このローマ人列伝は基本的にローマ人の話ですが第二回にしていきなりガリア人の話。
繰り返しますがこのシリーズは個人的なものなので歴史的間違いなどはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)
ガリアの若獅子ヴェルチンジェトリックスのお話がは~じま~るよ~。
かっこいいですね~。レニー・クラヴィッツじゃないですよ。
まずは簡単にwikiから要約しておきましょう。
生まれは紀元前72年。カエサルが紀元前100年生まれですからだいたい30歳年下、ということになります。名を上げるガリア戦争は紀元前58~49年ですから20歳そこそこの若将ということです。帝国の英雄カエサルと辺境に咲いた乱の花。曹操と馬超を重ねてみるのも一興かも知れません。
生まれは当時ガリアと呼ばれた今のフランス。当時のフランスはまだまだ未開の地でサークル会館のESSくらいのかんじでした。100を越える部族がひしめき合っているだけでした。髪は長髪、口にはヒゲ。
一応、ガリアとはどこか、ということを書いておくとフランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツあたり。
ローマ人の間で「長衣(トーガ)のガリア」と言えばガリア地方の中でも早くからローマの属州となりローマ化した地方。トーガは当時、ローマ人にとっての正装でした。一方まだまだ野蛮なガリア、という意味では「ズボンのガリア」「長髪のガリア」「全裸のドッピオ」。
ヴェルチンジェトリックスが生まれたのは正に全裸のドッピオ、じゃなくて長髪のガリア。完全なる未開の地の一部族の中に生まれました。
彼の生まれた部族はオーヴェルニュ族。今ではその部族の名をとり「オーヴェルニュ」という都市になっています。フランスのタイヤメーカー、ミシュラン本社があるそうです。よう知らんけど。
名を上げはじめるのは、カエサルがガリアに攻めてきてから。結果的に9年にわたることになるこのガリア戦争はカエサルにとって最大の戦いとなります。ミノルハイツ春の乱とは規模が違います。
ガリア地方の各部族とカエサルの戦いが続いたガリア戦争7年目、オーヴェルニュ族は比較的カエサルへの反抗心は弱かったようです。大きな戦いはありませんでした。そんな部族内で反ローマ派と親ローマ派の戦いが起こります。カエサルに屈するか、部族の誇りを胸に戦うか。
この部族内抗争は一応、親ローマ派の勝利で終えます。負けた反ローマ派のリーダーは部族の広場で公開処刑。戦乱を避ける方向で落ち着いたかに見えます。しかしそのリーダーには息子がいました。それがヴェルチンジェトリックス。なんと言うか反ローマ過激派になるのも当然、という感じの出来事です。彼は反ローマ派のリーダーの息子ということで部族を追放されますが在野に潜み仲間を集めクーデターを起こします。このクーデターが即成功してしまうあたり、彼の軍才を感じます。
カエサルに対するガリア全土の課題が「部族同士の団結力の無さ」にあると感じたヴェルちんはガリア全部族に決起の使節を送ります。話が通じない部族とは「飲んだやつがエライ」とばかりに酒で勝負、それでも言うこと聞かない人には人質を取り脅迫までして自分に従わせます。そして若くして「ガリア王」を名乗ります。方法はどうあれヴェルちんのおかげで今まで烏合の衆だった軍が初めてチームになったのです。
広大なガリアの大地に育った彼は力も強く、若くしてぐんぐんと武功をあげていきます。
当時のガリア人の戦い方と言えば基本的にはゲリラ戦。敵が来る森に身を潜め待ち、見つけた瞬間、襲い掛かる、というもの。この戦法は今まで、ガリア人同士の小競り合いやその他の部族との戦いでは非常に有効でした。何せ彼らは「森で育った」といわれるほど森を知り尽くしていましたから。
ただし、ローマ人との戦いではその戦法がまったく通じませんでした。ローマ人はどれだけゲリラ的に叩こうともどんどん後続部隊がやってきます。ガリア人はずるずると戦線を下げていくしかないのです。
秘訣はローマ人の戦い方にあります。当時から「ローマは兵站で勝つ」と言われていました。ローマ部隊は常に補給路を確保していましたし、駐屯地の建設方法に関しても明確なマニュアルがあり短時間ですぐに建設していました。一部隊をゲリラに叩かれても痛くも痒くもなかったのです。
ヴェルチンジェトリックスはそれに気づいていました。もぐらたたきをしても勝てないのです。臭いニオイは元から断たなきゃダメ。彼の戦い方はゲリラ戦と兵站叩きの二本立て。
攻めてくるローマ部隊を森の中で叩くとともに別部隊を進軍させ、戦線の裏側に行き、補給部隊を叩きます。またローマの駐屯地を攻めた場合には単に兵を殺すだけではなく、食料、家畜もすべて奪い、奪いきれない分は焼きました。とにかくローマ軍の兵站を断ったのです。このあたり、結果論で言えば「そりゃそうだ」と思うかも知れませんが、結構難しいです。20歳そこそこのヴェルチンジェトリックスは優秀だったのです。名前長いだけのことはあります。
更に彼が力を入れたのが騎兵隊の増強。それまで基本的にトボだったガリア人。ローマの騎兵隊に敵うわけがありません。森に生まれた彼らが馬を持つことによって更に強くなっていきます。
カエサルにとってここまでのガリア戦争は退屈でした。行くところ行くところ連戦連勝。だってガリア人たいしたことないんだもーん、と思っていました。そこに出てきたヴェルチンジェトリックス。敵であれ味方であれ人好き、人たらしのカエサルにはたまりません。「面白くなってきたね~」とでも思ったんでしょう。
カエサルにとってはガリア全土は将棋盤みたいなものでした。
(当時のガリア地図とカエサル軍の動き)
圧倒的な天才は「神」の視点でガリアを睥睨していたのです。ただし、この将棋には足りないものがありました。それは「相手」です。今までのガリア武将は所詮は将棋の駒。何も考えずに将棋盤の上を走りまわっているようなものです。そんな将棋が楽しいか?あ、楽しいんだ、じゃいいけど。
カエサルは退屈でした。そして退屈さのあまり盤から目を離し前を見たときに、おぼろげながら盤の向こうに人を見たのです。長髪で髭を生やした全裸の、いや全裸ではないけど、とにかく若者を。それがヴェルチンジェトリックスという長い名前の武将でした。
もともとガリア連合軍は各部族の強い人たちの集まり。一人一人は強いけども「チーム」としての強さはありませんでした。僕らが一年の頃のアズテックのドンパたちみたいなものです。こういう部隊はいつか瓦解します。その直前で強いリーダーが出てきたことはガリアにとって幸運でした。
ガリアの若き獅子対ローマの昇竜。
カエサルによって書かれた「ガリア戦記」によればその戦力はガリア連合軍8万、ローマ軍6万。 ただし、カエサルが書いた本ですから敵軍をちょっと吹いている可能性があります。まぁその辺差っぴいてだいたい同じくらいの戦力だったのではないでしょうか。同じ戦力とは言えローマ軍は長年の統治により鍛え上げられた正規軍。前ならえの仕方からぴっちりそろってます。一方、ガリアは全裸、いや全裸じゃないけどちょっと前まで兎や鹿を追いかけてた野蛮人、バルバロイたちです。
※話はちょっとずれますが現代英語の単語にもなっている【barbarian】(バーバリアン、野蛮人)はもともとギリシャ語でバルバロス、「わけの分からない言葉を喋る人」という意味。ローマ時代にもその言葉は野蛮人を意味しガリア人など異民族のことを指していました。(バルバロイ、はバルバロスの複数形) バルバロイは擬音語、という説もあります。つまり「バルバルと喋る人」という意味。異邦人の「バルバル、バル!バルバル!」という言葉はわけが分からなくて恐怖だったのかも知れません。だから来訪者バオーは「バルバルバルッ!」と喋るのだ、と僕は信じています。
しかしそのバルバロイがヴェルちんというリーダーを得、ガリア連合軍は連戦連勝。そもそも個人でも結構いい戦いをしていた軍にリーダーが生まれたのですからそりゃ当然、という感じもします。
しかし、歴史においては勝った要因がその後負ける原因になる、ということが往々にして起こりうるのです。
ガリア戦争のすべてを決める戦いが始まろうとしていました。
…to be continued.
繰り返しますがこのシリーズは個人的なものなので歴史的間違いなどはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)
ガリアの若獅子ヴェルチンジェトリックスのお話がは~じま~るよ~。
かっこいいですね~。レニー・クラヴィッツじゃないですよ。
まずは簡単にwikiから要約しておきましょう。
生まれは紀元前72年。カエサルが紀元前100年生まれですからだいたい30歳年下、ということになります。名を上げるガリア戦争は紀元前58~49年ですから20歳そこそこの若将ということです。帝国の英雄カエサルと辺境に咲いた乱の花。曹操と馬超を重ねてみるのも一興かも知れません。
生まれは当時ガリアと呼ばれた今のフランス。当時のフランスはまだまだ未開の地でサークル会館のESSくらいのかんじでした。100を越える部族がひしめき合っているだけでした。髪は長髪、口にはヒゲ。
一応、ガリアとはどこか、ということを書いておくとフランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツあたり。
ローマ人の間で「長衣(トーガ)のガリア」と言えばガリア地方の中でも早くからローマの属州となりローマ化した地方。トーガは当時、ローマ人にとっての正装でした。一方まだまだ野蛮なガリア、という意味では「ズボンのガリア」「長髪のガリア」「全裸のドッピオ」。
ヴェルチンジェトリックスが生まれたのは正に全裸のドッピオ、じゃなくて長髪のガリア。完全なる未開の地の一部族の中に生まれました。
彼の生まれた部族はオーヴェルニュ族。今ではその部族の名をとり「オーヴェルニュ」という都市になっています。フランスのタイヤメーカー、ミシュラン本社があるそうです。よう知らんけど。
名を上げはじめるのは、カエサルがガリアに攻めてきてから。結果的に9年にわたることになるこのガリア戦争はカエサルにとって最大の戦いとなります。ミノルハイツ春の乱とは規模が違います。
ガリア地方の各部族とカエサルの戦いが続いたガリア戦争7年目、オーヴェルニュ族は比較的カエサルへの反抗心は弱かったようです。大きな戦いはありませんでした。そんな部族内で反ローマ派と親ローマ派の戦いが起こります。カエサルに屈するか、部族の誇りを胸に戦うか。
この部族内抗争は一応、親ローマ派の勝利で終えます。負けた反ローマ派のリーダーは部族の広場で公開処刑。戦乱を避ける方向で落ち着いたかに見えます。しかしそのリーダーには息子がいました。それがヴェルチンジェトリックス。なんと言うか反ローマ過激派になるのも当然、という感じの出来事です。彼は反ローマ派のリーダーの息子ということで部族を追放されますが在野に潜み仲間を集めクーデターを起こします。このクーデターが即成功してしまうあたり、彼の軍才を感じます。
カエサルに対するガリア全土の課題が「部族同士の団結力の無さ」にあると感じたヴェルちんはガリア全部族に決起の使節を送ります。話が通じない部族とは「飲んだやつがエライ」とばかりに酒で勝負、それでも言うこと聞かない人には人質を取り脅迫までして自分に従わせます。そして若くして「ガリア王」を名乗ります。方法はどうあれヴェルちんのおかげで今まで烏合の衆だった軍が初めてチームになったのです。
広大なガリアの大地に育った彼は力も強く、若くしてぐんぐんと武功をあげていきます。
当時のガリア人の戦い方と言えば基本的にはゲリラ戦。敵が来る森に身を潜め待ち、見つけた瞬間、襲い掛かる、というもの。この戦法は今まで、ガリア人同士の小競り合いやその他の部族との戦いでは非常に有効でした。何せ彼らは「森で育った」といわれるほど森を知り尽くしていましたから。
ただし、ローマ人との戦いではその戦法がまったく通じませんでした。ローマ人はどれだけゲリラ的に叩こうともどんどん後続部隊がやってきます。ガリア人はずるずると戦線を下げていくしかないのです。
秘訣はローマ人の戦い方にあります。当時から「ローマは兵站で勝つ」と言われていました。ローマ部隊は常に補給路を確保していましたし、駐屯地の建設方法に関しても明確なマニュアルがあり短時間ですぐに建設していました。一部隊をゲリラに叩かれても痛くも痒くもなかったのです。
ヴェルチンジェトリックスはそれに気づいていました。もぐらたたきをしても勝てないのです。臭いニオイは元から断たなきゃダメ。彼の戦い方はゲリラ戦と兵站叩きの二本立て。
攻めてくるローマ部隊を森の中で叩くとともに別部隊を進軍させ、戦線の裏側に行き、補給部隊を叩きます。またローマの駐屯地を攻めた場合には単に兵を殺すだけではなく、食料、家畜もすべて奪い、奪いきれない分は焼きました。とにかくローマ軍の兵站を断ったのです。このあたり、結果論で言えば「そりゃそうだ」と思うかも知れませんが、結構難しいです。20歳そこそこのヴェルチンジェトリックスは優秀だったのです。名前長いだけのことはあります。
更に彼が力を入れたのが騎兵隊の増強。それまで基本的にトボだったガリア人。ローマの騎兵隊に敵うわけがありません。森に生まれた彼らが馬を持つことによって更に強くなっていきます。
カエサルにとってここまでのガリア戦争は退屈でした。行くところ行くところ連戦連勝。だってガリア人たいしたことないんだもーん、と思っていました。そこに出てきたヴェルチンジェトリックス。敵であれ味方であれ人好き、人たらしのカエサルにはたまりません。「面白くなってきたね~」とでも思ったんでしょう。
カエサルにとってはガリア全土は将棋盤みたいなものでした。
(当時のガリア地図とカエサル軍の動き)
圧倒的な天才は「神」の視点でガリアを睥睨していたのです。ただし、この将棋には足りないものがありました。それは「相手」です。今までのガリア武将は所詮は将棋の駒。何も考えずに将棋盤の上を走りまわっているようなものです。そんな将棋が楽しいか?あ、楽しいんだ、じゃいいけど。
カエサルは退屈でした。そして退屈さのあまり盤から目を離し前を見たときに、おぼろげながら盤の向こうに人を見たのです。長髪で髭を生やした全裸の、いや全裸ではないけど、とにかく若者を。それがヴェルチンジェトリックスという長い名前の武将でした。
もともとガリア連合軍は各部族の強い人たちの集まり。一人一人は強いけども「チーム」としての強さはありませんでした。僕らが一年の頃のアズテックのドンパたちみたいなものです。こういう部隊はいつか瓦解します。その直前で強いリーダーが出てきたことはガリアにとって幸運でした。
ガリアの若き獅子対ローマの昇竜。
カエサルによって書かれた「ガリア戦記」によればその戦力はガリア連合軍8万、ローマ軍6万。 ただし、カエサルが書いた本ですから敵軍をちょっと吹いている可能性があります。まぁその辺差っぴいてだいたい同じくらいの戦力だったのではないでしょうか。同じ戦力とは言えローマ軍は長年の統治により鍛え上げられた正規軍。前ならえの仕方からぴっちりそろってます。一方、ガリアは全裸、いや全裸じゃないけどちょっと前まで兎や鹿を追いかけてた野蛮人、バルバロイたちです。
※話はちょっとずれますが現代英語の単語にもなっている【barbarian】(バーバリアン、野蛮人)はもともとギリシャ語でバルバロス、「わけの分からない言葉を喋る人」という意味。ローマ時代にもその言葉は野蛮人を意味しガリア人など異民族のことを指していました。(バルバロイ、はバルバロスの複数形) バルバロイは擬音語、という説もあります。つまり「バルバルと喋る人」という意味。異邦人の「バルバル、バル!バルバル!」という言葉はわけが分からなくて恐怖だったのかも知れません。だから来訪者バオーは「バルバルバルッ!」と喋るのだ、と僕は信じています。
しかしそのバルバロイがヴェルちんというリーダーを得、ガリア連合軍は連戦連勝。そもそも個人でも結構いい戦いをしていた軍にリーダーが生まれたのですからそりゃ当然、という感じもします。
しかし、歴史においては勝った要因がその後負ける原因になる、ということが往々にして起こりうるのです。
ガリア戦争のすべてを決める戦いが始まろうとしていました。
…to be continued.
つまり「バルバル、バル!バルバル!」を
「ルバル、ルバ、ルバルバ!」と勘違いして
「バルバルバ」しなきゃならないところを
「ルバルバ」しちゃったことにより負けちゃったとでも?
ええ、ぜひゆっくり読んでください。ヴェルチンジェトリックス編は長丁場になりますから。
>マドモアゼル唯先生
うーん突っ込みにくいぼけバル!バルババルバル!
いいねー、面白い。ドンドン書いて栗。
ばんばん行きますよ~。とはいえ多分ヴェルちん伝は全3回でまとまりそうな感じです。
昨日ティベリウスについて調べていてこちらへ来ました
すごく分かりやすくて、すごく面白くて
バルバル!笑ってしまいました
列伝、楽しみに読ませていただきます
完全に個人的趣味なので正確性には大変疑問ですが。。
ティベリウスはいいですねー、僕は大好きです。