こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

「同和」保育研修会レポートを読んで

2013-01-28 11:21:42 | 議会報告&議員活動

昨年12月議会の一般質問で、職員の同和研修への派遣について取り上げました。

その中で、「」保育研修会への保育士の派遣・参加について取り上げ、「」の特別法もとっくに終結している中で、未だに「」の看板をつけた保育研修に参加する必要がなぜあるのかを質問しました。

町は、まだ同和問題は解決していないとか、「人権保育」として研修が必要だとか言って合理化しています。

2年ほど前の、府の保育研修会の資料を見ると、和束保育園の保育士の方が、レポートを発表されていたのが目にとまり、どういう内容を報告されているのか、情報公開で取り寄せました。

和束町では、以前、保育所があり、その保護者の方による「たんぽぽ会」という会が保育園の援助をうけて活動していました。

この会は、いわゆる「」地域の親子だけを対象にした集まりでした。

私がこの会の存在を知ったのは、子どもが年中さんくらいの時で、たまたま会の行事をしているのを知った事がきっかけでした。

私の住んでいる所は、いわゆる「」地域と言われていたところで、保護者会でもその地域の子どもとして参加していました。

ですから、本当なら、「たんぽぽ会」の活動に参加できる「資格」があったはずなんですが、なぜか一度も声をかけられた事がありませんでした。

それはなぜかと言えば、私たちは「」地域の出身ではなく、私の子どもが「の子」ではなかったからです。

他の親子のケースでは、別の地域に住んでいても、親が出身者という理由で、対象にしている事があり、まさに徹底してました。

先生方は、子どもたちを、の子、そうでない子、という「基準」で、未だに子どもたちを「選別」している・・・

その事を、あらためて実感し、驚いたのを、今でもよく憶えています。

私は、その後、議会でも「特別法が終結しているのに、未だにこんな会があるのはおかしいのではないか。辞めるべきではないか」と要求した事がありました。

すべての子どもたちや保護者に責任を負うべき保育園が、特定の地域の子どもや保護者だけを、特別の位置づけの中で支援する事は適切ではないと考え、何よりも「」というもので子どもたちを選別、色分けするやり方に納得がいきませんでした。

当時の園長先生は、会の存続は保護者が決める事と「逃げ」の答弁をされてましたが、その後、保護者の中でも「もうやめた方が良い」という声があがり、2年ほど前に解散したと聞いていました。

しかし、取り寄せたレポートを読むと、「たんぽぽ会」は、「スマイル」という違う名前で存続していました。

しかも、レポートを読む限り、保育園自身が会の存続にこだわり、継続しようとする姿勢がありありと見えるのです。

保護者から解散したいとの声があがり、話し合いをしても存続に消極的な意見が多かったにも関わらず、さらにアンケートまで行い、その中で出された存続に「肯定的」な声を「根拠」にして、何としても存続させようとしている姿が浮き彫りになっています。

そこには、「存続は保護者が決めること」というような「他人行儀」な姿勢はまったくなく、園が主導して会を存続させようと必死になっているとしか言えない姿がありました。

その「かい」あって、「スマイル」という別の名前で、事実上「たんぽぽ会」を存続させる事に「成功」されたようです。

スマイルの取り組みは、卒園した保護者や子どもにまで対象を広げていました。

レポートでは、そのとりくみを通じて見られた、子どもたちの様子や変化などが紹介されて、とりくみの意義や意味が強調されているようでした。

どんな位置づけの集まりであっても、子どもたちが集まれば、そこでは様々なドラマもあるだろうし、楽しい経験もできると思います。その事自身が悪いとか、意味がないとは思いません。

でも、結局は、この集まりや取り組みは、かつての「」地域の親子を対象とし、その人たちを支援するためのものです。
他の地域の親子も参加できるようにしていると言われますが、あくまでも主体は「」地域の親子なのです。他の地域の親子は、会の活動に「広がり」や交流を持たせるための、「参加者」「お客さん」でしかありません。

この会を存続させる理由として、少子化や「親同士の関係が子どもの友だち関係に反映する」という事が強調されています。

でも、これはどこの地域でも同じ課題です。

他の地域でも、同じように、地域の親子の集まりを作ろうと、ここまで執着して支援しているかと言えば、そうではありません。
なぜ、この地域だけにてこ入れして、取り組みをするのか。そこが一番の問題だと思います。

レポートでも明らかですが、この会の取り組みは、保護者の「自主的」な集まりではなく、保育園が主導している事は明らかです。

「」という枠組みから離れられない、離れようとしない、保育園の実態がよく理解できたように思います。


「トッチくんのカレーようび」

2013-01-23 13:02:54 | こどもの本

「トッチくんのカレーようび」は、ぶん・まどころ ひさこさん、え・やまもと まつこさんの作品で、ポプラ社から出版されている絵本です。

初版が昭和44年と古く、私が2歳の時に出された絵本ということになります。

この絵本は、子どもがまだ幼いころに、よく読み聞かせをしたもので、私自身もお気に入りでしたね。

「おなかが すいたよう」

トッチくんの、このひとことからはじまるお話で、

おかあさんが「トッチくんのだいすきなものをつくりますからね」とこたえます。

おかあさんの買物かごから出てきたものは・・・

お肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、カレー粉。

「わかった。カレーライスだね」とトッチくんの声が弾みます。

おかあさんが、じゃがいも、にんじんと次々に切っていきます。

ここまでは、カレーを作って、おいしく食べるお話かな?ってとこですが・・・

たまねぎを切るところから、お話は動きます。

おかあさんが、なみだをぽろぽろとこぼす姿に、トッチくんはびっくり!

心配するトッチくんと涙がとまらないお母さんを尻目に、たまねぎが「ころ、ころ、とん、とん」と逃げていきます。

「うーーん!たまねぎめ」と、トッチくんはたまねぎを追いかけます。

ともだちのミコちゃんも加わります。

やおやさんに行くと、やおやのおじさんも、たまねぎが逃げ出して困っています。

やおやのおじさんは、トッチくんの家も、ミコちゃんの家も、今日はカレーライスだということを知っています。

何で知ってるのかと聞く2人に、おじさんは「今日は、カレーようびだからね」と答えます。

以前、読み聞かせをしていた時、おじさんの「きょうは、カレーようびだからね」というところを、何かうれしい気持ちで読んでいたのを憶えています。

カレーようびという日があるのを、とても面白いというか、いいなあという気持ちで読んでましたね。

あんまりたくさんのカレーが作られて、たまねぎもいっぱい使われるので、たまねぎもいやになったのかな。なんでたまねぎだけなのかな。丸いからかな・・・とかいろいろと思いうかべながら・・。

そのうち、町中のこどもたちが出てきて、たまねぎを追いかけます。

たまねぎたちが横断歩道を渡ろうとすると、信号が青になって、たまねぎたちは、信号をちゃんと守って渡っていきます。追いかけてきた子どもたちが渡ろうとすると、信号が赤になってしまい、みんなはガッカリ。

たまねぎに振り回される子どもたちの姿が、とても面白いです。

トッチくんは、やおやさんから10円を借りて、公衆電話をかけて、レストラン・カレーけんに、たまねぎがそっちに行くからドアをあkておいてくださいと頼みます。玉ねぎたちは、カレーけんにどんどん転がり込んでいきます。

そこへお母さんたちがやってきて、コックさんと一緒に、たくさんのカレーを作り一件落着です。

「あしたっから、たまねぎは転がらないように、ふくろに入れて売るぞ」と真面目に言う、やおやのおじさんには、笑ってしまいます。

ようやく、カレーライスにありつけそうなトッチくんのうれしそうな姿でお話は終わります。

これを読むと、むしょうにカレーライスが食べたくなりますよ。

このお話は、昭和44年に出された事もあって、今の生活とちょっと違う姿が見えます。

やおやさんが地域にちゃんとあることや、買物かご、公衆電話もそうですが、このお話の最後の部分が、

「おとうさんたち、はやくおつとめから帰ってこないかしらね」とあるように、お母さんは家、お父さんはお勤め、と今よりもハッキリとしていた時代が見えますし、お父さんもまだはやく帰ってこれる状況だったのかもしれませんね。

変わらないのは、子どもたちがカレーライスが大好きと言う事でしょうか。

昭和の時代の、何となくほっこりするような雰囲気も感じられる作品です。

 

 


府土木事務所へ

2013-01-18 15:02:25 | 議会報告&議員活動

今日、今さらながらですが、インフルエンザの予防接種をうちました。

和束でも流行してきているらしく、医師から「流行する前にこな!」と、大変ごもっともなご指摘。

免疫は2週間後と言う事で、それまで何とかがんばろうと思います。

もっとも、予防接種をしていても感染することはあるので、基本的には、しっかりと手洗い、うがいなどの予防に徹したいと思いますし、感染しないように、規則正しい生活を心がけたいですね。

みなさんも、気をつけてくださいね。

 

さて、今日は、予防接種をした後、その足で、木津川市にある、府土木事務所に行ってきました。

先日、杣田地域を回っていた時に、短時間に大型ダンプカーが何台も走っていく光景を見たんですが、大変危険な感じでした。

杣田地域は、府道宇治木屋線沿いにはりつくように広がっている集落なんですが、府道とは言え、道幅が狭く、歩道もないので、以前から危ないとの話は出ていましたし、町にも実態を伝え、改善を府に求めるよう言ってきました。

上の写真のような感じで、通学路としてはもちろん、生活道路として地域の方が日常的に通行しているのですが、大型ダンプなんかが通行すると、道幅いっぱいに走ってくる感じで、歩道どころか、路肩もない感じなので、なかなかあぶないんです。

この間、何箇所かを拡幅しているんですが、車にとっては良いですが、拡幅だけだと、歩行者にとっては、逆に危険が増えた部分もあるんです。

府道と言う事もあり、大型ダンプと言えど、一律に通行規制する事もなかなか困難ですが、なぜあんなに頻繁に通るのかを確認すると同時に、通行するダンプの安全運転の徹底などを要望しました。

町や府の話では、現在、笠置町切山で行われている砂防工事の関係車両が和束とつながっている林道を通って和束に来ているのではないかとの事でしたが、それを確認してもらうとともに、府として安全指導をしていただくようにお願いしました。

同時に、地域内の安全対策をもう少し根本的にしてもらうように強く要望しました。

杣田では、公民館までは通学バスが入るのですが、そこからは歩いて家まで帰っています。危険を避けて帰る術を身につける事も大事な力ではありますが、もう少しちゃんとした対策をしてほしいものです。

いま安倍政権は、公共事業費を大幅に増やそうとしていますが、もしやるにしても、こういう所こそ最優先で改善してほしいものです。昨年の亀岡の事故をうけて、通学路の安全対策が叫ばれたわけですが、ちょっとした事でも、なかなか進まないのが現状です。引き続き、改善に向けて強く要望していきたいと思っています。

 


阪神淡路大震災18年

2013-01-17 11:39:27 | 命とくらし守る政治を

1月17日は、阪神淡路大震災が発生した日。

1995年だったので、あれから18年です。

「あの時」、私は京田辺市の実家(府営団地)にいて、まだ寝ていました。

ものすごい揺れで目が覚め、しばらく続いた揺れの中で、立つ事もできない状態でした。

そして、刻々と伝わってくる被害の状況。

1週間後に、西宮市に救援ボランティアに向かいました。

阪急の西宮北口駅を降りると、救急車のサイレンとヘリのバラバラという音が絶え間なく聞こえ、街は何となくセピア色に見えました。

「戦後の焼け野原って、こんな感じだろうか?」

戦争を知らない私ですが、ふと、そんな事を思いました。

あれから18年。

生まれたばかりの赤ちゃんが、高校生になるほどの年月が経過しましたが、見た目の「復興」とは裏腹に、被災者の命と生活は放置されています。

今朝の「しんぶん赤旗」でも紹介されていましたが、震災による「孤独死」は、昨年末までに1000人を超え、1011人に。

震災で、家族を失い、家を失い、仕事を失い・・・そして、行政の「復興」の名の下に、地域のつながりも失った人たちが、生きる希望を奪われた結果が、孤独死です。

自然災害であるにも関わらず、生活再建は自己責任・自立・自助が原則とされ、多くの被災者を追い詰めました。今なお、借金が返せずに苦しんでいる人たちがたくさん残されています。

↓ 復興住宅追い出しに声をあげる人々を報道する「赤旗」

そういう人たちの苦しみを尻目に、大企業や富裕層には湯水のように財源が回され、払うべき税金も免除され、負債があれば棒引きし、そういう政策を実行してきた歴代の政権や日本共産党以外の政党は、国民の税金である政党助成金をたんまり懐に入れて、高額の飲み食いに費やしたり・・・。

私が、あの震災から学んだ一番の事は、大きな災害が起こって大変な事になっても、政府も行政も助けてくれない、黙っていたら、政治に殺される・・・それが残念ながら、日本の政治の現状だ、という事です。

東日本大震災も同じ事が繰り返されています。

復興財源にまで手をつけ、流用する。

原発事故が起こり、まだ15万人もの人が避難し、収束のメドもないのに、原発の再稼働や新増設を進める。

阪神淡路震災の後に、消費税が5%に引き上げられましたが、東日本震災の後も、再び引き上げようとしています。

どこまでも、国民に我慢と痛みを強いて、無駄遣いを続ける自民党型の政治。

こんな政治を変えなければ、いざという時に、災害よりも、政治や行政によって命を失う・・・

阪神淡路大震災は、その事を教えてくれました。

その年の4月に、私は、和束町の議会にはじめて押し上げていただきました。

黙っていたら、命も暮らしも守れない・・・

私の、議員活動の原点でもあります。

1・17に、あらためて、その思いをかみしめたいと思います。

 


成人式

2013-01-15 11:32:36 | 議会報告&議員活動

新年が明けて、もう半月がたち、今日は小正月ですね。

関東の方では、かなり大雪だったようで、大変だったみたいですが、都市はそういうのにもろいですね。

さて、昨日は、成人の日ということで、和束でも成人式がありました。

今年は、男女ともに24人ずつ、48人が新成人でした。今朝の新聞報道では、若干少なかったんですけどね。

それはそれとして、あいにくの雨の中でしたが、普段はあまり見かけない若者たちが福祉センターに集まってきました。

彼らは、私が和束に来た当時、まだ2歳くらいで、いまサロンに来ているような子どもというか赤ちゃんでした。

そんな彼らが、二十歳になるんですから、私も年をとるはずですね。

式では、教育委員会や町長、議長などから、お祝いの言葉が送られます。

成人式での言葉で、いつも決まって言われるのが、「様々な権利が与えられますが、その代わり義務も生じます」という話。

どちらかと言うと、義務の方が強調されて、権利を行使したいなら、まず義務を果たしなさい、という感じのいい方が多いですね。

確かに、社会人としての自覚をもって、果たすべき義務を大事にすることは大切な事です。

ただ、しっかりと行使すべき権利が、どれだけ十分に伝えられ、生かされているのか、大変疑問です。

例えば、いま多くの若者は、大変な就職難であり、働いていても、劣悪で不安定な労働条件という人がたくさんいます。

企業の都合で賃金が下げられたり、簡単に解雇されたりすることも日常茶飯事です。

定時を超えても、何時間もサービス残業を強いられたり、取れるはずの休暇もぜんぜんとれなかったり・・・。

憲法や労働法で本来は保障されているはずの権利さえも甚だしく侵害されて、多くの若者が、仕方がないと泣き寝入りしている現状もあります。

こんな事が、まかり通れば、納税などの義務も果たせなくなってしまいます。

権利が正当に保障されてこそ、義務も積極的に果たそうとする意欲も意味も出てきますが、今の日本では、保障すべき権利を侵害する一方で、義務ばかりを強制する向きが強いのではないでしょうか。

憲法が保障する様々な権利は、長年の国民のたたかいの中でかちとられてきた、人間らしく生き、命を守るためのものです。

権利意識というと、あまり良い事の例えでは言われない事ですが、私は、もっと権利意識を持ち、主権者として、権利を守り生かす、発展させる・・・これは若者だけの事ではなく、私たち1人1人にも言える事ですが、とりわけ将来を担う、若い世代に、そういう立場でがんばってほしいと思いますね。

そういう意味では、成人式での祝辞というのは、大変形式的で、味気ないなあといつも思います。

ただ、教育委員会の方が言われた、自分の頭で考える人間にという話は、とても大事だなと思いました。

議長の祝辞の中で、少し気になったのは、政治の問題にふれたところでしたね。

新成人が生まれた平成4年の時事問題に触れられて、その年に、天皇がはじめて中国を訪問したと紹介され、その続きで、その中国が、尖閣諸島への領土侵犯を常態化させていると、中国の対応を批判されました。その上で、国防問題など政治への関心を喚起されたのですが、ちょっと気になりました。

確かに、中国の尖閣問題への対応は不適切だと私も思います。尖閣は日本の固有の領土であることは疑いのないものというのが、日本共産党の立場でもあります。

ただ、なぜこの問題がこじれているのか、なぜ今まで日本政府は棚上げしてきたのかにまったく触れず、解決に向けて日本が取るべき方向が何なのかについても述べなかったのには、私は疑問を感じました。

あれでは、中国に対する反感しか生まれませんし、冷静な外交による解決を求める多くの国民の想いとも少しずれを感じましたね。

安倍自公政権が、尖閣問題などを口実に、軍拡をたくらみ、国防軍の創設も含めた憲法改悪を進めようとの動きを強めている中だけに、あのような言葉はやはり残念でしたね。

日本は、アジアの一員として、ますますその立場が問われてくると思いますし、アジアの人々との平和的な共存共栄しか生きる道はないと思います。日本は、過去に、アジアの国々や人々に対して、大変ひどい事をしました。残念ではありますが、これは動かせない事実ですし、ずっと向き合うべき歴史です。しかし安部政権は、またぞろ、その歴史を偽造し、美化する姿勢を強め、早くも世界から厳しい目を向けられています。

過ちは過ちとして認め、自覚し、誠実な態度をアジアや世界に示してこそ、日本の立場は輝くものです。
それは、戦争を正当化し美化する人たちがよく使う「自虐的」な立場ではありません。

人間の生き方でもそうではないでしょうか。

人間は間違いや過ちを犯す事はあります。でも、それを反省し、ニ度と繰り返さないために努力をするからこそ、人間的に成長でき、未来を拓く事ができると思います。なかなか簡単ではありませんが。

でも、間違いや過ちを認めず、正当化したり美化したりしだしたら、それは本当の間違いであり、過ちになってしまうのではないでしょうか。

これからの社会を担う若いみなさんは、ますます世界を視野に活躍される事と思います。

世界の中で、日本が果たすべき役割はとても大きなものがあるでしょうし、それだけの力も日本はしっかりと持っていると思います。

ただ、一方で、「日本の常識、世界の非常識」と言われるような、変えていかなくてはいけない問題もいっぱいあります。

現状を乗り越えて、より良い社会を創造する力に、ぜひなっていってほしいと心から願います。


2013年初サロン

2013-01-11 10:03:05 | 子育て安心の町に

おはようございます。

今朝も寒かったですね。

今年もスタートしてはや10日が過ぎましたが、ほんとうに早いですね。

うかうかしていると、あっという間に1年なんて過ぎていきそうで、ちゃんとしないとと思います。

昨日は、今年はじめての、子育てサロンの日でした。

10組の参加で、まあまあのスタートになりました。

年末に腰を痛めて、まだ本調子でないので、いくぶんおとなしめに遊んでいましたが、子どもたちは元気です。

いまサロンでは、1才くらいの子が多いですが、まねっこ遊びが好きで、何でもまねをして、喜々として遊びます。

まだ歩くのも安定していないので、あぶなかっしい場面が多々ありますが、その不安定さが面白いんでしょうね。

子育てサロンは、今年で10年目を迎えます。

私の子どもが1~2歳の時にスタートしたんですが、「1期生」の子どもたちは、4月からは6年生になります。

そんなサロンですが、ここ数年、ちょっと様子に変化も。

3月の終わりに、いつも保育園に行く子どもたちや、お母さんたちを送り出すお別れ会をするんですが、以前は、だいたい3才になってからというのが多かったです。

でも、最近は、1才、2才くらいで保育園に入れるケースが多くなってきてます。

昨日は、たまたま午後から保育園の入園説明会だったんですが、昨日の参加者の中でも、1才になったところで入園する人がけっこういました。

町は、再来年度からようやくゼロ歳児保育をする方向で準備をしているようですが、ゼロ歳児の受け入れが始まれば、早期に入園する傾向はもっと強まるのかもしれませんね。

背景には、やはり生活があると感じます。

不景気や所得減少があり、雇用も少ない中で、少しでも早く働きたい、との事情があるのも確かです。

そんな中で、以前よりも、子どもたちやお母さんたちの入れ替わるサイクルが早くなっていますが、それだけに、サロンが子どもたちやお母さんたちにとって、これからの子育てや生活にとって、少しでも支えになるような場になればと思いますね。

あまりたいそうな事はできないですが、これからもゆるりと続けていければと思っています。


秘密基地

2013-01-08 12:05:43 | 子育て奮闘中!

今日から、3学期。

ちょっと長めの冬休みを終えて、みんな元気にスタートを切れたかな。

小5のこどもも、今年はいよいよ6年生になるけど、ほんとに早いですね。

そんなに急いでもらわなくてもいいんだけど、子どもの成長は早いです。

3学期は、あっという間にって感じがするけど、5年生を最後まで楽しんでほしいですね。

さて、今朝の「京都」に、子どもの「秘密基地」が消えていっているとの記事がありました。

「子どもの安全」の名のもとに、大人が、どんどんと「危険」から子どもたちを遠ざけている、その中で、子どもたちの定番でもあった「秘密基地」がどんどん消えていっているとの話。

「秘密基地」と聞くと、私も懐かしいというか、何となくわくわくする気持ちになりますね。

多分にもれず、私も、小学生くらいの時に、友だちと「秘密基地」づくりに汗を流してましたね。

私は、今の京田辺市の、田辺高校に隣接する団地で育ったんですが、すぐ横を馬坂川という小さな川があって、昔は土の土手だったので、そこに穴を掘ったりして、いろいろな物を持ちこんだり、そこで遊んだり。

「秘密」と言いながら、周りの大人も知っていたと思いますがね。

「京都」の記事では、8歳の女の子が、お母さんに秘密基地の「秘密」を教えて、うれしそうにしていたのに、学校の先生が「危険だから」と撤去してしまったというんです。多分、先生にも教えたのかもしれません。

「秘密基地」というのは、「安全」ではないかもしれないです。
秘密にするものだから人目からは少し離れるだろうし、ちょびっと危ないからこそ面白いとも言えますし。

先生としては、危険な場所を知ったからには、黙認していてもし何かあったら大変だからとの思いが働いたのかもしれないですね。・・というか、もしかしたら、「なぜ知っていたのに黙認したのか」と責任問題になるかもしれないと思われたかもしれません。

とにかく「危険」と見たら、それを子どもたちから遠ざける、消去する。

もちろん、何かあってからでは遅いので、善意からのものであることでしょう。

でも、一方で、自分たちに責任が及ばないように、その「危険」を消去しようとの思いが大人にはあるのかもしれません。

もちろん、私にも。

でも、それが、確実に子どもたちの「自由」や「世界」を狭めているし、「消去」しているのも確かです。

記事の中で、秘密基地を撤去されてしまった女の子の母親は、何かあっては困るけれど、「子どもたちの世界に大人が入り込みすぎているのでは」と自問自答します。

続いて、亀岡市の男性が、安全な場所で、いろいろな体験をする取り組みをしている事を紹介していて、空き地でのたき火に子どもたちが喜んで遊びにきている様子がありました。

大人がついていて楽しい時間を過ごす。

でも、そんな場所でさえ、「危険だから」と遊びに行かないように子どもに言う母親。それに従う子ども。

金づちやのこぎりを扱う事さえ「危険」のレッテルを貼られる現状に、その男性は、「子どもたちは本当に自由がない」と嘆きます。

こういう現状や光景は、決して珍しくなく、私たちの周りでもいろいろな形で見られます。

大人が用意した「安全」な場所と材料の中で「遊ぶ」事は、果たして「遊び」と言えるでしょうか。
子どもたちは、それで本当に遊んでいるのでしょうか。それで、何かを学べるのでしょうか。生きる力を培う事ができるのでしょうか。

私は、そんなにやんちゃでもなかったし、あまり無茶をしていない方かもしれませんが、それでも、今みたいな事はなかったです。

今、思えば、ずいぶん危ない事を平気でやっていたし、怪我もしたし、ケンカもしたし。

でも、そういう経験の中で、遊びのルールを身につけていたようにも思うし、何が安全で危険かと言う事も、自分なりに学んでいたようにも思います。先生や親、近所の人から、よく怒られたりもしてました。

「これをしたら怒られるかも」というわくわく感と、「これはしたらいけない」という理性が同居しつつ、いろいろな事を学んでいたんだろうと。

「トム・ソーヤの冒険」のような事を、みんな何かしら経験していたと思うんです。

大人は、子どもたちの行動を見守りながら、命にかかわるような危険な事には毅然とした態度で臨みつつ、それでも決して、ずかずかと入り込んで、子どもたちの世界を壊すような事は以前はあまりなかったんではないでしょうか。

そこには、子どもたちへの、子どもたちの力への信頼があったように思います。

子どもたち同士の遊びを通じて、自分も友だちも守る術を獲得する。

それが、本当の意味での、子どもを守る事になるのではないでしょうか。

子どもたちの「秘密基地」を平気で荒らし、「安全」の名のもとに、なくしてしまうような大人。

そんな下で育つ子どもたちが大人になったら・・・

子どもたちを守るとは、どう言う事なのかを、よくよく考えないといけない時ではないか。

「秘密基地」の記事を読んで、そんな事を考えていました。


「ロッタちゃんとじてんしゃ」

2013-01-07 14:26:13 | こどもの本

2013年、最初に紹介するのは、

「ロッタちゃんとじてんしゃ」。

リンドグレーン作、ヴィークランド え、やまむろしずか訳。

1976年初版で、長く親しまれている絵本です。偕成社から出版されています。

リンドグレーンさんと言えば、「長くつしたのピッピ」が有名ですよね。

さて、

「ロッタちゃんとじてんしゃ」という話は、簡単に言うと、やんちゃな5歳の女の子が、じてんしゃを手に入れるまでのドタバタを描いたお話です。

5歳のロッタちゃんは、おにいちゃん、おねえちゃんがやることを、じぶんでもやってみたい、じぶんもできると思っています。

5歳くらいの子どもって、そんなとこありますよね。

すぐに「じぶんもできる~!」って言って、何でもやろうとする、あの感じ。

そのロッタちゃんが、できると宣言しているのが、じてんしゃに乗る事。

「あたいだって、きっと、じてんしゃに乗れますよ」と。

でも、ロッタちゃんは、ようやく5歳になろうかというところで、とてもじてんしゃには乗れません。

おにいちゃんやおねえちゃんは、「おまえは小さすぎる」「じてんしゃももってない」と言って、「おまえには無理」と相手にしてくれません。

でもロッタちゃんは「乗れないのは、あたいが、じてんしゃを持っていないからよ」と言って、「ほんとは乗れるんだから」と負けません。

そこで、ロッタちゃんは、ぬいぐるみのバムセに、「おそろしい」計画を聞かせます。

「あたいのたんじょうびに、もしほんとうのじてんしゃがもらえなかったら、あたい、一台かっぱらうつもりよ」

・・・で、いよいよたんじょうびがやってきましたが、

みんながプレゼントしてくれたのは、

おもちゃのじどうしゃ3台、絵本が1さつ、なわとびのなわ、あたらしいぶらんこ、きれいなかばん・・。

じてんしゃはありませんでした!

でも、やっぱり5歳の女の子です。

あたらしいプレゼントが気に行ったので、じてんしゃの事は忘れてしまい、もらったもので、とても楽しくロッタちゃんは遊びました。

めでたし、めでたし・・・と行けば良いのですが、やはりそうはいきません。

家に帰った時に目についた三輪車を蹴飛ばして、「おまえなんかにもうぜったいに乗ってやらない」と言い放ちます。

3才のたんじょうびに買ってもらった時は、あんなに喜んでいたのに、

子どもとは、何と気まぐれで、残酷・・・というか、じてんしゃという欲しいものに気持ちがいっぱいになるのが、やはり子どもでもありますよね。

そして、ついに、「おそろしい」計画を実行しようとします。

ロッタちゃんは、ベルイおばさんの物置に古い自転車があるのをちゃんと見ていました。

それをいただいてしまおうというのが、「おそろしい」計画なんです。

しかも、おばさんがお昼寝をする隙をねらってかっぱらおうというんだから!

作者も思わず「なんて、おそろしい こどもでしょう!」と。

ベルイおばさんの家に行ったロッタちゃんは、おばさんにお昼寝をすすめて、まんまと自転車を物置から出して、かっぱらおうとします。でも、じてんしゃが大きすぎて、なかなかうまく乗れません。それでも、なんとか押して行って、「ビューンと」下りるために坂道をのぼります。

そして、一気に坂を下りだします。

ビューンと飛ばすどころか、飛ぶように走るじてんしゃはぜんぜん止まりません。

さすがのロッタちゃんも「たすけてー」と叫びますが、じてんしゃは走る走る。

そして、ベルイおばさんの家の垣根に突っ込んでようやく止まります。

バラの茂みの中に投げ出されたロッタちゃんはこぶをつくるは、ひざから血がでるはで、さんざんにわめきちらします。

「あたいのたんじょうびなのに、血が出た~」には、笑ってしまいますね。

最悪のたんじょうびにふくれっ面をするロッタちゃんだったけど、優しいパパが、ロッタちゃんでも乗れる中古の自転車を買ってきてくれて、一気に最高のたんじょうびになったロッタちゃん。

喜びいさんでじてんしゃを乗り回すロッタちゃん。でも、これで終わりません。

今度は、おにいちゃんがしている手放し運転を「じぶんもできる」と言ってやりだしますが・・・

要求が満たされたら、次の要求へ・・・子どもって、なんておそろしい!

でも、そんな風にして、世界を広げていくのが子どもってものだよね。

そんな子どもの面白さを思う存分に堪能させてくれるお話ですよ。

 


2013年 仕事始め

2013-01-04 13:34:48 | 議会報告&議員活動

今日は「仕事始め」。

朝9時から福祉センターで、恒例の町長・職員と議会との「新年交歓会」があり、出席。

町長から訓示があり、今年4月の町長選挙にむけて、事実上の「出馬表明」ともとれる表現の話がありました。

人口減少や少子高齢化が進む中で、住みたい、住んで良かったと言えるまちづくりの必要性が強調されました。

東部3町村の中で、南山城村は昨年、人口が増えたとの話があり、一度ちゃんと話を聞いてみたいと思いました。

議長の新年あいさつでは、領土問題とかけっこうグローバルな話がはじめにありましたが、お昼のニュースで、公明党の代表が中国との関係改善を強調していたので、その影響もあるんだろうとあとで感じました。

議長のあいさつの中で、職員に対し、営業マンであってほしいとの話がありました。

和束町の魅力をあらゆる場面を生かして売り込むためにがんばってほしいとの事だろうと聞きました。

もちろん、それも大事だとは思いましたが、やはり職員のみなさんに一番大事にしてほしいのは、住民の命と生活を守る「砦」であってほしいし、気軽に相談にのり、一緒に解決の道をみつける、そんな役場であってほしいと思います。

町長がしきりに強調する「住民との協働」も、住民の命と生活を守る行政の責任と姿勢がしっかりあってこそだと思います。

交歓会の後、釜塚橋で、今年最初の街頭宣伝をしました。

散歩をされていた方から、「早くからがんばってますね。いつも聴いてます」との激励をいただいたり、車からの反応もあり、うれしかったですね。

年末に、犬打峠のトンネル化を求める議員連盟のビラ配布をした時にも、おもいがけない方から「いつも演説を聴いてます」との声をかけていただいたのですが、こちらが思っている以上に、住民の方は関心をもって耳を傾けていただいているんだなと、あらためて感じました。

今年は、7月の参院選挙が必ずありますし、今度こそ前進できるように、演説にもさらに熱を入れて磨きをかけてがんばりたいものですね。

年末に痛めた腰は、日に日にましになってきている感じですが、まだ痛みがあり、ぼちぼちスタートしたいと思います。

あらためて今年も、よろしくお願い致します。


あけましておめでとうございます

2013-01-02 14:48:05 | Weblog

新年あけましておめでとうございます。

年末の選挙もあって、ばたばたと2012年が過ぎていきましたね。

2013年は、本当なら、昨日から奥さんの実家に行く予定でしたが、家で休んでます。

大晦日に、大掃除をしていた時に、ちょっとした事で腰を痛めてしまい、歩くのもつらいほど痛みがありました。

元日は様子をみて、今朝の状態でと思ってたんですが、やはりまだ痛みがあり、私だけ自宅で居残りになってしまいました。

腰がこれだけ痛むのは初めてで、ちょっと困った感じです。

腰を痛めてみて、あらためて腰が果たしている役割を痛感(まさに)。

何をするにも腰を使っているんだなあと。

笑っても痛いし、くしゃみをしても痛いし、ぜんぶ腰に響くんですねぇ。

一番苦労しているのが、靴下をはく事で、身体を曲げられないので、なかなか履けません。

痛みがひいて治ったら、足腰を鍛えないとと思っているところです。

今年で46歳ですが、もうすこし身体のメンテに気を配りたいと思います。

ちょっとつらい年明けになりましたが、元気出していきたいですね。

大晦日の「紅白」は痛みに耐えつつ視てましたが、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」には圧倒され、とても感動しました。それと、紅組のとりの、いきものがかり「風が吹いている」も 良かったですね。

とにもかくにも、2013年も、何卒、よろしくお願い致します。