浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

「騎士団長殺し」が身体に来た個人的なみっつの事柄。

2017-03-05 19:57:59 | 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編


騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ時にも思ったけど、やっぱり、とんでもない小説だよな、と思う。話の筋だけを思い返せば「あのさ、貴方いったい何を言ってるの??」という話なんだけど、やっぱりぐいぐい「読ませる」、村上春樹の小説にそういうことを言うのも今更ながらほんとにに失礼な話だけど。とにかく、読ませる、脳というか身体に来る(気がする、僕はね)。

前に書いたとおり、かなり前からAmazonで予約注文をしていたのだけどしばらく家を留守にしていたせいで発売日には受取る事ができず、手に入れたのは3月2日だった。「まぁせっかくだからちょびちょび読もうかな」と思っていたんだけどやっぱり読み始めたら一気に読んでしまった。少し出かけるときがあったりすると「ああ、早く家に帰って続きが読みたいな」と思うくらい。(家でゆっくり読みたかったので外出するときには持ち歩かなかった)

小説の内容とはまったく関係無いけど、「身体に来たなぁ」と思うことがみっつあって、まずひとつ目。

僕は最近、家に居るときにはラジオばかり聴いている。ラジオだと普通に音楽を聴くのと違って人の喋り言葉が多いから、「ラジオ聴きながら本なんて読めないよ」という人もいる。でも、僕は大丈夫。ラジオかかっていても本は読める。だけど、この本のときには一切ラジオがダメだった。もちろん、ラジオが気になってしまうくらい本の内容が云々という訳じゃない。ただダメだっただけ。なので、ラジオをとめて音楽を聞こうとしたけどいわゆる「歌声のある曲」もダメだった。そしてインストゥルメンタルでもジャズはダメ。幾つかの種類の音楽を試してみて結局、交響楽がしっくり来たのでこの小説を読む時はずっとそれをかけていた。そんな種類の音楽、僕は日頃、ほとんど僕は聴かないのに。不思議なものです。

ふたつ目。とにかく読みながら、腹が減った。腹が減ったというより何かを口に入れたかった。最近、ほとんど間食をしないのだけれどそれでもこの小説を読んでいる間はとにかく何かを口に入れたくて、読み進めたいのに、何かを口に入れたいという欲求が高まって、開いた本を家のテーブルに置いたまま、スーパーに行ってスナックを買ってきて、家に戻り、スナックの封を開けてまた読み進める、ということをやっていた。

みっつ目。読みながらとにかく村上春樹の過去作を読み返したくなった。特に「ねじまき鳥クロニクル」と「ダンス・ダンス・ダンス」。読み返したいのだけど、待て待て、と。とりあえず今、この小説を読み進めようよ、と思ったけど、読み返したくて。耐えきれずちょっと寝る前に少しだけ読んでみたりした。改めて読み返してみると「ダンス・ダンス・ダンス」ははっきり言って「ギャグ小説」だよな、と思った。軽いとか馬鹿げてるという意味じゃなくて。思わず「プッ」と吹き出してしまうところばかり目についた。

というのがみっつ。とても個人的な感想でまったく他の人に同意してくれるとは思えないけど。

繰り返しになるけどやっぱりとんでもない小説だと思う。

非常に偉そうな言い方になるのでどうか許してほしいのだけど、「多崎つくる、」の時も思ったけど「この話をちゃんと理解出来るのは世界で僕だけなんじゃないか?」と思う。もちろんそんなことはない。むしろ僕はこの小説についてほとんど何も理解していないだろうと思う。でも「この小説はもしかしたら世界で僕だけのために書かれたんじゃないだろうか?」と思う。もちろんそんなことあるわけない。でもそう思う。数百万人がこの小説を読んで、たぶん同じように感じるんじゃないかな、と思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿