しらほぶろぐ

ブログタイトルはニックネームが由来。
日記代わりに身の回りの出来事を綴ります。

仕事復帰

2006-02-28 12:52:52 | 14.時事雑記
今日の体重:99.5kg(-5.2kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

今日から仕事に復帰…約1週間ぶりの出社… 単身寮から会社までの距離は約500m…通常は「たった500m」の距離だが,今日は少々長く感じた…

通勤途上,それがしの先の方に職場の先輩の姿が…追いつこうと思いペースアップ…ちょっと息が弾みそうだったので途中で断念…病み上がりでもあるし…ペースをまたゆっくりに戻す…

長岡市内の雪もだいぶ消えているのに驚いた…1週間前は「長靴通勤」だったのに…今朝はスニーカー… 暖かさも感じ,清々しい復帰第1日目の朝であった… 明日から3月…春は別れの季節でもある…

新天地へ旅立つ人へエールを送りたい… がんばれ・三ちゃん!…体に気をつけてネ!
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤沢周平作品所感1

2006-02-27 10:56:03 | 08.山形探訪
今日の体重:99.5kg(-5.2kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

それがしがこれまで藤沢周平作品を読んだ本は(購入順に…)
 1.蝉しぐれ
2.たそがれ清兵衛
3.暗殺の年輪(第69回:直木賞受賞)
4.隠し剣孤影抄
5.竹光始末(映画:たそがれ清兵衛の原作となった短編集も入ってます)
6.三屋清左衛門残日録
7.よろずや平四郎活人剣(上下巻)
8.隠し剣秋風抄(現在読書中)

の9冊である。時々自分なりに個々の作品の所感を綴ろうかと思った… (にわかファンのくせして,評論家気取りか?なんてお叱りの声も…) 手始めに,昨年映画化になった「蝉しぐれ」を語る…それがしは,本作品の映画は見ていない…キャスティングが「いまいち」との噂もある…近くDVD化され販売されるようだが,まずは原作本の一読を勧めたい。


(ストーリー)
時は江戸時代…東北の小藩「海坂(うなさか)藩」の下級武士である義父のもとで成長する牧文四郎は15歳。父・助左衛門を尊敬し,いつか父のようになりたいと思っていた…文四郎は,隣家に住む幼なじみのふくに淡い恋心を抱きながら,小和田逸平と島崎与之助の親友とともに剣術と学問に明け暮れる日々を過ごす。

ある日文四郎の身に大きな異変が起きる…文四郎の養父・助左衛門が藩主の世継ぎ争いに巻き込まれ,反逆者とされ死罪切腹に…牧家は家禄を減らされ,家も粗末な長屋に移され文四郎の生活も一変する。「罪人の子」と中傷されながらも,与之助,逸平の友情に支えられ,剣の道を励むことによって文四郎は前向きに生きていた… 文四郎とふく,淡い恋心の思いを互いによせ始めた頃…ふくが殿の奥に勤めるため江戸へ行くことになる。

文四郎にとっても,ふくにとっても辛い別れ…江戸に立つ前,文四郎に会いたいと文四郎の家へ走るふく…だが2人は会うことが出来ない…ふくはそのまま江戸へと旅立った… 数年後,青年になった文四郎…牧家の名誉も回復されつつあった。ふくも殿の側室となっていた。やがてふくが子供を身ごもる…が,派閥闘争による陰謀で一度は流産…もう一度身ごもったふくは,郷里へ戻り身を隠して出産…反対勢力派閥がふくとその子を皆殺しにするため動き始める…文四郎はその事を耳にするが,自分ではどうすることもできない…

そんな折,文四郎は藩命で「ふくの子をさらってこい」と言い渡される。断ろうとすると,「牧家の名誉を回復してやったのは誰のお陰か」と脅され,引き受けざるを得ないことに…ある意味この藩命は罪人家に対する「罠」だと知りつつ…どうにもできない文四郎は,逸平と与之助の知恵を借り救出に臨むことに… 果して,文四郎は無事にふくとその子を助けることができるのだろうか…文四郎の知恵と剣術の腕がいま試されようとしていた。

(所感)
藤沢文学を代表する長編小説として名高い作品… と「本物」の各評論家は紹介している…私が人生で初めて時代小説という部類の本を手にし読破した作品だ。長編小説…飽きずに読みきれるだろうか…不安があった…しかし,この作品には「スピード感」があった…ストーリーの展開の速さが私を飽きさせなかった。 風景の描写がすばらしい…

目をつぶると,普請組屋敷の裏を流れる小川,海坂藩の美しい風景が飛び込んでくる…時々登場する蝉の鳴き声も風景を想像させ心地良い気持ちになる。 登場人物の情感も見事に描かれている…

牧文四郎とふく…隣家に住む幼なじみという間柄だったが,互いに思いを寄せ合い淡い恋心が芽生える…その情感の変化が「はがゆく」伝わってくる…親友,島崎与之助・小和田逸平との終生変わりようのない友情の情感描写も素晴らしい 誰にでもある青春時代…江戸時代,武士道の世界を懸命に生きる青年たちの「青春ストーリー」… 読後は気持ちが良く爽快感があった…一読を勧めたい。

(心に残る場面)※それがしの場合…
・ある夏の朝,文四郎が住む普請組屋敷の裏を流れる小川の川べりで…隣家に住むふくが蛇に噛まれ文四郎がふくの中指を吸い毒を吐き出した場面…文四郎15歳,ふく12歳…その朝も蝉が鳴いていた…
 
・尊敬する父親が処刑される直前に文四郎は父と面会した…その際,「私の欲ではなく,義のためにやったことだ。文四郎はわしを恥じてはならん」と言い残した父・助左衛門の言葉…その一言が文四郎の人生を支え生きる糧となった事は間違いない。

・父の遺骸を載せた荷車を引く文四郎に寄り添い,あふれ落ちる汗を拭こうともせずに,黙々と荷車の梶棒を引くふくの姿。文四郎を思う愛しさに感動。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形中央シニア日記

2006-02-26 20:41:45 | 05.熱血野球
今日の体重:99.8kg(-4.9kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

平成18年2月25日(土):村山市民体育館
平成18年2月26日(日):天童スポーツセンター

今週も筋力トレーニングを主とした室内練習が行われた。この苦しい冬季トレーニングを「どのくらい真剣にやるか」…その差は必ず春に表れてくる…歴然と目に見えて… 息子の「手抜き筋トレ」は白田家の夕食の「おかず」として話題となる。

入院&自宅療養で,練習に同行したのは妻…妻もかなりの野球好き…息子は小学3年からリトルを始めたが,妻の「怒りのケツキック」をマイナー時代から何発か食らっている… その妻いわく…「少しか見てないけどよ~」…と前置きし,「ぜんぜん腰が落ちてね~んだヨ!」,「甘いんだよ!」「ふざけんなよ!」…と夕食中の一喝だった…ケツキックはなかった…

ちなみに,妻は「蔵王トリオ」の練習姿は「覇気」があっていい…と誉めていた。さすが,いいとこ見てるネ…と感心。
 
【追伸】私の手術入院に伴い,父母会よりお見舞いのご芳志を賜り,誠にありがとうございました。この場を借りて感謝申し上げます。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形弁~かすず商店物語~

2006-02-26 14:26:27 | 14.時事雑記
 我家は全員山形生まれ…でも育ちはみんなバラバラである。
私:西川町生まれ(育ち:山形16年,仙台14年,新潟3年・上越4年)
妻:山辺町生まれ(育ち:山形23年,仙台3年, 新潟3年・上越4年,小樽4年)
息:山形市生まれ(育ち:山形 3年,仙台3年, 新潟3年・上越4年)
娘:山形市生まれ(育ち:山形 1年,仙台3年, 新潟3年・上越4年)
山形在住歴23年の妻はどこに行っても山形弁丸出しだった。仙台や新潟に住んでいた時は「飾らない人で気さくな母ちゃん…」として友達からウケていた…逆にそれがしは,どちらかというと山形弁を隠したがる傾向があった…「なんて郷土愛のない男だろう」と思ったりもした…が,それがしの場合は,①父親も転勤族で,少年時代は仙台と山形の往復生活を繰り返したこと…②就職・結婚後も転勤の連続で,3県を渡り歩き,色々な方々と接してきた…ということもあり,「山形弁5:仙台弁4:新潟弁1」の『ミックス弁』で話しているのが実態である。
妻も突然「うまいっしょ~」などと,語尾に「しょ~」をつける「小樽弁」が登場するときもある…バイリンガル夫婦なのだ…

息子・娘も山形の学校に通うようになって間もなく1年…(1)(2),①②のことを「1かっこ・2かっこ」,「1まる・2まる」…と山形弁を使うようになってきた…「標準語で読みなさい」…と私…「みんなに笑われるから…」と子供たちは反論…「大人になって県外に出ると,お父さんみたいに,みんなから笑われるヨ」…と言っても無視…「郷に入れば郷に従え」…ということだろうか…確かにその通りかもしれない…「子供達も地域に溶け込んできたのか」…と喜ぶべきなのだ。

野球用語にも方言があるようだ…。試合中,裏方で「ストライクカウント」や「アウトカウント」の表示スイッチを押す仕事がある。その係の人の事を,山形では「SBO係」(strike・out・ball)と呼んでいるらしい…(聞いた話しであるが…)昨年,我がチーム主催の大会で「○○チームの『SBO係』の人は,至急本部席に来て下さい」と場内アナウンスしたのだが,試合が始まっても誰もこなかった…というシーンがあったそうだ…。呼びかけた○○チームが,もし「宮城」や「福島」方面のチームだとしたら,「SBO係」という言葉自体が通じていなかったのだろうと推測している…だから誰も来なかった…なぜなら,仙台・福島では,その係の事を「スイッチャー」と呼んでいるからである…。方言も色々…野球用語も土地土地で違うのである…。
 
私の実家は「山形県西村山郡西川町吉川」である。「雪と緑と太陽のまち」…「おじいさんは山に下刈りに,わたしは心のせんたくに」…でお馴染みの「西川町」である。「おしん」のふるさと(ロケ地だったかな?)でも有名である。それがしは,ここ西川町で強烈な「方言(なまり)ショック!」を受けたことがある。
 
実家の近くに「かすず」商店という雑貨屋さんがあった…子供の頃からよく買い物をしていた…祖母や母からも「ちぇっと,『かすず』さ行って買い物してきてけろ~」…なんて言われていたりした。その店の名前は,ず~~~っと「かすず」商店…いいですか?「か・す・ず」だと思っていた…というより,思い込んでいたのだ。


ところが…だ,最近になってその店の名前が「かしち」商店である事が判明したのだ…「かしち」?なんで?…その理由を知ったとき,30数年間の思い込みが一気に崩壊するとともに,恥ずかしさがこみ上げてきたのである。 からくりはこうだ…その店の正式名称は「柴田かしち(人の名前)商店」という…それを略して「かしち」商店…昔からあるこの店は,地元の人々のなまりで「かしち」の「しち」が→「すつ」→「すず」に変化していき…やがて屋号のように「かすず」と呼ばれるようになった。多くの人は,その事実を知っていたようだが,私は全くしらなかった。 それがしは恥ずかしかった…「かしち」商店が正式名称であることを知ってる人たちに対し,堂々と平気で「かすず」と言い,自分が知らず知らずのうちに「なまりをさらけ出していたのか」…と思うと赤面ものだった…。ちなみにそれがしの兄も同じ心境だった…。 恐るべし西川町…と思った…それがし,今では「西川町・まちつくり応援団」としてPRの役目を担っている…特に活動はしていないが…このブログに町名を綴ったので,少しはPRできたか… 


 【山形弁の特徴】~このブログを見ている山形県出身者以外の方へ~ ・基本的に敬語はない。語尾に「す」を付けると敬語の代わり(丁寧語)になる。・基本的にイントネーションの上下が少なく淡々とした口調。・電話をかけ相手に名前を名乗るとき「白田でした」…と過去形で話しかける。・男性と女性の言葉に差があまり無い。今でも自分のことを「俺」と言う女性がいる。・しりとりでは「ん」でゲームオーバーだが,山形弁には「んまい」「んだ」「んね」「んま」などの「ん」から始まる言葉がある。

 

コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半快気」で戻りました

2006-02-25 16:55:14 | 03.健康第一
今日の体重:100.2kg(-4.5kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

 【山形県立中央病院・全景】 

4泊5日の手術入院を終え,先ほど退院し自宅に戻ってきました。
血栓個所が予想以上に硬く手術は難航…先生方も汗だくで3時間ほど頑張ってくれましたが,体内へ流す造影剤の使用量にも限度があるということで,「血栓除去率:50%」で終了となった。今後血栓を軟化させる薬を飲み,3ヵ月後の5月10日に再手術する方針となった。
 山形県立中央病院の主治医・南幅先生をはじめ,一般病棟・集中治療室での担当ナースさん他,沢山の病院関係者の方々から親切に対応していただきました。 遠方の仙台よりお見舞いに来て下さった方々,ブログや携帯で励ましのメールを送ってくれた方々…皆々様のお陰で勇気を持って手術を受けることができました。 この場を借りて御礼申し上げます。皆様からの「愛」届きました…ありがとうございました。
長々となりますが「入院回想記」を綴ります…(2/21~2/24は遡って登録)
コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入院回想記」5

2006-02-25 10:00:00 | 03.健康第一
※日付を遡っての投稿で,入院中の書き込みではありません…

18.02.25(土)

(10:00)
南幅先生の回診と歩行心電図検査の結果,無事退院許可をもらう…
・次回の手術(5/10)まで「超」の付くぐらい摂生すること… ・薬を1種類増やす。投薬は欠かさないこと…
・息切れするような運動は控えること…
などを指導される… 手術中に撮影した心臓のレントゲン映像を見せてもらう… 断面的に75~100%詰まっているところが「4cm程度」あったのに対し,術後は「2cm程度」に減少していたのが目に見えてわかった… あと2cmのところが硬いらしい…100%閉塞しているところだ… カテーテル「0.014mm」のワイヤーを用い,突進圧力「0.7g」→「3.0g」→「9.0g」と徐々に突進圧力を増していったそうだが,結局砕けなかったそうである…1cm2あたりにすると「3.8kg」に相当する力になる…それでも砕けなかった… このような硬い血栓は「脂質」ではなく,「カルシウム質」という判断だった…しかもだいぶ昔から蓄積していたもの…思えば子供の頃から牛乳を好んで飲んでいた…子供の頃の食生活も関係あるのかナ…と,ふと思う… 投薬で血栓を多少軟化させ,さらに次回手術では,突進力の強い器具を取り入れトライする…ということである…

(11:00)
快晴のもと病院を出る…すっかり雪が解が進み春めいた街並みを通り自宅へと…和室の畳で…2月下旬とは思えない暖かさを感じ横になる…心地よい…まずはホッとした気持ちでブログに向かう…

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入院回想記」4

2006-02-24 10:00:00 | 03.健康第一
※日付を遡っての投稿で,入院中の書き込みではありません… 【足用ネームバンド(誤人防止対策)】


18.02.24(金)

(7:30)起床…荒川静香選手が金メダルをとったと聞きテレビをつける…感動した!

(13:30)南幅先生の回診と歩行心電図検査で「病院内限定」で歩行を許してもらう…術後順調との事で翌日の回診で判断し,そのまま退院もあり得る…とのコメントをもらう… 22日が給料日だったので,歩行練習を兼ねて,早速病院1階のATMまで行ってみた…恐る恐るゆっくり歩いた…一般外来のお年寄りからも抜かれるスピードでしか歩けなかった…右足付け根のところにも少々違和感があった…

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入院回想記」3

2006-02-23 10:00:00 | 03.健康第一
※日付を遡っての投稿で,入院中の書き込みではありません…

【夕食:鶏の照焼き,茄子そぼろ他…574キロカロリー】


18.02.23(木)

(2:00)熟睡中,看護師さんから起こされる…「右足付け根」と「左手首」の止血がうまくいってるようなので,止血帯を外してもらう…やっと「手足の屈伸」や「寝返り」を許可してもらう…やっと生きてる心地がした…苦しさから開放され,すぐに眠りにつく…

(7:30)起床…胸の痛みもなく気持ちよく起きた…看護師が来ていた…尿管を外すという…カテーテルの管を外す時と同じように変な感じがしたが,痛くはなかった…点滴も外れ,心電図の電極も外れ…暖かい蒸しタオルで丹念に体をふいてもらった…気持ち良かった(変な意味じゃないヨ)…配線・配管いっぱいの「キカイダー」から人間に戻った…

(10:00)集中治療室から一般病棟(505号室)へ移動…手術以降の疲れがどっと出てきた…「歩行禁止令」も出されていたので寝る事に集中した…

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入院回想記」2

2006-02-22 10:00:00 | 03.健康第一
※日付を遡っての投稿で,入院中の書き込みではありません…
 
【ベッドネームプレート】


18.02.22(水)
(7:00)手術当日…昨夜はよく眠れなかった…というよりほとんど寝てない…病院の指示で朝食は食べられず…

(8:30)T字帯(いわゆる「ふんどし」)を付け,前開きシャツ,手術用のパジャマを着て待機…初めてはいた「ふんどし」はなかなか良い…「蝉しぐれ」気取りで「それがし,牧文四郎でござる…」ってな感じ…

(9:00)右腕から点滴,続いて「尿管挿入」…これが痛い!…この入院期間の中で一番痛かった…本番の手術より激痛だった…「男性は前立腺があるから,管入れる時痛いんですヨ~」と笑顔で説明してくれる看護師さん…汗かきました…最後に「前張り」を付けてスタンバイOK

(10:00)「白田さ~ん,手術室へ…」と呼び出し…看護師さんから車椅子を押してもらい手術室へ…車椅子重くてすみません…と看護師さんへ一言・・・

(10:10)自力で手術台へ上がり仰向けに寝る…あっという間に素っ裸・前張一枚…股間全体・左手首に消毒液を塗られたり,手術用のシートを掛けられたり,血圧計を付けられたり…たんたんと準備が進む…

(10:20)主治医「南幅修先生」他2~3名の医師が登場…テレビドラマのように両手を前に立てながら…「それでは始めます…よろしくお願いします」…の声…右足付け根,左手首に局部麻酔…カテーテル挿入…カテーテルが脈の中を通るのが感じる…少々の痛み… 作業の変化点ごとに南幅先生から「次○○するから心配しないでネ…」と作業内容を丁寧に説明される… 「カテーテル挿入」→「バルーン挿入」→「血管拡張」→「血栓除去」→「造影剤投入」→「レントゲン撮影」の手順を繰り返し時が過ぎる… 途中「固いネ~」とか「狭いネ~」とか「ヨシ,通った…」などなどと医師達の声が聞こえてくる… 自分の顔の前には「レントゲンカメラ2台」があり,「手術風景や画像モニター」は見えなかった…南幅先生の説明と,医師達が発する声で状況を想像していた… バルーンを拡張させると「胸の痛み」が生じる…バルーンが膨らむと,一時的に血流が遮断されるためで,瞬時的に「心筋梗塞」となり,やむを得ないとの事…これも南幅先生から事前に知らされていた…2時間を超えた頃から腰も痛くなってくる…

(13:10)南幅先生から状況説明…造影剤の使用量が健康上の理由で制限されていて,これ以上手術を継続できないこと…血栓が硬く,約半分の血栓しか除去できなかったことを聞き手術終了… 手術時間2時間50分…先生方の額には汗がにじんでいた…

(13:30)カテーテル挿入のため切開した「右足付け根」と「左手首」の止血処理(空気帯で圧迫)を完了…テレビでよくみかけるシーン…「1・2・3!」と8人がかりで手術台からベッドへ移動…重くてすみません…と,ここでも一言

(13:50)集中治療室へ移動…「左手首・右足付け根は圧迫して止血」,「右腕・左足からは点滴と採決」…胸には心電図の電極を貼られ波形を遠隔監視… ここからが地獄だった…両手・両足とも動かすことは許されなかった…当然寝返りもできず…腰が激痛だった…「もともとヘルニア持ちなので」…と看護師さんに言っても,「ここが一番大事ですから…内出血しないためにも,ここは我慢して下さい…」と言われる…つらかった… 看護師さんの目を盗んで少し寝返りをうつ…少し腰が楽になる…看護師さんから「動いたでしょ!」と叱られる…また腰が痛くなる…その繰り返しだった… 昨夜は寝不足だったので眠れるはずなのに…が,しかし…腰が痛すぎて寝るに寝れなかった… 胸の圧迫感,チクチク感もある…熱も37度8分…後遺症で胸が痛くなったり熱が上がるらしい…これも南幅先生からの説明…

(19:00)南幅先生が来る…右足付け根に入っているカテーテルの「管」を外しに来た…「管が残ったまま入っていたのか」…とその時初めて知る…再度局部麻酔…管を抜く時,股間に変な違和感が走った…今までに感じたことない,何とも言えない変な感じ…ん~表現できない… 管を抜いたあとの止血方法は,南幅先生自らの指で傷口を圧迫…しかも30分間も…何とも原始的な方法だと思ったが,これが最良らしい…止血の間,南幅先生や付き添いの看護師さん2名と世間話をした…栄養指もしてもらった… 今後生きていくために減量は避けられず,目標は70kgに設定…あと30kg減…目標を達成したら飲みに行く約束もした…看護師さんの一人も20kg減を目指すと言っていた(ナース阿部春美さんともう一人の若手看護師さん…名前わすれちゃった)…腰の痛みを忘れる楽しい30分間だった…

(19:40)夕食…朝からご飯を食べてなかった…水分もとってなかった…その時口にした氷水は最高においしかった…夕食の味も最高だった…「おにぎり」と「さわらの梅肉焼き」など…一生忘れられないくらい美味かった 食事は妻が手伝ってくれた…その時の妻は優しかった…天使に見えた…息子・娘の話やたわいのない話をして…何を話したか忘れてしまったが…笑いながら…食がすすんだ…結婚記念日の前日を病院の集中治療室で過ごすとは思いもよらなかった…

(22:00)腰の痛みが限界を超えた…耐えられずナースコールのボタンを押す…痛み止めの筋肉注射をうってもらう…痛み止めは「クセ」になるので,うちたくなかったが…30分後,嘘のように腰痛がなくなる… 腰痛が消えた瞬間,マブタがぐっと重くなる…やっと眠れる気がしてきた…

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「入院回想記」1

2006-02-21 10:00:00 | 03.健康第一
※日付を遡っての投稿で,入院中の書き込みではありません…

【一般病棟・5階東・505号室】


18.02.21(火)
(10:10)入院手続き…病棟へ行く前に「胸部レントゲン」と「心電図検査」を受診 (10:40)病棟へ…5階東病棟「505号室」。
「東」というネーミングと「505」という数字がなんとなく気に入った…担当ナースの結城主任さん登場…笑顔で説明もわかりやすいベテラン看護師さんで安心
(11:00)医療福祉相談室へ…心臓機能障害に伴い「身体障害者(4級)」に該当するということで,ソーシャルワーカーから種々説明を聞く…山形市への申請書類を作成…妻が市役所へ行き手続きを行なう…身体障害者と言われても…実感がない…

(12:00)昼食…薄味…この味付けに「慣れなければ」と思う…病院食は1食あたり500~700キロカロリー…十分に栄養管理されている…しかし,ここは自主的に半分残すことにし,摂取カロリーを大幅に減らす努力をする…

(14:50)処置室で「下の毛」を剃毛…右足付け根にカテーテルを挿入すると聞いていたので,「部分的な剃毛」かと思っていたが,「場合によっては左足からカテーテルを挿入するかもしれない…」という理由で,結局下の毛全体を剃毛…プラス太ももも剃毛…作業は「電動バリカン」を使って妻と二人で「羊の毛刈」状態…結婚記念日の前々日だった…14年前は初めての共同作業という儀式でケーキカット…そしてこの日は二人で剃毛作業となる…

(15:30)入浴,剃毛した毛を洗い流す…鏡に写る姿を見て一人でニヤニヤ…娘の言葉を借りて言うと「キモ」い

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手術…行ってきます…

2006-02-21 08:05:31 | 03.健康第一

今日の体重:100.6kg(-4.1kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

「たそがれ時」でもないのに記事を投稿するのには理由があり…間もなく,入院先の「山形県立中央病院」へ向かわなければならないからである。

入院理由は「手術」,病名は「狭心症」…つまり,心臓機能障害の回復手術を受けるために入院する。手術は2月22日…くしくも14度目の結婚記念日の前日だ…

狭心症は,心臓の周りにある「冠動脈」の中が動脈硬化のために狭くなり,血液が心筋に十分送られなくなった状態で,完全に閉塞してしまうと酸素と栄養の供給が停止し,やがて「心筋梗塞」を起こしかねない怖い病気である。

私の場合,右冠動脈に症状があり,血管の内径断面で75%~100%,長さにして4~5cm程度の血栓があるそうだ。先天的に他の人より冠動脈が細いそうで,先天性異常に不規則な生活習慣が重なり「狭心症」となってしまった。

100%閉塞しているのに何故「心筋梗塞」にならず生きていられたのだろう?担当医師が言うには,他の人ではあり得ないのだが…と前置きがあり,「完全に閉塞している先の血管が,本来つながっているはずのない『左冠動脈の枝脈』とつながっており,奇跡的に血液が供給されている…と説明してくれた。ただ,この枝脈というのは非常に細いので,いつ詰まるかも予測がつかない…とのこと。 先天的な異常と奇跡が重なり,私は生かされていたのである。

先天性を責めている訳ではない…私のこれまでの生活習慣が全て原因となっているのは確実で,「食べたいものはカロリーを全く気にしないでバクバク食べ」,「喉が渇いたと思えば,炭酸飲料を腹いっぱい飲む」,「口淋しくなればタバコをプカプカ吸っていた」…全てが悪循環だった…自業自得でこの病気になった…

実は1.5年前,今回ほど悪くはなかったが,同じ診断をされていた…にもかかわらず,生活習慣を全く改善していなかった。その時が健康を自覚するチャンスだった。3ヶ月間禁煙したものの,結局自分に負け長続きしなかった…本当にバカだった。 今回,神様がくれた奇跡を無駄にしてはいけない…生かしてもらった…今後は摂生あるのみ!手術することが決まってから,カロリーコントロールによる減量を開始,当然禁煙もした…

1ヶ月前,体重が105kgほどあった…現在は約100kg…手術が成功したら許される範囲で少し歩こうかと思う…これからの生活は健康第一を誓う! 退院はいつになるかわからない…

今回は「経皮的冠動脈形成手術(PCI)」といって,カテーテル(細い管)を血管に通して行う手術で,カテーテルを挿入する「足のつけ根」だけにメスを少々入れるので,4~5日で退院できるのではないか…と言われている。 と,いうことで,しばらくの間ブログの更新はできなくなるのでご容赦願いたい。皆さんは,いつもどおりコメントが書き込めますのでヨロシクです…。

退院後必ず結果報告するで,全国1万人の「白田ブログファン」の皆様…(おいおい,せいぜい1日30人…しかも延べ30人でしょ…)退院するまでちょっと待ってて下さい…。 それがし(僕)は死にましぇ~ん!
 
最後に… 職場の皆さん,長期休暇を頂くことになり大変申し訳ありません。
山形中央シニア父母会の皆さん,審判部という職を途中で辞すことになり誠に申し訳ありません。
職場,中央シニア,仙台東リーグ04会,北六バッファローズ関係者の皆々様からの暖かい激励の言葉を受けて,勇気を持って手術を受けることができます。本当にありがとうございます。 この場をお借りして御礼申し上げます。

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

指定休日の過ごし方

2006-02-20 16:27:20 | 01.自宅家族
今日の体重:100.5kg(-4.2kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

 それがしの職場には,国の定めで日々監視を必要とする設備を抱えているため,土日・祝日,盆・正月に関係なく「宿直業務」というものがある。

休日にその業務にあたると,その代わりとして自分が指定する『平日』を休みにしている…これが指定休日というものである。

指定休日は月に2~3回程度…つまり平日の休みが月に2~3日あるという訳…で,この平日休み,それがしは結構好きだ。

休日に仕事となると当然息子の野球は見れず寂しいものがある…しかし,平日休みは誰にも邪魔されず,自分の好きな事ができる利点もある…妻も仕事,息子と娘も学校へ行くのでフリーの身なのである。

休日といっても朝は早く起きる…。休日前夜,自分の時間をどう使おうか…とスケジュールを立てたりする。妻との約束で,指定休日時の「洗濯&掃除当番」はそれがしとなっている…だから早起きする…じゃないと,たそがれ時にはみんな帰ってきてしまうので,ゆっくり寝てたのでは,やりたいことも出来ないのである…。

そんな訳で今日は指定休日であった…。朝7時に起床…久しぶりに4人での朝食…息子・娘が学校へ…8時30分妻が出勤。さあ~,ひとりだ!食器洗い~掃除~洗濯…ひと通りの家事を10時まで終わらせる。

ここからが自分の時間。買い物に出かける…近所のスポーツ・デポ→ジャスコ→ユニクロ…最後は八文字屋で少々立ち読みし,DVDをレンタルして帰宅。平日は客が少ないので買い物がスムーズだし,なにせ「連れ」がいないので,自分の欲しいものを「ゆ~っくり」探すことができる。ん~,ぜいたくだぁ~!

そして最後の締めは「映画鑑賞」タ~イム!それがしは昔から映画好きで,新築時に「ミサワホーム」さんの特典で「プラズマテレビ」と「ホームシアターセット」をゲットしたのである。今日の映画は,ジョニー・デップ主演「パイレーツ・オブ・カリビアン」。一人で鑑賞するときは大音量…しかもDTSサラウンドで映画館さながらの迫力音響で大好きな映画を満喫するのである…。

夕方4時過ぎ,息子→妻→娘の順で帰宅…ここで一人の時間が終了~。妻は帰って来るなり「今日サ~,会社でサ~…」とマシンガントーク炸裂…仕事中は喋れないようでウップンがたまるらしい…。
 
ついさっき,子供たちの家庭教師の先生が来宅…「こんばんは~」と挨拶…「あら,お父さん今日はお休みなんですか~?」と先生…,「え~,今日は指定休日って言いまして,土日に宿直になると…」と説明するそれがし…。

 

コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の芝生

2006-02-19 16:40:43 | 01.自宅家族
今日の体重:100.7kg(-4.0kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

1週間ぶりに自宅で過ごす…やはり心地よい。

なんてったって風呂が最高!。単身寮の湯船にはあまり入る気がしない…潔癖症ではないが,時々「得体の知れない浮遊物」があったりして気が進まないのである…。

だからいつもはシャワーで済ませてしまう。1週間ぶりに湯船へ「ザッブーン」…至福の時である。
(1週間に1度というのは湯船に入る頻度で,体は毎日洗ってますので誤解のないように…)

自宅周りの雪解けが目まぐるしく進んでいるのに驚いた。日当たりの悪い北側の積雪もほぼ無くなった。庭の芝生が顔を出した…

例年は,選抜高校野球の開幕で春を感じていたが,今年は我が家の庭でちょっと早目の春を感じることができた。

 さすがに芝の色は茶色だったが,腐れていたり痛んでいるところはなかった。家を建てるとき,内装やレイアウトの事で妻と色々もめたが,「庭に芝を張ることだけ」は一致した考えだった。二人とも野球好きであるためか芝が大好きだった。

芝の手入れはそれがしの担当…昨年4月に芝を張って以来,目土・肥料・空気孔の手入れと管理…(日々の水撒きは妻に依頼)…日に日に青みを増す芝の生長を喜び…生長した芝生を丹念に刈る…目標は横浜スタジアムのような芝模様…とまではいかないが,愛情を込めて手入れするように心がけている。
 
夏場の庭仕事は大汗を伴なう作業…去年は計画倒れでできなかったバーベキューを今年はぜひ実現したい!芝刈り作業後のビールと焼肉はさぞ美味いことだろう…楽しみ楽しみ。

(昨日は仕事で練習を見れず,今日も選手の体力測定で終了したため,「今週のシニア日記」はお休みします…)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

往復450kmの道のり…

2006-02-18 17:30:10 | 14.時事雑記
今日の体重:100.7kg(-4.0kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

 山形の自宅~長岡の単身寮までの走行距離は約450km…夏場は3時間30分,冬は路面の状況にもよるが4~5時間はかかる。

ひどかったのは昨年12月,ちょうど初雪の頃…新潟県関川村のR113で,宮城ナンバーのトラックが雪道で走行不能(普通タイヤが滑って前進もバックも聴かない状態)となり通行止…結局その場で2時間ぐらい待たされた時があり,片道7時間もかかってしまったことがある。

この時期の走行で一番恐いのは地吹雪である…R113小国町~飯豊町~長井市~南陽市にかけて所々「ホワイトアウト」になるところが幾つもある…周りが真っ白けになって,一瞬どこを走っているのかわからなくなる時がある…あのホワイトアウトは織田裕二も真っ青になるぐらいのスゴさである。

新潟県内は道路が素晴らしく良い!さすが田中角栄さんのお膝元だけある…新潟市内の国道7号線「新新バイパス」は別名「角栄道路」とも呼ばれているぐらいスゴい。日本一交通量の多い国道として有名である。自宅に戻るときは「中之島見附IC~中条IC」まで北陸自動車道を利用する。ちょうど距離が100km弱なのでETC割引が対象となる。通勤時間帯の半額の割引は大変ありがたい。

中条ICを降りてから自宅までの125km区間が疲労する。特にR113に入ると1本道になるので,前方にノロノロと走行するトラックや軽自動車が居るとイライラしてくるのである…。新潟~山形の道路は発展しないのだろうか…鶴岡・酒田方面への日本海沿高速道路の整備計画はあるものの,山間道路はこのまま現状維持なのだろうか…何とかして欲しいものだ…。

移動中の車内ではお気に入りのCDをガンガンにかけ,歌いながら走っている。眠気防止にはこれが1番!他人が見れば「なんだあいつ?!」と思われるぐらい大きな口をあけて歌っているのである…。 今日は仕事だったので,これから自宅に向けて出発!今日は自分で編集した「1980年代・お気に入り洋楽集」を聴きながら行くことにしよう…適当な英語でしかも大声で歌いながら…

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喝!

2006-02-17 20:32:08 | 14.時事雑記
今日の体重:100.9kg(-3.8kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

トリノオリンピック新種目「スピードスケート・女子チームパシュート」の3位決定戦で転倒してしまった「大津選手に怒りの喝!」

「チームパシュート」は,3人ひと組で滑る団体種目である。自転車競技を見たことがある人なら「追い抜き競技」といえば分かるかもしれない。

一方のチームがホーム側,もう一方のチームがバック側からそれぞれスタートする。チームは3人が列を作って滑っていくが,先頭を滑る選手は風圧を受けるため,そのうち疲れてくる。そこで後方で体力を温存していた選手が代わって先頭に出て,先頭にいた選手が後方へ移動する。滑りながら3人はその動作を繰り返し,男子はリンクを8周,女子は6周してゴールを目指す。

3人のうち最後方の選手が早くゴールラインを通過したチームが勝利となる。 後方の選手が受ける風圧を最小限にするため,間隔を開けずにきれいに並んで滑る技術が必要であり,先頭がバテたと思ったらすぐに交替するチームワークも重要。単にスピードや体力だけではなく,かけひきやチームの一体感が勝負を左右する奥の深い種目なのである。しかも国と国とが対戦して勝ちあがっていく方式なので,観戦する側としては結構盛り上がる。
 
さて,大津選手に喝!を与えるのは,決して「転んだから」という訳ではない。「転んだ後の態度に喝!」なのだ。チームパシュートのルールでは「転倒した場合,相手チームの最後方選手が転倒選手に追いついた時点で転倒した側のチームが負け」となっている。今回大津選手が転んだのは「ゴールまで残り2周+α」という所であった。レース後の状況を見ると大津選手はどこも痛めていない様子で転倒したあとでも滑れるはずだった…と私は思っている。

つまり,私が腹を立てているのは「転倒後,なぜすぐに立ち上がって再スタートしなかったのか!」という点である。「いつまでも氷の上に座って,悲劇のヒロイン面してないで,さっさと立って早く行け~!」と怒り爆発でした。 すぐ立って再スタートしていれば,相手チームとの差は1/2~1/4周差をキープし,追いつかれなかったと思っている。再スタートして一生懸命滑っていれば,相手チームも必死で滑っているのだから,もしかして後半バテて同じように相手も転倒していたかもしれない…

だから私は「簡単に勝負をあきらめてしまった」大津選手に喝!を与えたいのだ…レース後のインタビューでは「精一杯頑張ったが…転倒して申し訳ない…」とコメントしていたが,あの姿は「精一杯ではない!」と思っている。 リトルリーグ野球のコーチ時代の話であるが,守備でエラーし,あきらめて次のプレーをしようとしない(切替えない)選手には,人一倍声を大にして「喝!」を入れていた。 大沢親分と安打製造機の張本勲氏は,日曜日の朝どんなコメントをするか注目している。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする