岩波コラム

精神科医によるコラムです

主人公たちのカルテ2 「るつぼ」

2016-10-13 22:28:52 | 日記
 以下の文章は、現在、渋谷のシアター・コクーンで上演中であるアーサーミラー作の「るつぼ」(堤真一主演)について、公演のパンフレットに解説を寄稿したものです。



「るつぼ」の精神病理

 米国演劇界の巨匠であるテネシー・ウィリアムズやユージン・オニールの作品では、『地獄に落ちたオルフェウス』や『夜への長い旅路』などのように、激しい情念がぶつかり合うことが多く、しばしば悲劇的な結末に辿り着く。それに対して『るつぼ』の作者であるアーサー・ミラーの作風は、代表作『セールスマンの死』を始めとして、理性的で、社会的な視点を持ったものが少なくない。

 本作品『るつぼ』は、17世紀にアメリカ・マサチューセッツ州の田舎町で実際に起きた「セイラムの魔女狩り」を題材にして、1950年代初頭の「赤狩り」(マッカーシズム)への批判をこめた作品となっている。筆者は「私は単にマッカーシズムに対する答として、『るつぼ』を書く気になったのではない」(『アーサー・ミラー全集 Ⅱ』 早川書房)と述べてはいるが、次に示すようにミラー自身が議会の公聴会に証人として出廷した経験が、作品の創作にかなりの影響を与えているのは確かである。

 「ワシントンの公聴会は、まぎれもなく儀式であった。……公聴会のねらいは、明らかに17世紀のセイラムとおなじく、告発された者がおおやけの場で告白し、共犯ならびに〈悪魔の親玉〉を弾劾し、過去の忌まわしい誓いを破ることで新たな忠誠を確約しーそれによって、真人間の社会への復帰を許されるというわけである」(『アーサー・ミラー自伝 下』 早川書房)
 
 セイラムの魔女狩りは1692年に起きたもので、200名あまりの村人が魔女として告発された結果、多くの被告が魔女と断定されて19名が処刑されている。本作品は、アビゲイルの年齢とプロクターとの関係は劇化にあたってミラーが加えた設定であるが、それ以外は、事件の経過を忠実に再現している。ある春の夜、パリス牧師の娘ベティーと従姉妹のアビゲイルは他の少女たちとともに、親に秘密で森での「未来を見る」降霊会を行なっていた。その最中に、アビゲイルが突然興奮状態となり踊り狂う。さらに参加者した少女たちも、次々と異常な行動を起こした。

 この事件の黒幕として、黒人の使用人ティチューバが疑われた。彼女は拷問により、ブードゥーの妖術を使ったことを「自白」した。さらに娘たちは魔女であると村の女性数名を告発する。法廷で女性たちは無罪を主張したが、列席していた少女たちが興奮し気を失って倒れたり、奇妙な姿勢で身体を捻ったりしたため、妖術を使っているとみなされる。このためさらに村人が次々と逮捕され、無残にも絞首刑が執行されたのである。この事件の「主役」は、10代の少女アビゲイルであった。彼女の雇い主であったジョン・プロクターと一夜の情事を持った彼女は、その後ジョンに拒絶されたことにより、彼の妻エリザペスを亡き者にしようと画策する。そのため、アビゲイルが「魔女」であると告発したエリザペスだけでなく多くの村人を無実の罪に陥れることになったのだった。

 この事件で奇妙な点は、アビゲイルに煽動され、悪魔を見てもいないのに「見た」と述べ、法廷などで失神し錯乱状態になった少女たちである。彼女らの異常な言動は意図的な演技なのか、それとも精神的な病理現象だったのだろうか。実はこのような現象は、精神医学の領域ではしばしばみられている。第一にあげられるのは、「空想作話」、「空想虚言」といわれる症状だ。「作話」とは、でまかせの空想的な内容を真実であるかのように述べることである。作話においては、実際に体験していないことが誤って追想され、その内容は容易に変化する。作話は記憶の欠損を埋めるようにして発生することが多いが、内容が事実に反するものであることを本人は必ずしも自覚していない。この場合、自分が有利になるように話を捏造しているように見える場合もあるが、自らの「ウソ」に陶酔し信じ込んでいるものも少なくない。

 空想作話と空想虚言は類似しているが、後者は記憶の障害に基づくものではなく、病的なウソである点で異なっている。セイラムの少女たちの証言には、空想作話と空想虚言が混在していた。空想虚言が際立ったケースを、「空想虚言症」と呼ぶ。空想虚言症においては、活発な空想にもとづいて、現実とはかけ離れた言動を示し、他人を欺くのみならず、自身もまたその空想虚言を信じこんでしまう状態となりやすい。アビゲイルに巻きこまれた少女たちもこのような状態であったのだろう。空想虚言症に類似した状態として、「ミュンヒハウゼン症候群」が知られている。この症候群では、周囲の関心や同情を引くために病気を装ったり、自らの体を傷付けたりといった行動が見られるが、本人は自らの「ウソ」を事実と信じている場合が多い。

 セイラムの魔女狩りと類似の「告発」は、最近でも起きている。いわゆる「偽の記憶」の事件である。これは心理療法家が患者のトラウマを捏造したものであり、大きな社会問題となった。「偽の記憶」によって患者の家族などが虐待の加害者として告発され、刑事事件となることが米国で続発したからである。カウンセラーや心理療法家は、「心の悩み」を持った患者に尋ねる。「あなたは、子どものころ、虐待された経験があるのではないか?」そうすると何割かの患者は、それまで「忘れていた」虐待体験を「思い出す」。カウンセリングを続ける中で、虐待の記憶は次第に明確なものになってくる。そして患者は自分の精神的な不調が、児童期の「トラウマ」が原因であることを「自覚」するのだ。

 しかしこのような虐待の記憶は、実際のものではなく、ほとんどが無自覚に捏造されたものであった。この現象は、多重人格において、カウンセラーの誘導によって新たな人格が出現することと類似している。セイラムの魔女事件においては、カウンセラーの役割を裁判における判事たちが演じた。ストレスの強い状況下において、少女たちは半ば無自覚に記憶を捏造したのである。さらに彼女たちが示した錯乱状態やけいれん発作、あるいは無反応の状態は、医学的には、ヒステリー(解離性障害)の症状そのものだった。

 疾患としての「ヒステリー」は、2つのタイプに分類され、運動障害、感覚障害などの身体的な症状がみられるものは「転換」と呼ばれる。一方、精神的な機能障害を示すタイプを「解離」と呼ぶ。解離の症状としては、記憶障害、もうろう状態、けいれん発作などが出現するが、これはセイラムの少女たちの症状と一致する。このように『るつぼ』の内容は、社会的なメッセージが底流にあるだけでなく、精神医学的にも奥行きの深い内容を含んでいる。