詩客 ことばことばことば

詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第37回 水6 相沢 正一郎

2016-03-19 09:58:19 | 日記
 《台所で冷たい水をのどに流し込む/いつのまにか/だれかの分まで飲んでしまっている/そんなふうに感じて/コップを置くことはあるかい》。田中裕子さんの『カナリア屋』に収録されている「水」の最後。ここだけ読むと、日常のなにげない情景を切り取ったフレーズ。でも、はじめは《のど仏の骨だけが/輪になったロープに綱渡りのように乗っかって/そのまま止まってたんだ》。生きて出会うさまざまな些事、ささやかな感慨、記憶や歳月に対する繊細な感受性が、死の側から丁寧に掬いとられている。「白い川」の冒頭もまた、生活の水が、同時に死の水でもあることをあらわしている。《河原や川底の石が白いのでそう見えるのか/水のない白い川が/蛇行して上流につづいている/―賽の河原》。
 《大学病院の広い窓から/白い鳥が/水辺を渡って対岸に着地するのを見たとき/私の中の何かが動いた/私に藁と稲と蜜柑の若木が蘇える/それらの匂い 肌触り 炎の色》(「感受」)。「感受」とはいうものの、意識的に「水」と「光」をキーワードに自然を造形し、ことばを刻み付ける青柳俊哉さんの姿勢とは違い、平田詩織さんの詩集『歌う人』はまるで印象派の絵画のように「水」と「光」が筆のながれと色彩に溶け合っている。
 《凪の野原のまんなかで/空耳の根に身をかがめ/ぬるい泥だまりに手を差し入れる/花々の碑銘はせつなく耳打たれ/両の手で掬いあげたものをゆらしては/水面をわたり/もうすこしで/まぶしい名前をことづてる/光の使者としてここへ来るだろう》(「春黙し」)。ひらがな、漢字の使い方まで神経が行き届き、歌曲が曲と詩句に分けられないようにことばと音楽が一体化している。五感(とくに聴覚)全部で自然と感応しながら歩く速度で、読者もまた目の前に展開する幻想を楽しむ。宮沢賢治を思い浮かべた。颯木あやこさんの音楽が室内楽ならオーケストラ。
 さて、平田さんが歌なら、花潜幸さんの『初めの頃であれば』は、語り口の魅力。それは、昔話を孫に話す、呼吸やリズムに似ている。体温がつたわる距離で、それでいてニュートラルな冷めた客観性も。《ある日ひとつの弾丸があなたの頭部を貫いた。白い渦になり消える記憶の向こうで、あなたは目を覚まし、水が欲しいと歩哨に言った。月の輝く夜には死骸も夢をつなぐのだろう》(「初めの頃であれば」)。作品はⅠからⅢまでの章にわかれているが、Ⅰは作者の記憶の底の父・母が濾過されて抽出されている。Ⅱ・Ⅲのウイットとユーモアのある軽みは稲垣足穂をおもわせる。
 《町を 村を 山々を激しく襲った水は/どこへ還りついたか/天から降りおちた灰 噴き出したガス》(「萼」)。アトランティス、遠野物語、ポンペイ……洪水伝説は世界中の神話にあるが、布川鴇さんの『沈む永遠 始まりにむかって』でも、海は生命の胎内と同時に圧倒的な暴力の象徴でもある。《林の奥に半ば崩壊し/文字の刻まれていない墓がならんでいる》(「名前のない墓」)。おそらく東日本大震災、アメリカ同時多発テロ、アウシュヴィッツをも含む《歴史の無意識》を遡り、忘却と抗うように文字を刻む。
 《けれど汀、使いそこねた庖丁の春で半「馬の骨」がこわい。水落をぴくぴく瀬ぶみしてまで(ほら、ぼくの澱粉質のいきがむらさきのほらで衰えている。/念のため)けさは百葉箱に戻した。」》。森本孝徳さんの『零余子回報』のなかの「水」は、現実のつめたい水や飲む水というより文字の水。もしかしたら『古事記』のように物語の語りを漢字にあてはめて書いた時代に遡る試みかもしれない。意味と音、漢字・ひらがな・カタカナが異化されているのに妙に身体感覚に訴える。

 「第36回 水5」につづいて、今回も私の選択というより、偶然に出会った作品のなかの水を調べてみた。(もうH氏賞の選考は終わり、賞の結果は発表されたが、そのことはこのエッセイとはなんの関係もない)。
 水……それから、詩集のみならず、手にするほかのジャンルの本でも無意識に「水」を探すようになった――のどの渇いた時のように……。
 生活の中でもっともありふれたものが、たとえばアリストテレスの証言――「水だ!」というタレスの発語が哲学の開幕だった。おなじ水が液体から雪や氷などの固体に、水蒸気などの気体に姿を変える。生物が海から陸に上がってきたのと、はじめ胎児が母体の羊水で眠っていたのとは響きあう。また、水の年齢は地球の年齢とおなじ45億歳、ということとも関係があるのか、世界中の神話や宗教で世界のはじまりの状態が水というのはたいへん興味深い。
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