詩客 ことばことばことば

詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第38回 水7 相沢 正一郎

2016-04-21 11:14:14 | 日記
 《川が大きな河に流れこむ場所や/河が海と合流する広い河口。(……)でも海をまさに目前にした河の素晴らしさったらないな。/僕はそういう河を、ほかの男たちが馬やら/魅惑的な肉体の女を愛するように愛している。僕はこの/冷たくて速い水の流れにひきつけられるのだ。/それを見ているだけで僕の血は騒ぎ/肌がぞくぞくとする》。
 レイモンド・カーヴァーの「水と水とが出会うところ」(詩集『水と水とが出会うところ』収録)(村上春樹訳・以下同じ)の河(川)の情景は、詩の後半で詩人の人生に重なってくる。《僕は今日で四十五になった。/三十五だったこともあるんだよと言って/誰か信じてくれるだろうか?/三十五のとき、僕の心はからっぽで干からびていたよ!/それがもう一度流れ始めるまでに/五年の歳月がかかった。》。
 キャロル・スクレナカ(星野真理訳)のカーヴァーの伝記(これがおもしろい!)『レイモンド・カーヴァー 作家としての人生』で調べてみるとカーヴァーが三十五歳のとき(一九七三年、伝記では「18 溺れる」の章)アルコール依存症に苦しみ、そのため家庭内にいろいろ問題が。また浮気、客員講師の仕事も辞職、そして七年前以降の二度目の自己破産。――といったことで、あまり執筆活動もできない。
 そんなふうに川と人生を重ね、困難な状況もながい川の流れのひとつの支点、といった考え方は、じつは私たち日本人にも馴染み深い。《ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし》は、鴨長明の『方丈記』の書き出し。「方丈」(約三メートル四方)、高さ二メートルのつつましい庵で書いた――といった意味の題名からもわかるように、《世の中にある人とすみか》の「人」と「家」についての随筆。住まい論ともいえる。

 さて、カーヴァーの伝記にもどると、「20 ホームレスな有名作家」の章のなかで、《ホームレスになった彼は、クパティーノとカリフォルニア・ストリートを行き来し、彼を愛し、食事と寝る場所を提供してくれる人々の家を渡り歩いた》《酒に溺れたレイの奇行よりも深刻なのは、急激に悪化する彼の健康状態だった。末期のアルコール依存症においては、肝臓、心臓、脳、その他の組織の回復不能な損傷が進むことが多い。彼は生きているだけでも幸運だった》とある。
 そんな人生の崖っぷちの時期にある新聞記事を目にし、「釣り人たちの物語」に思いをめぐらす。「川」そして「釣り」のテーマは、マーク・トウェーン、ヘミングウェイ、リチャード・ブローティガンなどアメリカ文学に脈々と流れている。カーヴァーも大好きな釣りのことを小説、詩、エッセイに書いている。でも、この小説「足もとに流れる深い川」(二つのヴァージョンがある)の場合、大自然とふれあう健康な物語というのではなくて、もっと病的で暗い。「足もとに流れる深い川」とはすてきな題名だが「レイモンド・カーヴァー全集第2巻」の村上春樹氏の解題によると、原題を直訳すると「家のこんなに近くに、こんなにいっぱい水があるのに」ということになる、という。
 四人の釣り人が川に浮いた全裸の少女の死体を発見する。しかし釣り仲間たちはせっかくの旅行をだいなしにしたくないため、警察に通報するのを一日遅らせる。《彼らは魚を調理し、ポテト料理を作り、コーヒーを飲み、ウィスキーを飲んだ。それから調理器具と食器を川にもっていって、娘の死体の側で洗った》。語り手は、釣り人のひとりスチュアートの妻。《私は台所の朝食テーブルに座り、コーヒーを飲み、その置き手紙(「行ってくるよ」と書かれた夫の伝言)の上にカップの底の丸いしみをつける。新聞に目をやり、テーブルの上でぱらぱらとページをめくってみる。(……)私は新聞をもったまま長いあいだそこに腰掛けて、考えごとをする。それから私は美容院に予約の電話をかける》。
 妻にとっては見知らぬ少女の死が、こころの中でしだいに性と暴力のイメージを帯びて膨らみ、徐々に彼女の日常生活を壊していく。死んだ少女と精神的に不安定な妻、そしていささか倫理観やデリカシーの欠けた夫の鬱屈した心理は、この時期のカーヴァーの深層が反映されている。
 一九七七年、カーヴァーは酒を断ち、詩人のテス・ギャラガーに出会う。そして十一年後、ポート・エンジェルズに海峡を見渡せる家を購入。しかし、このとき癌が脳に転移していた。同年の一九八八年、六月にギャラガーと結婚。七月にふたりでアラスカへ釣り旅行。八月二日、ポート・エンジェルスの新居で死去する。
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