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詩客、相沢正一郎エッセーです。

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ことば、ことば、ことば。第39回 水8 相沢 正一郎

2016-05-18 11:41:34 | 日記
 久しぶりに武満徹の「琵琶、尺八とオーケストラのための」という副題のある『ノヴェンバー・ステップス』のCDを聴いた。小沢征爾指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック、琵琶は鶴田錦史、尺八は横山勝也。水の波紋のように水平にひろがるオーケストラと岩のように厳しく直立する邦楽器。たとえば日本の楽器でビートルズを演奏する、といったことではない。決して交わることがないが、対峙しながらも緊張感をもちながら流れていく音楽。
 西と東の楽器の出会い、といったことだけではない。西洋の文化と日本の文化との出会い、前衛と伝統の出会い、時間と空間との出会い、間(沈黙)と音との出会いでもある。それから、死と生……。そんなことを考えたのは、前回の「水7」で、レイモンド・カーヴァーの詩「水と水とが出会うところ」について書いたあと、立花隆の『武満徹・音楽創造への旅』を読んだから。同書は、現代音楽の作曲家武満徹の長時間にわたるインタビューをもとに、作曲家の文章、武満に関係するさまざまな人たちの証言をまじえ、「文學界」に五年十一カ月にわたって連載され、そののち十八年後に出版。武満は、小説家カーヴァー同様、音楽もエッセイも大好きな芸術家だったから、二段組み七八〇ページの大書にもかかわらず短期間で夢中になって読了。
 『ノヴェンバー・ステップス』の作曲で、武満ははじめ作曲をするときに尺八と琵琶をオーケストラに融合させようとしたが、まったく混じり合わない。そのため作曲を一時中断する。おなじ葛藤を雅楽『秋庭歌』で、それまで西洋音楽の世界にひたってきた武満は日本の楽器にショックを受け、《つねにその二つのものが自分のなかでせめぎ合っていって、それはうっかりすると自分のアイデンティティを見失わせるほどに強くせめぎ合っているのです》と語る。
 西と東の鏡に映された音楽は、つねに引き裂かれていたわけだが、同時にこうした苦悩が創造の力になってきたのでは、とも思う。《私は、これまでに日本音楽について多くを識りまたそれを書きもし、私なりにその本質を把えたようにも思ったが、(中略)交渉が深まるにつれて、私には、日本音楽が次第にわからないものになってきた。これは逆に言えば、私は果して西洋というものをわかっていただろうか、またほんとうにそれの影響をうけたのか、という当惑であったかもしれない》。
 そういう状態にあったときに武満は、インドネシア音楽に出会う。そうして西洋と日本という二元論からは本質は何も見えない。もっと大きな、西洋も日本もインドネシアも包んでしまうような宇宙的な視点から音楽をながめ直さないと考えるようになる。それから、六十六歳で亡くなる武満の絶筆になったエッセイ『時間の園丁』に収録された「ひとはいかにして作曲家となるか」で、武満の住んでいた多摩湖(この人造湖には、私もよく散歩する!)の干上がった湖の底に流れている川をみてインスピレーションを受けた経験が語られている。《よく考えてみると、海も同じなんですね。海の中には、温度や速度の異なった潮流が絶えず流れている。それらがすれ違ったり、ぶつかり合ったりしながら、いろんな海の表情をつくりだしている。そんな『海』みたいな音楽を作りたい。そう思うようになりました。西洋音楽の場合、一つのテーマを強調します。そのために、正と反の対立と止揚という弁証法が用いられる。でも、僕は一つの音楽の中にいろいろ流れを作りたい》。また、同じエッセイ集の「海へ!」で、《できれば、鯨のような優雅で頑健な肉体(からだ)をもち、西も東もない海を泳ぎたい》とも。
 『武満徹・音楽創造への旅』は、音楽以外のジャンルでもヒントになるたくさんのことばが語られている。もちろん文学にも当てはめていろいろ考えたし、冒頭に述べたようにわたしたちが生きている、といったことも考えた。そして、レイモンド・カーヴァーの詩集『水と水とが出会うところ』に収められた詩「彼に尋ねてくれ」を思い出した。前回紹介したレイモンド・カーヴァーの自伝によると、実際にカーヴァーはパリのモンパルナス墓地を訪れ、レイモンドの息子と門番が案内役を買って出ている。《僕は作家たちの墓を見たい。/息子は溜息をつく。そんなもの見たくないのだ》。作中、モーパッサン、サルトル、ヴェルレーヌ、ボードレールなどの前で立ち止まる陰鬱な小説家・詩人の質問と門番の明るいユーモラスな回答は、フランス語の堪能な息子によって互いに伝えられる。《それから僕らは先に進む。/門番はとくにどうでもいいという様子だ。/彼はパイプに火をつける。時計に目をやる。そろそろ/昼御飯の時間なのだ。/そしてワインも一杯》。
 若いときに結核で生死のあいだを彷徨った武満徹も《生はいつも死をはらんでいる》という考えが常にあった。いま、この文章を書きながら聴いているCD『ガーデン・レイン』は、スーザン・モリソンという十一歳のオーストラリアの少女の同名の詩(《時間は生命の木の葉で/わたしはその園丁……/時間が順々に散っていく、ゆっくりと》)というから借用されている。
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