こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

総務厚生委員会①・・・相楽東部広域連合問題

2008-08-29 12:08:22 | 議会報告&議員活動

 昨日、私が所属する総務厚生常任委員会がありました。

いろいろ質疑したのですが、今回は、相楽東部広域連合の問題についてのやりとりを紹介します。他の質疑は後日にします。

とにかく呆れました。

まさに「聞く耳もたず」です。

町長は、9月議会に広域連合の規約を提案し、何が何でも来年4月に相楽東部広域連合をスタートさせようとしています。

しかし、連合の規約案が議員に示されたのも最近で、今回の連合の「目玉」である、教育委員会の統合についての検討の最終報告を見たのも、ついこの前。議員の多くが「拙速すぎる」との意見をあげていますし、今の段階で、到底、責任ある判断をできる状況ではありません。

ましてや、肝心の住民には、まだ何も説明もされていません。

とにかく、住民にわかるように説明をし、意見をよく聞きなさい!という話を町長に何度もしました。

町長は「住民の声を聞くのは大事だが」「心苦しいが」と言いつつ、

「説明は決まってからします」

そして、「住民に聞いて、聞いて、聞いて、・・・そしてそうします、しません、は無責任だ」と。「聞いて、聞いて、聞いて」と言うが、あなた一回も住民に聞いてないじゃないの?

さらに、「私らは専門的な観点から検討している」・・・まるで住民は何もしらないかのような失礼な言い方。町長の言う「専門的な人」は、京都府や国のようで・・・。「専門的な観点から検討して、政治判断する」・・・。
その政治判断はいつも正しいとは限らないし、より正しい政治判断をする上で、一番耳を傾けるべきは、和束町長であれば和束町民ではないの?

「いったい、あなたは誰に選ばれたのですか?国や府から任命されたのではないでしょう」と思わず言いました。さすがに、「住民から選ばれている」とは言われたけれども、選んでくれた住民の意見を聞くことは、やはりしないとの事。

 

町長が1期目に就任した年に策定した「第3次総合計画」という、和束のまちづくりの計画書があるんです。町長が自ら作った計画書の中にこんな言葉がある。

「いつまでもしあわせに生涯を過ごせるまちづくりを、すべての住民参加のもとに進めてまいります」

「住民がまちづくりに深く関わりや役割を担う事のできる、住民と行政の強いパートナーシップが何よりも重要です」

「今後は、情報公開の推進を基本として、計画段階から実施、評価に至るプロセスへの住民の参画のしくみを構築していく必要があります」

「計画から実施、点検、見直しに至る、まちづくりのプロセスを、住民と行政とのパートナーシップによって進めるしくみを築き、全員参加のまちづくりを・・・めざします」

この言葉と、今やっている事は矛盾しないのか?と聞くと町長は・・・

「執行体制については、行政がやること」だから、矛盾しない。
広域連合は、まちづくりを進める「執行体制」の形態だから、これのあり方に対しては、住民参加は必要ない。行政が決めた事に協力してくれれば良いという事らしい。

広域連合の立ち上げは、これからの和束のまちづくりをどうしていくかの方向性に関わる、そして、実際に住民生活に影響を及ぼす、まさに、まちづくりに深く関わる問題であり、まちづくりの主役である住民が主体的に関わり、声を反映していく事は当然のことではないのか?でも、町長にとっては違うようです。

住民自治というものを、町長が決めた事に、ただ協力してくれさえすれば良い、と、大変狭くお考えのようです。

教育委員会の統合についての「最終報告」で指摘されている問題点、特に、「教育現場と教育委員会が連絡、相談等を密に行えない場合がある。事件、事故、災害時等の緊急時において、きめ細かな対応が出来ない場合がある」との指摘は、子どもたちの命や安全にかかわる重要な指摘です。これらの問題への対策はあるのか、きめ細かい対応が確保される保障はどこにあるのか・・・について町長は・・・

「分室を置くことにしている」

「分室を置いても、そこにどれだけ人を置けるのか。今までどうりに体制を確保できるのか。そんな事できるはずないし、きめ細かい対応はできなくなるのは明確だ」と返すと・・・

「子どもの安全に責任を負っているのは学校であり、校長であるのは当然のこと」

と言う事は、教育委員会がどうなろうが、学校が責任持って子どもたちの安全を守れば良いって事?責任を学校と校長先生にふったわけだ。

子どもの命や安全について、教育委員会の果たす役割は大きいし、実際、教育委員会の職員の方が、夕方にパトロールしていただいたりしている。統合して、職員数が減れば、そんな事をする余裕さえなくなるし、ましてや分室なんかでは無理。
教育委員会が統合して、きめ細かい対応ができなくなる恐れという大事な意見を、「学校が責任持てばそれでよい」で切り捨てるとは・・・。

さらに、先日の新聞報道で、観光の事務も連合事務に入れる予定だったが、各町村のきめ細かいとりくみを進めるために、外したとの記事があったが、教育委員会の事務には、きめ細かさは必要ないのか、せめて慎重に検討すべき事ではないのかと聞くと、町長は・・・

「観光は、笠置が花火とか力を入れているなど、それぞれ取り組みにも違いがあるが、教育は共通する事が多いから1つにした方が良い」と。

これまでそれぞれの町村で努力されてきた「特色ある教育、学校づくり」を否定するのでしょうか。最終報告でも、「各町村の特色を生かした学校運営が損なわれる恐れがある」との指摘があったが、まさに現実味を帯びている。

 

結局、町長の頭にあるのは、「国や府の動向」と「お金」です。住民や子どもたちの姿はどこにもありませんでした。

こんな考え方で、広域連合を立ち上げても、決してよいものにはならないのは確か。

府や国にはほめられるかもしれませんが・・・。

とにかく「9月議会で提案は拙速すぎる。再検討を」と最後まで要望しましたが、何とか阻止しなければと思います。

近日に、この問題での「わづか民報」を出しますので、ぜひご意見をお寄せください。

 


夏休みも、あと1週間

2008-08-25 10:08:28 | 子育て奮闘中!

 8月も後半になり、ずいぶん涼しくなってきました。

じゅんの初めての夏休みも、あと1週間。あっという間ですね。

この土日は、夏休みの宿題にケリをつけようと、親子で格闘。

私が小学1年生だったのは、はるか30数年前にもなるので、夏休みの宿題がどうだったかなんて、ぜんぜん憶えていませんが、こんなにやったかなあ、と・・・。

絵日記なんかも、まだひらがなを憶えたばかりで、文章を書くなんてのは、これからだから、ちょっと難しいのかも。

宿題は、本人がやることだから、やらないのも本人の勝手・・・というわけにもいかないし、当の本人は、集中できる時間が家では特に短いから、すぐにだらけてくるし、・・・親ばかりがイライラするんですよね。

でも、なんとかかんとか、ケリはつききれていないけど、メドはたったかな。

あと1週間、といっても、まだ1週間ある夏休み。
夏休みらしい思い出づくりを、最後になんとかできたらいいな、と思います。

 

あっ、そうそう。夏休みの最初に行った旅行先でゲットしたカブト虫たちは、まだまだ元気にしています。カブト虫は冬を越さないらしいので、どのくらい生きているのかわからないけど、最後まで大事に世話をしてやりたいと思います。

 


相楽東部広域連合・・・住民不在の「政治判断」

2008-08-22 14:07:53 | 議会報告&議員活動

 昨日の午前中、議員全員協議会が開かれました。
議題は、「広域連合」について。

昨日の「京都新聞・山城版」でも報道されていましたが、20日に「広域連携協議会」が開かれて、9月議会に提案される予定の「広域連合規約案」が最終決定され、連合の名称を「相楽東部広域連合」とするそうです。

その協議会の決定を受けての全員協議会でしたが、主な内容は、「教育委員会の業務連携に関する調査研究報告」についての説明でした。
この調査研究は、3町村の行政の連合設立と教育委員会の連合参加の方針を受けて、この間、検討委員会が作られて、3町村の教育委員の代表が集まり、検討されてきたものです。その最終報告が7月31日に協議会に提出され、昨日の全員協議会での説明となりました。

全員協議会に出された資料は、全7ページと簡単なものでしたが、後で確認すると、報告書は別にあり、150ページにも及ぶものらしい。昨日出された文書は、要約されたものとなりますが、やはり、報告書そのものを見ないと、全体像がわからないので、早急に手に入れたいと思っています。

資料の冒頭、「この報告書が、広域連合の推進に必要な環境整備に反映され、適正な施策が講じられることを強く要望する」とあります。これでは、連合への参加が前提の検討と言えます。以前、教育長は、連合への不参加も選択肢として検討すると言われていたのですが。

次に3町村の「教育の未来を展望して」として、2つあげられ、「地域社会や家庭に根ざした」「多様性や独自性を生かしながら、一体感のある教育行政」がうたわれている。これと連合がどう関係があるのか。地域社会に根ざすためにも、多様性、独自性を生かすためにも、身近な単位での教育委員会が必要なのに、どうして統合するのか、矛盾していないか。

次に「新教育委員会の体制の充実・整備」として、連合化を契機に事務局体制の強化が大切だとし、それを期待している。そして、「教育委員会が地域住民にとって、離れた存在にならないよう、特段の配慮をされ、学校や家庭や地域社会に不安を与えないよう努力を切望する」とある。
連合の目的は、職員数を減らし、人件費を削減する事にあり、それと体制強化がどうつながるのか。
具体的には、まず「町村長、議長、教育委員による定期的な懇談や協議をするための組織」として「協議会」設置が必要としている。また、連合の教育委員会事務局を置かない村、笠置に「分室」を置く事を提案している。さらに、職員体制を十分に整える必要があるとして、指導主事、社会教育主事、図書館司書等の専門職の配置の充実が重要とする。
 協議会は、「3町村の教育委員会が消滅するため、町村長や議会との連携、調整が遅延する恐れがある」から必要というが、なぜ、そんなリスクを犯してまで連合に参加する必要があるのか。また、分室を「当該町村の教育に関する総合的窓口」とし、「地域住民の拠り所」としての役割を果たすと言うが、分室には限られた人員しか置けないだろうし、そんな中で「業務連携前と変わりなく」を求めるのは困難ではないか。専門職の充実は必要だが、責任範囲が大きくなれば、その効果も低下せざるを得ないし、専門職を充実できる保証もない。
 これらは、あくまで要望であり、町長の意向とは別。町長は「これらの要望を真摯に受け止めて、出来る限り反映するように努力する」とは言うが、やるかどうかは別問題。
 さっきも述べたが、連合の主な目的は、経費節減だから、わざわざお金のかかる事をやる可能性は極めて低いと思うのだが。

他にも、いろいろあげられているが、新教育委員会で時間をかけて検討すべきとなっている。本来は、責任を持てるように、連合立ち上げ以前に十分検討すべきものであり、十分な検討もなく、教育委員会をなくしてしまうのは無責任ではないか。

 その上で、連合の「利点・効果」と「課題・問題」があげられている。
まず、「利点」を見てみると・・。

①職員の専門化を図れる。でも、それはあくまで専門職の配置、充実が前提であり、その保証はない中では利点と言えるのか。

②単独では無理な事業も3町村なら可能になる。でも、具体的にそれがどんな事業なのかは不明。

③職員の削減、特別職の人件費が3分の1、事務所経費、施設の維持管理費用の削減など。これが一番の目的!

④教育委員の学校訪問、行事の広域的実施、教職員の人事管理の広域化による適材適所の人的配置、教職員の広域での研修、など。これらは、連合しなくてもできる事ではないか。人事は基本的に府教委の管轄のはずだから、連合にそこまでの権限があるのか疑問。

⑤社会教育事業の広域化による規模拡大で経費削減があげられ、その例として、成人式があげられている。広域化すれば地域に根ざしたきめ細かい事業が困難になるし、社会教育の意義に反するのではないかと思う。成人式の合同開催を「3町村の将来の大きな進展につながる」としているが、さっぱり意味がわからない。要は、各町村の成人者が減少する中で、それぞれで開催するのは経費がもったいないだけの話ではないか。どんなに少なくても、若者が生まれ育った町で、その町でしかできない形で祝福するのが本来ではないか。3町村の若者自身が「合同でやりたい」とも言っていないものを、行政の財政上の都合で、無理やり理由をつけて、若者が主人公であるべき成人式のあり方を勝手に決めるのは、あまりにも若者を馬鹿にしたやり方ではないか。

次に、「課題・問題」を見ると、「総括事項」として2点、「総務関係」で8点、「学校教育関係」で4点、「社会教育関係」で3点あげられている。特に、子どもたちの教育に直接関係する「学校教育」では、「教育現場と教育委員会が連絡、相談を密に行えない場合がある」「事件、事故、災害時等の緊急時においてきめ細かな対応が出来ない場合がある」「各町村の特色を生かした学校経営が損なわれる恐れがある」「特別支援学級が・・・広域的に設置しなければならなくなる恐れがある」「各町村の要望等が通りにくくなる恐れがある」と指摘している。これらは、どれも重大な問題と言える。特に最初の1点目は、子どもたちの命にかかわる問題でもある。
 こんな重大な問題点が指摘されているにもかかわらず、このまま教育委員会を消滅させて良いのか?

 

私は、連合の是非はともかくとしても、このまま9月議会で連合立ち上げの議案を採決する事は、あまりにも拙速であり、提案すべきでない、住民に情報提供を行い、協議を公開し、意見を聞くべきだし、もっと慎重に扱うべきだと述べた。他の議員からも、「拙速だ」との声が相次いだ。それでも町長は「ご意見は理解できるが、そうもできない空気があり、政治判断しなければならない」として、あくまで9月議会での提案、採決に固執している。結局は、京都府や国の顔色を伺って、その意向に沿おうとしている町長の姿勢がありありと見えた。連合によって、一番影響を受けるのは住民なのに、住民をそっちのけにして決めてしまおうとしている町長に私は、住民を無視して政治判断しても、うまくいかないだけだ、議会制民主主義を尊重するというが、議会に対しても、これまで何も説明もしてこなかったではないか、そんな状況で責任ある判断は出来ない、と批判し、住民の立場にたって、慎重な検討を行うという政治判断こそすべきだと要求しました。

町長はあくまで9月議会での提案にこだわる構えですが、非公開での「密室協議」で住民不在、その上、多くの議員も「拙速だ」との意見がある中で強行すれば、これは暴走としかいえないのではないでしょうか。


 


おじいちゃんとの夏休み

2008-08-18 10:35:23 | 子育て奮闘中!

 土日で、奥さんの実家に帰省しました。

じゅんは、12日から一足先に行っていたのですが、すっかり「おじいちゃん子」です。

農家のおじいちゃんは、自家製の野菜や米を朝市に出していますが、じゅんも朝6時に起きて、朝市に行って、お手伝いしているようです。

近くにある地域のプールで、おばさんのお孫さんと遊んだり、親戚のお宅で、同じ年頃の子どもたちと遊んだり、自転車に乗って、おじいちゃんの畑まで行ってみたり・・・と、「おじいちゃんとの夏休み」を満喫しているようでした。

じゅんには、おじいちゃん、おばあちゃんは、奥さんの実家のおじいちゃんしかいないので、ちょっぴりさびしい感じですが、たった一人のおじいちゃんから、いろいろと教えてもらってほしいですね。

私自身も、父親の方のおじいちゃんとの思い出というか、関わりしかありません。
幼い頃に、母の入院の際に、しばらく一緒に生活した事があったり、富山にある実家に、夏休みに行って、学校の用務員をしていたおじいちゃんと一緒に宿直をしたりした事を憶えています。亡くなってから15年以上にもなりますが、おじいちゃんとの思い出は、けっこう大きなものでした。

お正月、春休みに続いて、3度目の「一人でお泊り」ですが、これからも定番となりそうです。

土日で、久しぶりにパパ、ママに会い、ちょっと里心がついた感じもありましたが、20日までもうしばらく「おじいちゃんとの夏休み」が続きます。

 


敗戦の日

2008-08-16 12:20:27 | こんにちは、日本共産党です!

 8月15日の敗戦の日。

お昼前頃から、街頭での宣伝に出て、杣田、釜塚橋、湯船五の瀬の3箇所で、敗戦の日についてのお話をしました。

とにかく戦争は嫌です。

戦争に「正義」も「仕方がない」もない。

戦争は「お国のため」であったとしても「国民のため」ではない。

戦争は大人の責任。

子どもたちに、絶対に戦争を体験させないために、責任を果たしたい。

戦争につながるどんなに小さな動きも見逃さないように、

憲法9条の光を照らし続けたいですね。


「お盆休み」のひととき

2008-08-13 10:08:20 | Weblog

 昨日から、じゅんは、おじいちゃんの家にお泊りに。

お正月、春休みに続いて、3回目で、すっかり恒例になった。

午前中に、待ち合わせの京都駅前までおくりとどけて、「行ってらっしゃーい!」。

見送った後は、せっかく京都まで来たので、下賀茂神社で開かれている古本市にでも足をのばそうかと思ったけれど、結局、すぐそこのアバンティにある本屋で時間をすごす。本屋さんで時間をつぶすのは、ほとんど趣味みたいなもので、いくらでもいられる感じ。ここの本屋は、学生時代からよく利用していたので、何となく足が向く。

 いろいろな分野の本に手を伸ばしながら、ぐるぐると場内を回っていたら、ふと、本棚が赤一色のところが目に入る。いわゆる大学受験の「赤本」、つまりは各大学ごとのこの間の出題傾向と対策がのった本のコーナーだった。なつかしい気分。

アバンティの本屋から、今度は地下街「ポルタ」の本屋をはしごして、夕方に帰宅。
なかなか、ゆっくりと本屋ですごすなんて事は普段できないので、私にとっては良い時間でした。

子どもがいない家は、ちょっぴりホッとするけれど、やはりさびしいものですね。

夏休みといっても、プールやサマー学習、学童保育と、子どもにとっては、いろいろ忙しい日々だったと思うので、おじいちゃんちで、しばらくは「好き放題」やっててください。


被爆63周年

2008-08-07 15:43:52 | 憲法9条に乾杯!

 昨日は、「ヒロシマ日」でした。

その日の朝、子どもを学童保育に送る準備をしながら、テレビに映る広島での祈念式典の様子を見ていました。そして、8時15分。テレビから流れる「黙祷」の声にあわせて、私も目を閉じて黙祷しました。

 私が「ヒロシマ」に触れた最初は、「はだしのゲン」でした。
小学生の頃、教室に置いてあったその本を何となく読みました。
その時は、なぜかあまり何も感じなかったのですが、その日の晩、寝る前になって、急に思い出して、怖くて怖くて、なかなか眠れなかったのを憶えています。それ以来、「はだしのゲン」をなかなか読めなくなり、原爆ドームの写真や絵を見るのも、ドキドキするようになりました。

 中学3年の時、修学旅行で広島に行きました。
正直、行くのが嫌でした。広島に行くのが初めてで、どんな街かも知らなかった事もありますが、私の頭には、焼け野原の広島のイメージしかなかったので、まだあんな状態ではないか、と真剣に考えているくらいでした。
 広島に着いて、私のイメージしていた焼け野原でない街を見て、ホッとしたのもつかの間、原爆資料館に行くことになりました。資料館の入り口に立ったときは、本当に緊張して、出来るならば入りたくありませんでした。が、いよいよ入場。あの頃の資料館は、入った所に、市街地の模型があり、爆心地の上に赤い玉がぶらさがっているのがあり、少し歩くと被爆の状況を再現した人形があり・・・と、私にとっては、耐え難い展示物が続いていました。

 が、当時の私は、目が相当悪かったのですが、メガネをかけていなかったので、ちょっと離れるとほとんどぼやけてわかりませんでした。それをよい事に、遠目からしか展示物を見ずに出てしまいました。まだ、原爆を正面から見つめる事ができなかったんです。

 原爆とはじめて正面から向き合う事ができたのは、高校生の時。
高校2年の時に、民青同盟に出会い、平和の事を考えるだけでなく、仲間といろいろ学習したり、実際に署名活動をしたりする中で、「いつまでも目を背けていてはいけない」という気持ちが芽生えたんです。そんな思いを形にできたのが、高校3年の時の文化祭で取り組んだ「戦争展」でした。京都原水協からお借りしたパネルを教室いっぱいに展示して、あれだけ目をそらしていた被爆写真と向き合い、そのパネルを一人でも多くの人に見てもらう取り組みをしました。
 「はだしのゲン」を初めて読んでから、8年ほどかかって、そこにたどり着けました。

 それ以来、広島には何度も足を運び、なかなか行けなかった長崎にも2回行きました。「原水禁世界大会」にも参加した事がありますが、一番印象深かったのが、1994年の大会に京都の民青同盟を代表して参加した時。被爆の実相を受け継ぐ事をテーマにした分科会に参加し、そこで京都の取り組みを発言したのですが、「受け継ぐ」という事の意味を、そのとき初めて実感したのを憶えています。

 99年に長崎の大会に行って以来、広島へも長崎へもいけていません。
その間に、私は、一人の子どもを育てる親となりました。
 親になってから、また感じ方に変化がありました。
戦争や原爆では、子どもたちがたくさん犠牲になりましたが、そんな話しや場面を見たり聞いたりすると、すぐに自分の子どもと重なって、これまでになく涙が出たり、恐ろしく感じたり、ちがう意味で、目を背けたくなる時が多くなりました。

 今度は、子どもたちにどう伝えていけるか・・・
まだ子どもは小さいけれど、少しずつ少しずつ伝えていきたいですね。
 いつの日か、子どもと一緒に広島、長崎に行きたいと思います。

 

 


学童保育の充実を求めて

2008-08-04 10:01:24 | 子育て安心の町に

 この間、「学童保育の充実を求める要望署名」に取り組んでいます。

ある保護者の方と相談して、署名を始めたのですが、先日、署名が100人を越えて107人集約されました。まだ署名が回収できていない人や、声をかけられていない人もいるので、もうひと頑張りして、150人は越えれたらと思っています。

 署名は、学童保育の利用者はもちろんですが、保育園の保護者のような、これから利用するかもしれない人、そして、子育て支援の充実に共感してくれる方々など、いろいろな人に広がりました。何枚か署名を預かってくれて集めてくれた方もいました。

 学童保育の充実は、これまで議会でも繰り返し取り上げてきましたが、充実を求める願いの切実さを、あらためて実感しました。

 出来るかぎり集めた後、町に提出して、町長に要望を伝える場を持ちたいと考えています。
 学童保育は、府下で一番高い利用料(月1万円)の値下げも切実ですが、この間、定員20人を大きく超える利用(32人)があり、施設的にも限界がある事や、時間延長や、指導員さんの身分保障の改善(現在は、6人の指導員さんがすべてアルバイト)など、課題は山積しています。

 署名を力に、具体的な改善を実現できるようにしたいですね。