いたことを覚えています。

            岩城山から、平生,田布施方面を眼下に見下ろす


 岩城山を下山する時は宿井方面に降りました。昔に比べて、竹などが生い茂っていました。降りる途中、大波野方面の視界が開けていました。数年前は木々で覆われていましたが、最近道沿いに木が伐採されたようです。眼下の大波野の向こうに柳井が見えました。岩城山を下山すると麻郷の我が家に帰りました。

              眼下に広がる大波野の向こうに柳井が見える

コメント
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