桃おやじの歴史散歩

我が町は 記紀に記載の七代孝霊天皇黒田廬戸宮の比定地。
古代史を中心に、奈良の観光や地域情報を気ままに書いています。

「三宅町伴堂」 “#桃おやじ”の“#奈良盆地のへそ”散歩   其の5「太子道(筋交い道)」-5

2019-06-02 11:26:40 | 歴史

「伴堂環濠集落とあざさ」

伴堂の集落は中世の土豪「伴堂氏」の居城(居館)として太子道(筋交い道)が通る反面、集落内は曲がったり入り組んだりと環濠集落の特徴を残します。

伴堂氏は「長川流鏑馬日記(1384年)」に出自、
1499年の松永氏と筒井氏の戦闘の項に宝来・秋篠・超昇寺・布施・伴堂氏ら大和国人衆も参加。と出て来ます。

環濠集落になる以前は屯倉(三宅)として但馬、三河、石見などと共に皇家の蔵を支えたでしょう。

当時が大和湖の水際、低湿地であった事を示すように万葉歌に
「水草のしげる三宅が原を妻の元へ通う愛の唄」が歌われています。

その水草「あざさ」と「愛」をテーマに町おこしをしているのが現在の三宅町。
同じ万葉集からとった「令和」に似ていますね。

ここの歌碑から南に300mほどで元の黒田の駅の戻ります。
ここを東に1kほど行くと近鉄橿原線の石見駅、「石見」集落の少し北の集落が「三河」になります。


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