詩客 ことばことばことば

詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第27回 家1 相沢正一郎

2015-05-16 23:02:05 | 日記
 《私が初めて上京したころ/どの街区を歩いていても/旅にいるような気がして仕方がなかった》と、室生犀星の「第二の故郷(ふるさと)」。《ことに深川や本所あたりの/海近い町の/土蔵作りの白い家並をみると/はげしい旅の心をかんじ出した》とつづきます。《ふるさとは遠きにありて思ふもの》と歌った(「小景異情」)の詩人のふるさとは金沢。出生は複雑で――加賀藩で足軽組頭の父が、女中に生ませた子が犀星。生まれるとすぐに引き離され、生涯、実の母を知らなかった。だからでしょうか、犀星の描く故郷には母への屈折した感情(愛憎)を感じてしまいます。「子守唄」という、雪国金沢の雪の日を歌ったこんな詩があります。《雪がふると子守唄がきこえる/これは永い間のわたしのならわしだ》とはじまりますが、雪の降る日には、音がないはず。それから、《だがわたしは子もりうたを聞いたことがない/母というものを子供のときにしらないわたしに/そういう唄の記憶があろうとは思えない。》というフレーズもあります。
 もっとも、「第二の故郷」には「子守唄」とは違ってわたしたち一般の読者にも思い当たる気持ちの動きが具体的に描かれています。二連目に《五年十年と経って行った/私はとうとう小さい家庭をもち/妻をもち/庭にいろいろなものを植えた/夏は胡瓜や茄子/また冬は大根をつくって見た(……)私はこれまでのような旅らしい気が失せた》と移り変わり、三連目には、《緑で覆われた郊外の自分のうちの/いきなり門をあけると/みな自分を待っているような気がした/どこか人間の顔と共通なもののあるいろいろな草花、いろいろな室(へや)のもの/カチカチいう時計》と東京の家がふるさとと重なってきます。最終の四連目《どれもこれも永い生活のかたみの光沢(つや)を/おのがじしに輝き始めた/庭のものは年年根をはって行った》と、東京の土に詩人はしっかと根をはります。二連目に《そのうち父を失った/それから故郷の家が整理された/東京がだんだん私をそのころから/抱きしめてくれた》というフレーズがありますが、犀星にとってふるさとは「家」、そして「母」。
 犀星の「第二の故郷」とはまるで正反対に「家」を描いている作品がフランツ・カフカの『変身』です。小説の冒頭、主人公のグレーゴル・ザムザは朝、《気がかりな夢》(以下、高橋義孝訳)から目覚めると、巨大な虫に変わっている。ザムザは外交販売員《年がら年じゅう、旅、旅だ》、という独白で、ここでもまた「家」の反対語に「旅」ということばが出てきます。
 小説の主な舞台《自分のいつもの部屋》も主人公が変身するのと同時に変わってみえます。たとえばドアを開けるといった些細な行為ひとつでも虫にとっては、鍵穴にささっていた鍵を口にくわえ体全体で踊りまわって回転させる、といったアクション。そのときにどこかを痛め褐色の液体が口から流れ出て床にしたたり落ちる、といった具合。ザムザは、やがて部屋を床の上を這いまわる気晴らしに喜びを見出す。そのとき虫にとって障害物にすぎない家具などを、主人公の妹が気をきかせて取り除き部屋をひろくしようとするが、ザムザにはまだ半分人間の気持ちが残っていて、《先祖から伝わった家具を居心地よく配置している暖かい部屋を洞窟に変えてしまおうと思っているのか》と嘆く(犀星の「第二の故郷」の三連目を思い出してください)。
 結局、ひろい部屋にはならなかったが、反対に下宿人《三人の気むずかし屋の紳士》に家の中の一部屋を貸したために余った家具や手伝い女の投げ込んだゴミ箱などのがらくた置き場になります。また、部屋の「変身」と同時に家族が主人公に対する気持ちも変わってきます。セールスマンの長男の稼ぎがなくなった途端、老いた父は金ボタンの制服を着て銀行の用務員になり、母は内職を請け負い、ヴァイオリンを弾く音楽家志望の妹は店員になる。ザムザの不幸によって家族の絆がかたまってくるのです。
 虫になった主人公はドアから出て母に気絶され、ついにはいつも味方だった妹に「このけだもの」と呼ばれ、部屋の三つのドアを外側から鍵をしめられてしまう――そんな悲しい話なのに、どこかドタバタ喜劇のおかしさ。とうとうザムザは父親が投げた林檎の傷がもとで夜明け前ひっそりと死んでしまいます。そのあと読者ははじめて息苦しい家から解放されるのです。《暖かい日がさんさんとさしこむ》郊外に出る電車の中の幸せな三人の親子――これから住居を替え、新しい生活がはじまる……そんな家族の夢と希望は「第二の故郷」を思わせますね。《美しい豊麗な女に成長》した妹の結婚を匂わせて物語は幕を閉じます。暴君の父、父の横暴から息子をかばうものの結局は父の権威に従う母――小説の欄外に小説家の家族関係が透けて見えます。カフカの「結婚」に対する複雑な感情もうかがえます。
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