昨年12月議会の一般質問で、職員の同和研修への派遣について取り上げました。
その中で、「」保育研修会への保育士の派遣・参加について取り上げ、「」の特別法もとっくに終結している中で、未だに「」の看板をつけた保育研修に参加する必要がなぜあるのかを質問しました。
町は、まだ同和問題は解決していないとか、「人権保育」として研修が必要だとか言って合理化しています。
2年ほど前の、府の保育研修会の資料を見ると、和束保育園の保育士の方が、レポートを発表されていたのが目にとまり、どういう内容を報告されているのか、情報公開で取り寄せました。
和束町では、以前、保育所があり、その保護者の方による「たんぽぽ会」という会が保育園の援助をうけて活動していました。
この会は、いわゆる「」地域の親子だけを対象にした集まりでした。
私がこの会の存在を知ったのは、子どもが年中さんくらいの時で、たまたま会の行事をしているのを知った事がきっかけでした。
私の住んでいる所は、いわゆる「」地域と言われていたところで、保護者会でもその地域の子どもとして参加していました。
ですから、本当なら、「たんぽぽ会」の活動に参加できる「資格」があったはずなんですが、なぜか一度も声をかけられた事がありませんでした。
それはなぜかと言えば、私たちは「」地域の出身ではなく、私の子どもが「の子」ではなかったからです。
他の親子のケースでは、別の地域に住んでいても、親が出身者という理由で、対象にしている事があり、まさに徹底してました。
先生方は、子どもたちを、の子、そうでない子、という「基準」で、未だに子どもたちを「選別」している・・・
その事を、あらためて実感し、驚いたのを、今でもよく憶えています。
私は、その後、議会でも「特別法が終結しているのに、未だにこんな会があるのはおかしいのではないか。辞めるべきではないか」と要求した事がありました。
すべての子どもたちや保護者に責任を負うべき保育園が、特定の地域の子どもや保護者だけを、特別の位置づけの中で支援する事は適切ではないと考え、何よりも「」というもので子どもたちを選別、色分けするやり方に納得がいきませんでした。
当時の園長先生は、会の存続は保護者が決める事と「逃げ」の答弁をされてましたが、その後、保護者の中でも「もうやめた方が良い」という声があがり、2年ほど前に解散したと聞いていました。
しかし、取り寄せたレポートを読むと、「たんぽぽ会」は、「スマイル」という違う名前で存続していました。
しかも、レポートを読む限り、保育園自身が会の存続にこだわり、継続しようとする姿勢がありありと見えるのです。
保護者から解散したいとの声があがり、話し合いをしても存続に消極的な意見が多かったにも関わらず、さらにアンケートまで行い、その中で出された存続に「肯定的」な声を「根拠」にして、何としても存続させようとしている姿が浮き彫りになっています。
そこには、「存続は保護者が決めること」というような「他人行儀」な姿勢はまったくなく、園が主導して会を存続させようと必死になっているとしか言えない姿がありました。
その「かい」あって、「スマイル」という別の名前で、事実上「たんぽぽ会」を存続させる事に「成功」されたようです。
スマイルの取り組みは、卒園した保護者や子どもにまで対象を広げていました。
レポートでは、そのとりくみを通じて見られた、子どもたちの様子や変化などが紹介されて、とりくみの意義や意味が強調されているようでした。
どんな位置づけの集まりであっても、子どもたちが集まれば、そこでは様々なドラマもあるだろうし、楽しい経験もできると思います。その事自身が悪いとか、意味がないとは思いません。
でも、結局は、この集まりや取り組みは、かつての「」地域の親子を対象とし、その人たちを支援するためのものです。
他の地域の親子も参加できるようにしていると言われますが、あくまでも主体は「」地域の親子なのです。他の地域の親子は、会の活動に「広がり」や交流を持たせるための、「参加者」「お客さん」でしかありません。
この会を存続させる理由として、少子化や「親同士の関係が子どもの友だち関係に反映する」という事が強調されています。
でも、これはどこの地域でも同じ課題です。
他の地域でも、同じように、地域の親子の集まりを作ろうと、ここまで執着して支援しているかと言えば、そうではありません。
なぜ、この地域だけにてこ入れして、取り組みをするのか。そこが一番の問題だと思います。
レポートでも明らかですが、この会の取り組みは、保護者の「自主的」な集まりではなく、保育園が主導している事は明らかです。
「」という枠組みから離れられない、離れようとしない、保育園の実態がよく理解できたように思います。