このコラムは2008年4月14日に東京新聞「放射線」に掲載されました。
幾分曖昧な記憶によれば、1980年代前半のことである。場所は京王線の代田橋だった。新宿から電車で十分ほどの距離であるのに、駅前に水道局の大きな敷地があるためか、どこか打ち捨てられたような街並が続いていた。
その小劇場は、倒産した町工場の建物をそのまま使っていたのである。季節は真冬だった。場内にはいくつかストーブが置いてあったが、空気は冷え切っていて、粗末な長椅子に腰掛けた二十名ほどの観客は寒さで震えていた。
俳優の豊川潤氏らが出演した二時間あまりの芝居は、素晴らしいできだった。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を潤色した不条理劇である。ベケットのこの作品は、神を暗示するゴドーを待ち続ける二人の老人が主人公だが、キリスト教には縁の薄い日本でも人気が高い。
十年あまり後ロンドンに滞在中、ウェストエンドの劇場でいくつかの舞台を見る機会があった。こうした演劇は豪華な演出で役者陣も魅力的だったことは言うまでもない。しかし芝居そのものの魅力という点では、代田橋のベケットや十条の映画館を劇場にした斜光社の解散公演は、決して劣ってはいなかった。
英国では俳優が職業として認知され、失業保険も長く給付されるという。これによって演劇を目指す若者はオフウェストエンドなどの小劇場で腕を磨く余裕も持てた。当時の英国は不況のどん底にあったが、こうした助成はやめなかった。文化を育てるという点からは、見習うべきなのかもしれない。
幾分曖昧な記憶によれば、1980年代前半のことである。場所は京王線の代田橋だった。新宿から電車で十分ほどの距離であるのに、駅前に水道局の大きな敷地があるためか、どこか打ち捨てられたような街並が続いていた。
その小劇場は、倒産した町工場の建物をそのまま使っていたのである。季節は真冬だった。場内にはいくつかストーブが置いてあったが、空気は冷え切っていて、粗末な長椅子に腰掛けた二十名ほどの観客は寒さで震えていた。
俳優の豊川潤氏らが出演した二時間あまりの芝居は、素晴らしいできだった。サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を潤色した不条理劇である。ベケットのこの作品は、神を暗示するゴドーを待ち続ける二人の老人が主人公だが、キリスト教には縁の薄い日本でも人気が高い。
十年あまり後ロンドンに滞在中、ウェストエンドの劇場でいくつかの舞台を見る機会があった。こうした演劇は豪華な演出で役者陣も魅力的だったことは言うまでもない。しかし芝居そのものの魅力という点では、代田橋のベケットや十条の映画館を劇場にした斜光社の解散公演は、決して劣ってはいなかった。
英国では俳優が職業として認知され、失業保険も長く給付されるという。これによって演劇を目指す若者はオフウェストエンドなどの小劇場で腕を磨く余裕も持てた。当時の英国は不況のどん底にあったが、こうした助成はやめなかった。文化を育てるという点からは、見習うべきなのかもしれない。