アウグストゥスの神格化に伴い自動的に神となったのは後家、リウィア。えーっとつまりはティー坊の実の母です。幼い頃に自分を抱き辺境を逃げ、その後、アウグストゥスに見初められ実の父と離婚した母。そしてアウグストゥスの養子となったティー坊にとって再度、母となった人。夫が神になったのですから当然彼女も神格化されます。具合の悪いことに父は死にましたが母は生きているのです。元老院は亡きアウグストゥスに「国家の父」の称号を与えると同時にリウィアに「国家の母」の称号を与えます。
ローマ全市民の母となった人を「お母さん」と呼べるでしょうか?
聡明なリウィアはティー坊の政治にもたびたび口を出します。
母を知らずに育ったティー坊。だからと言って母を異常に愛するマザコンになったわけではありません。ただ彼は普通のお母さんが欲しかったのです。彼はたまに実家に帰って母のカレーライスが食べたかったのです。たくさん愛して欲しいと言っているわけではありません、カレーくらいいいじゃないですか、美味しいし。でも母リウィアはカレーを作ってくれませんでした。豚の角煮も、グラタンも作ってはくれませんでした。ただただ政治のことをちくちく言ってくるだけです。
カレーが食べられないのであれば家にいたって仕方がありません。「カレーないなら帰らないもんねーばぶー」とばかりにまた家出をします。今度はカプリ島。
いや、家出とかばぶーとか言ってますがこの頃、ティベリウス60歳くらい。(ちなみに母リウィア80歳くらい)
ローマからも比較的交通の便がいいこの島に居を移し、以降彼は死ぬまでこの島から皇帝の業務を行います。
カプリ島に居を移したとは言え彼の政治はうまく行っていました。(後の世に「ティベリウス・スクール」と呼ばれることになるティー坊が育てた若き政治家が有能だったおかげもありますし、それまでに彼が作った情報網がじゅうぶんに機能していたおかげでもあります。)
ここまで皇帝ティー坊の政治は概ね好評でした。いくぶん堅実で地味ではありますがそれでも大きな問題は起こっていませんでした。愛されなかったティー坊、ローマ市民だけは愛し続けていたのです。
しかし彼はその愛を失います。
その理由の一つ目は緊縮財政、公共事業の停止と増税。国のためとは言え実際の生活が苦しくなったローマ市民はティー坊を非難します。
そして帝位簒奪を企てたセイヤヌスを含む63人の処刑。これにより自らの権力を奪われることだけには敏感な元老院、身の危険を感じティベリウスを非難し始めます。
ここを少し弁護させていただくと、カエサルはガリア戦争において何万人もの兵士を殺しルビコンを渡ってからは何万人ものローマ兵を殺しました。またアウグストゥスはカエサル暗殺者を主とする共和制派を何百人と殺しました。
戦争で、あるいは「パクス・ロマーナ」の名の下に多くの敵を殺したカエサルとアウグストゥス。死んで彼らは神とあがめられます。一方、一応は尊厳毀損法という法律に基づいて63人を処刑したティベリウス。彼は元老院とローマ市民から嫌われます。
こんな一節を思い起こさずにはいられません。
「一人殺せば殺人犯、世界中の半分を殺せば英雄、全人類を殺せば神になる」
そしてもうひとつ、西暦33年、ローマ帝国属州の町パレスティナにおいて、ある新興宗教のリーダーが処刑されます。彼の刑罰はローマ帝国への反乱刑として十字架への磔。
もちろんそのリーダーとは、ナザレのイエス、後のイエス・キリストその人です。この出来事はティベリウスはほとんど関わっていませんが、彼の時代にキリストが処刑されたことは後のキリスト教徒が彼を非難する要因のひとつになったはずです。
当時のローマ市民が生活のために皇帝に求めていたものは「パンとサーカス」といわれています。まず「パン」とは食料。ローマ市民には常に国家から小麦が配給されていました。
それから「サーカス」とは娯楽。たとえばコロッセオでの剣闘大会など。ティべリウスはその剣闘大会をあまり好みませんでした。インテリの彼には奴隷同士を娯楽のために殺し合わせそれを見て熱狂する、という趣味がなかったのです。
人の喜ぶ顔が好きだったユリウス・カエサルは単なる一市民の頃から自費で剣闘大会を主催しました。(イメージで言うと普通の人が新日札幌シリーズの興行主になるようなものです。当然莫大な費用は全部借金)
現実的なアウグストゥスは剣闘大会自体は興味がありませんでしたが人気取りのために主催しちゃんと観客席に姿を見せました。市民に挨拶した後は観客席で自分の仕事をしていたそうですが。
しかしティベリウスは一度も主催せず観客席に出向くこともありませんでした。そういうの好きじゃないし~。
これもまたローマ市民から「ティー坊付き合い悪いよな~」と思われます。
現在、イタリアの歴史の教科書にはこういう記述があるそうです。
「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」
指導者に必要なもの、について僕は何もわかりません。その五つと言われればそうなのかもしれません。ただ僕は指導者として絶対に言ってはいけないこと、だけはおぼろげながら思っています。
それは、
「だったらお前がやってみろ」
です。
望んだ権力ではないにせよ、それを言ってはおしまいではないですか。つまり、指導者は絶対に投げてはいけないのです。誰かに譲ってもいい、辛ければ適当にお茶を濁してもいい、しかし投げてはいけないのです。
(という意味で僕は安部前首相を認めていません)
人生は不本意なものです。あっち行けーと言われればこっちに来いと言われ、やろうと思ったらやるなと言われ。一番好きな人とずっと一緒にいられることのほうが奇跡なのです。そんなことはわかっています。僕もわかっています。ドッピオさんもわかっています。
確かにティベリウスの人生は不本意なものでした。それでもそれを受け入れました。彼は言われたことを言われた以上にやりました。不器用だったかもしれません。それでも皇帝としての責務は何一つ投げませんでした。それで充分じゃないですか。市民に嫌われることが何だと言うんでしょう。
ティー坊が死んだとき、市民は口々に叫びました。「死体をテヴェレ河に放り込め!」と。しかし市民がおおっぴらに時の最高権力者を非難できる平和、というのもあるのではないでしょうか。そしてそれはその最高権力者によって保たれた平和であったことは間違いありません。
ティベリウスは皇帝でありながら人生最後の10年をカプリ島で過ごしました。それも市民が彼を嫌う理由のひとつでした。ローマ皇帝なのにローマにいないなんて、と。
「カプリ島、青の洞窟」
彼の気持ちを分かってくれるのはカプリ島の青い海だけだったのかも知れません。
僕はティベリウスが好きです。
<ティベリウス伝 完>
ローマ全市民の母となった人を「お母さん」と呼べるでしょうか?
聡明なリウィアはティー坊の政治にもたびたび口を出します。
母を知らずに育ったティー坊。だからと言って母を異常に愛するマザコンになったわけではありません。ただ彼は普通のお母さんが欲しかったのです。彼はたまに実家に帰って母のカレーライスが食べたかったのです。たくさん愛して欲しいと言っているわけではありません、カレーくらいいいじゃないですか、美味しいし。でも母リウィアはカレーを作ってくれませんでした。豚の角煮も、グラタンも作ってはくれませんでした。ただただ政治のことをちくちく言ってくるだけです。
カレーが食べられないのであれば家にいたって仕方がありません。「カレーないなら帰らないもんねーばぶー」とばかりにまた家出をします。今度はカプリ島。
いや、家出とかばぶーとか言ってますがこの頃、ティベリウス60歳くらい。(ちなみに母リウィア80歳くらい)
ローマからも比較的交通の便がいいこの島に居を移し、以降彼は死ぬまでこの島から皇帝の業務を行います。
カプリ島に居を移したとは言え彼の政治はうまく行っていました。(後の世に「ティベリウス・スクール」と呼ばれることになるティー坊が育てた若き政治家が有能だったおかげもありますし、それまでに彼が作った情報網がじゅうぶんに機能していたおかげでもあります。)
ここまで皇帝ティー坊の政治は概ね好評でした。いくぶん堅実で地味ではありますがそれでも大きな問題は起こっていませんでした。愛されなかったティー坊、ローマ市民だけは愛し続けていたのです。
しかし彼はその愛を失います。
その理由の一つ目は緊縮財政、公共事業の停止と増税。国のためとは言え実際の生活が苦しくなったローマ市民はティー坊を非難します。
そして帝位簒奪を企てたセイヤヌスを含む63人の処刑。これにより自らの権力を奪われることだけには敏感な元老院、身の危険を感じティベリウスを非難し始めます。
ここを少し弁護させていただくと、カエサルはガリア戦争において何万人もの兵士を殺しルビコンを渡ってからは何万人ものローマ兵を殺しました。またアウグストゥスはカエサル暗殺者を主とする共和制派を何百人と殺しました。
戦争で、あるいは「パクス・ロマーナ」の名の下に多くの敵を殺したカエサルとアウグストゥス。死んで彼らは神とあがめられます。一方、一応は尊厳毀損法という法律に基づいて63人を処刑したティベリウス。彼は元老院とローマ市民から嫌われます。
こんな一節を思い起こさずにはいられません。
「一人殺せば殺人犯、世界中の半分を殺せば英雄、全人類を殺せば神になる」
そしてもうひとつ、西暦33年、ローマ帝国属州の町パレスティナにおいて、ある新興宗教のリーダーが処刑されます。彼の刑罰はローマ帝国への反乱刑として十字架への磔。
もちろんそのリーダーとは、ナザレのイエス、後のイエス・キリストその人です。この出来事はティベリウスはほとんど関わっていませんが、彼の時代にキリストが処刑されたことは後のキリスト教徒が彼を非難する要因のひとつになったはずです。
当時のローマ市民が生活のために皇帝に求めていたものは「パンとサーカス」といわれています。まず「パン」とは食料。ローマ市民には常に国家から小麦が配給されていました。
それから「サーカス」とは娯楽。たとえばコロッセオでの剣闘大会など。ティべリウスはその剣闘大会をあまり好みませんでした。インテリの彼には奴隷同士を娯楽のために殺し合わせそれを見て熱狂する、という趣味がなかったのです。
人の喜ぶ顔が好きだったユリウス・カエサルは単なる一市民の頃から自費で剣闘大会を主催しました。(イメージで言うと普通の人が新日札幌シリーズの興行主になるようなものです。当然莫大な費用は全部借金)
現実的なアウグストゥスは剣闘大会自体は興味がありませんでしたが人気取りのために主催しちゃんと観客席に姿を見せました。市民に挨拶した後は観客席で自分の仕事をしていたそうですが。
しかしティベリウスは一度も主催せず観客席に出向くこともありませんでした。そういうの好きじゃないし~。
これもまたローマ市民から「ティー坊付き合い悪いよな~」と思われます。
現在、イタリアの歴史の教科書にはこういう記述があるそうです。
「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」
指導者に必要なもの、について僕は何もわかりません。その五つと言われればそうなのかもしれません。ただ僕は指導者として絶対に言ってはいけないこと、だけはおぼろげながら思っています。
それは、
「だったらお前がやってみろ」
です。
望んだ権力ではないにせよ、それを言ってはおしまいではないですか。つまり、指導者は絶対に投げてはいけないのです。誰かに譲ってもいい、辛ければ適当にお茶を濁してもいい、しかし投げてはいけないのです。
(という意味で僕は安部前首相を認めていません)
人生は不本意なものです。あっち行けーと言われればこっちに来いと言われ、やろうと思ったらやるなと言われ。一番好きな人とずっと一緒にいられることのほうが奇跡なのです。そんなことはわかっています。僕もわかっています。ドッピオさんもわかっています。
確かにティベリウスの人生は不本意なものでした。それでもそれを受け入れました。彼は言われたことを言われた以上にやりました。不器用だったかもしれません。それでも皇帝としての責務は何一つ投げませんでした。それで充分じゃないですか。市民に嫌われることが何だと言うんでしょう。
ティー坊が死んだとき、市民は口々に叫びました。「死体をテヴェレ河に放り込め!」と。しかし市民がおおっぴらに時の最高権力者を非難できる平和、というのもあるのではないでしょうか。そしてそれはその最高権力者によって保たれた平和であったことは間違いありません。
ティベリウスは皇帝でありながら人生最後の10年をカプリ島で過ごしました。それも市民が彼を嫌う理由のひとつでした。ローマ皇帝なのにローマにいないなんて、と。
「カプリ島、青の洞窟」
彼の気持ちを分かってくれるのはカプリ島の青い海だけだったのかも知れません。
僕はティベリウスが好きです。
<ティベリウス伝 完>
イケイケのカエサルとかとはまた違った魅力があるね。
カプリ島、季節外れに行きましたが、「そりゃティー坊も住むわ」って感じでしたよ。レモンがいっぱいですた。
断崖絶壁の動画あったからUPしとっかな。
つかイタリア行きなさいよ。会社辞めて。
また書いて下さいね。
ティベリウスいいよね。俺、好きなんだわ。大変なのに不平不満言っている感じがしないんだよな。
>よね3
いいすね~カプリ島。レモンチェッロ(カプリ島名産の酒)飲みに行きたいです。
>りちゅさん
ありがとうございます。ここのところの列伝は良い人ばっかり書いてきましたが次は「あーもうこいつどーしよーもねーなー」って人を書こうと思ってます。
あと、道端で売ってたオレンジがまた美味しかった。
終わっちゃうのか。カエサル、アウグス、がちょっと異常なほど優秀過ぎたっていうのもあるんかね。
でもこの時代日本はまだ弥生時代くらい?コールは2時間やまないくらいか、すごい差だよね。