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詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第43回 視点 相沢 正一郎

2016-09-18 10:40:13 | 日記
 たとえば、福田恒存監修『シェイクスピアハンドブック』のなかの中村保男氏の書いた『ハムレット』のあらすじを読むと、オフィーリアの父親ポローニアスが《だいぶおつむの足りないお節介やきの廷臣》のひとことで片づけられています。息子のレアティーズをフランス遊学に船出するとき、第一幕第三場でポローニアは《金は借りてもいかんが貸してもいかん。貸せば金はもとより友人まで失うことになり、借りれば倹約する心がにぶるというものだ》などと、「お節介」というよりも愛情をもって忠告しています。また「おつむの足りない」というよりは、人生の知恵者ともいえます。第二幕第一場でも、召使レナルドーにパリでの倅の行状を探らせたりもする。この芝居には、ハムレットの父の亡霊と義父でデンマークの国王クローディアス、そしてオフィーリアの父ポローニアス、と三人の父親が登場しますが、いちばん身近な体温を感じる人物がこのポローニアス。
 翻訳・研究者の松岡和子氏は、『ハムレット』を訳していてオフィーリアの台詞《品位を尊ぶ者にとっては、どんな高価な贈物も、贈り手の真心がなくなればみすぼらしくなってしまいます》に違和感をもった。はたしてオフィーリアが自分を高慢にも「品位を尊ぶ者」と言うだろうか。まして王子様にむかって……。
 ある日、オフィーリア役の俳優松たか子、ハムレット役の真田広之と話をする機会があったとき、疑問をぶつけてみると、《松さんが言った、「私、それ、親に言わされてると思ってやってます」。すると、間髪を容れず真田さんが言った、「僕はそれ聞いて、裏に親父がいるなって感じるんで、ふっと気持ちが冷めて『お前は貞淑か?』って出てくるんです」》。さて、ハムレットのこの《お前は貞淑か?》は第三幕第一場での台詞で、偶然と見せかけてオフィーリアと出会ったハムレットが、タピストリーの裏に隠れたポローニアスとクローディアスに気づいていたかどうか、気づくとすればいつかなのかがこの演劇ではいつでも問題になる、という。しかし、「品位を尊ぶ者」というオフィーリアの台詞に、父親の存在が埋め込まれていて、オフィーリアのことばがすべて父の意見だとしたら。《あーーーー、そうだったのか》と松岡氏は言う。
 『シェイクスピア「もの」語り』より引用しましたが、よほど印象に残った出来事だったんでしょう、河合隼雄氏との対談集『快読シェイクスピア』でも触れていて、研究者なら当然自分の手柄にしてしまいがちな指摘なのに、俳優の意見(第三者の視点)に耳を傾け、自分のうかつさについて反省するという姿勢に感動。いい俳優はほかの役者の台詞にも耳をすましてから自分の台詞をいう、という話を思い出しました。
 このようにシェイクスピアの登場人物にはどんな脇役にも血が通っていて、作者が都合よく操る人形なんかじゃない。みんな生きている。トム・ストッパードは『ハムレット』のなかの脇役ともいえない端役二人を主人公にした不条理劇『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を書いています。いや、『ハムレット』に限りません。すべての作品についていえます。
 《この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ》とは『お気に召すまま』の第二幕第七場の台詞ですが、わたしたち役者の舞台が一つの世界だとしても、現実には主役、脇役の区別はまったくありません。
 と、ここまで書いてきて不意に思い出したのが、長野まゆみ氏のエッセイ集『あのころのデパート』。たまたま朝の連続テレビ番組『とと姉ちゃん』を観ていますが、番組に登場する『あなたの暮らし』は、家庭向けの雑誌『暮しの手帖』をモデルにしていて、このエッセイにもこのドラマの背景が出てきてたいへん興味を持ちました。《商品テストで名をはせた『暮しの手帖』は、うそ偽りのない実質主義の雑誌ではあっても、ぜいたくと無縁なわけではなかった》とか、《花森氏は女の人を、かわいげのある女とかわいげのない女に分類するにちがいない。どの文脈でも、女を男の下位に配置するその関係性はゆるがない。そのうえで正義をかかげる》とか、テレビドラマを楽しみにしている視聴者(わたしもそのひとり)に水を注す文章もありますが、やはり現実は長野まゆみ氏の意見に近い、と思う。たぶん主人公の一つだけの視点からわたしたちもテレビを観ているから、ほかの視点があることに気がつかない――いや、気がつきたくないのかもしれません。
 シェイクスピアには『夏の夜の夢』、『テンペスト』などのすばらしいファンタジーがありますが、もしかしたら作品の全部がファンタジーなのでは、とも思っていますが、ファンタジーは現実からの逃避なんかじゃなくて、現実を凝視した果てに、正確・緻密に組み立てられた作品としてあるんだな、と長野氏の作品を読むたびに思います。
 反対に、ページをめくるのももどかしいほど面白かった池井戸潤の『陸王』には、敵役には家庭のにおいさえ感じさせませんが、主人公・宮沢紘一や息子・大地との葛藤が詳しく語られています(『下町ロケット』『下町ロケット2』では主人公と離婚した妻や娘との微妙な愛情などが丁寧に描かれている)。これはエンターテイメントとして当然のテクニックなのかもしれません。わたしも、すこし前のリオデジャネイロのオリンピックで、「日本の選手の家族や交友関係のあたたかなエピソード、いかに努力しているかといった情報などをテレビから詳細に与えられるけど、とうぜん外国の選手にだっていろいろな人生や苦労があるだろうに。これじゃあ、戦争と同じじゃないか」――なんて言って、まわりを白けさせたりしました。でもまあ、そうやって物事を多角的に見ると、スポーツの勝負の楽しさが半減することは確か。
 そうそう、最近観た映画、庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』が、たくさんの政治家や自衛隊などの登場人物がみなそれぞれの視点で、ものすごい早口でしゃべっていて、主人公の人生や家庭などはすべてカット、という実験的な演出なのに娯楽性が豊か。ゴジラが都市を破壊するというシンプルなカタルシスなのに複雑で多様な情報、リアルと虚構の合体、という離れ業。メールが日常となった空気の時代だからこその作品なのかもしれませんね。
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